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第100話 分岐する戦場——勇者達の選択
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──時は少しだけ遡る。
冷たい石造りの回廊を抜け、“王命独行”の四人はアル=ゼオス魔導遺跡の第二層へと足を踏み入れた。
遺跡内は静寂に包まれ、時折、古びた魔導灯の微かな光が揺れる。
だが、それが空間全体の薄暗さを打ち消すことはなかった。
迅達は慎重に周囲を見渡しながら歩を進める。
「……雰囲気、あるわね。」
「ああ。ホラー映画だったら真っ先に出たくなるタイプの場所だな、こりゃ。」
リディアの言葉に迅は軽く肩をすくめながら、周囲を警戒するように視線を巡らせる。
無造作に転がる壊れた石像、崩れかけた壁に埋め込まれた古代文字の刻印。かつてここが、何らかの重要な施設であったことは明白だった。
しかし、そんな遺跡の静寂を破るものがあった。
「……ちょっと待った。」
迅が手を挙げる。
カリムもピタリと足を止め、鋭い目つきで前方の空間を見つめた。
そこには——
三つの巨大な扉が並んでいた。
高さ三メートルほどの分厚い石扉。中央には魔導式の紋様が刻まれており、封印魔法によって閉ざされている。
「……何か、おかしい。」
迅がぼそりと呟く。
「おかしい、とは?」
ロドリゲスが眉を寄せる。
迅は扉の前に歩み寄り、指先でその表面をなぞった。
「ただの封印魔法ならともかく……この扉は”内側”から閉じられてる。つまり、誰かが内部で仕掛けたってことだ。」
「……誰かが、封じ込められている、ということか?」
ロドリゲスの表情が険しくなる。
「いや……それだけじゃねぇ。」
その時だった。
「……戦闘音がする。」
カリムが、低く呟いた。
彼は耳をすませ、閉ざされた扉に手を当てる。
「この奥……それぞれの通路の奥から、剣戟や魔法の音が響いている。」
迅の眉がわずかに上がる。
(この扉の向こうで……戦闘が?)
すぐに、ロドリゲスが地脈魔法を発動する。
彼の手から魔力の波紋が広がり、遺跡の床を伝って地下のエネルギーを読み取る。
「……間違いない。この先、三ヶ所で魔力の乱れを感知した。誰かが戦っておる。」
リディアが険しい表情で扉を見つめる。
「"銀嶺の誓い"……かしら?」
「……可能性は高ぇな。」
迅は短く答え、拳を軽く握る。
“銀嶺の誓い”の三人が、それぞれ戦っている? それにしても、なぜ扉が閉ざされている?
この遺跡は、ただの戦場ではない。“誰かが仕組んだもの”だ。
(……時間がねぇな。)
迅はすぐに扉を開ける方法を探そうとした。
その時、視界の隅に——
「……転移魔法陣?」
迅の目が、ある一点に止まる。
三つの扉のすぐ脇、床に埋め込まれた正方形の魔法陣が目に入った。
古代文字が刻まれた魔導陣。
しかし、現在は機能が停止しているようで、魔力の流れがほとんど感じられない。
迅がその紋様をじっと見つめ、呟く。
「……どうやら、これは”管理者用”の転移魔法陣みてぇだな。」
「管理者用?」
ロドリゲスが興味深げに近づく。
「推測だけど……元々、この遺跡は何らかの研究施設だったんじゃねぇか? 研究者たちが内部を移動するための転移装置がここにあった。」
リディアが納得したように頷く。
「なるほど、だから遺跡内の移動用の魔法陣が各所に存在するのね。」
しかし、問題は——
「今は動いていない、ってことか。」
迅が苦笑しながら指先で魔法陣の文字をなぞる。
「そうじゃな。」
ロドリゲスは魔法陣に手を当て、魔力の流れを調べる。
「ふむ……制御機構自体は生きておるな。魔力供給が絶たれているだけじゃ。」
「つまり?」
「わしがここで直接魔力を流し込めば、一時的に起動させることが可能じゃろう。」
ロドリゲスがそう言うと、カリムが前へ出た。
「つまり、ここから扉の奥へと転移できる……というわけか?」
ロドリゲスが頷く。
