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第134話 科学と魔法の交差点——雷禍の目覚め
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研究室の黒板には、見慣れない図が描かれていた。
円がいくつも重なったその図形は、まるで魔法陣のようにも見えるが、そこに刻まれているのは「細胞」や「原子」といった、魔法とは無縁の概念だった。
「——というわけで、生物ってのは“細胞”っていう小さな単位でできてて、さらにその細胞は“原子”っていう粒子の集合体なんだよな」
黒板の前に立つ九条迅は、手にしたチョークで器用に細胞の構造を書き足しながら、講義を続けていた。
「つまり、俺たちの身体は魔力の器とかじゃなくて、こういう物理的な構造の集合体ってわけだ」
研究机の向かい側では、リディアが興味津々にノートを取りながら、時折うなずく。
「……原子、ねぇ。そんな小さなものが集まって、私たちは形作られてるのね」
「そうそう。で、その細胞の中にはDNAっていう遺伝情報を持った物質があって——」
「むっ、もう分からん!」
突然、カリムが声を張り上げ、椅子を少し引いた。
「はえぇな!? 俺まだイントロしか話してねぇぞ!?」
迅はツッコミを入れつつ、チョークを指でくるくると回す。
「お前な、戦場ならともかく、こういう話くらい最後まで聞けよ!」
「すまん、勇者殿。私は剣には自信があるが、学問にはあまり縁がなくてな……。理解が追いつかぬ」
カリムは腕を組み、眉を寄せながら黒板を見つめる。表情から察するに、すでに情報過多の様子だ。
「まあ、科学の話だからな。今までの魔法理論とはだいぶ違うし、混乱するのも分かるけど……」
リディアは苦笑しながらも、まだまだノートに書き込む手を止める気はないらしい。
「でも、これってすごく面白い話だと思うわ。私たちは魔力を操ることに慣れすぎてるけど、迅の考え方は全然違うものね」
「まあな。俺は元の世界じゃ、こういうことを学んでたからな」
迅が軽く肩をすくめたその時、カリムが思案顔で口を開いた。
「つまり……人間の体というのは、魂の器などではなく、細胞とやらが組み合わさって存在している、ということか?」
「まあ、そういうことになるな」
迅が頷くと、カリムは腕を組んだまま少し俯いた。
「……ならば、科学を利用すれば、“身体そのもの”を別の物質に変えることはできるのか?」
その一言に、部屋の空気が一瞬止まる。
「……は?」
リディアが手を止め、迅もまたチョークを回していた指を止める。
「お前、何を言って——」
しかし、カリムは真剣な眼差しのまま、さらに続けた。
「私が戦った“血鉄のタロス”を覚えているか?」
カリムがふと呟くように言った。
その名を聞いて、迅とリディアは一瞬、視線を交わした。
「……ああ、魔王軍の幹部で、全身を鋼鉄のように変えていたっていう……」
「確か、アークの“錬成魔導工学”の技術で、“鉄血核《ブリード・セル》”とかいうものを使ってたんだっけ?」
迅が思い出すように口にすると、カリムは静かに頷いた。
だが、その仕草にはどこか、戦士の本能が疼くような感覚が宿っていた。
「そうだ。あれは——単なる装甲ではない」
カリムは腕を組み、ゆっくりと息を吐いた。その表情は、戦場の記憶を辿るように引き締まっている。
「奴は、自らの肉体を完全に鋼鉄へと変えていた。ミィシャ殿の拳も、ほとんど通じなかったと聞く。並の兵では、あの巨体に手を触れることすら叶わぬだろう」
言葉の端々に、あの戦いの重みが滲んでいた。
「鋼鉄に変わったからといって、こちらの刃が通らぬわけではない。だが、あの異様な硬度と頑丈さは、常識を超えていた。私の斬撃をもってしても、一太刀では決着をつけることができなかったのだからな」
「カリムの剣で一太刀で仕留められない……?」
リディアが驚いたように目を見開く。彼女も知っている。カリム・ヴェルトールの剣の鋭さを。
一瞬の隙に踏み込み、一閃で相手を断つ神速の剣技。カリムが“一太刀で仕留めきれなかった”というだけで、その敵がどれほどの耐久力を誇っていたのかが伝わってくる。
「……けど、結局はお前が勝ったんだろ?」
