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第132話 滅びの胎動——壊劫の双極、目覚める
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静寂の中、遺跡の奥へと続く巨大な扉がゆっくりと開いていく。
その先には冷たい空気が満ち、ほのかに青白い光が揺らめいていた。
グリフとグラムは、戦慄を覚えながらも、震える足を前へ進める。
彼らの横では、ルクレウスが軽やかな足取りで扉の向こうへと踏み込んでいた。
「……さて、いよいよ核心に迫るね」
金色の髪を優雅に揺らしながら、ルクレウスは微笑んだ。
まるで、宝箱を開ける子供のような興奮に満ちた目をしている。
グリフは、それを見ながら喉の奥が引きつるのを感じた。
この王子は、恐怖を感じていないのか。
ここに至るまでに何人も死んだ。
けれど、彼にとってはそれすらも“些細なこと”なのだろう。
「……なあ、殿下」
隣で歩くグラムが、意を決したように口を開いた。
「そろそろ聞かせてもらってもいいか?」
「ん? 何を?」
ルクレウスは首を傾げたが、その表情には“答える準備はできている”という余裕が見て取れた。
グリフは槍を握りしめると、低く問う。
「“壊劫の双極”とは一体何なんだ?」
ルクレウスは、その言葉を待っていたかのように微笑んだ。
「……いいよ。君たちはもう僕と運命共同体だからね」
彼は軽やかに回れ右をし、二人を見据える。
「君たち、“聖煌遺跡《ゾディアック・ルインズ》”って聞いたことある?」
グリフとグラムは、一瞬言葉に詰まる。
数々の冒険をこなしてきた白銀級冒険者である彼等双子でも、聞いた事の無い響きだ。
「……“ゾディアック”……ですか?」
グリフが反復すると、ルクレウスは満足げに頷く。
「そう、それこそがこの遺跡群の本当の名前さ。
僕らノーザリア王家に伝わる、最高機密の一つなんだよ」
最高機密。
その単語の重みが、双子の胸を圧迫する。
「気にはなってたんだけどね、ずっと封印を解く手段が分からなくてさ。
でも、今回の件で“勇者クン”たちが魔王軍と戦ってくれたおかげで、封印が弱まった。今は絶好のチャンスってわけ」
彼は優雅に手をひらひらと振る。
「ほら、彼らと"銀嶺の誓い"が”魔王軍の幹部たち”とここで戦ってくれたでしょ?
その時に魔王軍の連中がやろうとしてた封印解除の仕組みを、少し解析させてもらって……ね?」
「……つまり」
グラムが奥歯を噛みしめる。
「……俺たちが今ここにいられるのは、"銀嶺の誓い"や勇者どものおかげってことか?」
ルクレウスはくすくすと笑った。
「そういうこと。なんだか皮肉だよねぇ?」
グリフは拳を握りしめた。
(……じゃあ、あいつらが戦ってなければ、この封印は解けることはなかった……?)
「おっと、話を戻そうか」
ルクレウスが指を立て、楽しげに続ける。
「“聖煌遺跡《ゾディアック・ルインズ》“は、かつての神代の時代に創られた12の遺跡。
ここに眠るのは、その中でも特に恐れられた“力”さ」
「恐れられた……?」
「そう」
ルクレウスの金色の瞳が、微かに光を宿した。
「創造を司る六つの遺産"大陽六宮《たいようりっきゅう》"に対し、ここは、“大陰六宮《たいいんりっきゅう》“と呼ばれている。
つまり、“破壊を司る”六つの遺産が眠る遺跡だよ」
「……破壊を司る……!?」
双子の血の気が引いた。
「そんなものを目覚めさせて、本当に大丈夫なのか……?」
「うーん、大丈夫かどうかは分からないけど——」
ルクレウスは、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「“力”っていうのはね、結局、誰がどう使うかが大事なんだよ」
グリフとグラムは、戦慄しながら彼を見つめた。
「……まさか、殿下。ここに眠る”破壊の力”を……」
ルクレウスは楽しげに微笑みながら、足を進める。
「もしここに”破壊”の力があるならさ」
——彼は振り返り、紺色の瞳を細めた。
「僕がそれを使い、世界の敵を破壊すればいいだけの話じゃない?」
その瞬間、グリフとグラムの背筋が凍りついた。
彼の言葉は、まるで何の躊躇いもない。
そこにあるのは、迷いも、恐怖も、疑念もない。
(……こいつ、本気で”破壊”の力を手にしようとしている……!)
