戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第三部

舞踏会の準備

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 ただドレスを着替えるだけだと思っていた私だったけれど、そのまま服を脱がされて湯船へと放り込まれたわ。そのまま全身を洗われて何故かマッサージまでしてもらったのだけど……

「このドレスなら紅の色はこれね」
「ああ、髪は結い上げた方がいいかしら?」
「いいえ、これだけ艶があるなら少しだけでも下ろした方がいいわ」
「あ、あのっ……」
「ああ、奥様、じっとしていてくださいまし」
「は、はいっ」

 侍女たちの圧に思わず返事をしてしまったわ。だけど彼女たちは有無を言わせない迫力があって逆らえなかった。女性の集団は怖いというけれど、今まさにそんな感じだわ……

「さぁ、出来ましたわ!」
「ええ、完璧ですわね!」

 自画自賛ともいえる彼女らの声が上がる中、私は揉みくちゃにされてぐったりしながらも鏡の前に立っていた。久しぶりのコルセット、緩めにとお願いしたけれど、それでも慣れないせいかやっぱり苦しい……そして、鏡の中では私と同じ色を持つ別人が立っていた。

(お化粧の力って、凄い……)

 これはもう、侍女さんたちの腕が良すぎるのだと思うわ。銀の髪は両横を結い上げ、後ろは背に流してギルの瞳の色の紅玉が彩を添えている。頬は薔薇色で唇には控え目な色の紅。ドレスはギルの瞳と同じ赤だけど、光沢は抑えられていて白いレースや銀糸の刺繍で落ち着いた感じに仕上がっている。宝飾品も銀の地と紅玉で揃えられているわ。

 どう見てもドレスに負けそうなのだけど、侍女さんたちの化粧技術が素晴らしくてどうにか均衡が保たれている。凄いわ、完全に別人よね……こうなると化粧というよりも仮装じゃないかしら?

「ああ、綺麗に出来たな」

 横から声をかけられてぎょっとしたわ。そこには声の主がにやにやしながら私を見ていた。

「ギル、着替え中に入ってこないでよ……」
「もう終わっただろ」

 それはそうなんだけど……周りに視線を向けると侍女さんたちが頭を下げてギルを迎えていた。その感じがとても自然で人の上に立つ人なのだと感じさせられて、彼を遠くに感じてしまう。

「贅沢しすぎよ」
「一世一代の晴れ舞台なんだからこれくらい当然だろ」

 当然って……金銭感覚の違いに目眩がしそうだわ。そういえば本来のダーミッシュは豊かな地だったわよね。グラーツ家は伯爵家の中では中よりも少し下くらいだったし、母やアデリッサの散財のせいで財政が心もとなくて、私はなるべく贅沢をしないようにしていたのもあるけど……

「……この宝飾品、借り物よね?」
「買ったに決まってんだろ」

 そうだと言ってとの私の願いはあっさり却下されたわ。意識が遠くなりそう……

「こ、こんな高価なものを? 支払いは……」
「そりゃあ、爵位やら何やら貰ったからな」
「貰ったって……だからってこんな散財……」
「必要経費ってやつだ。可愛い妻に貧相な恰好させられるかよ」
「な……」

 か、可愛い妻って……いえ、そう言ってくれるのは嬉しいけれどこんな贅沢品、必要経費なんかじゃないわよ。そうは思うのに邪気の感じられない笑みを向けられるとときめいてしまう。販促だわ、いつもは皮肉っぽい笑みしか浮かべていないのに、こんな時に……

「地味なままでいいわよ。似合わないもの」
「そんなことねぇって。すげぇ似合ってるぞ」

 そう言って抱き寄せられた。

「ちょ……人前じゃ……」
「もう誰もいねぇよ」

 そう言われて周りを見たら侍女さんたちの姿はなかった。い、いつの間に……

「さすがは王城に勤めている連中だな。気が利く」

 そ、そうね……こんなところを見られたくなかったから席を外してくれたのにはほっとしたけれど……

 それにしても……着崩しているのにギルの正装姿は素敵だわ。朝から何度も見ているのにまた胸が跳ねてしまう。黒い騎士服は精悍さが増して一層凛々しく見えるし、着崩しているのも雄々しさを際立たせている気がする。惚れた弱みでそう感じるのかしら……ところどころに私の瞳と同じ薄めの緑玉が使われているけれど、もしかして私の色を取り入れてくれたの? だったら嬉しい……

「じゃ、行くぞ」
「え、ええ」

 ドレスを着て人前に出るなんて初めてだから緊張するわ。淑女のマナーも十分に出来ているとは言い難いから恥をかかないかと不安になる。夜会に出たことなんかないし……

「どうした?」
「え?」
「表情が硬えぞ」
「そりゃあ……こういう場は初めてだから……」

 そんなに暗い顔をしていたかしら? 緊張している自覚はあるけれど。

「そういや、デビュタントは……」
「戦争が始まったから……」
「そっか」

 あの戦争がなかったらデビュタントも済ませて、リーヴィス様と婚姻していたのでしょうね。それを思うと不謹慎だけど戦争があってよかったと思ってしまう。リーヴィス様とでは今の幸せはなかったもの。そりゃあ、もっと穏やかな生活だったかもしれないけれど、今ほどに幸せを感じられたとは思えないわ。

「ギルは王城に呼ばれたことがあるのよね。だったら初めてじゃないわよね」
「まぁな。でも、夜会なんか出たことないぞ。あん時は監禁されたしな」

 そうだったわね。嘘の理由で呼び出されて第二王子の代わりにエーデルに送られそうになったのよね。

「俺だって王都の舞踏会なんて初めてだって。それはマリウスも同じだ。だから気負う必要はねぇよ」

 そんなものかしら? だったら気持ちで負けてはダメよね。彼の腕に手を添えて胸を張った。この先は社交という名の戦場だとジークハルト殿が言っていたわ。陛下に恭順を誓い、一方でこの機会に自身の勢力を増やしたいと願う貴族たちが陛下やその側近となった皆に取り入ろうと目の色を変えて向かってくると。近づいてくる者には十分気を付けるようにとも。

「心配いらねぇよ。これからは旧王家の常識なんざ通用しねぇし通用させねぇ。常識を作るのは俺たちだからな」

 当然のようにそう告げるギルに呆気に取られたけれど……確かにそうかもしれない。旧王家のやり方をマリウス陛下は良しとなさらず、この国を作り変えると仰っていたわ。礼儀作法だって国によって違いがあるのだから、恐れることはないわね。



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