迅がそう尋ねると、カリムは軽く顎を上げ、わずかに誇らしげな笑みを浮かべた。
「当然だ。勇者殿より"無傷で圧倒的に勝て"とのご命令を受けていたしな。」
カリムは淡々と続ける。
「いかに鋼鉄に変化しようと、その強度に見合う刃で切れば問題はない。ならば、私はそのまま斬るのみ——」
カリムはそう言うと、腰に差した剣の柄を軽く指で叩いた。
「私の剣もまた鋼鉄。ならば、鋼鉄同士の勝負となるだけの話だ」
「……いや、それおかしいからな?」
迅は眉をひそめ、思わずツッコミを入れた。
「相変わらず人間じゃねぇな、お前」
リディアも呆れたようにため息をつく。
「普通、鋼鉄の体になった相手を“ならば鋼鉄で切れば問題ない”なんて言わないわよ……」
「む? では、どうするべきだったのだ?」
カリムが真顔で問い返す。
「うーん、普通は“鋼鉄の相手にダメージを与える他の手段”を考えるしか無いんだよ……それを当然のように斬れるお前が異常なんだよ!」
「“鋼鉄の相手にダメージを与える手段”とは即ち"鋼鉄を切り裂く斬撃を加える"しかるあるまい。」
「だから!その解決法はお前しか出来ねぇんだよ!!」
迅が全力でツッコミを入れるが、カリムは至って真剣だ。
そして——そのまま、カリムは続けた。
「私だからこそ打ち倒す事こそ出来たが、あれは強力な防御手段になりうるものだった。もし科学を利用することで、一般の兵士や魔法士達にあれと同じ防御方法を授けることができるのなら——」
カリムの言葉が途切れ、部屋が一瞬静寂に包まれる。
「……待て待て」
迅が思わず手を振った。
「カリム、それはちょっと違うぞ。確かにタロスは体を鋼鉄に変えてたかもしれねぇけど、恐らくそれは“魔力を物質化”した結果であって、元々の身体を構成する原子を別のものに変えてるわけじゃねぇ」
「む? つまり、どういうことだ?」
カリムが首を傾げる。
「簡単に言えば、錬成魔導工学は“魔力”を使って物質を作り出してるだけで、根本的な“肉体の構造”を変えてるわけじゃないんだよ」
迅はチョークを回しながら、黒板の端に“魔力”と“物質”という二つの単語を書き込んだ。
「俺の推測だけど、アークの技術ってのは、おそらく魔力を“変換”してる。魔力を鋼鉄の性質を持った何かに変えて、身体を覆ってたんじゃないかってな」
「……ならば、もし"原子"とやらそのものを操作できるのなら、完全な変化も可能ではないのか?」
カリムはさらに踏み込んでくる。
「例えば——科学を利用し、"原子"の種類や結びつきを変えることで、自らの肉体を鋼鉄と同じ強度にすることは可能なのでは?」
「無理無理無理!!!」
迅は思わず両手を挙げた。
「お前な、原子ってのはそんな簡単に入れ替えられるもんじゃねぇ!もしそんなことができるなら、王国の騎士団全員が鋼鉄人間部隊になってるわ!」
「む……確かに」
カリムは少し不満そうに唸ったが、一応納得はしたようだった。
「でも、もし“生物の構造を根本から変化させる”ことができるなら……」
リディアがふと呟いた。
「細胞や原子レベルの魔法って、もしかして突飛な発想じゃないのかもしれないわね……」
彼女の言葉は、単なる思考の延長に過ぎなかった。何気なく発せられた一言。
だが、その一言が、九条迅の意識の奥深くで、何かを引き金にした。
チョークを持つ手が、止まる。
——何かが、閃いた。
(……待てよ?)
迅の指がピタリと止まる。
頭の中で、バラバラだった理論が一気に繋がる感覚。
脳内の電流が一気に駆け巡り、思考が研ぎ澄まされていく。
(原子の構造を変えられるなら……細胞レベルどころか、物質そのものを操作できるかもしれない)
原子は、陽子と中性子からなる原子核と、その周囲を取り巻く電子で構成されている。
この電子は、ただの粒子ではない。「スピン」という量子力学的な性質を持つ。
(自然界では、電子スピンは基本的に安定している……だが、特定のエネルギーを与えれば、このスピンの向きを変えることができる)
例えば、磁場を加えることで、電子スピンの状態を「上向き」や「下向き」に反転させることが可能だ。
この性質は、現代科学でも量子コンピューターやスピントロニクスの分野で研究されている。
(もし……もし魔法を利用して、この電子スピンを自在に制御できるようになったら?)