双子は、その場の空気が異様に重くなったことに気づいた。
まるで、今この遺跡そのものが彼の言葉に呼応するかのように——。
「さあ、行こうか」
ルクレウスは、心の底から楽しそうに、足を進める。
扉の奥、彼らを待つ”何か”が、眠りから目を覚まそうとしていた——。
◇◆◇
遺跡の奥へと踏み入った瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの石造りの古めかしい廊下とは一転、ここはまるで別世界のようだった。
壁一面に広がる滑らかな黒曜石のような材質のパネル。
薄暗い空間に不気味な青白い光が点滅し、天井には細かい魔法文字が浮かび上がっている。
それはまるで——。
「……“研究室”みてぇだな」
グリフが低く呟く。
「……研究室?」
グラムが訝しげに辺りを見回す。
「なんだよ、これ……こんな場所、遺跡の中にあるもんか?」
「俺たちの知る遺跡とは……まるで違うな」
壁に埋め込まれた奇妙な装置、微かに光る魔法陣、そして、中央に鎮座する二つの巨大な水槽——。
「おお……これは……!」
ルクレウスは歓喜の声を漏らしながら、その水槽へと駆け寄った。
双子も、遅れて足を向ける。
水槽の表面は透明な魔力結晶のような材質でできており、その中には不気味なほど静かな魔力の液体が満たされていた。
だが、それよりも彼らの視線を引きつけたのは——その内部に浮かぶ“何か”だった。
「……な、なんだ……これ……?」
グラムの声が震える。
水槽の中には、巨大な卵のようなものが二つ。
だが、それは鳥の卵のように殻に覆われたものではなかった。
透き通る薄い膜に包まれた、どこか生物的な形状。
膜の中で、何かがゆっくりと鼓動しているように見えた。
「……卵……? いや……生き物……か?」
グリフが眉をひそめる。
それは、ただの卵ではなかった。
内部には、確かに“何か”がいる。
未完成な肉体。
だが、脈を打つその姿は、今まさに誕生を待っているかのようだった。
「……おい、殿下」
グリフが慎重に問いかける。
「こいつら……まさか……?」
ルクレウスは微笑んだまま、ガラスに手を当てた。
その紺色の瞳は、まるで神聖なものを拝むように輝いている。
「すごい……これは間違いない……!」
「おい、何が“間違いない”んだよ!?」
「彼らだよ。“壊劫《かいごう》の双極《そうきょく》”」
彼は静かに呟いた。
「——もうすぐ、目覚める」
——ザァァァァ……
不気味な音が遺跡の中に響く。
双子は、思わず足を一歩後ろへ引いた。
先ほどの“供物”を捧げた魔法陣。
その中心から、淡い光の筋が遺跡の床を伝い、ゆっくりと水槽へと流れ込んでいく。
その光は、生贄として捧げられた二人の魔法士の“命”の残滓——。
それが、水槽の内部へと注がれていく。
「……おい、これ……」
グリフが低く呟く。
グラムも息を呑んだ。
「……まさか、生贄を……こいつらに……?」
次の瞬間——。
ドクンッ……
水槽の中で、“卵”が大きく脈打った。
「……ッ!!?」
双子は思わず身構える。
卵の表面に無数の細かなヒビが入る。
内部の魔力が暴走するように、液体が激しく渦を巻き始めた。
「……お、おい、これ、まずいんじゃないのか……?」
グリフが不安げに言う。
グラムも冷や汗を滲ませながら、ゆっくりと後ずさる。
だが——ただ一人、ルクレウスだけは、まるで子供のように目を輝かせた。
「はは……やっぱり、すごい……!」
その瞬間——
——バキィィンッ!!!
