科学×魔法で世界最強! 〜高校生科学者は異世界魔法を科学で進化させるようです〜

難波一

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第123話 氷魔法のシンカ

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 ライネル・フロストは、状況を完全に理解しきれないまま、勇者・九条迅くじょうじんの背中を追っていた。

(……どういうことだ?)

 先ほどまでの舞踏会の喧騒から一転し、静寂に包まれた王城の廊下を進む。

 途中、豪奢な装飾が施された扉をいくつも通り過ぎるたびに、事態の異常さがじわじわと胸に広がっていく。

 さっきまでただの“憎まれ口を叩いた相手”でしかなかった勇者が、なぜ今、わざわざ自分を呼びに来たのか。

 舞踏会の最中にあったというのに、いきなり「ついて来い」と言われ、理由も聞かされぬまま歩かされるのは、正直に言って、恐ろしい。

 力を貸して欲しいと言いつつ、物陰に連れ込まれてボコボコにされるのでは?という疑念が完全には払えない。

だが——

 ライネルは、迅の表情を一度見て、それ以上の反論をするのをやめた。

無駄口を叩く余裕がない、という空気が滲んでいた。

 普段の飄々とした態度とは違う、鋭く研ぎ澄まされた眼差し。
 彼がここまで真剣な表情を見せるということは、それ相応の理由があるはずだ。

それでも——。

「ちょ、ちょっと待て、九条迅くじょうじん。僕をどこへ連れて行くつもりだ?」

静かに問いかけると、迅は短く答えた。

「王妃の寝室だ。」

一瞬、思考が止まった。

「……王妃?」

この王城の主である、ノーザリア王妃セラフィーナ。

 病に伏しているとは聞いていたが、まさか直接関わることになるとは思ってもいなかった。

「そうだ。あんたの力が必要だ。」

 ライネルは、知らず知らずのうちに眉を寄せていた。

(僕の力? 王妃の治療に……?)

 理解が追いつかないまま、歩みを進めていく。

 やがて、二人は王城の奥深くに位置する、大きな扉の前に立った。

 見張りの騎士が二人、厳しい表情で立ち尽くしている。

 その一人が、迅の姿を見て扉を開けた。

 静かに、だが重々しく開かれる扉の向こう。

 そこには——白いシーツに横たわる王妃の姿と、彼女の傍らで寄り添うリディアの姿があった。

 ライネルは、一瞬だけ硬直した。

(……リディアたんもいるのか。)

 その事実に、少しだけホッと気持ちが落ち着く。
変なことに巻き込まれたのではない、と確認できたことで、少しだけ気を抜いた。

 王妃を前にして気軽な態度を取るわけにはいかないが、少なくとも場違いな場所ではないのだろう、と。

 しかし、彼の疑問はまだ晴れていなかった。

「……僕に、何をさせたい?」

 冷静に問いかけると、迅は真っ直ぐにこちらを見据え、口を開いた。

「王妃の治療に、手を貸してくれ。」

 迅の言葉が部屋に響く。

 ライネルは、その言葉を頭の中で反芻した。

(僕に治療を?)

「回復魔法ならリディアた……さんの方が遥かに上手だろう?」

 なぜ、自分に頼むのか。
 回復魔法が必要ならば、ここにいるリディアに任せればいい。

 迅は、間髪入れずに答えた。

「その氷魔法が必要なんだ。」

「……何?」

 思わず聞き返した。

迅は、自分の言葉を噛み締めるようにして続ける。

「あんたの技術が、王妃のために必要だ。頼む。」

そして、深く頭を下げた。

ライネルは、一瞬言葉を失った。

(……勇者が、僕なんかに頭を下げるのか?)

 彼が頭を下げることに、違和感があった。

 勇者とは、もっと圧倒的な存在で、自信に満ち溢れ、全てを解決する存在だと——そんな風に考えていた。

 しかし、目の前の男は、決して万能ではない。
だが、その分、自分にできないことを他者に求めることができる男なのだと、今初めて知った。

 そして、横で静かに見守っていたリディアも、静かに頷く。

 彼女の表情を見て、ライネルは確信した。

(……この頼みは、本気だ。)

