僕しかいない。

紺色橙

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18 可哀想

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-18- 藍染

 ムラサキは人恋しいんだろうか。正確には、好きな人に触れたいけれどそれが出来ず、どうにも出来ない心を持て余しているのか。
 ムラサキなんか絶対うまく行くのに何が怖いんだろうなぁ。あんな人に好きだと言われたら嬉しいし拒絶なんかしないだろうに。
 でも怖がってて、自分を抑え込んでいて、それを俺で発散している。
 まるで弱みを見せてくれてるみたいでそれは悪くない気がした。

 結局土曜日はダラダラとしてしまって、どうにか夜になる前に家に帰った。
 居心地のいいあの家から自分の家に戻ると寒くてなんだか寂しい。いつもみたいにパソコンを付けて、ゲームを起動して、とりあえず何戦かしてから寝ることにした。
 良くも悪くもゲームをしてるとそれに集中して色々なことを忘れる。悪いことがあった時はそれを一時忘れることができるし、そうして何日も何日も過ごせば時間薬が働く。平常時は単純に寝る時間を忘れる。
 でもどこか頭の隅で消えない思いが湧くのは仕方がない。
 ふと落ち着いた瞬間に、ムラサキの声が蘇る。
 はただの医療行為に等しい、気にするようなことではなかったはずだ。具合の悪い人が吐いてしまうような、体調の悪い人が漏らしてしまうような仕方のないこと。おおっぴらにすることでもないが、ごく自然な身体的反応で、それを手っ取り早く済ませただけだ。
 そう自分に言い聞かせるみたいに繰り返す。
 なんでもない、ことだった。
 ――きっかけなんて見なかった振りをして。
 でも。
 寝ようとかぶった布団の中、下半身に手が伸びる。
 されたことを思い出し、それをなぞるように手を動かす。
 ムラサキは俺の胸を触ったけれど、俺は女の子ではないから柔らかな膨らみはない。ここを触ったことは、まさに好きな相手を想定しての行為だと思った。
 服の上からいつもは触らないそこに触れる。女の子にするようにしたら良いんだろうかと、あくまでも優しく些細な刺激を与える。
 あれはたまたま偶然発生した行為だったと、次はないのだと思っているのに、頭がそれを理解していない。
 いつもは触れない自分の乳首なんかを触って、それをどうしたいのかなんて。
 ムラサキが好きな子に告白できない故の発散先だとしても、代替品にもなれない偽物だとしても、もし、俺とのセックスにも似た行為を気持ちいいと思ってくれるなら――。

 吐き出したものを始末して手を洗い服を直しながら、喉に詰まり声に出せない、出してはいけない心の澱を飲み込んだ。
 

***
 

 VCではなんだかうまく言えなくて、大学への乗り換えに使う大きな駅前のファストフード店に八重垣を連れ出した。
 相談料と茶化されて求められるまま購入し、二階の窓際に席を取る。昼時からずれた店内、大して人もいない。
「お前休み明けからボーッとしてんじゃん。それ?」
 相談と言っても何を相談するのか自分でもよくわからず、何を考え悩んでいるのかも分かっていない。
 ただ体の中を靄が渦巻きはっきりしない。
「クーとどうなったん」
 八重垣の問いに答えず、新商品を手にしてパクリと口にする。
「デートの約束付けた。というか、行った」
「行った上でもっかいってこと?」
「そう」
 順調も順調だ。
「アバターがもしでたらプレゼントするってのも言った。俺がやりたいからやるって」
 2次元より3次元で先に動いた八重垣は本当に押しが強い。俺ならもっと様子見するだろうなぁ。
「ぐずぐずしてたら間に合わなくなる。あいつ30だもん」
 何でも大概八重垣はそう言って、考え半分くらいで行動に移す。適宜修正していけばいいと。
「年齢関係ある?」
 歳なんかどうでもいいと言っていたと思うが。
「あるだろ。アイツは全く縁がないつってるけど、金があって都合のいい男が出てきたら多分結婚する。若ければ、もっと歳行ってれば大丈夫って話でもないけどさ」
 結婚してもおかしくない歳。彼女が結婚してしまったらもう手の出しようがない。そもそも心が結婚に向いてしまったら、10程も年下で働きに出てもいない自分ではどうにもならないと八重垣は思ってるんだ。
「間に合わなきゃ仕方ないよ。けど今はまだ間に合う。それにこっちを見てくれてるなら行くしか無いだろ」
 この考え方とか、実行力に俺は救われてもいる。相談というほどでもない相談をしたらそれなりに答えをくれるという確信があるし。
「結婚考えてんの?」
「考えてるとは言い切れない。でもなくはない。今の俺が結婚しようつってもダメだろ。金もないし信用もないし未来なんか何も見せられない」
 未来の確約はできない。

