王女殿下を優先する婚約者に愛想が尽きました もう貴方に未練はありません!

灰銀猫

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1巻

1-2

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 ちなみに両国の王族の結婚は、我が国と無関係ではなかった。というのも、ハイアットの王女は我が国のハロルド第二王子殿下の婚約者だったからだ。
 ハイアットは我が国の北東に位置する国で、国土は我が国の半分程度だが、豊富な鉱物資源と金属加工技術を持つ軍事国家だ。我が国とは国境を巡って長年緊張状態が続いていて、関係改善を狙った縁談でラファティも仲介者として力を入れていたのだが、これは最初から波乱含みだった。
 それというのも当のハロルド様が反ハイアット派で、肝心のはな婿むこの反発が強かったのだ。さすがにハイアットもそんな相手に王女をとつがせるのは不安だったのだろう。いつの間にかラファティの第二王子がハイアットの王女を見初みそめたからと白紙になり、両国はホッと胸を撫で下ろしたと言われている。
 しかし王家としてはハイアットとの関係改善は火急の要件。ラファティの仲介で今度はグローリア様がハイアットにとつぐ話が出ているらしい。ただ国内のハイアットへの反発は相変わらず根強く、国民に人気のあるグローリア様を送ることに難色を示す貴族も少なくないという。ただ、婚姻の影響もあってかラファティはハイアットにくみする傾向が見られ、ハイアットとの仲介をたのみながら国内の世論をまとめ切れない王家はかなり焦っているとか。我が国としては機嫌を損ねてはいけない相手であるのは間違いないのだけど……

(しょ、紹介したい方って……この方じゃなくて、この方の従者の方とか、よね?)

 どう考えてもあり得ない相手に、これはアデルのたちの悪い冗談だと受け取った。

(きっと私が落ち込んでいると思って、こんな悪戯いたずらを思いついたんだわ……)

 それにしたって全く笑えない冗談だ。大国の王族を巻き込むなんて……これ、気を付けないと私が不敬罪で罰されるのではないだろうか?

「そんなにかしこまらないでください、リード侯爵令嬢。ああ、もしお許しいただけるのであればお名前でお呼びしても?」
「え? あ、はい」
「ではどうか、私のことはエセルと」
「そ、そんな……お、恐れ多いことです」

 本気ですか? いきなり王族に名前呼びどころか、愛称呼びを許されてしまったんですけど……! これ、真に受けて愛称で呼んだら「不敬罪」と断罪されるとかじゃないわよね? どういうつもりよと思いながらアデルを見ると、とってもいい笑顔で私を見ていた。私の反応を面白がっているのは明白だ。

(アデル……後で覚えていなさいよ!!)

 相手が公爵家の令嬢だろうが、ここははっきり抗議しなきゃ! そう決意している私をよそに、エセルバート様はにこやかな笑みで話しかけてきた。

「ヴィオラ嬢とはずっとお会いしたいと思っていたのですよ」
「は、はぁ……」

 そう言われたけれど、どうして大国の王子が私に会いたいと思うのだろう。もしかしてアデルが面白おかしく私のことを話していたのだろうか……

(このたちの悪い冗談、いつまでやる気なのよ……)

 アデルを問い詰めなければと思いながらもぎこちなく質問に答えていたが、神経が焼き切れそうだった。なのに……

「ね、ヴィオラ。エセルバート様も。いいお天気だし、お二人で庭を散歩してきたら?」
「それはいいですね。ここの庭は素晴らしいですから」
「はぁあ?」

 つい変な声を出してしまったけれど、私は悪くないと思う。だって、いきなり初対面の男性と二人で庭を散策って……しかも相手は王族、こちらは取り立ててひいでたところもない侯爵家の娘。王族を接待するなんて私には荷が重すぎる。アデルに抗議の視線を送ったのに、それは綺麗にスルーされてしまった。

(嘘でしょう……?)

 そしてエセルバート様、この公爵家の庭、ご存じなのですか? アデルとそんなに親しくされているなんて、知らなかった……

「せっかくのアデル嬢のお気遣いです。有り難くお受けしましょう」

 そう言うとエセルバート様は、呆然としていた私の手を当然のように取った。

(……っ! て、手が……!)

