僕しかいない。

紺色橙

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27 終わりとその先【終】

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-27- 藍染

 ムラサキの家だったものは、ムラサキと俺二人の家になった。
 同居し始めてから三年が経つ。
 大学を出た俺たちは篠原さんの会社に勤めることになった。
 ムラサキは相変わらずモデルをしていて、篠原さん以外の所にも行くようになった。
 俺は売り上げが伸びると共に社交が必要になった篠原さんに代わり、webSHOP関連をほぼ全て担当している。
 画像編集も値段変更も新作をアップロードするのも返品対応も問い合わせも全部俺。
 
 付き合っていることを、篠原さんは知っている。
 雇用主で俺たちの住所が同じってこともわかるわけだし、それ以前に何せ篠原さんの荷物をムラサキが強制送還しているし。
 伝えよう、と思って言ったわけではない。
 ただ隠そうとも思わなかったというのが正しい。
 三人しかいない部屋でムラサキは俺と距離がとても近かったし、あの二人は昔から付き合いがある人間だから変化にだって気付くだろう。
 それで、早い段階で問われたのだ。
「付き合うことになったの?」と。
 篠原さんの言葉に俺は咄嗟にムラサキの顔を見た。
 言うの? と聞きたかったわけじゃない。篠原さんの質問がまるでその前を知っているようだったからだ。
「ムラサキ言ってたの?」
 俺に抱き付いて「あげませんよ」と篠原さんに返したムラサキ。
「ちゃんと言われてたわけじゃないよ」
 くっついてくる男への問いは篠原さんに否定された。
「でも、ムラサキが惚れてんだろうなぁとは思ってたよ。あの喫茶店に行って会えなかったとか、どんな話題なら答えてくれるかとか独り言が漏れてたからねぇ」
 ムラサキを見やれば、わざとらしくにっこりと微笑まれた。事実なのだろう。
 そうして話してしまえば楽だった。
 隠す必要もなく、篠原さんの前では距離の近いムラサキを気にしなくてもいい。

 俺は恵まれている。
 だって俺を害する人は近くにはいないんだ。


 牛丼屋で買ってきたご飯と、昨日の余りのかぼちゃの煮物。豆腐とわかめの味噌汁。
 手洗いうがいをしたムラサキがちゅっと帰りのキスをする。
「八重垣が結婚するんだって」
 相変わらずのゲーム内VCで、そういえばと思い出したように告げられた。
 テレビをつけテーブルに並べたご飯を前に頂きますと手を合わせる。
「結婚式行くんですか?」
「んーん。しないってさ。八重垣はクーにしなくていいのか何度も聞いたみたいなんだけど、その分食べたり出かけたりする方がいいって」
 呼ぶほどの友達もいないんだよとクーは言っていた。
 八重垣とデートするのにも悩んでいた彼女には、結婚式以前にそのための準備色々がめんどくさいのかもしれない。
 卒業後、すでに働いている彼女の近くに就職した八重垣は、クーの家にまず押しかけた。
 八重垣がVCを離れても、クーが家の中にいる八重垣に答える会話が聞こえるのは面白かった。
「やえくんが私のアイス食べた!」とか「今日やえくんがシュークリーム買ってきてくれたんだ。いいだろー」とか、そんなのも微笑ましかった。
「結婚かぁ」
 自分には縁のない話だと思った。
「優弥くんは……、子供欲しい?」
 お店の人につけられた紅ショウガも七味唐辛子もムラサキは使わない。
 あまり食べることに興味がないのだと言っていた彼は、最近は自分の好みを言うようになった。
「俺は子供要らないかなぁ。自分が子供っぽいしね」
 小さな子供と接したこともないが、20も過ぎてムラサキに甘えているような自分が子供をちゃんとお世話できるとも思わなかった。
「僕もです」
 ムラサキがそう言ってこの話は終わり。
 もし、俺たちが男女のカップルだったなら、友人の結婚につられることもあったのかもしれない。

 飯を食いながら明日の話をする。主にムラサキの予定。
 篠原さん以外のモデル仕事を受けるようになった彼は、たまに朝早く出かけたり夜遅くなったりする。
 そうでないときは同じように寝て同じように起き、一緒に出掛ける。
 この三年をかけて、のんびりゆっくり適当に俺たちはご飯を作るようになった。
 レタスも丸ごと買うし、キノコ類だって買えるようになった。
 もちろんかなり外食も、買ってくる総菜も多い。
 それでもカレーとか、一番最初に作ったシチューとかはよく作る。シチューは特にムラサキが好きで夏でも作る。夏に作ってクーラーの部屋で熱いと言いながら食べて、食後にアイスを食べるのだ。
 引っ越してきた時に持ってきた俺の小さな冷蔵庫は放置された後に処分され、ムラサキの家の冷蔵庫は大きなものに変わった。冷凍庫に肉や野菜を詰め込んで、冷蔵庫には炭酸が冷える。
 二人で暮らすことが当たり前になっていた。