二つの水槽のガラスが同時に砕け散った。
「っ!? 伏せろ!!」
グリフが叫ぶと同時に、砕けた魔力の破片が周囲に飛び散る。
激しい魔力の奔流が空間を包み込み、双子は反射的に顔を覆った。
そして、爆発的な閃光が遺跡全体を飲み込んだ——。
◇◆◇
——沈黙。
それまで荒れ狂っていた魔力の奔流が、まるで嵐の目に入ったかのように、突如としてぴたりと収束した。
空間が凍りつくような静寂。
魔力の残響が消えた瞬間、ルクレウスはゆっくりと目を開けた。
何が起きたのかを確かめようと、彼は周囲を見回す——
しかし。
目に飛び込んできたのは、理解の及ばぬ“異様な光景”だった。
「……な……っ?」
ルクレウスの背筋を、冷たい何かが這い上がる。
彼の視界の片隅——
そこには、血の滴る“下半身”だけが転がっていた。
グリフの下半身だった。
切断されたわけではない。
爆発したわけでもない。
まるでそこから上が、まるごと「喰われた」かのように、綺麗になくなっていた。
皮膚が引き裂かれ、骨ごとごっそりと消失し、無残に転がる下半身。
まだ微かに痙攣する足が、惨状の生々しさを際立たせている。
赤黒い血が床に広がり、ゆっくりと広がっていく。
「……あ、が……?」
どこか遠い世界の出来事のように、グラムの喉から意味を成さない声が漏れた。
「……兄……ちゃん……?」
グラムの目が、ゆっくりと恐怖に染まる。
違う。
おかしい。
何が起きた?
なぜ、こうなった?
理解が、追いつかない。
——そして。
次の瞬間。
「ッ……!!?」
グラムの首元に、何かが突き刺さった。
それは——まるで昆虫の口吻のような、異様に細長く鋭い“針”だった。
——ズルリ。
肉の間に侵入する感触が、グラムの全身を総毛立たせた。
「や……め……っ……!」
全身が金縛りにあったかのように硬直する。
喉がひゅっと鳴り、指先から力が抜けていく。
ジュウウウウウウ……
体が干からびていく。
皮膚の下を、血が逆流していくような感覚。
体の芯から、何かが急速に吸い取られていく感触。
命そのものが、根こそぎ引き抜かれるような、底知れぬ恐怖。
「ぁ……ぁぁ……」
視界が滲み、手の感覚がなくなっていく。
皮膚が萎縮し、細胞が干からび、組織が崩壊していく。
その過程を、自分の意識がゆっくりと追っていた。
「いや……だ……!」
震える唇から、最後の抵抗が漏れた。
しかし——
彼の”全て”は、完全に吸い尽くされた。
床に残ったのは、装備だけだった。
グラムの肉体は、跡形もなく消滅した。
——消えた。
彼の記憶も、感情も、存在そのものも。
そこにいたはずの彼は、ただの“過去”になった。
⸻
「………………」
静寂。
何も言えない。
何も、動けない。
ルクレウスの胸の奥が、何か冷たいもので満たされていく。
目の前には——。
二匹の“異形”が立っていた。
一匹目。
その姿は、蝗と竜を掛け合わせたかのような異形の化物だった。
巨大な複眼が鈍く光を放ち、長く鋭い顎がカチカチと音を鳴らしている。
黒い鱗の間からは、血と臓物の匂いを漂わせながら、虫のような細長い手足が蠢いている。
背には、黄金色の羽がひしめき合い、時折小刻みに震えていた。
——その口元には、まだ喰い終えていない“グリフの腕”がぶら下がっていた。
二匹目。
その姿は、蚊と竜を掛け合わせたかのような異形の怪物だった。
鋭く伸びた針のような口吻が、淡く赤黒い光を放ち、ゆっくりと蠢く。
背中には、漆黒の膜のような翼が広がり、尻尾のように伸びた長い触手の先には、さきほどグラムを突き刺した“針”がついていた。
その針は、まるで生命を吸い尽くした余韻を楽しむかのように、ゆっくりと螺旋を描きながら揺れていた。
この場にいた兵士たちは、すでに絶望の色に染まっていた。
「な……なに……これ……?」
「ば、化け物……」
「ち、近づくな……!」
誰かが呆けた声を漏らし、誰かが逃げようと後ずさる。
だが——。
次の瞬間、蝗の化物がカチリと顎を鳴らす。
——その瞬間、何かが弾けた。
血の雨。
断末魔の叫び。
兵士たちが、四方八方へと吹き飛ばされる。
「ぎゃああああ!!」
「助け——」
悲鳴すら途中で途切れ、地面に叩きつけられる者。
身体の半分を喰われたまま、悶えながら絶命する者。
触手に絡め取られ、干からびた肉片と化す者。
数秒。
わずか数秒で、配下の兵士たちは、半数が食い荒らされ、半数が吸い尽くされて消えた。
その惨状を、ルクレウスは呆然と見つめることしかできなかった。
(──この……圧倒的なまでの”災厄”は……!!)