「ただし、扉の奥がどうなっておるかは、開けてみるまで分からん。転移先の座標は、魔法陣に刻まれた既存の座標を使うしかない。つまり、わしが転移を制御するにしても、扉の奥のどの場所に飛ぶかまでは選べんぞ。」
迅は数秒考えた後、決断する。
「3ヶ所で同時に戦闘が起きているなら、俺たちも分かれて援護するべきだろうな。」
「となると、わしはここに残り、転移魔法陣の制御を担うというわけか。」
ロドリゲスが理解し、頷く。
「ああ。カリム、リディア、俺の3人でそれぞれの部屋に転移する。」
迅の声には迷いがなかった。
「"銀嶺の誓い"が戦っている相手が何者かは分からないが、少なくともこっちも手分けしないと間に合わねぇだろ。」
「うむ、それでこそ勇者殿だ。」
カリムがニヤリと笑う。
「決まりね。」
リディアも微笑みながら、杖を構える。
迅は深く息を吸い、目の前の扉を見つめる。
(——さて、どこに飛ばされるかは分からないが……)
「──ま、行ってみるか。」
ロドリゲスが魔力を込め、転移魔法陣が淡い光を放ち始める——!
◇◆◇
魔法陣がゆっくりと光を増していく。
淡い青白い輝きが、遺跡の石壁に反射し、影を揺らめかせた。
“王命独行”の三人は、それぞれ魔法陣の円の中に立つ。
ロドリゲスが両手を掲げ、詠唱を始めると、魔力の波動が床を伝い、空間がわずかに歪み始めた。
転移の準備は、もうすぐ整う。
カリム・ヴェルトールは、剣の柄を強く握りながら、隣に立つ九条迅を見つめた。
この男こそ、自らが“勇者の剣”として仕えると決めた相手。
そして、今まさにその剣としての”初陣”を迎えようとしている。
カリムは、背筋を正し、右手を胸に当てた。
その姿は、忠誠を誓う騎士の如く、毅然としていた。
「勇者殿。」
迅が、僅かに眉を上げてカリムを見た。
「これが、私の“勇者の剣”としての初陣となる。」
転移魔法陣の光が強まり、周囲の魔力の流れがざわめく中、カリムは真剣な表情で迅に向き直る。
「——勇者殿、何か一言で良い。ご命令を。」
その言葉は、単なる儀礼ではなかった。
カリム・ヴェルトールが、これまでの人生で培ってきたすべての技術と誇りを賭け、今ここで本当に”勇者の剣”として戦う覚悟を固めた瞬間だった。
剣士としての誇り。
騎士としての誇り。
そして、“勇者の剣”としての誇り。
そのすべてを、この戦いに捧げると決めたのだ。
迅は、そんなカリムの真摯な眼差しをしばし見つめた。
「いちいち大袈裟なんだよ、お前は。」
そして、彼はふっと口角を上げた。
「ま、それじゃ、一言だけ。」
短く、だがはっきりとした口調で、迅は言った。
「無傷で、圧倒的に勝ってこい。」
カリムの目が見開かれる。
——無傷で。
——圧倒的に。
そこには、「負けるな」という言葉はなかった。
迅にとって、カリムが敗北する可能性など最初から考慮の外だったのだ。
それどころか、“無傷”で”圧倒的”に勝つことが当然のように語られた。
(……この上無い至上の命令、承った。)
カリムの口元が、自然と笑みを形作った。
「御意に。」
そう言うと、カリムは剣を鞘から少しだけ引き抜いた。
銀色の刃が、魔法陣の光を受けて眩しく煌めく。
それは、これから始まる戦いの前兆だった。
魔力の波動が頂点に達し、転移魔法陣がまばゆい閃光を放つ。
カリムは、まっすぐ前を見据えた。
これが、“勇者の剣”としての初陣。
(——我が刃は、勇者殿に捧ぐ。)
その決意を胸に抱きながら、彼の身体は転移の光に包まれ——
次の瞬間、カリムは消えた。
転移魔法は発動し、カリム・ヴェルトールは未知なる戦場へと送り込まれたのだった——。
◇◆◇
魔力が満ちていく。
転移魔法陣の光が、床を伝いながら脈打つように広がり、空間の揺らぎを生み出していた。
リディア・アークライトは、その中心に立ち、静かに息を整える。
目の前ではカリムが迅と言葉を交わし、勇者の剣としての誓いを立てていた。
(……カリムらしいわね。)
忠義と誇りを掲げ、まっすぐ迅に仕えるカリム。
そして、それを当然のように受け止める迅。
だが、リディアはそんな二人のやり取りを横目で見ながら、心のどこかで微かな違和感を覚えていた。
——カリムは、迅の剣。
——私は、迅にとって何なのかしら?
