それは愛か本能か

紺色橙

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第一章 宮田颯の話

1-10 風が吹く

 少しずつだが上条と話すようになった。
 欠かさずされる挨拶のおかげなのかもしれない。
 それでもあまり長いことは話さない。
 少し距離を置いてならいいけれど、なんとなく漂ってくる良い匂いが、また発情期を呼び起こす錯覚を起こすから。



「文化祭ってしたことが無くて」
 窓を開け放ち、机を一つ挟んで上条が言う。
 お前いつまでいるのと聞けば、彼は「いつまでいようかな」とまるで決定権があるかのように答えた。
 だから言ったんだ。文化祭までいれば、と。
「それ体験してから帰れば? ちょうどいいだろ」
 社会見学で来ているのだから、知らないものを体験するのはちょうどいい。
 風は窓から入り込み、上条の匂いをこちらには連れてこない。
「あー、これ見るか。去年のだけど」
 文化祭で作られるパンフレット。
 表紙を飾るのは投票で選ばれたイラストで、中には構内案内図と催し物が書かれている。
 すい、と机を避けて上条が近寄る。
「見せて」
 言われるまでもなく差し出した。
 腕をぴんと伸ばした距離。
 風はまだ吹き込んでいる。上条の匂いは漂ってはこない。
「その表紙なんかは誰が描いても良いんだよ。投票だから選ばれるとは限らねーけど」
 アルファのお前を気にしていない、オメガの俺を気にさせない。
 そういう風に話を続ける。
「絵心ないからなぁ……」
「アルファなんだから、それなりに描けるだろ」
 言えば上条はパンフレットから視線を外し、ちらとこちらを見た。
 何か責められるようで嫌な気分。
「アルファだからって何でもできるわけじゃないよ」
「でも」
 一括りにしたのがお気に召さなかったらしい。
「アルファだからって何でもできるわけじゃないし、誰とでも仲良くできるわけじゃない」
 俺と仲良くはできない、と言いたいのだろうか。
 仲良くしたいと言ってきたのはそっちなのに。
 
 少しの間沈黙が流れる。
 仲良くする気が無いのならそれでいい。
 少しちょっかい出されてうざかったのは水に流せる。
「悪かった」
 これでいいだろ。
「分かってくれたならよかった」
 パンフレットをぱらりとめくり終えると、上条は笑ってそれを机の上に置いた。
 そう、置いた・・・
 座ったまま椅子を引き距離を取ろうとする。
 椅子の足は床に引きずられ引っかかる。
 手の届く距離は良くない。
 良くないのに、後ろに傾き倒れそうになるのを腕を引かれて助けられた。
「危ない」
 触れられた腕がじんじんと痛むように熱を持つ。
「少し風が強いから窓閉めるね」
 日暮の椅子が退かされて、からからと窓が閉められた。
 窓から強く入り込んでいた風はとたんに遮られ、代わりに俺の喉が締められる。
 机の縦40cmほどの距離。
 ふわりと漂ってくる上条の匂いに目の前がかすむ。
「離れて」

 仲良くなりたかった。
 嫌いになりたかった。
 仲良くなりたくなかった。

 落ちたパンフレットを拾う振りをして、詰まった喉で必死に息をする。
 もう発情期は終わった。問題ない。大丈夫だ。発情期はもう終わっている。
 こいつの、アルファのフェロモンにやられていると思っているのは気のせいだ。
「拾うよ」
 手が触れる。こんなの絶対触らなくてもいいのに、わざとだ。
 接したところから痺れが広がる。
 顔が近い、思った瞬間に掠るようなキスをされた。
 途端に体温が2度ほどは高くなった気がする。
 こいつは俺を馬鹿にしている。
「お前」
 怒りに声が震える。
 アルファ様っていうのは、ここまでオメガを馬鹿にしていいものなのか。
 奪い取ったパンフレットをその顔に叩きつけた。
「死ねアルファ」
 ついでに机も蹴飛ばしてぶつけてやる。

「待って」
 逃げるようにドアに向かえば、後ろから必死な声がかかる。
 待ってと言われて待つ奴なんかいない。
「颯!」
「うるせぇ死ね」
 ガラリと教室のドアを開ければ、淀んでいた空気が少し変わる。
「颯は、運命の番って信じる?」
「信じない」
 ぴしゃりと後ろ手にドアを閉めた。

 運命を信じたっていい。
 でも運命を願わなければ幸せになれないのは悲しい。
 運命の相手じゃない人と幸せになれたらいい。
 だけれど現実はあまり、よくはない。
 女オメガならアルファを孕むこともあろうが、男オメガでは万が一孕んでも育つ確率が低い。
 優秀なものが欲される世界で誰が男オメガと夫婦になりたいと思うだろうか。
 俺たちにとって運命なんてものは、それを頼りに生きるだけの夢物語。

 夫婦にならなくても、運命の番になれなくても、幸せでいられる道があればいいと思う。
 でもオメガは発情期の度にアルファを欲する。
 もしベータだったならそんな恋人のことをどう思うだろうか。
 三か月に一度はそんな姿を見せつけられるのだ。自分にはどうにもできない姿を。
 もし恋人がアルファだったなら、オメガは恋人がアルファだというのに自分を番にはしてくれないことにきっと屈折した気持ちがたまっていく。
 所詮自分は選ばれない存在なのだと。それなら、ただ春を売っているのと変わらないじゃないかと。
 100か0か、オメガにはそれしかない。

「待って。颯」
 後を付きまとう上条は、それでも物理的に俺を捕まえようとはしなかった。
「何だようるせぇな」
「さっきは突然、ごめん」
「はいはい分かった。だから死ね」
 謝ってもらった。だから終わり。許してやるとは言わない。
「死ぬ前にちょっと、やり残したことが」
 そんなもの勝手にしたらいい。
 廊下の終わり、階段を下りる前に腕を引かれる。
「やり残しでも勝手にやってさっさと死ねよ」
 顔を合わせず吐き捨てた。
「でも君に関係あることだから」
 鞄でいくら叩こうと、今度は離されなかった。
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