彼は、震える指を無意識に握りしめた。
その時だった。
二匹の異形は、ルクレウスを見た。
そして、ゆっくりと形を変えていく。
筋肉が蠢き、鱗が歪み、関節が軋みながらねじれる。
まるで人間に近づこうとしているかのように——
やがて、彼らの前に立っていたのは“二匹の人型の魔物”だった。
身長は3メートルほど。
長い手足は不気味に細く、節くれだった黒い皮膚に覆われている。
頭部は昆虫の特徴を残しながらも、人の顔のように見えなくもない異形の形状。
そんな彼らのうち、蚊のような姿をしていた方が、口を開いた。
「……我ら兄弟を目覚めさせたのは、お前か?」
その声は、人間のものに近かった。
低く、響くような、不気味な声。
ルクレウスの背中を、一筋の汗が流れた。
彼は、それでも笑みを作りながら、小さく呟く。
「……これが、“壊劫の双極”……!」
その瞳が、狂気と歓喜に染まる。
「……"蝗竜アポリオン"と——」
「……"蚊竜ムスティガ"の……
───滅びの双子……!」
目の前の“絶望”を見つめながら、彼は静かに笑みを深めた——。
その先には冷たい空気が満ち、ほのかに青白い光が揺らめいていた。
グリフとグラムは、戦慄を覚えながらも、震える足を前へ進める。
彼らの横では、ルクレウスが軽やかな足取りで扉の向こうへと踏み込んでいた。
「……さて、いよいよ核心に迫るね」
金色の髪を優雅に揺らしながら、ルクレウスは微笑んだ。
まるで、宝箱を開ける子供のような興奮に満ちた目をしている。
グリフは、それを見ながら喉の奥が引きつるのを感じた。
この王子は、恐怖を感じていないのか。
ここに至るまでに何人も死んだ。
けれど、彼にとってはそれすらも“些細なこと”なのだろう。
「……なあ、殿下」
隣で歩くグラムが、意を決したように口を開いた。
「そろそろ聞かせてもらってもいいか?」
「ん? 何を?」
ルクレウスは首を傾げたが、その表情には“答える準備はできている”という余裕が見て取れた。
グリフは槍を握りしめると、低く問う。
「“壊劫の双極”とは一体何なんだ?」
ルクレウスは、その言葉を待っていたかのように微笑んだ。
「……いいよ。君たちはもう僕と運命共同体だからね」
彼は軽やかに回れ右をし、二人を見据える。
「君たち、“聖煌遺跡《ゾディアック・ルインズ》”って聞いたことある?」
グリフとグラムは、一瞬言葉に詰まる。
数々の冒険をこなしてきた白銀級冒険者である彼等双子でも、聞いた事の無い響きだ。
「……“ゾディアック”……ですか?」
グリフが反復すると、ルクレウスは満足げに頷く。
「そう、それこそがこの遺跡群の本当の名前さ。
僕らノーザリア王家に伝わる、最高機密の一つなんだよ」
最高機密。
その単語の重みが、双子の胸を圧迫する。
「気にはなってたんだけどね、ずっと封印を解く手段が分からなくてさ。
でも、今回の件で“勇者クン”たちが魔王軍と戦ってくれたおかげで、封印が弱まった。今は絶好のチャンスってわけ」
彼は優雅に手をひらひらと振る。
「ほら、彼らと"銀嶺の誓い"が”魔王軍の幹部たち”とここで戦ってくれたでしょ?