 家族とアルヴァン様以外の男性と手を繋いだことがなかった私の思考が迷子になっている間に、エセルバート様はさっさと歩き始めてしまった。私は売られていく子牛のようにただついていくしか出来なかった。繋いだ手が自分のそれじゃないみたいだ……


 手入れが行き届いた花々の間を歩きながら四阿あずまやまで来ると、エセルバート様は私を二人掛けのベンチに誘い、そのまま隣に腰を下ろしてしまわれた。


(こ、これって……婚約者とか夫婦の座り方……)

 そう思うのだけど、さすがに王族相手にそんなことを指摘出来る勇気は私にはなかった。もしかしたらラファティ王国では普通なのかもしれないし……

「申し訳ありません、ヴィオラ嬢。急なことで驚かれたでしょう?」
「え、ええ、まぁ……」
(ええ、とっても、物凄く、これまでの人生で一番驚いてます!)

 そう思ったけれど、そんなことを言える強心臓を私は持ち合わせていなかった。でも今は、聞かなければならないことがある。しっかりしろ、私!

「えっと、どうして私を? お会いするのは初めて、でございますよね?」
「そうですね。こんな風にお会いするのは初めてですね」

 何となく引っかかる言い方だけど、確かにお会いした記憶はない。我が国の王族とだって夜会で何度か挨拶あいさつしたくらいだ。それが他国の……ともなればより一層縁がない。幼い頃に婚約者が決まっていた私は、お見合いを兼ねたパーティーやお茶会に参加することもなかったし。

「これなら、どうでしょうか?」

 そう言ってエセルバート様が取り出したのは……からの小瓶、だった。

「も、もしかして……」
「思い出してくださいましたか?」

 確かにこの小瓶には覚えがある。それは私が初めて夜会に出た時、お母様に渡されたものだ。そして、これを手放した時のことも……


 あれは一年程前、私が社交界デビューした時にさかのぼる。十六歳の誕生日を迎えた私は、初めての夜会に参加した。社交界デビューは婚約者がいなければ家族か親族がエスコートするのが決まりで、私はアルヴァン様のエスコートでデビューするはずだった。なのにアルヴァン様はグローリア様の護衛を優先したため、私はお兄様のエスコートでデビューするという、不本意なものだった。

「ヴィオラ、友人と話があるんだ。少しの間待っててくれないか」

 お兄様が友達に声をかけられたので、私は一人で壁の花になっていた。同じようにデビュタントした令嬢たちが踊っているのを眺めつつ、物珍しい会場内をドキドキしながら眺めていた。

(あ、アルヴァン様だ……)

 遠くに見えたのはグローリア様の後ろに立つアルヴァン様。近衛の騎士服がとても似合っていて、時折グローリア様が振り返って話しかけると、アルヴァン様が表情をやわらげるのが見えた。

(……っ)

 何だか酷くみじめな気持ちになった私は、いたたまれなくてその場を離れた。行く当てもなく歩を進めた先は王宮の庭だった。

(わ、綺麗……)

 王宮の庭は夜会などでは来賓らいひん向けに趣向をらして美しく飾られているのだと、先にデビュタントした令嬢たちから聞いていた。既に日が沈み、暗闇に包まれた庭だったけれど、今日はあちこちに燭台やランプが飾られていて、幻想的な光に包まれていた。
 ここは男女が密会する場でもあるから立ち入らないようにとお兄様に言われていたけれど、あまりにも浮世離れした空間に私はつい一歩を踏み出していた。アルヴァン様とグローリア様の姿に気が滅入めいっていたのもあるだろう。人の姿が見えない庭を独りめしているような気分になって、しぼんでいた気持ちも浮上していった。その時だった。

(……え?)

 微かに聞こえた苦しそうなうめき声に、私の足が止まった。誰かが気分を悪くして倒れているのだろうか。そんなことを思うと心配になって、私の足はおのずと声が聞こえた方角に向かっていた。

(誰か、いる?)

 少し進んだ先、大きな木の根元にある低木の下から、人の足らしいものが見えた。しばらく様子をうかがうけれど、動き出す気配はない。そうしている間にも苦しそうな息遣いが聞こえた。

(ど、どうしよう……誰か人を呼んだ方がいいのかしら?)