“あなたには戦ってほしくない。”
“あなたの頭脳は、戦い以外のことに使うべき。”
かつて、自分はそう言った。
だが、その言葉は皮肉にも、アーク・ゲオルグとの戦いで打ち砕かれた。
あの時、迅がいなければ、自分は間違いなく死んでいた。
自分は、迅に守られてしまった——。
(……私は、ただの”守られる者”でいいの?)
心に、疑問がよぎる。
確かに、迅は頭脳派であり、前線で戦うことが本職ではない。
それはリディア自身、今も変わらず思っている。
だが、それでも。
迅は自らの手で、戦った。
知恵を武器に、魔法を解析し、戦場を支配する手段を生み出した。
そして、自分たちを守った。
(……なのに、私は?)
アーク戦の時、結局自分は”迅に助けられた”だけだった。
黒槍が迫るあの瞬間、迅がいなければ、自分は何もできずに倒れていた。
(それで、いいの?)
——いいわけがない。
私は、迅の影じゃない。
迅の背中に隠れるだけの存在じゃない。
迅が召喚されてから今までずっと、気付けば彼の知性や発想に頼る形になっていた。
でも、それじゃ駄目。
(私も、"彼の隣で"戦えるようにならないと。)
自分で、戦場に立つ。
自分で、勝ち取る。
迅に守られるだけじゃなく、“並び立てる”存在になる。
それこそが、“自立”。
だからこそ——
リディアは、意を決して、迅へと視線を向けた。
「迅。」
呼びかけると、迅はカリムを送り出した後、すぐにこちらを見た。
「リディア。お前、一人で大丈夫か?」
その一言に、リディアの胸が静かにざわめく。
(……やっぱり、迅にとって私は”守るべき存在”なのね。)
迅は自分を心配してくれている。
それが嬉しい反面、どこか悔しさもあった。
だからこそ——
リディアは、あえて不敵な笑みを浮かべる。
まるで出会ったばかりの頃のように、挑発するかのような表情で。
「誰に言ってるの?」
そして、わざと得意げな口調で言った。
「貴方に、私の新戦術を直接見せられなくて残念だわ。」
そう言い残し、リディアはくるりと踵を返す。
「……そりゃ、見せてもらえる時が楽しみだ。」
背後で迅が楽しげに呟く声が聞こえる。
魔法陣の輝きが、一層強くなる。
(私は、いつまでも守られてばかりの存在じゃない。)
(迅に守られるだけじゃなく、“対等に戦える”ことを証明する。)
リディア・アークライトは、
今、“守られる者”から”戦う者”へと変わるための一歩を踏み出す——。
魔法陣が放つ光に包まれ、彼女の姿が掻き消えた。
次に目を開いた時、リディアは新たな戦場へと立っている——。
◇◆◇
カリムが転移し、リディアの姿も光の中へと消えていった。
残るは、迅ただ一人。
転移魔法陣の輝きが徐々に強まる中、迅はロドリゲスと向き合った。
「……さて、お主だけになったな。」
ロドリゲスが静かに言う。
その目は穏やかでありながら、どこか迅の成長を確かめるような鋭さを帯びていた。
「本当に一人で大丈夫かの?」
迅は、ほんの少しだけ肩をすくめて笑った。
「今さら確認することか? もう決まったことだろ。」
「……ふむ、それもそうか。」
ロドリゲスはわずかに目を細める。
「しかし、くれぐれも油断はするな。お主の戦い方は、敵を分析し、状況を見極めてから動くもの。だが、今回は時間の猶予がない。相手は、躊躇なく殺しに来るぞ。」