たとえば、ターゲットとなる物質に「特定の周波数の電磁波」を照射し、電子スピンの向きを強制的に揃えたとする。
これが成功すれば、原子核に蓄積されるエネルギー状態が変化し、物質の安定性が崩壊する可能性がある。
(……いや、それだけじゃない)
電子スピンに干渉することで、原子核を形成する陽子や中性子のバランスを狂わせれば、
核崩壊を引き起こせるかもしれない。
通常、核崩壊は放射性元素でしか発生しない。
だが、もし魔法で原子核の構造を変えられるなら
——どんな物質でも、意図的に崩壊させることが可能になる。
(……それができるなら、この魔法はただの攻撃手段じゃない)
この魔法が完成すれば、相手の魔力障壁や物理的防御を無視し、
敵の細胞そのものを、分子レベルで崩壊させることができる。
対象の肉体は、跡形もなく消滅する。
物質の「存在情報」そのものを無にする——
まるで世界のルールを書き換えるような力。
(……これは、“戦うための魔法”ではなく、“消すための魔法”だ)
想像しただけで、背筋に冷たいものが走る
迅は、無意識のうちに息を呑んでいた。
これは——危険すぎる。
こんなものが完成すれば、戦場の在り方が変わる。
単なる魔法でも、単なる科学でもない。
それは、存在そのものを根こそぎ抹消する“法則の改変”に等しい。
(……いや、待て。技術そのものに良い悪いはねぇ。悪用さえしなければ、問題は無い……!)
迅は、自分にそう言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐いた。
冷静になれ。これはただの理論だ。
危険な魔法を考案することと、それを実際に使うことは別の話だ。
だが、理性とは裏腹に、心の奥底で何かが疼いていた。
戦場に立つ以上、戦わなければならない相手がいる。
勝たなければならない敵がいる。
この世界に召喚されたばかりの頃の自分ならば、こんな考えはしなかったかもしれない。
だが、もう違う。
この世界で、彼は「戦わなければならない」と決めたのだから——。
そのために、この力を使うのなら——。
「……迅?」
不意に、リディアの声がした。
ハッとする。
気づけば、彼女が不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
「どうしたの? 急に黙り込んで……」
彼女の紫紺の眼が心配そうに揺れる。
(……しまった)
考え込んでいた時間は、一瞬だったのか、それとも長かったのか。
「……いや、なんでもない」
迅はいつもの調子で笑った。
肩の力を抜き、軽く首を振る。
あくまで何でもない風を装いながら、この場では深く考えないようにする。
「はぁ……。ならいいけど」
リディアは小さくため息をついた後、まだどこか納得がいかない様子で迅を見つめた。
(……気づかれたか?)
彼女は勘がいい。あまり余計なことを考えすぎると、鋭く指摘されそうだった。
「それより、カリムの突拍子もない発想に巻き込まれて、頭の回転が追いつかねぇよ……」
迅はわざと苦笑しながら、チョークを回す仕草をして見せた。
「それは私もよ。まさか“全身鋼鉄の戦士になれるか”なんて話になるとは思わなかったわ」
リディアも苦笑しながらノートを閉じる。
「……まぁ、お前らの発想力には驚かされるよ。つくづく」
「ふむ。私は至って普通の発想だと思うが?」
カリムは首を傾げながら、いまだに本気で考えているらしい。
「普通なわけあるか!」
迅がツッコミを入れると、研究室には笑いが広がった。
◇◆◇
だが——その夜。
迅は一人、研究室に残っていた。
月明かりが窓から差し込み、淡い光が机の上に落ちる。
いつもなら整理整頓されているはずの机の上には、黒板とは違う、手書きの魔法陣が広がっていた。
そこに描かれていたのは、通常の魔法陣とは異なる、不気味なまでに精密な構造だった。
小さな円が何重にも重なり、幾何学的な線が絡み合う。
その中心に記された言葉——
『"雷禍崩滅"』
迅は無言のまま、紙の上を指でなぞった。
この理論が、実際に魔法として完成すれば——
どんな敵でも、一瞬で消し去ることができる。
魔力を撃ち放つのではない。
対象の原子を直接崩壊させる。
この魔法に防御は存在しない。
物理的な壁も、魔法障壁も、すべて関係ない。
この魔法が発動すれば、対象は——
何も残さずに、消滅する。
魔王軍がどんな強固な守りを持っていようとも、関係ない。
この魔法なら、それを“無かったこと”にできる。
(……これは、果たして“力”なのか?)
ふと、脳裏に疑問がよぎる。
——これは、“戦うための魔法”ではなく、“滅ぼすための魔法”なのではないか?
