僕しかいない。

紺色橙

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19* 告白

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-19- ムラサキ

 毎日のようにしていたトークアプリの返事はめっきりなくなり土日の遊びの誘いも断られ、それでも二週間ぶりに彼に会えると楽しみにしていたバイトの日。先にいるだろうと思っていたのに走り入った努さんの自宅兼事務所に彼の姿はなかった。
 慌て聞いてみれば、来れなくなったという。そしてなんと、
「バイトやめるっていうんだ。予定がつかなくて、いつ来れるかわかんないから迷惑かけるって」
 嘘だろう!?
「やめなくたっていいんだよ。また都合が合えば一緒にって言ったんだけど。最初から無理言って来てもらってたわけだしねぇ」
 本当にただ忙しいとか、何か家の都合とかで来れなくなってしまったのだろうか。
「怪我したとかではなくて?」
「聞いたけどそうではないって。ただ濁されて」
 怪我や病気ではないというのにホッとする。
 でもそれじゃあ、あの日から冷静になって僕に会いたくないと思ったんじゃ。
 だから返事も来なくなったし誘いも断られたのだと考えれば自然だ。

 手がピリピリと痺れるようだ。喉まで上がってきそうな、心臓付近を圧迫する嫌な詰まった感じ。
 会いたい。
 自分が原因だったら会えない。
 でも会いたい。会ってはっきりと拒絶されたほうが。
 考えがまとまらない。

 努さんに指示されるままに動きながら、優弥くんにメッセージを飛ばす。
 時間が経ってから帰ってきた返事は。
『伝えた通り。バイトやめることにした。今までありがとう』
 この言い方は、バイトだけじゃないだろう。
 吐き気がする。
 頭を抱え、ついた溜息には怒りが混じる。
 どうして。なんで。
 俺が触ってしまったのが悪かったとしか思えない。それならどうして俺はあの時手を出してしまったのか。近くにいられればいいっていうのは、触れることのない距離だ。なのに俺は手を出して、結果がこれだ。
 考えなしの結果がこれだ。
 可愛い触りたいと思うがままに身を任せた結果。行き過ぎたことをしておいてなお、『だけでいい』なんて自分をセーブした気になって。
「努さん、僕帰るから」
「ええっ」
 クリスマス前のセール準備で細々とした雑用が通常作業に加えて多々あれど、今はそれをしていられない。この働かない頭の中はもう彼のことしか無い。
 脱ぎ捨てたコートを拾って努さんの事務所を飛び出した。


 帰りの一時間の距離、他のメッセージは来ない。
 優弥くんの家にそのまま行こう。出かけてていないかも知れないけど、それなら待てばいい。
 あなたの家に行きますなんていったら逃げられるかも知れない。きっと逃げる。だから僕は何も送らず、彼の家を目指した。

 駅について周囲を見ながら急ぎ足で進む。もし何処かですれ違ったら、もし何処かに歩いていたらと探しながら。
 彼の玄関の前、思いも考えも整えないままチャイムを押す。
 しばらくして音がして、向こう側で応答の声がする。インターホン越しではない、人の気配。
「優弥くん。村崎です」
 沈黙。
 やはり会いたくないんだろう。それでも僕には待つしか出来ない。任せるしか無い。
 音はせず、向こう側に未だいるのかどうかもわからない。
 なんて言えばいいだろう。どうしたら彼に会えるだろう。
 顔が見たい。このまま一切会えなくなるのなんて嫌だ。絶対に嫌だ。
 