 適当な言葉で流せるものではない。

 そして、自分も——興味が湧いてきた。

 勇者がそこまでして求める、氷魔法の役割とは何なのか。

「……とにかく話を聞こう。」

 彼は、迅の方をまっすぐに見据えた。

 さっきまでの戸惑いは、すでに消えていた。



 ◇◆◇



 ライネル・フロストは、まじまじと目の前の光景を見つめていた。

——淡く光る魔力が、王妃の血管を通じて体内を巡っていく。

 まるで静脈の流れを可視化するかのように、魔法が王妃の体の中を走り、患部で不自然に停滞する。

 それは、迅が見せた“魔力による血管造影”という技術だった。

 ライネルは、自分が見ているものを信じられなかった。

「……これは、一体……?」

 目の前の王妃の腕には、氷魔法で作られた極細の針が挿入されている。
 それが魔力を帯びた生理食塩水を体内に送り込み、魔力の流れを可視化しているのだ。

 体内に張り巡らされた魔力の流れが、まるで星座のように輝いている。
 しかし、いくつかの場所——とりわけ大腿骨と肺の部分で、不自然な暗い影が浮かび上がっていた。

(……これは、魔力の流れが滞っている……? いや、魔力を阻害する何かが存在しているのか……)

 彼は、一流の魔法士としての経験から、その意味を直感的に理解した。

(まるで、魔力がそこだけ“閉じ込められている”ように見える……)

 ライネルは、改めて目の前の男を見た。

「……九条迅。これは一体どこで学んだ技術だ?」

 迅は、迷うことなく答えた。

「自分で開発した。」

 その言葉に、ライネルは思わず息を呑む。

「……は?」

 自分の耳を疑う。

 魔法は、本来長い年月をかけて研究され、体系化されていくものだ。
 新しい魔法技術を開発するには、数世代にわたる魔法士たちの研究が必要となる。それを——

「……君《きみ》は、一人でこの技術を作ったってのか?」

「まあな。大部分は"元から存在する技術"を組み合わせたってだけではあるけどな。」

 迅は、まるで当然のことのように頷いた。

 ライネルは、言葉を失った。

(いや、ちょっと待て……何を言っている? )

 魔力の流れを可視化する技術など、これまで聞いたことがない。そもそも、血管造影という概念自体が、この世界には存在しない。

(この男は、一体どんな目線で世界を見ているんだ……)

 ライネルは、自分の考えが及ばない領域に踏み込んでしまったような感覚に陥った。


 ◇◆◇


「さて、本題に入る。」

 迅は、羊皮紙を広げ、さらさらとペンを走らせ始めた。

 ライネルは、彼の行動をじっと見つめながら、問う。

「……つまり、きみは王妃の患部を冷やして、病の進行を抑えるつもりだということか。」

 迅は頷く。

「ああ。冷却によって異常細胞の活動を鈍らせる。それが狙いだ。」

「……確かに、理屈は分かる。しかし——」

 ライネルは、腕を組みながら考え込んだ。

「確かに冷却すれば、病の進行を遅らせることはできるかもしれない。だが、冷やしすぎれば周囲の健康な体組織にもダメージが及ぶはずだ。」

「——だからこそ、氷魔法を正しく理解する必要がある。」

 迅は、さらりと言ってのけた。

 ライネルは、眉をひそめた。

「……?」

 すると迅は、まるで基本的な理論を語るかのように話し始めた。

「氷魔法ってのは、ただ氷を生み出す魔法じゃねえ。」

 ライネルは、じっと耳を傾ける。

「氷を作るってことは、単に水を凍らせることじゃねぇ。氷魔法の本質は、"周囲の熱を奪う"ことによって氷を生み出しているんだ。」

「……周囲の熱を奪う?」

「ああ。」

 迅は、魔法の詠唱式を羊皮紙に書き込みながら続ける。

「氷魔法は、熱を消し去るわけじゃねぇ。
ただ、別の場所へ移動させているだけだ。」

 ライネルは、その言葉を反芻はんすうした。

「つまり……?」

「たとえば、氷魔法で氷を作るとき、奪った熱はどこへいく?」

「……大気中に拡散される。」

「まさしく。」

 迅は小さく指を鳴らし、指先で羊皮紙の魔法式を示しながら言った。

「だったら、その拡散される熱を、無駄にするんじゃなく、逆に健康な部位を温めるのに使えばいい。」

「……!」

 ライネルの脳内で、何かが弾けた。

 氷魔法による冷却は、常に“排熱”を生み出す。それを制御し、適切に利用すれば、体のバランスを保つことができる——?