「優弥くん、僕の名前知ってます?」
 脈絡のない話題。
「知ってる。だって郵便物に書かれてるじゃん」
 ずっと俺は『ムラサキ』を芸名のようなものだと思っていた。
 一緒に暮らすようになってムラサキ宛ての郵便物で、ようやくそれが本名なのだと知った。そんなことも知らずによく一緒に暮らせたなとか、自分でも思ったよ。そんな基本的なことも知らずにそれ以外のことを悩んでいたのかって。
「僕のことも名前で呼んでくれませんか?」
「名前? 時雨?」
 村崎時雨。本名だって芸名みたいじゃないかと、知った時にはついつっこんだ。ムラサキはそれに対して、僕の母親に言ってくださいとさらりと返してきたけども。
 ムラサキは俺の問いに頷く。
「なんで?」
 だって三年も俺はムラサキのことを、ムラサキって呼んでる。言い難くないし馴染んでる。
「結婚したら優弥くんも村崎さんだから」
 俺たちが男女のカップルだったのならと、俺はさっき無意識に考えた。
 けど今は同性結婚が認められていて、統計を知らないからどれだけが同性婚なのかは知らないけどもそれなりにはあるはずで。
「もしくは、僕が藍染さんになったとしても同じですよね」
 彼は、未来の話を当然のようにしてくれるのだ。
 結婚したとしても子供を欲さないことに変わりはないと思うけど、すぐ先ではない将来を考えているのは俺だけではなかった。
 やっぱり、ムラサキのことに関して考えたり悩んだりするのは無駄だ。
 だってムラサキは、相変わらず俺の悩みをすぐに消しとばす。何かあるなら本人に言った方が早い。
「もし結婚して苗字を同じにするってなっても、ニックネームとして残せばいいじゃん」
 不服そうな彼の顔。
「まぁ、気が向いたら呼ぶ」
 そんなすぐには変えられないよ? 三年も、もう三年もこうして過ごしてるんだから。



 他人と暮らすことが怖かったのに、いることが当たり前になった。
 毎日ドキドキするとかはないけれど、遅い帰りに無意識に「まだかな」って待っていたりする。
 布団が温かいのは当たり前だし、部屋の中に自分以外の人間がいることも普通になった。
 他人がいるからこそ物音を立てることに神経質になったり、常にいること自体が嫌になるかなと思っていたのに全く心配なかった。
 おそらくそれは相性が良かったからだと思う。きっと好きでもうまくいかないことってのはあるはずで、たまたま、偶然ムラサキと合っていたんだ。
 家で作るカレーが辛口ではなかったり、みそ汁の中でぐすぐずになったワカメを好んだり。
 好きな人に触りたいのは当然で、予定が無いのなら朝から晩までくっついていてもいい。でも相手が疲れている時や明日の用事がある時はやらないし無理しない。そういう考えも合っていた。
 付き合っているうちに馴染んだものもある。
 同じものを同じ周期で食べているから、例えば冬のスーパーで鍋のもとを探した時に目についたものが同じだったり、外食で何を食べるかと話した時に同じ選択肢が出てくる。
 寝ているときにムラサキが何かを落っことした物音には気付かないのに、彼も隣で寝ている時に粘着力が無くなって落ちてしまったクリップの音には気付く。

 この平和はいつまで続くのだろうと、以前なら怯えていた気がする。きっとこれは今だけの期間限定だと。
 今ではそんなことは無い。
 ムラサキとの関係が続くとか続かないとかを深く考えたり考えていないわけでもなく、ただ意識していない。
 何かのきっかけでうまく行ったり行かなくなったりするのは、人間関係以外でもあることだ。
 料理の際にうっかり指を切ってしまうように、ぶつける予定のない足の小指を壁にぶつけてしまうように。改札で目の前の人が引っかかり電車に乗り遅れたり、空を飛ぶ鳥に服を汚されるみたいに。
 何か起こるとしたらふとした瞬間で、予期せずわざとでないことも多いだろう。
 もしムラサキが今後歳を取るにしたがって自分の子供が欲しくなり、子供を産める人と結婚したいというのならそれはもう本能的なもので仕方がないと思う。
 俺は今のところ子供を持つ気はないけど俺にだってわからない。
 だから明日の夕飯と天気のことは考えるけど、不安を持った未来の話に意味は無いんだ。
 中学生の、いや、高校時代彼女がいた俺にも数年後男を好きになるよってことは理解できなかっただろう。しかもそれで特に困りはしていないし、悩むこともすぐになくなるなんて。
 当たり前になるっていうのは、意識の外側に行くことなんだなとこうなってしみじみ思う。


 何かあれば物語は続くけど、何もない。
 物語というものは『特別』で作られていると思っている。
 俺がムラサキを好きになることも、そして付き合うことも性行為をすることも『特別』なのだと思っていた。
 俺にとっての普通や当たり前ではなく、あくまでも特別なんだって、そう思っていた。
 でも今あるのは特別ではない、なんてことの無い日々。
 起きてご飯を食べて働いて帰ってきて寝る。それが一人ではなく二人になっただけ。
 ムラサキは以前、俺の世界に彼しかいなければいいのにと言った。
 もちろん現実はそうなってはいないけど、彼の存在は俺の世界に当然のものとして在る。
 それは似たようなものかなって思うんだ。




【終わり】
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