 随分と待った気がする。
 静かに少しだけ開いたドア。閉じないように急いで手をかける。
「優弥くん」
 隙間から覗く黒い瞳。
 チェーンのかかっていないドアを開いて足を、次いで体を入れる。
 彼はドアノブからすぐに手を離し、僕から離れるように後ずさった。
「何」
 冷ややかな声。今まで聞いたことのないような声。
 初対面のときだってこんなじゃなかった。お客さんの僕に対してもここまで壁は作られていなかった。
「バイトやめるってどうしてですか」
「忙しいからだよ。予定立たないのにバイト入れて、キャンセルしたら迷惑だろ」
「他には?」
「ねぇよ」
 僕の好きな黒い瞳は睨むようにまっすぐ僕を映しているのに少しも嬉しくない。
「じゃあ僕とは今まで通り遊んでくれますよね? 僕なら突然キャンセルされたって迷惑なんかじゃないし」
「しない」
 彼は唇を噛むようにぐっと堪え、言い放った。
「どうして? 僕が嫌いだから?」
「帰れよ」
「いやだ」
 嫌いだと言われるだろうか。
「僕のこと、嫌い、ですか」
 言われたくない。嫌われたくない。でもいっそはっきりと言われてしまったほうが。
 単語を強める。
 彼は返事をせず再び「帰れ」とだけ言った。
 諦められない。
 一歩踏み出せば後ろでドアが音を立てて閉まった。
 遠くの車の音も聞こえない隔絶された世界。空気の流れも止まる。
「帰れつってんの」
 心底嫌そうな顔をして彼が言う。
 向こうの部屋は電気がついていて、椅子がこちらを向いている。きっと彼はゲームをしていたんだろう。
「答えてください。僕のこと嫌いですか。この前の、触ったのがいけませんでしたか」
 ここまで来たら何をしても結末は同じだろうか。
 やってしまったことは取り返しがつかず、今更どうにかできるものでもない。
 問い詰めれば彼の嫌そうな顔が一転して、泣きそうな顔になる。
 どうしてそんな。手を伸ばそうとして抑え込む。
「帰って。もう、お前に会わない」
 凛とした声が狭い部屋に落ちた。
 ああ。
 血の気が引く。
 自分のものではないように体が重くなるのに、その感覚もざらりと踏み潰され消えるようだ。
 意識してぎゅっと握りこぶしを作る。
「僕のことを嫌いなら、嫌いだと言ってください」
 言われたくない言葉を真正面から受け止めないといけない。
 これは僕のため。僕だけのため。
「ムラサキのこと……」
 黒い瞳が揺れる。小さな声は言い淀み、さっきまでの冷たさも拒絶も消えてしまっていた。
「言って。嫌いだと。でないと僕は貴方を――」
 逃してあげられない。