 初めての王宮で、私はどうすべきかわからず戸惑った。知らない人に声をかけるなんて淑女しゅくじょとしてあるまじき行為だし、悪意を持っている可能性だってないとは言えない。でも……そうしている間にも息が苦しそうになっているのを感じた。もし持病があって発作を起こしていたら?

「あ、あの……大丈夫ですか?」

 最悪の想定に恐怖を感じて恐る恐る声をかけると、相手が息を呑む音が聞こえた。姿は低木に隠れて見えないけれど、どうやら大木に背を預けて座り込んでいるらしい。

「あのっ、ひ、人を呼んできますね」

 返事もないし、これは私の手に余る。そう思った私は一声かけてその場を立ち去ろうとした。病気なら手当ては早い方がいいだろうし。

「ま、待ってくれ!」
「え?」
「人を……人を呼ぶのは、やめてくれ」
「で、でも……」
「だったら、私の従者を……連れてきて、くれないか?」
「従者の方、ですか?」
「ああ。会場にいて、私を探しているはず、だ。あ、赤みのある金髪に、灰緑の衣装で、胸には……黒地に緑の刺繍ししゅうが入ったハンカチ、が入って、いる」

 苦しそうな息遣いと途切れ途切れの話し方に、すぐに医者を呼ぶべきかと迷ったけれど、どうやらわけありのように見えた。ここはその従者を連れてきた方がいいのだろう。

「あ、赤みのある金髪に……灰緑の衣装ですね?」
「ああ……バートが呼んでいると、そういえば、わかってくれる、はずだ……」

 そう頼まれてしまえば嫌とは言えない。それに持病だった場合は従者が薬を持っているかもしれないし、手当てだって確実かもしれない。私は会場に戻ろうとして、その途中でそれらしい人物を見つけた。背が高くすらりとした人で、赤みのある金の髪をきっちりとまとめている。確かに胸元のポケットには黒地に緑色の糸で刺繍ししゅうがされたハンカチが入っていた。理知的な大人という感じで、何かを探しているのか視線だけが忙しなく動いているのが見えた。声をかけ辛い。でも……

「あ、あのっ!」

 知らない男性に声をかけるのは勇気が必要だったけれど、病人が待っているとなれば躊躇ちゅうちょしてもいられない。相手はいぶかしそうな目を向けたものの、バートが呼んでいると伝えると、表情を変えて誰にそう言われたかを私に尋ねた。かいつまんで説明したところ、丁重にお礼を言われて男性のもとへ案内を頼まれた。

「バート様!」

 その従者の男性は、低木に隠れる男性に駆け寄るとひざまずき声を殺して話しかけた。木の陰になって相手の顔は見えない。

「ああ、レスター、か……」
「どうして……なことに……」

 小声で話す彼らを見て、どうやら無事に頼まれたことを成し遂げられたのだとホッとした。これでもう大丈夫だろう。これ以上深入りしてお兄様に知られたら何を言われるかわからない。そう思ってその場を離れようと背を向けた。

「どう……ら、媚薬びやくをの……らし……」

 聞こえてきた会話に、思わず足が止まった。

(……今、媚薬びやくって、言った?)

 それはお母様やお兄様から散々注意するように言われたことに関係しているように思えた。一年程前からデビュタントを迎えたばかりの令嬢が、夜会や舞踏会で媚薬びやくを盛られて襲われる事件が起きていたからだ。まだ夜会に慣れていない令嬢を標的にしたその事件は貴族社会に大きな衝撃を与え、最近では令嬢が解毒剤を持ってデビュタントに出る事態になっていたのだ。

(男性に媚薬びやくを盛るって……もしかして令嬢が?)