「未来か」
 ぼんやりと浮かぶ男の顔。
 同性の結婚はまだ珍しいモノ扱いされる現代で浮かんでしまう顔。
 ムラサキの相手は、顔も名前も年齢も知らない何処かの女性だ。抱きしめられるように体温を知っても、俺は相手じゃない。
 八重垣はもぐもぐと次から次へと口に入れていく。
「クーの何が好きなの」
「うーん。具体的なこれみたいなのはないな。良いように言えば、それがなくなったからって失われるものもないって感じ。そういやあいつ結構胸あるんだよな」
「合意を得ずに触るなよ」
「しねぇよ」
 笑い否定される。
 全員がそうとは言わないが、女性の胸に魅力を感じる人は多いと思う。俺だって八重垣ほどではないにしろ、多少なりとは。
 だから同じ男である俺は、同じ男だからこそわかることもあり便利なところもあり性欲処理には向いているけど、女の子とはやっぱりどうしても違う。
 体が、そもそも違う。
 俺が自分と違うムラサキをカッコイイと思って憧れるのどころではない、どうしようもない違いだ。
「女の子だったらなぁ」
 ポツリとこぼれた言葉。
 自分でも、え、と驚いた。女の子になりたいなんて思ったこともないのに。
 それに女の子だったからと言って何になるんだ。
 男でも女でも変わらないだろうに。相手には好きな人がすでにいて――
「恋愛相談?」
 今日の相談内容。
 ああ、そうなのか。
「わかんない」
 わかったけど、わからない。
 八重垣はただ横に座る俺をじっと見る。
「相談してもどうにもならんと思うし」
 氷の入ってない烏龍茶。それでも包む手のひらが冷たい。
「じゃあ、何したいのかで決めたら」
 何をしたいのか。
「そもそもさ、あの、男なんだよ」
「ん?」
「だから、ええと」
「好きになった人?」
 へぇ、と呟かれる。でもそれだけ。
「どうにもならんってのは?」
「男だし、その人好きな人がいるって」
 ふむ、と八重垣は少し考えるように間を置いた。
 男だということについては特に言うことはないらしい。まぁ、そうでなきゃ言ってない。
「その人がまだ片思いだっていうならどうにかなるんじゃないか。うまくいってないってことだろ」
「相手次第だって言ってた。好きだって言ってダメになるのが怖いって」
 それは今の俺も同じではないのか。友達にもなれたかギリギリくらいの俺が。
 ムラサキは積極的に俺と仲良くしようとしてくれている。自分がやりたいからだって迷惑なんかじゃないって、俺のことをひたすら気遣うようにしている。そういう優しさに俺は甘えた。
「好きって言うだけ言ってみれば。今なら誰かのものじゃないんだし」
「だけど」
「だけど、俺はお前の友達だから"可哀想"になることは避けろって思うよ。告白することが可哀想に繋がる道なら勧めない」
 あの家を見る限りムラサキは友達も多そうだし、相手を理解しようとする人だから、同性を理由として拒絶されることは無いかも知れない。けどそれはあくまでも俺が希望を持って想像していること。俺に都合よく希望を持って。
 それに好きだと言ったところで、彼には片思いの相手がいるわけで。
「言うか言わないか。友達のままでいいのかそうじゃないのか。それにお前、黙ってられんの? ずっと黙ったまま友達やれんの?」
 無理だろ、と暗に言われる。できるとは自分でも言い切れない。でもやるしかない。言ったところで何処にも行かない想いは、言ってしまうだけ迷惑を掛ける気がするし。
 やるしかないし、やってダメになったならもうそれは終わりのときだ。
「俺は男好きになったこと無いからわかんねーけど、好きだって言われてOKしたとして実際に勃つのかっていわれると、どーなんだろうな。セックスどうすんのって話にもなるし」
 直接的な話。触りあうだけではない、もっと直接的な。
「そんなのわかるわけ無いだろ」
 気の抜けた声が出る。八重垣はケラケラ笑った。
 
 店から出ると冷たい風が吹き、八重垣はポケットに手を突っ込み身をすくめた。
 大きな駅前はイルミネーションが早々に取り付けられ、ひと月も先のクリスマスの準備が行われていた。
 ふと、ロータリーの側に目が行く。背が高い男の人と、隣に立つ女の人。
 あ。
 瞬間、音が聞こえなくなるような錯覚を起こす。
 探してもいないのに見つけてしまうのは、何か補正がかかっているんだろうか。
 いつもの猫背が伸びた姿は様になっていて、隣の可愛らしい女性に微笑む姿に胸が軋む。
 あの人がもしかして相手なんだろうか。
 猫背を篠原さんに指摘され続けてきたのに直そうとしなかった彼が、彼女の前では背筋を伸ばしかっこよくあろうとしているように見えた。
 見ていられなくて目をそらす。
「おい、優弥」
 八重垣に腕を掴まれる。ふらついていただろうか。急に世界が狭くなった感じ。
「あのさぁ、選択肢はもう一つある。告白するしない以前に、離れるっていう」
 自分の足元から視線を上げれば、顔をしかめる八重垣。
「何見たんだか知らねぇけど、今のその顔見てるとあんまりいい予感はしねぇわ」
 ただの概念だった『相手の女性』という存在。それが現実にいるのだと知らされた。
 友人にそこまで言われるような顔は自分では見えないけれど、よくはないらしい。


 まっすぐ家に帰れと、腕を引かれ電車に乗る。
 最寄り駅のホームで降りるところまで確認された。
 流石に家にくらい帰れるよと思ったけれど、いつも曲がるところで曲がりそこねたのでちょっと危なかった。
 素直に、ショックだった。
 駅で見たあの女性が片思い相手なのかどうかは定かではないけれど、あのように彼の隣にいて、彼に可愛らしく笑いかける存在がいることは確かなんだ。
 それは自分じゃない。
 憧れるかっこいい人とバイトも同じになって毎日のようにやり取りして家にも行くほど仲良くしてもらって、一緒の布団に入って触られて。俺はきっと舞い上がってた。自分が特別になったみたいだって。
 ただカッコイイっていつもみたいに見るだけで終わればよかったのに。
 あの人素敵だなかっこいいなって、心の中でスクラップして終わりにしていたら。
 ――ムラサキが優しくするから、俺と一緒にいたいのだと言ったから悪い。
 そんなふうに責任転嫁して、目をギュッと閉じた。
 見なければよかった。いや、見れてよかったのか。傷が浅いうちでよかったのか。
 それなら好きだなんて想いが沸く前が良かったのに。
 
 今日の重い曇り空はまるで今を予言しているみたいだった。
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