 泣きそうな顔は俯き、続きの言葉はぶつけられない。
 結末が変わらないのなら。貴方が逃げないというのなら。
 もし、逃がさなくても良いというのなら――。でもそんなことはあるはずがない。
「言えないなら、言えるようにします」
 踏み込む。
 垂れ下がる右腕をしっかりと捕まえて、着るのを忘れて手に持ったままのコートも靴も脱ぎ捨てるとすぐそこの壁に彼を押し付けた。
 彼の足の間に自分の足を入れて、のしかかるように体をピタリと付ける。
 彼の左手は俺を押し返し離れようとするけれど、その手首も掴み壁に押さえつける。
 自分では気づかぬうちにずいぶん体が冷えていたのか、掴んだ優弥くんの体温が熱く感じる。
 俯いた彼の顔を持ち上げるようにキスをした。
 柔らかい唇。反射的に閉じられたのだろう瞼の透ける血管。
 棘ついていた心が満たされる。嫌われるためにこうしているのに、心は真反対に溶けていく。
 ずっとこうしていたい。
 この前のように脱がせて、その体温を直に感じられたらどれだけいいか。
 余すところなく暴いて、触って、その全てを貰えたらどれだけいいか。
 頑なな唇を舌でこじ開けて捩じ込む。
 逃げる彼の舌を追いかけて舐め、乱暴に吸い上げる。
 熱を持つ自分の下半身を彼に押し付けた。
 何度も繰り返されるキスに彼が抗議の唸りを上げる。
「優弥くん」
「離せ」
「嫌です」
 痕が残るように、強く強くその首筋を吸った。僕がいなくても僕の証があればいいと。
「ムラサキ」
 彼の左手を離し、その代わりに逃げられないように上半身に体重をかける。彼のズボンをずり下げ、性急に少し反応を見せるそれに触れる。
「おい」
 焦りを含んだ声を唇でその口内に閉じ込める。
 触るうちに固くなり、じわりと先走りを滲ませるそれに嬉しくなる。
 それがただ触られたことに対する反射のようなものだとしても、僕の手で行われたことに反応があったことが嬉しい。僕が彼に影響していると。
 彼はきっと嫌だろうけど、嫌われるなら徹底したほうがいい。
 ――もう最後なら。
「んん」
 鼻から漏れる声。
 彼の手が強く俺の腕を掴み抗議する。この前とは違う、明確な拒絶。
「やだ」
 激しく頭を振って逃げ出そうとする。逃がせるわけがない。
 体を痛くさせてしまうかも、怪我をさせてしまうかもって心配になるけど、逃がせない。押さえる手にも再び力を込めて「ごめんなさい」と謝罪した。
「ぁ、やだ、や」
 彼自身を掴んだ右手の動きを強めれば可愛い声が熱い吐息と共に漏れる。以前を思い出させる色を含んだ声。その様に痛いくらいに僕のが反応している。ズボンで抑え込まれたものがきつくて苦しい。
「好きです。貴方が、好きだ」
 ファスナーを下ろし露出して、優弥くんがしてくれたみたいに彼のに擦り付ける。
 自分の理性、脳みそよりも本能がはっきりと彼を求めているのがわかる。早く楽になりたいと思うほど血を集めて主張する。
「すきって、なに」
 浅い呼吸の合間に問われる。
 先ほど吸い付いた首筋は赤く染まり痕になっている。
 好きなんて言葉で、想いで今を正当化するわけではないけれど許してほしい。
「そのままですよ。優弥くんのことを愛してます」
 黒い瞳が僕を映す。驚いたように開かれる。
「お前、好きな子がいるって」
 静かにゆっくりと確認するよう。
 爪を立てるような抵抗の手は止まっていた。
「今、目の前に」
 なんで、と掠れた声。
「貴方を好きで、好きで……触りたいんです。僕のものにしてしまいたい」
 嫌われたくないと思っていたのに、会えなくなる原因と全く同じ行動をしている。
 捕まえて、押さえつけて、その体温も感触も反応も全て知りたい。
 愚かな僕は、彼のもっと深くまで触れたいと思っている。
 できないことだとわかっているけれど、彼の中奥深くまで入り込んでぐちゃぐちゃにかき混ぜて、僕を刻み込みたいと思っている。
「優弥くんに入れたい」
 思わず溢れる汚い欲望。彼の耳元でこっそり零す。
「ばかか」
 弱い罵り。囁いた耳が赤く染まっている。嫌われてはいないだろうか。かわいらしい反応に頬が緩む。
「可愛い」
 冷えていた手は彼の体温を貰いすっかり温まっていた。
 少しでも受け入れてくれるのなら。
「優弥くん」
 赤く染まった耳を唇で食み、髪に顔を埋めるようにして下半身を擦り付けた。
「っ、あ……」
 彼は僕をもう拒絶せず、二の腕を縋るように掴んでいた左手は僕の髪に指を通し撫で、首の後に回ってきた。
 求められていると感じ、手で追い立て唇を合わせた。