「……なるほどな。」

 ライネルは、驚きを隠しながらも、淡々と頷く。

「つまり、患部の冷却による悪影響を抑えるために、同時に体の別の部分を温める魔法を組み込むということか。」

「そういうこと。」

 迅は、魔法式を最後まで書き上げると、ライネルへとそれを手渡した。

 そこには、完璧に計算され尽くした魔法の詠唱式が描かれていた。

「これは……」

 ライネルは、思わず息を呑んだ。

「……この短時間で、ここまで緻密《ちみつ》な魔法式を?」

 彼の驚きをよそに、リディアが微笑を浮かべながら口を開く。

「この人は、この世界に来てからずっとこの調子なのよ。」

 ライネルは、一瞬言葉を失った。

(……こいつ、いつもこんなことをやっているのか?)

 勇者というものは、もっと剣を振るい、魔物を倒し、華々しく戦う存在なのではないのか。

 なのに——

(……僕が今まで考えていた“勇者”というもののイメージは、間違っていたのかもしれない。)

 ライネルの中で、何かが変わり始めていた。


 ◇◆◇


 ライネルは、羊皮紙に記された魔法式をじっと見つめていた。
 
 それは、これまでの氷魔法の概念を根底から覆すものだった。

「患部を冷やしつつ、同時に健康な部位を温める」

——それが、この魔法の核となる理論だった。

 従来の氷魔法は、単純に対象を凍らせるものだった。
 水を凍結させ、氷の刃を生み出し、あるいは敵の動きを封じる。
 戦闘において有用な攻撃魔法として認識されてきた。

 だが、迅の考えは違った。
氷魔法は単なる冷却手段ではなく、“熱の移動を操る技術” だと断言した。

(熱を奪うだけが能じゃない……?)

 ライネルは、無意識に指を這わせながら、魔法式の構造を追っていた。

 確かに、この理論が正しければ、冷却の負担を最小限に抑えながら治療を行うことができる。
 この世界の魔法体系には存在しなかった、新しい治療の形。

(……こんな発想、考えたこともなかった。)

 氷魔法の使い手として、彼はこの瞬間、強烈な衝撃を受けていた。

(いや……それどころか、悔しい。)

 ライネルは薄く息を吐く。
この魔法理論を聞いて、最初に感じたのは驚きではなく、僅かな悔しさだった。

 なぜ、こんな単純なことに気付かなかったのか。
 なぜ、今まで氷魔法を“冷やす”ことしか考えなかったのか。

 剣士であるはずの勇者が、魔法士である自分以上に魔法の可能性を引き出している——。

 それが、少しだけ癪だった。

「……九条迅。君は、これを自分で試そうとは思わなかったのか?」

 ライネルは、半ば確認するように問いかけた。

 迅は軽く肩をすくめる。

「理論を組み立てることはできるが、実践するには技術がいる。今の俺の慣れない氷魔法の腕じゃ、この精密なコントロールは流石に無理だ。」

 そう言って、迅はまっすぐにライネルを見た。

「──リディアが、
『自分より氷魔法の腕が立つ』と評する程の男だ。
なら、あんたに頼むのが、一番勝率高ぇからな。」

 ライネルは、その瞳を見つめた。
 そこには、迷いが一切なかった。

 純粋に、自分の技術を必要としている。
 そこに、上下関係も、余計なプライドもない。

(……この勇者は、本当に変わっている。)

 ライネルは、ふっと小さく笑った。
 それは、呆れと興味が入り混じった、苦笑に近い感情だった。

「……仕方ないな。」

 彼は羊皮紙を畳み、ゆっくりと立ち上がる。

「白銀級冒険者、ライネル・フロスト。
──君《きみ》の頼み、引き受けよう。」

 それを聞き、迅がニッと笑みを浮かべる。

 ライネルはリディアに目を向けた。
 彼女は微笑を浮かべながら、静かに頷いた。

「じゃあ、お願いできるかしら。」

 ライネルは静かに頷き、深く息を吸い込んだ。

——彼の魔法が、王妃を救う。

 その瞬間が、今、訪れようとしていた。


 ◇◆◇


 リディアは、じっとライネルを見つめていた。

 彼は、王妃の寝台のそばに立ち、静かに目を閉じる。
 次の瞬間、彼の周囲の空気がわずかに冷えた。

——氷の魔力が満ち始める。

 リディアは、彼が氷魔法の使い手として優れていることは知っていた。
 しかし、それを間近で見るのは初めてだった。

 彼の指先がゆっくりと動くと、王妃の大腿部と胸元、つまり腫瘍があると思われる部位の上に、淡い氷の層が展開された。

(——ここまでは普通の氷魔法。)

 リディアは、慎重にその様子を観察する。

 次の瞬間——。

「“転熱冷却ヒート・ディフュージョン”」

 ライネルが詠唱を唱えた瞬間、氷の層が輝いた。

——「冷却」と「温熱」の同時作用。

 それが、今、目の前で起こった。

「……!」

 リディアは、驚きを隠せなかった。

 王妃の患部の温度は、確実に下がっている。
 しかし、その冷気の“余剰熱”が、王妃の健康な部分——腕や脚の末端に送られ、ほんのりと温められている。

(すごい……!)