「分かってるさ。」
(それに、もう分析は半分は済んでるからな。)
心の中でそう呟く。
迅はポケットに手を突っ込み、冷静な表情で答えた。
「ただ、戦う前に一つ確認したいことがある。」
「何じゃ?」
迅は、わずかに目を細めて周囲を見渡す。
「……この遺跡、やっぱり”普通じゃない”よな。」
「ほう?」
「アークの野郎が以前ここで何をしようとしていたのか……何かが引っかかる。」
ロドリゲスは静かに頷いた。
「お主の勘は侮れん。確かに、この遺跡には、何か“異質”なものがある。だが、まずは目の前の戦いを乗り越えよ。お主が生き延びれば、答えは自ずと見えてくるであろうよ。」
「……ま、そうだな。」
迅は短く息を吐いた。
「それじゃ、行ってくるわ。」
そして、ポケットから銀貨を一枚取り出し、ロドリゲスに軽く投げた。
ロドリゲスは器用にそれを片手で受け止め、眉を上げる。
「ほう、何じゃ? これは。」
「ちょっとした賭けさ。」
迅は、にやりと笑った。
「もし俺が無傷で帰ってきたら、それでフルコースでも奢ってくれ。」
ロドリゲスはしばし沈黙し——やがて、重々しく笑った。
「……全然足りんじゃないか。まあ、無傷なら考えようかの。」
その言葉が終わると同時に、魔法陣が輝きを増す。
「それでは、行くがよい。“科学勇者”よ。」
ロドリゲスの声が響く中——
「ま、ちゃちゃっと片付けて来るわ。」
閃光が走り、迅の姿が掻き消えた。
そして彼は、新たな戦場へと降り立つ——。
冷たい石造りの回廊を抜け、“王命独行”の四人はアル=ゼオス魔導遺跡の第二層へと足を踏み入れた。
遺跡内は静寂に包まれ、時折、古びた魔導灯の微かな光が揺れる。
だが、それが空間全体の薄暗さを打ち消すことはなかった。
迅達は慎重に周囲を見渡しながら歩を進める。
「……雰囲気、あるわね。」
「ああ。ホラー映画だったら真っ先に出たくなるタイプの場所だな、こりゃ。」
リディアの言葉に迅は軽く肩をすくめながら、周囲を警戒するように視線を巡らせる。
無造作に転がる壊れた石像、崩れかけた壁に埋め込まれた古代文字の刻印。かつてここが、何らかの重要な施設であったことは明白だった。
しかし、そんな遺跡の静寂を破るものがあった。
「……ちょっと待った。」
迅が手を挙げる。
カリムもピタリと足を止め、鋭い目つきで前方の空間を見つめた。
そこには——
三つの巨大な扉が並んでいた。
高さ三メートルほどの分厚い石扉。中央には魔導式の紋様が刻まれており、封印魔法によって閉ざされている。
「……何か、おかしい。」
迅がぼそりと呟く。
「おかしい、とは?」
ロドリゲスが眉を寄せる。
迅は扉の前に歩み寄り、指先でその表面をなぞった。
「ただの封印魔法ならともかく……この扉は”内側”から閉じられてる。つまり、誰かが内部で仕掛けたってことだ。」
「……誰かが、封じ込められている、ということか?」
ロドリゲスの表情が険しくなる。
「いや……それだけじゃねぇ。」
その時だった。
「……戦闘音がする。」
カリムが、低く呟いた。
彼は耳をすませ、閉ざされた扉に手を当てる。
「この奥……それぞれの通路の奥から、剣戟や魔法の音が響いている。」
迅の眉がわずかに上がる。
(この扉の向こうで……戦闘が?)