 汚したものを無言で片付けられ、手を洗えと洗面所に案内される。
 彼は時折その額を叩くように撫で、僕を窺い見た。
「座れ」
とパソコンデスクの前にある椅子を回し押し込められ、彼自身はベッドに腰掛けた。
「ムラサキの好きなのって、俺なの?」
「そうです」
 息を吐き彼は何かを考えるように俯いた。
「んなこと全然、言わないから」
「言っても良かったですか。一ヶ月ほど前貴方を好きだと分かった瞬間にでも捕まえて。突然男にそんな事言われて、逃げませんでしたか」
 優弥くんはチラとこちらを見て、わからない、と素直に口にした。
「優弥くんは、同性を好きになったこと無いかなって思ったんです。もしそうなら、男同士ということで引かれる可能性も高い」
うん、と頷き。
 失敗はできなかった。絶対に失敗したくなかった。
 初めて明確にこれが恋だと自覚した相手を逃すわけにはいかなかった。
 だから同性だろうと触れることが自然であれば良いと、恋愛対象外の文字を撤去しないといけなかった。
 実際は失敗したから今日ここを訪れることになったんだけど。
 思えばずっと最初から、優弥くん相手には失敗してばかりだ。
「お前は、男好きになったことあんの?」
「ないです。でも男だとか女だとかよりも、優弥くんが欲しいと思った」
 僕はそうだったけど、それが優弥くんに当てはまるとは思わなかった。そしてここまでぐだぐだと僕は悩み、結局は乱暴な行為に至った。
「好きって、言うだけも考えたんです。でも僕は貴方に触りたかった。『言うだけでその先を望まない』なんて口が裂けても言えなかった」
「お前は」
 二週間前に家に来たときのようにセットされてない髪を彼はわしゃわしゃといじる。
「俺とセックスしたいの? てか、できんの?」
「今実践してみせますか?」
「いやしなくていいから」
 眉をひそめた不安そうな顔がとたんに緩み声に笑いが含まれる。
 実践は要らないと言われたけれど、彼の隣に場所を移し抱きしめる。
 彼の左手が怯えるように僕を抑える。
「好きなんです。貴方に会えなくなるなんて、我慢できなかった」
 すり、と頭を寄せさっきつけた首の鬱血痕にまたキスを重ねる。
「恋人になってください。僕のものになって」
「ぅん……」
 懇願に対するそれは返事か。
「あんまり考える時間はあげたくないんですけど、必要ですか? 僕が嫌いだったら断ってください」
「嫌いじゃない」
 はっきりした答えに喜ぶ。
「俺も、ムラサキのこと好きだよ」
 更には予想以上の。
「それは同じ想いで、ですか」
「お前をこの前駅前で見かけたんだよ。女の子と一緒にいて、あれが言ってた好きな子かなって思ったら見てられなくて」
 この前。
 大学の友人である女性二人といた時だろうか。
「若手俳優の布教されてたときですかね?」
「なにそれ」
「2.5次元俳優にハマったという友達がいて、カラオケルームの大きな画面で見せてくれるって時があって」
 優弥くんは分かったような分かってないような顔で相槌を打つ。
 あの時は布教と共に僕の話を聞くという名目があった。僕が最近無意識に花を飛ばしているだとか、むしろ珍しく無表情で怖いときがあるだとか言われたのだ。
「女の子二人いませんでしたか? 一人は肩くらいの髪の子で、もう一人はその人より少し背の低い髪の短い子で」
 ああでも、金城は遅れてきたから隣りにいたのは美恵ちゃんだけだったかな。
「わかんない」
「あれは大学の友達です。好きな人は優弥くんですよ」
 僕が女の子といるのを見て勘違いしてくれたんだろう。
 そんなのがきっかけで彼が僕に対して好きだという感情をもってくれたのなら、あの二人に感謝しないといけない。たまたま彼と同じ時間に駅にいて、たまたまそれを見られるなんて。
「僕が好きなのは貴方だけです。こうして触りたいのも、自分のものにしたいって思うのも」
 優弥くんの頬が赤く染まる。
 ああ、愛おしい。
 体の中に太陽が生まれたように暖かい光が溢れる。
「優弥くんをうちに縛り付けておきたいって思うくらい」
「こわ」
 笑うようにそう言って。
「でも本心なんです。怖がらないでください」
「まぁ、いいけど」
 怯え、僕を抑えていた手はストンと落ちる。
 腕の中の静かな呼吸。寄せられる頭とその重さ。
 ようやく捕まえた。
 この人はもう僕のものだ。
 僕だけのものだ。
 うちに引っ越してきてくれないかな。そうしたら毎日彼を見ていられる。家に帰ったらすぐ予備の合鍵を探そう。
 一人の部屋がほしいなら努さんの荷物をあの事務所に送りつけてしまおう。でもできたら毎日一緒に寝て欲しい。僕の隣で、腕の中で、毎日。
 毎日同じように起きて寝て過ごし、ふとした時に視界の端に当然のように彼がいてくれたらいい。
 彼が寝てしまったならその寝息を聞いて僕も誘われ、テレビを見てすぐに忘れるようなどうでもいい話をできたなら。
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