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25 話しかけないでほしい瞬間
しおりを挟む近頃、街角でよく見かける新しいデバイスがある。耳の後ろに小さなチップを埋め込み、意思一つで「ノーコンタクト・モード」に切り替えられる装置だ。
これを起動すると、自分に話しかけようとする相手は一瞬言葉を忘れたように黙り込む。目の前にいるのに、声をかける気力が失せるのだ。会社での不要な雑談を避けたい人間にはうってつけの機能だった。
私は当然それを導入した。営業職である以上、人と接するのは避けられない。だがせめて、コンビニでコーヒーを淹れている最中や、電車で居眠りしているときぐらいは静かにしていてほしい。
初めて使った日、世界は実に快適だった。上司が「おい、ちょっと――」と声を掛けかけた瞬間、眉間に皺を寄せて首を傾げ、そのまま黙り込む。私は心の中でガッツポーズをした。会議のあと、鬱陶しい飲み会の誘いもなくなった。家路は真っ直ぐ、静寂そのもの。
だが、快適さは長くは続かなかった。ある朝、装置をオフにしているのに、妻が私に話しかけてこなかったのだ。
「行ってきます」と口を開いたが、彼女は振り返りもせず食器を片付けている。会社でも同じだった。誰も私に声をかけない。営業部の看板であるはずの私は、存在していないかのように放置された。
慌てて装置を確認したが、電源は切れている。故障かと思いサポートに連絡した。だが電話口の担当者も途中で言葉を濁し、やがて沈黙した。通信は一方的に切れた。
そこからだ。コンビニの店員も、電車のアナウンスさえも、私には届かなくなった。目の前で口が動いているのに、音が発せられない。完全な「ノーコンタクト」の世界が広がっていた。
私は悟った。この装置は便利な道具ではなく、願望の具現化だったのだ。――「話しかけないでほしい瞬間」が積もり積もって、ついには「誰にも話しかけられない人生」に置き換えられたのだ。
静寂は、もはや快適ではない。呼び止めてほしい。叱ってほしい。雑談でもいい。誰かに声をかけられたい。
そのとき、ふと鏡をのぞき込んで息を呑んだ。
私の口もまた、二度と動かなくなっていた。
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