すぐに、ロドリゲスが地脈魔法を発動する。
彼の手から魔力の波紋が広がり、遺跡の床を伝って地下のエネルギーを読み取る。
「……間違いない。この先、三ヶ所で魔力の乱れを感知した。誰かが戦っておる。」
リディアが険しい表情で扉を見つめる。
「"銀嶺の誓い"……かしら?」
「……可能性は高ぇな。」
迅は短く答え、拳を軽く握る。
“銀嶺の誓い”の三人が、それぞれ戦っている? それにしても、なぜ扉が閉ざされている?
この遺跡は、ただの戦場ではない。“誰かが仕組んだもの”だ。
(……時間がねぇな。)
迅はすぐに扉を開ける方法を探そうとした。
その時、視界の隅に——
「……転移魔法陣?」
迅の目が、ある一点に止まる。
三つの扉のすぐ脇、床に埋め込まれた正方形の魔法陣が目に入った。
古代文字が刻まれた魔導陣。
しかし、現在は機能が停止しているようで、魔力の流れがほとんど感じられない。
迅がその紋様をじっと見つめ、呟く。
「……どうやら、これは”管理者用”の転移魔法陣みてぇだな。」
「管理者用?」
ロドリゲスが興味深げに近づく。
「推測だけど……元々、この遺跡は何らかの研究施設だったんじゃねぇか? 研究者たちが内部を移動するための転移装置がここにあった。」
リディアが納得したように頷く。
「なるほど、だから遺跡内の移動用の魔法陣が各所に存在するのね。」
しかし、問題は——
「今は動いていない、ってことか。」
迅が苦笑しながら指先で魔法陣の文字をなぞる。
「そうじゃな。」
ロドリゲスは魔法陣に手を当て、魔力の流れを調べる。
「ふむ……制御機構自体は生きておるな。魔力供給が絶たれているだけじゃ。」
「つまり?」
「わしがここで直接魔力を流し込めば、一時的に起動させることが可能じゃろう。」
ロドリゲスがそう言うと、カリムが前へ出た。
「つまり、ここから扉の奥へと転移できる……というわけか?」
ロドリゲスが頷く。
「ただし、扉の奥がどうなっておるかは、開けてみるまで分からん。転移先の座標は、魔法陣に刻まれた既存の座標を使うしかない。つまり、わしが転移を制御するにしても、扉の奥のどの場所に飛ぶかまでは選べんぞ。」
迅は数秒考えた後、決断する。
「3ヶ所で同時に戦闘が起きているなら、俺たちも分かれて援護するべきだろうな。」
「となると、わしはここに残り、転移魔法陣の制御を担うというわけか。」
ロドリゲスが理解し、頷く。
「ああ。カリム、リディア、俺の3人でそれぞれの部屋に転移する。」
迅の声には迷いがなかった。
「"銀嶺の誓い"が戦っている相手が何者かは分からないが、少なくともこっちも手分けしないと間に合わねぇだろ。」
「うむ、それでこそ勇者殿だ。」
カリムがニヤリと笑う。
「決まりね。」
リディアも微笑みながら、杖を構える。
迅は深く息を吸い、目の前の扉を見つめる。
(——さて、どこに飛ばされるかは分からないが……)
「──ま、行ってみるか。」
ロドリゲスが魔力を込め、転移魔法陣が淡い光を放ち始める——!