 そういうことは男性がやるもので、その逆があるとは思いもしなかった。でも、具合が悪そうだし苦しそうなのは間違いなさそうに感じた。

「今は……抑えているが……相手に見つかっ……」
「どうかしっかり……医師を手……ましょう」
「しかし……この……おおやけにな……ば……」

 どうやらかなり切羽詰せっぱつまっているように見えた。人に知られると困るようにも。

「あ、あのっ……」

 万が一に備えて、お母様から媚薬びやくの解毒剤を持たされていた私は、思わず声をかけてしまった。

「あ、あの……媚薬びやくの解毒剤なら、持っています……」
「え?」

 レスターと呼ばれた従者の男性が驚きの表情で私を見上げた。

「こ、ここ最近、夜会などでデビュタントしたばかりの令嬢が媚薬びやくを盛られて襲われる事件があって……そ、それで母に、解毒剤を……」

 恐る恐るその小瓶を取り出して彼に見せた。逆光なのもあって表情が見えないが、あまりいい印象を持たれている感じはしなかった。

「……令嬢に、媚薬びやくを?」
「は、はい。私も詳しくは知りません。で、でも、両親からくれぐれも気を付けるようにときつく言われて……もし身体にいつもと違う熱を感じたら、すぐにこれを飲むようにと持たされて……」

 知らない人にこんな話をするのは気が引けたけれど、声をかけてしまったからには引き下がることも出来なかった。無我夢中だったのもある。

「そう、ですか。これを、母君があなたにと?」
「はい。母が、念のために持っていきなさいと」
「そうですか……」

 従者の方が何とも渋い声で呟いた時だった。お兄様が私を呼ぶ声が聞こえた。まずい、私が会場にいないことに気が付いたのかもしれない。

「あ、あのっ! 母が私にとくれたものなので怪しいものではありません。でも、信じられなかったら捨ててください。か、家族が探しているので、これで失礼しますっ」

 そう言うと私はレスターと呼ばれた人に小瓶を押し付け、その場を走り去った。飲むかどうかはあちらの好きにすればいい。それよりもお兄様に庭に出ていたことがバレたら大目玉を食らうのは確実だ。お兄様は心配性で昔から口煩くちうるさいから……


(まさか、あの方が……この方だったってこと?)

 当時は暗闇で顔を見ていなかったから確証はないけれど……あの小瓶は確かに私が持っていたものだった。それにしても一体誰が他国の王族に媚薬びやくを盛ったのか……一歩間違えたら国際問題や戦争にだってなりかねないのに。なんて真似をしてくれたんだと思うと同時に、それが未遂で済んでよかったと思った。

「あの解毒剤は本当によく効いてくれて、事なきを得ました。あれから恩人のあなたをずっと捜していたのです」

 真剣な表情で、しっかりと手を握られたまま告げられた言葉に、私はすぐには返す言葉が浮かばなかった。助けたといってもたまたまその場を通りがかっただけ。そこまで恩を感じる必要はないと伝えても、エセルバート様はその謙虚さも好ましいとおっしゃって、何故か好感度を上げてしまったらしい。またお会いしたいと言われたけれど、私は社交辞令として当たり障りなく答えるに留めた。さすがに大国の王子と関わるのは私の胃に負担が大きいと感じたからだ。


   ◆ ◆ ◆


 三日後、隣国の王子殿下を紹介された私を更に驚かせる事態が起きた。エセルバート様から内密に訪問したい旨を伝えるため使者が我が家を訪れたのだ。隣国の王子の要請に、我が家が大騒ぎになったのは言うまでもない。自国の王族だって訪ねてきたことがないのだから。

「ヴィオラ、一体どういうことだ? ラファティの王子殿下が会いたいなどと……」
「わ、私にもわかりません」
「じゃぁ何故こんなことになっているんだ?」
「そんなこと私に言われても……せ、先日、アデル様のお屋敷で紹介されはしましたけど……」
「何だと! ハガード公爵令嬢に? どうしてだ!?」
「それが……」

 どうやら事情を話さないわけにはいかないらしい。アデルのところに遊びに行ったことは話したけど、エセルバート様の件は伏せていたから。あれは解毒剤のお礼を言いたかっただけだからと、もう会うことはないと勝手に思い込んでいた。
 夜会で解毒剤を渡したことを話せば庭に出ていたことがバレて叱られるとは思ったけれど、もう黙っていることは出来そうになかった。私は諦めてあの時の件も話した。

「そのようなことが……」

 お父様が頭を抱えてしまった。

「それじゃどうして今日は我が家に……」
「そんなこと、私だってわかりませんっ!」

 そう、私だってこんな展開になるなんて予想しなかったし、あんなことくらいでわざわざ家に来るなんて誰が想像出来ただろうか。お礼は先日のお菓子で十分だと思うし……何か不敬なことをしたのかと聞かれて、それはないと答えた私の声はかなり心許こころもとなかったと思う。


