さようなら、白い結婚。私は自由になります。

Ame

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第四話 アランの揺らぎと、真実

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 リディアが実家へ戻ってから、アランの屋敷は驚くほど静かになった。
 もともと静かな家だったが、今は音が消えたような感覚すらある。

 朝、アランはいつものように執務室へ向かった。
 机の上には書類が山積みで、窓から差し込む光が紙の白さを際立たせている。
 彼は淡々とペンを走らせる。
 その姿は、周囲から見ればいつも通りの冷徹な宰相だった。

 だが――胸の奥は、妙にざわついていた。

 書類の端に置かれた一通の手紙が、視界の端で揺れている。

『リディアは落ち着いて過ごしております。
離縁の件、正式な手続きが整い次第、こちらも対応いたします』

 差出人はリディアの父。
 文面は簡潔で、余計な感情を含まない。
 それなのに、アランの胸には重い石が沈んだような感覚があった。

 ――落ち着いて過ごしている。

 その言葉が、妙に胸に刺さる。

 アランは手紙を伏せ、深く息を吐いた。

「……私は、何をしている」

 誰に向けた言葉でもない。
 ただ、こぼれ落ちた独白だった。



 アランは、リディアを愛していなかったわけではない。
 ただ、愛し方がわからなかった。

 幼い頃から、感情を捨てることを求められてきた。
 宰相の家系に生まれた者は、弱さを見せてはならない。
 情に流されれば、政治の世界では命取りになる。

 父は厳しかった。
 幼いアランが泣けば、「泣くな」と叱りつけた。
 喜べば、「浮かれるな」と冷たく言った。
 感情を表に出すことは、弱さの証だと教え込まれた。

 ――だから、アランは感情を封じた。

 喜びも、怒りも、悲しみも、愛情も。
 すべてを胸の奥に押し込み、表情を変えずに生きる術を身につけた。

 その結果、彼は宰相として成功した。
 だが――夫としては、致命的に不器用だった。



 リディアはいつも静かに微笑んでいた。
 不満を口にすることもなく、家の行事を完璧にこなし、
 アランの負担にならないようにと、気配を消すように生きていた。

 それが、彼女の努力だと気づいたのは、離縁を告げられた後だった。

 アランは机の引き出しを開けた。
 そこには、リディアが残していった小さなハンカチが入っている。
 白地に薄い青の刺繍が施された、控えめで上品なものだ。

 アランはそれを手に取り、しばらく見つめた。

「……君は、こんなにも丁寧に生きていたのに」

 声が震えた。
 自分でも驚くほど、胸の奥が痛んだ。

 リディアは、アランのために努力していた。
 彼の好みに合わせ、彼の負担にならないように、
 彼の家に馴染もうと、必死に生きていた。

 それなのに、アランは――

 その努力に気づこうとしなかった。

 いや、気づかないふりをしていた。

 感情を向ければ、彼女を巻き込んでしまう。
 政治の世界は危険だ。
 宰相の妻は、常に標的になる。

 だから、距離を置いた。
 守るために。

 ――だが、それが彼女を孤独にした。

「……私は、何を守っていた?」

 アランはハンカチを握りしめた。
 胸の奥に、初めて後悔という感情が生まれた。



 その日の夕方、アランは王城の廊下を歩いていた。
 窓の外には夕陽が沈み、空が赤く染まっている。
 その光景を眺めながら、アランは呟いた。

「……謝らなければならない」

 リディアに。
 彼女を孤独にしたことに。
 彼女の心を見ようとしなかったことに。

 そして――。

「……彼女が望むなら、手放すべきなのだろう」

 その言葉は、胸を裂くように痛かった。
 だが、アランは逃げなかった。

 翌朝、彼は馬を走らせ、バークス家へ向かった。

 リディアに会うために。
 そして、彼女の選択を受け止めるために。



 一方その頃、バークス家では。

「リディア様、こちらをどうぞ」

 ユリウスが差し出したのは、庭で摘んだばかりの白い花だった。
 小さく可憐なその花は、リディアの指先にそっと触れる。

「まあ……綺麗ですね」

「この季節に咲くのは珍しいのです。リディア様が喜ばれるかと思いまして」

 ユリウスは照れたように微笑んだ。
 その笑顔は、リディアの胸を温かく満たす。

「ありがとうございます。……本当に、優しい方ですね」

「いえ。私はただ……あなたが笑ってくださるのが嬉しいだけです」

 その言葉に、リディアは思わず息を呑んだ。
 胸が、静かに震える。

 ――こんなふうに言われたのは、初めて。

 アランの屋敷では、笑うことすら忘れていた。
 今、ユリウスの隣で、自然と笑みがこぼれる。

 その変化に、リディア自身が一番驚いていた。



 その時だった。

 屋敷の門の方から、馬の蹄の音が響いた。

 リディアとユリウスが振り返ると、そこには――。

 アランが立っていた。

 冷たい夜風の中、彼の瞳だけが強く揺れている。

「……リディア」

 その声は、今まで聞いたことのないほど弱く、切実だった。

 リディアの胸が、静かに波打つ。

 ――ついに、向き合う時が来たのだ。


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