◇◆◇
魔法陣がゆっくりと光を増していく。
淡い青白い輝きが、遺跡の石壁に反射し、影を揺らめかせた。
“王命独行”の三人は、それぞれ魔法陣の円の中に立つ。
ロドリゲスが両手を掲げ、詠唱を始めると、魔力の波動が床を伝い、空間がわずかに歪み始めた。
転移の準備は、もうすぐ整う。
カリム・ヴェルトールは、剣の柄を強く握りながら、隣に立つ九条迅を見つめた。
この男こそ、自らが“勇者の剣”として仕えると決めた相手。
そして、今まさにその剣としての”初陣”を迎えようとしている。
カリムは、背筋を正し、右手を胸に当てた。
その姿は、忠誠を誓う騎士の如く、毅然としていた。
「勇者殿。」
迅が、僅かに眉を上げてカリムを見た。
「これが、私の“勇者の剣”としての初陣となる。」
転移魔法陣の光が強まり、周囲の魔力の流れがざわめく中、カリムは真剣な表情で迅に向き直る。
「——勇者殿、何か一言で良い。ご命令を。」
その言葉は、単なる儀礼ではなかった。
カリム・ヴェルトールが、これまでの人生で培ってきたすべての技術と誇りを賭け、今ここで本当に”勇者の剣”として戦う覚悟を固めた瞬間だった。
剣士としての誇り。
騎士としての誇り。
そして、“勇者の剣”としての誇り。
そのすべてを、この戦いに捧げると決めたのだ。
迅は、そんなカリムの真摯な眼差しをしばし見つめた。
「いちいち大袈裟なんだよ、お前は。」
そして、彼はふっと口角を上げた。
「ま、それじゃ、一言だけ。」
短く、だがはっきりとした口調で、迅は言った。
「無傷で、圧倒的に勝ってこい。」
カリムの目が見開かれる。
——無傷で。
——圧倒的に。
そこには、「負けるな」という言葉はなかった。
迅にとって、カリムが敗北する可能性など最初から考慮の外だったのだ。
それどころか、“無傷”で”圧倒的”に勝つことが当然のように語られた。
(……この上無い至上の命令、承った。)
カリムの口元が、自然と笑みを形作った。
「御意に。」
そう言うと、カリムは剣を鞘から少しだけ引き抜いた。
銀色の刃が、魔法陣の光を受けて眩しく煌めく。
それは、これから始まる戦いの前兆だった。
魔力の波動が頂点に達し、転移魔法陣がまばゆい閃光を放つ。
カリムは、まっすぐ前を見据えた。
これが、“勇者の剣”としての初陣。
(——我が刃は、勇者殿に捧ぐ。)
その決意を胸に抱きながら、彼の身体は転移の光に包まれ——
次の瞬間、カリムは消えた。
転移魔法は発動し、カリム・ヴェルトールは未知なる戦場へと送り込まれたのだった——。
◇◆◇
魔力が満ちていく。
転移魔法陣の光が、床を伝いながら脈打つように広がり、空間の揺らぎを生み出していた。
リディア・アークライトは、その中心に立ち、静かに息を整える。
目の前ではカリムが迅と言葉を交わし、勇者の剣としての誓いを立てていた。
(……カリムらしいわね。)
忠義と誇りを掲げ、まっすぐ迅に仕えるカリム。
そして、それを当然のように受け止める迅。
だが、リディアはそんな二人のやり取りを横目で見ながら、心のどこかで微かな違和感を覚えていた。
——カリムは、迅の剣。
——私は、迅にとって何なのかしら?
“あなたには戦ってほしくない。”
“あなたの頭脳は、戦い以外のことに使うべき。”
かつて、自分はそう言った。
だが、その言葉は皮肉にも、アーク・ゲオルグとの戦いで打ち砕かれた。
あの時、迅がいなければ、自分は間違いなく死んでいた。
自分は、迅に守られてしまった——。
(……私は、ただの”守られる者”でいいの?)
心に、疑問がよぎる。
確かに、迅は頭脳派であり、前線で戦うことが本職ではない。
それはリディア自身、今も変わらず思っている。
だが、それでも。
迅は自らの手で、戦った。
知恵を武器に、魔法を解析し、戦場を支配する手段を生み出した。
そして、自分たちを守った。
(……なのに、私は?)
アーク戦の時、結局自分は”迅に助けられた”だけだった。
黒槍が迫るあの瞬間、迅がいなければ、自分は何もできずに倒れていた。
(それで、いいの?)