 エセルバート様はしっかり予定時刻にお見えになった。両親もお兄様も、緊張しすぎて顔色が悪い。そしてその原因が自分だということで、私の胃はキリキリと痛んだ。一体何が起きているの……

「な、何と仰いましたか!?」

 いつもは温厚で大きな声を出さないお父様が、動揺もあらわにエセルバート様にそう問い直した。気持ちは凄くわかる。私でも同様に聞き返したと思うから……

「ヴィオラ嬢に求婚したいので、そのお許しをいただきたいのです」
「きゅ、求婚、ですか……?」

 お父様の顔色が一層悪くなったように見えた。一方のエセルバート様は上機嫌らしくつややかな笑みを浮かべていらっしゃって、二人の差が非現実的に見えた。

「はい。私は非常に困っている時、彼女に救われたのです。彼女が声をかけてくれなければ、私は今頃どうなっていたかわかりません」
「そ、それは……」
「私はそんな彼女の優しさにすっかり参ってしまったのですよ」
(……優しいって……たまたま通りがかっただけなのだけど……)

 そうは思うのだけど、エセルバート様の中ではあの出来事はすっかり美談になっているらしかった。

「そ、そうですか。ですが……」
「あれから私は彼女を捜し、幸いにも見つけることが出来ました。ですが……既に婚約者がいると聞いて一度は諦めたのです。さすがに他国の貴族の婚約者を奪うなど、国際問題にもなりかねませんから」
「それは、おっしゃる通り、ですが……」
「ですが、先日ハガード公爵令嬢から、ヴィオラ嬢が婚約を破棄なさったと伺いました。これは神が与えてくださったチャンスだと思い、彼女にお会い出来るようハガード公爵令嬢に頼み込んだのです」

 お父様はもう顔を赤くしたり青くしたりして忙しいし、噴き出る汗にハンカチが追い付いていないように見えた。でも、気持ちはわかる。物凄くわかる。そんなことで……って思うだろう、普通は。

「実際にお会いしたヴィオラ嬢は、想像以上に控えめで聡明な女性でした。私は彼女を妻に迎えたいのです。最初は婚約者候補で構いません。彼女と婚約を前提とした交際のお許しをお願いしたい」

 そう言ってエセルバート様が頭を下げられた。褒め言葉のオンパレードに、私だけでなく両親も目を白黒させていた。それもそうだろう、私はそんなに大層な人間じゃない。むしろ面倒なことには関わりたくない方だし、あの夜会の件だって単なる偶然が重なっただけなのだから。
 それを十分に理解しているお父様は抵抗してくれたけれど、エセルバート様は全く引く様子がなかった。お許しを得られるまで何度でもお伺いしますと宣言したため、さすがに大国の王族の好意を無下むげに出来るはずもなく……私が嫌がったら諦めるのを条件に、認めざるを得なかった。


 お父様との話が終わった後、少しだけ話す時間をいただけませんかと誘われたので、庭を案内することにした。婚約破棄したばかりでは、さすがに部屋で二人きりになるのは外聞がよろしくないと思ったからだ。
 そうは言っても、我が家の庭はアデルのお屋敷のような立派な庭ではない。お母様の趣味で森にいるような自然な雰囲気を残してあるこの庭が好きだけど、王族を迎えるには貧相だろうか。

「森の中にいるようで、落ち着きますね」
「そ、そう言っていただけると、嬉しいです」
「私が今住んでいる屋敷も、こんな風に自然を残してあるのです。我が国では珍しいけれど、これはいいですね。国に帰ったらこういった庭も試してみようかと思いますよ」
「そうですか? でも、ラファティの庭園技術は素晴らしいと聞いております。特に王宮の庭園は最高レベルだとか。一度は見てみたいです」
「そう言っていただけると嬉しいですね」

 前回よりは会話が続いただろうか。少し歩くとすぐに四阿あずまやに辿り着いた。既にハンナがお茶の準備をしてくれていた。ここには長椅子がないから、対面で座ることになるのも有り難い。さすがに前回の恋人座りは私にはハードルが高かった。