 単なる冷却ではなく、体全体のバランスを調整しながら治療が行われている。
氷魔法の負担を最小限に抑えた、新たな魔法の形。

「……成功か?」

 ライネルが静かに問いかける。

 リディアは、王妃の様子を確認する。

 彼女の呼吸は、先ほどよりも穏やかになっていた。
顔色も、わずかにではあるが、改善している。

 そして——王妃が、ゆっくりと目を開いた。

「ああ……とても気分が良くなってきたわ。」

 柔らかな微笑みが、王妃の唇に浮かぶ。

「ありがとう、ライネルさん。」

 その言葉を聞いた瞬間、ライネルの目がわずかに見開かれた。

 一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに淡々とした表情に戻る。

「……当然のことをしたまでです。」

 だが、リディアは気づいていた。

 彼の指先が、わずかに震えていることを。

(……嬉しかったんだ。)

 白銀級冒険者として数々の戦場を経験してきたライネル。

 彼が、自身の誇りである氷魔法を治療という形で使い、自分にしか出来ない形で誰かを救うことは、これが初めてなのだろう。

 リディアは、そんな彼の姿をじっと見つめた。

 すると——。


「やるじゃねぇか、ライネル・フロスト。」


 そう言ったのは、迅だった。

 彼は満足げに微笑みながら、ライネルの肩を軽く叩いた。

 その瞬間——ライネルの顔に、一瞬だけ動揺が走った。

(……?)

 リディアは、彼の視線が僅かに彷徨うのを見た。

 彼の頬に、わずかに赤みが差しているように見えるのは気のせいだろうか。

 ライネルはすぐに視線を逸らし、そっけなく答えた。


「フン……当然だ。」


——その時だった。

「……勇者様! ライネルさん! ありがとうございます!!」

突然、フィリオスが声を上げ、深々と頭を下げた。

「母上が、こんなに穏やかに微笑まれたのは……本当に久しぶりです。」

 彼の瞳は潤んでいた。

 その純粋な感謝の気持ちに、リディアは胸が温かくなるのを感じる。

 迅は微笑んだ。

「まだ治療が終わったわけじゃねぇ。ここからが本番だぜ。」

「はい……でも、僕、勇者様とライネルさん、リディアさんに出会えて、本当に良かったです。」

 フィリオスは、まっすぐな瞳でライネルを見つめた。

「ライネルさん、本当に……ありがとうございました。」

 ライネルは、言葉に詰まった。

「……いえ、殿下。僕は……」

「母上を救ってくださったのは事実です。」

 フィリオスは、純粋にそう言った。

 その言葉に、ライネルは口を開きかけて、結局何も言わなかった。

 やがて、静かに息を吐くと、目を伏せ、短く答えた。

「……当然のことをしたまでですよ。」

 それは、彼の精一杯の照れ隠しだった。

リディアはその様子を見ながら、心の中でくすりと笑った。

 王妃の病室に、静かな安堵が広がる。

 
 ◇◆◇


──ライネルは、今さっきの出来事を反芻していた。

『やるじゃねぇか、ライネル・フロスト。』

 格上の存在と思っていた勇者・九条迅の口から飛び出した、自分を認める言葉。そして笑顔。

 彼はリディアという自分の"推し"の想い人(暫定)
いつか打ち勝たねばならない相手……のはず。

 しかし、自分はあの時間違いなく、九条迅に"認められた"事に、得も言われぬ高揚感を感じてしまった。

 同時に思い出されるのは、九条迅に尊敬の眼差しを向け、側に控える"王命独行"の剣士、カリム・ヴェルトールの姿。

 初めて見た時は"勇者という権威に尻尾を振る男"と軽蔑に似た視線を向けていた。

 しかし、今思えば、彼は心からこの男・九条迅くじょうじんを慕っていたのだろう。


 無意識のうちに唇を引き結び、誰にも聞こえないように呟いた。


(……カリム・ヴェルトール。君の気持ちが……少し分かってしまったかもしれない。)
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