——いいわけがない。
私は、迅の影じゃない。
迅の背中に隠れるだけの存在じゃない。
迅が召喚されてから今までずっと、気付けば彼の知性や発想に頼る形になっていた。
でも、それじゃ駄目。
(私も、"彼の隣で"戦えるようにならないと。)
自分で、戦場に立つ。
自分で、勝ち取る。
迅に守られるだけじゃなく、“並び立てる”存在になる。
それこそが、“自立”。
だからこそ——
リディアは、意を決して、迅へと視線を向けた。
「迅。」
呼びかけると、迅はカリムを送り出した後、すぐにこちらを見た。
「リディア。お前、一人で大丈夫か?」
その一言に、リディアの胸が静かにざわめく。
(……やっぱり、迅にとって私は”守るべき存在”なのね。)
迅は自分を心配してくれている。
それが嬉しい反面、どこか悔しさもあった。
だからこそ——
リディアは、あえて不敵な笑みを浮かべる。
まるで出会ったばかりの頃のように、挑発するかのような表情で。
「誰に言ってるの?」
そして、わざと得意げな口調で言った。
「貴方に、私の新戦術を直接見せられなくて残念だわ。」
そう言い残し、リディアはくるりと踵を返す。
「……そりゃ、見せてもらえる時が楽しみだ。」
背後で迅が楽しげに呟く声が聞こえる。
魔法陣の輝きが、一層強くなる。
(私は、いつまでも守られてばかりの存在じゃない。)
(迅に守られるだけじゃなく、“対等に戦える”ことを証明する。)
リディア・アークライトは、
今、“守られる者”から”戦う者”へと変わるための一歩を踏み出す——。
魔法陣が放つ光に包まれ、彼女の姿が掻き消えた。
次に目を開いた時、リディアは新たな戦場へと立っている——。
◇◆◇
カリムが転移し、リディアの姿も光の中へと消えていった。
残るは、迅ただ一人。
転移魔法陣の輝きが徐々に強まる中、迅はロドリゲスと向き合った。
「……さて、お主だけになったな。」
ロドリゲスが静かに言う。
その目は穏やかでありながら、どこか迅の成長を確かめるような鋭さを帯びていた。
「本当に一人で大丈夫かの?」
迅は、ほんの少しだけ肩をすくめて笑った。
「今さら確認することか? もう決まったことだろ。」
「……ふむ、それもそうか。」
ロドリゲスはわずかに目を細める。
「しかし、くれぐれも油断はするな。お主の戦い方は、敵を分析し、状況を見極めてから動くもの。だが、今回は時間の猶予がない。相手は、躊躇なく殺しに来るぞ。」
「分かってるさ。」
(それに、もう分析は半分は済んでるからな。)
心の中でそう呟く。
迅はポケットに手を突っ込み、冷静な表情で答えた。
「ただ、戦う前に一つ確認したいことがある。」
「何じゃ?」
迅は、わずかに目を細めて周囲を見渡す。
「……この遺跡、やっぱり”普通じゃない”よな。」
「ほう?」
「アークの野郎が以前ここで何をしようとしていたのか……何かが引っかかる。」
ロドリゲスは静かに頷いた。
「お主の勘は侮れん。確かに、この遺跡には、何か“異質”なものがある。だが、まずは目の前の戦いを乗り越えよ。お主が生き延びれば、答えは自ずと見えてくるであろうよ。」
「……ま、そうだな。」
迅は短く息を吐いた。
「それじゃ、行ってくるわ。」
そして、ポケットから銀貨を一枚取り出し、ロドリゲスに軽く投げた。
ロドリゲスは器用にそれを片手で受け止め、眉を上げる。
「ほう、何じゃ? これは。」
「ちょっとした賭けさ。」
迅は、にやりと笑った。
「もし俺が無傷で帰ってきたら、それでフルコースでも奢ってくれ。」
ロドリゲスはしばし沈黙し——やがて、重々しく笑った。
「……全然足りんじゃないか。まあ、無傷なら考えようかの。」
その言葉が終わると同時に、魔法陣が輝きを増す。
「それでは、行くがよい。“科学勇者”よ。」
ロドリゲスの声が響く中——
「ま、ちゃちゃっと片付けて来るわ。」
閃光が走り、迅の姿が掻き消えた。
そして彼は、新たな戦場へと降り立つ——。
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◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
スキル『レベル1固定』は最強チートだけど、俺はステータスウィンドウで無双する
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