その時に魔王軍の連中がやろうとしてた封印解除の仕組みを、少し解析させてもらって……ね?」
「……つまり」
グラムが奥歯を噛みしめる。
「……俺たちが今ここにいられるのは、"銀嶺の誓い"や勇者どものおかげってことか?」
ルクレウスはくすくすと笑った。
「そういうこと。なんだか皮肉だよねぇ?」
グリフは拳を握りしめた。
(……じゃあ、あいつらが戦ってなければ、この封印は解けることはなかった……?)
「おっと、話を戻そうか」
ルクレウスが指を立て、楽しげに続ける。
「“聖煌遺跡《ゾディアック・ルインズ》“は、かつての神代の時代に創られた12の遺跡。
ここに眠るのは、その中でも特に恐れられた“力”さ」
「恐れられた……?」
「そう」
ルクレウスの金色の瞳が、微かに光を宿した。
「創造を司る六つの遺産"大陽六宮《たいようりっきゅう》"に対し、ここは、“大陰六宮《たいいんりっきゅう》“と呼ばれている。
つまり、“破壊を司る”六つの遺産が眠る遺跡だよ」
「……破壊を司る……!?」
双子の血の気が引いた。
「そんなものを目覚めさせて、本当に大丈夫なのか……?」
「うーん、大丈夫かどうかは分からないけど——」
ルクレウスは、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「“力”っていうのはね、結局、誰がどう使うかが大事なんだよ」
グリフとグラムは、戦慄しながら彼を見つめた。
「……まさか、殿下。ここに眠る”破壊の力”を……」
ルクレウスは楽しげに微笑みながら、足を進める。
「もしここに”破壊”の力があるならさ」
——彼は振り返り、紺色の瞳を細めた。
「僕がそれを使い、世界の敵を破壊すればいいだけの話じゃない?」
その瞬間、グリフとグラムの背筋が凍りついた。
彼の言葉は、まるで何の躊躇いもない。
そこにあるのは、迷いも、恐怖も、疑念もない。
(……こいつ、本気で”破壊”の力を手にしようとしている……!)
双子は、その場の空気が異様に重くなったことに気づいた。
まるで、今この遺跡そのものが彼の言葉に呼応するかのように——。
「さあ、行こうか」
ルクレウスは、心の底から楽しそうに、足を進める。
扉の奥、彼らを待つ”何か”が、眠りから目を覚まそうとしていた——。
◇◆◇
遺跡の奥へと踏み入った瞬間、空気が変わった。
先ほどまでの石造りの古めかしい廊下とは一転、ここはまるで別世界のようだった。
壁一面に広がる滑らかな黒曜石のような材質のパネル。
薄暗い空間に不気味な青白い光が点滅し、天井には細かい魔法文字が浮かび上がっている。
それはまるで——。
「……“研究室”みてぇだな」
グリフが低く呟く。
「……研究室?」
グラムが訝しげに辺りを見回す。
「なんだよ、これ……こんな場所、遺跡の中にあるもんか?」
「俺たちの知る遺跡とは……まるで違うな」
壁に埋め込まれた奇妙な装置、微かに光る魔法陣、そして、中央に鎮座する二つの巨大な水槽——。
「おお……これは……!」
ルクレウスは歓喜の声を漏らしながら、その水槽へと駆け寄った。
双子も、遅れて足を向ける。
水槽の表面は透明な魔力結晶のような材質でできており、その中には不気味なほど静かな魔力の液体が満たされていた。
だが、それよりも彼らの視線を引きつけたのは——その内部に浮かぶ“何か”だった。
「……な、なんだ……これ……?」
グラムの声が震える。
