あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

喪失を抱える日々

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 興奮したフレディを宥めてから、これから起こり得る懸念をフレディとザーラに話した。これはヴォルフ様の日記から推測したものの中でも特に可能性が高いものだけに絞ったわ。箇条書きにした紙を見せながら説明していく。フレディの表情が段々険しくなっていくわ。

「これらの可能性は高いけれど、この屋敷にいる限りは大丈夫だと思うわ」
「そうだろうか? もっと警備を厳しくした方が……」

 フレディが不安そうに異を唱えたけれど、心配し過ぎだわ。

「既に十分なほどに厳しいわ。これ以上厳しくすると使用人たちに理由を話さなければならなくなるわよ。ザーラのことを話すの?」
「そんなことはしない!」
「だったら現状維持ね」

 もう勝手に押し切るわよ。フレディに相談していたら何人騎士がいても足りない気がしてきたから。

「フレディ、捜索隊の方は? 人選は終わったの?」
「ああ、希望者が多くて難儀したけれど、若くて体力がある者を選んだよ」
「ありがとう。明日朝には向かえる?」
「ああ。今日のうちにと言う者もいたが止めたよ。さすがに危険だからね」

 弱い笑みを浮かべたのは説得に苦労したからかしら? でも、彼らが襲われる可能性もあるから夜の移動は許可出来ないわ。彼らも大事なゾルガーの仲間で、彼らにも家族や友人がいるのだから。

「ザーラは冷やさないように気を付けてね。オーベルには出産まで屋敷に滞在してくれるそうだから」
「ありがとうございます」
「さぁ、忙しくなるわ。王都と領地、どっちで出産するかも考えておいてね」
「そうですね」

 まだ実感が湧かないのか戸惑っているみたいね。こんな時だから余計に気にしてしまうのかしら。そんなところがザーラの長所だけど、度が過ぎて気に病むのはお腹の子にもよくないわ。ヴォルフ様が戻って来て下さったら落ち着くかしら? フォルカーに出来る限りザーラを気遣ってくれるようにお願いして自室に戻った。

 今日はフレディの過保護ぶりが最高潮に達しそうだから、夕食は部屋に運んで貰った。この状態で仲のいい二人を見るのはちょっと辛い。さっきもザーラが羨ましくて泣きたくなってしまう。でも、侯爵夫人としてそんな弱い姿は見せられないもの。

 湯を浴びた後、フローラが爽やかな甘さのする果実酒を出してくれた。口に含むと優しい香りと甘さが広がって身体に入っていた力が抜けるのを感じた。随分緊張していたみたいね。

「イルーゼ様、あまり根を詰めませんように」
「ありがとうフローラ」
「あ、そうだ。ちょっと待ってくださいね」

 何かを思い出したのか、フローラが壁際の棚に向かって行った。戻って来たその手に載っていたのは……

「これって……」
「旦那様のガウンですわ。洗濯してありますが旦那様好みの香油を忍ばせてあります。これで少しは寂しさが和らぎませんか?」

 まさかそんなことを言うとは思わなかったから驚いたわ。でも、大きなガウンからはヴォルフ様が愛用している香油の香りがする。ヴォルフ様の香りが足りないけれど……

「ありがとう、フローラ。今夜はこれを抱きしめて眠るわ」

 子どもみたいだけど少しだけ心が軽くなった。畳まれたそれを抱きしめて空気を吸い込む。胸にヴォルフ様のお好きな香油の香りが満ちる。ダメだわ、泣いてしまいそう……

「さ、今夜はもうお休みください。いつ何時早馬が来るやもしれませんから」
「そうね」

 きっと直ぐに見つかったと早馬が来るわ。ヴォルフ様ならきっと大丈夫だもの。ヴィムだってそう言っていたのだから。フローラに勧められるままベッドに横たわった。ヴォルフ様の身体に合わせて大きくつくられたベッドがやけに広く感じる。冷たいシーツの感触も寂しさを一層強めた。

「ヴォ、ルフ様……」

 一度堰を切った流れは止められなかった。寂しくて怖くて苦しくて……どんな言葉を使っても今のこの気持ちを言い表すことは出来そうになかった。こうしてじっと待っているのがどうしようもなく耐え難い。泣き叫んでしまいそうな衝動をぐっと堪えて声を殺した。