「これをお渡ししたくて」

 そう言ってエセルバート様がふところから取り出したのは、手のひらに載る程の小さな箱だった。綺麗に包装されてリボンも付いている。

「先日誕生日を迎えられたと聞きましたので。少し遅くなりましたが、受け取っていただければと」
「そ、そんな! 恐れ多いことです」

 王族から贈り物をいただくなんて、荷が重すぎる。

「そうかしこまらないでください。今の私は想い人にがれる一個人ですから」

 そう言ってにっこりとほほ笑まれると、何も言い返せなかった。重ねてささやかなものですから気楽に受け取ってくださいと言われてしまった。そんな簡単に言われても困ると思ったけれど、突き返すわけにもいかないのも確かで……

「あ、開けてもよろしいですか?」
「ええ、ぜひ」

 後で開けようかとも思ったけれど、中身を確認しないまま受け取るのも不安だった。とんでもなく高価なものだったらさすがに受け取れない。銀色に紫の縁取ふちどりがされたリボンを外して箱を開けると、出てきたのは緑色の石が付いた花の形を模した髪留めだった。

(……この石って……)

 小粒で眩しい初夏を思わせる緑色は、確かに目の前の人の瞳に似ていた。あざやかだけど目立ちすぎず可愛らしくて、素材からして普段使い用だろう。

「どのようなものがお好みかわからないので、お気に召さないかもしれませんが……」
「と、とんでもないです。すっごく、素敵です」

 実際その髪飾りは女性なら誰でも気に入りそうな愛らしいものだった。アクセサリーをいただいたのは、初めてだ……

「そう言っていただけると嬉しいです。悩んだ甲斐かいがあります」
「も、もしかしてエセルバート様が選んでくださったのですか?」

 この手の贈り物は主が希望を伝えて、従者や侍女が手配することが多い。王族なら尚更だ。

「愛しい人への贈り物を人任せになど出来ません。ただ、私も若い令嬢が好むものがよくわからなくて……商人が勧めてくれたものの中から選んだので、私が選んだとは言いにくいのですが……」

 申し訳なさそうに眉を下げる姿を可愛いと思ってしまったのは不敬だろうか。でも、そんな風に言われると益々ますます断れない……

「あ、ありがとうございます」

 生まれて初めて、アルヴァン様以外の異性からの贈り物に、私の心臓はうるさいくらいに跳ねていた。これは緊張からなのか嬉しさからなのか、それとも……

(ど、どうしたらいの……)

 思いがけない誕生日の贈り物は、喜びよりも戸惑いの方が大きかった。


「ちょっと、アデル! どういうことなの⁉」

 エセルバート様が我が家を訪問した翌日、私はアデルのもとを訪ねていた。理由は言うまでもない、エセルバート様のことだ。

「ふふっ、彼、やっと求婚出来たのね」
「アデル!」
「怒らないでよ、ヴィオラ。そりゃ黙っていたのは悪かったけど、それもエセルバート様のご意向だったんだから仕方ないでしょ」
「エセルバート様の?」
「そう。彼ってモテるからね。この話が表に出るとヴィオラが危険だからと、幾重にも内々にしてほしいって言われていたのよ」
「そ、そう……」

 アデルの言うことも一理あった。確かにエセルバート様はモテるだろう。大国の第三王子で、見た目も中身もパーフェクトとも言えるお方だ。各国の王女殿下や王族のご令嬢が妻の座を狙っていると聞くし、我が国でもご令嬢方から熱烈な視線を受けていらっしゃる。そんな状態で私のことが明るみに出たら……死刑宣告にも等しい、かもしれない。

「それにしても、どうして私なのよ。全く理解出来ないんだけど……」
「そんなことはないわよ。ヴィオラは着飾るのが好きじゃないけど、顔立ちは整っていて十分可愛いわよ」

 美人のアデルにそう言われると、なんとなく面映おもはゆい。

「……褒めても何も出ないわよ」
「もう、どうしてそうなるのよ! でもそういうところが好ましいんだけどね。控えめでわきまえているのって十分に美徳よ。人を押しのけてでも自分がって人の方が多いんだし」
「そんな恥ずかしい真似出来ないわよ」
「そう言えるのがヴィオラのいいところよ。それに学業も真面目で優秀、成績は学年でも十番以内には入っているでしょ」


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