水槽の中には、巨大な卵のようなものが二つ。
だが、それは鳥の卵のように殻に覆われたものではなかった。
透き通る薄い膜に包まれた、どこか生物的な形状。
膜の中で、何かがゆっくりと鼓動しているように見えた。
「……卵……? いや……生き物……か?」
グリフが眉をひそめる。
それは、ただの卵ではなかった。
内部には、確かに“何か”がいる。
未完成な肉体。
だが、脈を打つその姿は、今まさに誕生を待っているかのようだった。
「……おい、殿下」
グリフが慎重に問いかける。
「こいつら……まさか……?」
ルクレウスは微笑んだまま、ガラスに手を当てた。
その紺色の瞳は、まるで神聖なものを拝むように輝いている。
「すごい……これは間違いない……!」
「おい、何が“間違いない”んだよ!?」
「彼らだよ。“壊劫《かいごう》の双極《そうきょく》”」
彼は静かに呟いた。
「——もうすぐ、目覚める」
——ザァァァァ……
不気味な音が遺跡の中に響く。
双子は、思わず足を一歩後ろへ引いた。
先ほどの“供物”を捧げた魔法陣。
その中心から、淡い光の筋が遺跡の床を伝い、ゆっくりと水槽へと流れ込んでいく。
その光は、生贄として捧げられた二人の魔法士の“命”の残滓——。
それが、水槽の内部へと注がれていく。
「……おい、これ……」
グリフが低く呟く。
グラムも息を呑んだ。
「……まさか、生贄を……こいつらに……?」
次の瞬間——。
ドクンッ……
水槽の中で、“卵”が大きく脈打った。
「……ッ!!?」
双子は思わず身構える。
卵の表面に無数の細かなヒビが入る。
内部の魔力が暴走するように、液体が激しく渦を巻き始めた。
「……お、おい、これ、まずいんじゃないのか……?」
グリフが不安げに言う。
グラムも冷や汗を滲ませながら、ゆっくりと後ずさる。
だが——ただ一人、ルクレウスだけは、まるで子供のように目を輝かせた。
「はは……やっぱり、すごい……!」
その瞬間——
——バキィィンッ!!!
二つの水槽のガラスが同時に砕け散った。
「っ!? 伏せろ!!」
グリフが叫ぶと同時に、砕けた魔力の破片が周囲に飛び散る。
激しい魔力の奔流が空間を包み込み、双子は反射的に顔を覆った。
そして、爆発的な閃光が遺跡全体を飲み込んだ——。
◇◆◇
——沈黙。
それまで荒れ狂っていた魔力の奔流が、まるで嵐の目に入ったかのように、突如としてぴたりと収束した。
空間が凍りつくような静寂。
魔力の残響が消えた瞬間、ルクレウスはゆっくりと目を開けた。
何が起きたのかを確かめようと、彼は周囲を見回す——
しかし。
目に飛び込んできたのは、理解の及ばぬ“異様な光景”だった。
「……な……っ?」
ルクレウスの背筋を、冷たい何かが這い上がる。
彼の視界の片隅——
そこには、血の滴る“下半身”だけが転がっていた。
グリフの下半身だった。
切断されたわけではない。
爆発したわけでもない。
まるでそこから上が、まるごと「喰われた」かのように、綺麗になくなっていた。
皮膚が引き裂かれ、骨ごとごっそりと消失し、無残に転がる下半身。
まだ微かに痙攣する足が、惨状の生々しさを際立たせている。
赤黒い血が床に広がり、ゆっくりと広がっていく。
「……あ、が……?」
どこか遠い世界の出来事のように、グラムの喉から意味を成さない声が漏れた。
「……兄……ちゃん……?」
グラムの目が、ゆっくりと恐怖に染まる。
違う。
おかしい。
何が起きた?
なぜ、こうなった?