 意識が浮上したのはまだ夜が明ける前だった。部屋が薄暗くて日の出がもう少し後なのだと教えてくれる。目が怠いわ……瞼が重いからきっと腫れているのだろう。このまま人前には出られないわね。目を冷やさないと……ぼんやりと天井を見上げながらヴォルフ様を想った。今どこにいらっしゃるのかしら? 怪我をしていない? きっとご無事よね? 今は事情があってお戻りになれないだけで。

 せめてもの救いはヴィムが来てくれたことだった。失礼な人には変わりないけれど、彼の腕はヴォルフ様も高く買っているから間違いないはず。きっと直ぐにヴォルフ様を見つけて戻ってくるわ。そしてヴォルフ様は「心配かけた」って無表情で言ってくださるのよ。きっと二、三日中にはそうなるわ。

 そんな未来を信じて待ち始めてから二日後、月のものが始まった。ヴォルフ様のお子が来ているかもしれないとの希望が打ち砕かれたショックは今までのそれとは比べ物にならないほどに大きかった。下腹の痛みを感じながらその日の晩、一人静かに涙した。

 ヴォルフ様が見つかったという知らせはまだ来ない。じりじりと弱い火で炙られる様な焦燥感を抱えながら、フレディやザーラと協力してヴォルフ様の代理を務めた。フレディはゾルガーの後継者として育っただけあって、大抵のことに対応出来たのは心強かった。きっと私一人では対処しきれなかったし耐え切れなかったわ。



 状況が変わったのは、捜索隊が出発して十三日目のことだった。その日もいつも通りフレディたちと共にヴォルフ様の執務室で仕事を片付けていた。ヴォルフ様がいないから決められない案件も増えてきたわ。急ぎではないからまだいいけれど、これ以上長引くと領民を困らせてしまうかもしれない。

 誰も彼もがヴォルフ様が生きていると信じているけれど、この頃になるとその安否を口にすることがなくなった。マルガも恋人のアベルの消息が分からなくて表情が暗くなっていく。今のところ街は平穏を保ち、懸念するような事件は起きていない。それでも決定的な何かじわじわと近付いてくるような不安が空気を重くし、精神を削って気を滅入らせた。最後に泣いたのは月のものが来た日の晩。酷い喪失感にこれ以上ないほど落ち込んだけれど、あの時、次に泣くのはヴォルフ様がお戻りになった時だと心に決めた。それから私の涙腺は眠ったままだ。

「フレディ、監督官からの要望が上がっているわ。肥料が足りないそうよ」
「肥料が?」

 領主がいなくてもゾルガー領は順調に生産量を伸ばしつつある。フレディが発案した肥料作りは順調に評判を上げ、この冬はあちこちから希望者が現れたわ。お陰で在庫が足らなくなりそうだわ。彼には内政の才能があるわね。新しいことに躊躇せず試せるのは才能だと思うわ。大抵は理由を付けて手を出す前に諦めてしまうから。

「何だ?」

 フレディが訝し気に顔を上げた。耳を澄ますと屋敷内が騒めいていた。何かしら? 早馬が到着した? ヴォルフ様の捜索状況を報告する早馬は毎日届いている。フォルカーの大きな声が耳に届いて室内に緊張が一気に膨れ上がった。フレディはザーラの側に駆け寄り、剣を手にして耳を澄ませた。私もドレスに忍ばせた短剣に手を伸ばす。

「何が……」
「フレディ、ザーラを守ってね」

 大事な後継を宿したザーラを傷つけるわけにはいかないわ。アンゼルが気がかりだけど今動けばかえって意識を向けて危険が増すかもしれない。今は騎士とコラリー、マルガが側にいるわ。騎士も腕が立つ者を厳選しているから守り切ってくれるはず。騒ぎが段々近付いて来るのを感じた。こちらに向かっている? 扉の前にもこの部屋にも護衛はいる。彼らが扉の方に移動し、私たちは奥へと下がった。

 靴音が近づき、私たちの部屋の前で止まった。護衛は何をしているの? こんなところにまで侵入を許すなんて! 短剣を手に取り背に隠すのと同時に扉が大きな音を立てて荒々しく開いた。

「何者だ!!」

 扉が開くと同時にフレディが鋭く唸るように問い詰め、ザーラを背に隠した。現れたのは埃っぽく黒いマントに身を包み、髭を伸ばした大男だった。フードを被っているせいで顔が見えない。そこにいるだけで空気が一気になくなったかのような強い威圧感……

「ヴォルフ様!!」

 短剣を放り出して走り出していた。



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