理解が、追いつかない。
——そして。
次の瞬間。
「ッ……!!?」
グラムの首元に、何かが突き刺さった。
それは——まるで昆虫の口吻のような、異様に細長く鋭い“針”だった。
——ズルリ。
肉の間に侵入する感触が、グラムの全身を総毛立たせた。
「や……め……っ……!」
全身が金縛りにあったかのように硬直する。
喉がひゅっと鳴り、指先から力が抜けていく。
ジュウウウウウウ……
体が干からびていく。
皮膚の下を、血が逆流していくような感覚。
体の芯から、何かが急速に吸い取られていく感触。
命そのものが、根こそぎ引き抜かれるような、底知れぬ恐怖。
「ぁ……ぁぁ……」
視界が滲み、手の感覚がなくなっていく。
皮膚が萎縮し、細胞が干からび、組織が崩壊していく。
その過程を、自分の意識がゆっくりと追っていた。
「いや……だ……!」
震える唇から、最後の抵抗が漏れた。
しかし——
彼の”全て”は、完全に吸い尽くされた。
床に残ったのは、装備だけだった。
グラムの肉体は、跡形もなく消滅した。
——消えた。
彼の記憶も、感情も、存在そのものも。
そこにいたはずの彼は、ただの“過去”になった。
⸻
「………………」
静寂。
何も言えない。
何も、動けない。
ルクレウスの胸の奥が、何か冷たいもので満たされていく。
目の前には——。
二匹の“異形”が立っていた。
一匹目。
その姿は、蝗と竜を掛け合わせたかのような異形の化物だった。
巨大な複眼が鈍く光を放ち、長く鋭い顎がカチカチと音を鳴らしている。
黒い鱗の間からは、血と臓物の匂いを漂わせながら、虫のような細長い手足が蠢いている。
背には、黄金色の羽がひしめき合い、時折小刻みに震えていた。
——その口元には、まだ喰い終えていない“グリフの腕”がぶら下がっていた。
二匹目。
その姿は、蚊と竜を掛け合わせたかのような異形の怪物だった。
鋭く伸びた針のような口吻が、淡く赤黒い光を放ち、ゆっくりと蠢く。
背中には、漆黒の膜のような翼が広がり、尻尾のように伸びた長い触手の先には、さきほどグラムを突き刺した“針”がついていた。
その針は、まるで生命を吸い尽くした余韻を楽しむかのように、ゆっくりと螺旋を描きながら揺れていた。
この場にいた兵士たちは、すでに絶望の色に染まっていた。
「な……なに……これ……?」
「ば、化け物……」
「ち、近づくな……!」
誰かが呆けた声を漏らし、誰かが逃げようと後ずさる。
だが——。
次の瞬間、蝗の化物がカチリと顎を鳴らす。
——その瞬間、何かが弾けた。
血の雨。
断末魔の叫び。
兵士たちが、四方八方へと吹き飛ばされる。
「ぎゃああああ!!」
「助け——」
悲鳴すら途中で途切れ、地面に叩きつけられる者。
身体の半分を喰われたまま、悶えながら絶命する者。
触手に絡め取られ、干からびた肉片と化す者。
数秒。
わずか数秒で、配下の兵士たちは、半数が食い荒らされ、半数が吸い尽くされて消えた。
その惨状を、ルクレウスは呆然と見つめることしかできなかった。
(──この……圧倒的なまでの”災厄”は……!!)
彼は、震える指を無意識に握りしめた。
その時だった。
二匹の異形は、ルクレウスを見た。
そして、ゆっくりと形を変えていく。
筋肉が蠢き、鱗が歪み、関節が軋みながらねじれる。
まるで人間に近づこうとしているかのように——
やがて、彼らの前に立っていたのは“二匹の人型の魔物”だった。
身長は3メートルほど。
長い手足は不気味に細く、節くれだった黒い皮膚に覆われている。
頭部は昆虫の特徴を残しながらも、人の顔のように見えなくもない異形の形状。
そんな彼らのうち、蚊のような姿をしていた方が、口を開いた。
「……我ら兄弟を目覚めさせたのは、お前か?」
その声は、人間のものに近かった。
低く、響くような、不気味な声。
ルクレウスの背中を、一筋の汗が流れた。
彼は、それでも笑みを作りながら、小さく呟く。
「……これが、“壊劫の双極”……!」
その瞳が、狂気と歓喜に染まる。
「……"蝗竜アポリオン"と——」
「……"蚊竜ムスティガ"の……
───滅びの双子……!」
目の前の“絶望”を見つめながら、彼は静かに笑みを深めた——。
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◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
スキル『レベル1固定』は最強チートだけど、俺はステータスウィンドウで無双する
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