掌の汗を感じる。
それでも、迅は計算を続けた。
研究は止められない。
なぜなら——
これは、“必要な魔法”なのだから。
“戦う”と決めた自分のために。
彼はペンを取り、再び計算式を書き始めた。
こうして、禁忌の魔法の最初の理論計算が始まった——。
円がいくつも重なったその図形は、まるで魔法陣のようにも見えるが、そこに刻まれているのは「細胞」や「原子」といった、魔法とは無縁の概念だった。
「——というわけで、生物ってのは“細胞”っていう小さな単位でできてて、さらにその細胞は“原子”っていう粒子の集合体なんだよな」
黒板の前に立つ九条迅は、手にしたチョークで器用に細胞の構造を書き足しながら、講義を続けていた。
「つまり、俺たちの身体は魔力の器とかじゃなくて、こういう物理的な構造の集合体ってわけだ」
研究机の向かい側では、リディアが興味津々にノートを取りながら、時折うなずく。
「……原子、ねぇ。そんな小さなものが集まって、私たちは形作られてるのね」
「そうそう。で、その細胞の中にはDNAっていう遺伝情報を持った物質があって——」
「むっ、もう分からん!」
突然、カリムが声を張り上げ、椅子を少し引いた。
「はえぇな!? 俺まだイントロしか話してねぇぞ!?」
迅はツッコミを入れつつ、チョークを指でくるくると回す。
「お前な、戦場ならともかく、こういう話くらい最後まで聞けよ!」
「すまん、勇者殿。私は剣には自信があるが、学問にはあまり縁がなくてな……。理解が追いつかぬ」
カリムは腕を組み、眉を寄せながら黒板を見つめる。表情から察するに、すでに情報過多の様子だ。
「まあ、科学の話だからな。今までの魔法理論とはだいぶ違うし、混乱するのも分かるけど……」
リディアは苦笑しながらも、まだまだノートに書き込む手を止める気はないらしい。
「でも、これってすごく面白い話だと思うわ。私たちは魔力を操ることに慣れすぎてるけど、迅の考え方は全然違うものね」
「まあな。俺は元の世界じゃ、こういうことを学んでたからな」
迅が軽く肩をすくめたその時、カリムが思案顔で口を開いた。
「つまり……人間の体というのは、魂の器などではなく、細胞とやらが組み合わさって存在している、ということか?」
「まあ、そういうことになるな」
迅が頷くと、カリムは腕を組んだまま少し俯いた。
「……ならば、科学を利用すれば、“身体そのもの”を別の物質に変えることはできるのか?」
その一言に、部屋の空気が一瞬止まる。
「……は?」
リディアが手を止め、迅もまたチョークを回していた指を止める。
「お前、何を言って——」
しかし、カリムは真剣な眼差しのまま、さらに続けた。
「私が戦った“血鉄のタロス”を覚えているか?」
カリムがふと呟くように言った。
その名を聞いて、迅とリディアは一瞬、視線を交わした。
「……ああ、魔王軍の幹部で、全身を鋼鉄のように変えていたっていう……」
「確か、アークの“錬成魔導工学”の技術で、“鉄血核《ブリード・セル》”とかいうものを使ってたんだっけ?」
迅が思い出すように口にすると、カリムは静かに頷いた。
だが、その仕草にはどこか、戦士の本能が疼くような感覚が宿っていた。
「そうだ。あれは——単なる装甲ではない」
カリムは腕を組み、ゆっくりと息を吐いた。その表情は、戦場の記憶を辿るように引き締まっている。
「奴は、自らの肉体を完全に鋼鉄へと変えていた。ミィシャ殿の拳も、ほとんど通じなかったと聞く。並の兵では、あの巨体に手を触れることすら叶わぬだろう」
言葉の端々に、あの戦いの重みが滲んでいた。
「鋼鉄に変わったからといって、こちらの刃が通らぬわけではない。だが、あの異様な硬度と頑丈さは、常識を超えていた。私の斬撃をもってしても、一太刀では決着をつけることができなかったのだからな」
「カリムの剣で一太刀で仕留められない……?」
リディアが驚いたように目を見開く。彼女も知っている。カリム・ヴェルトールの剣の鋭さを。
一瞬の隙に踏み込み、一閃で相手を断つ神速の剣技。カリムが“一太刀で仕留めきれなかった”というだけで、その敵がどれほどの耐久力を誇っていたのかが伝わってくる。
「……けど、結局はお前が勝ったんだろ?」
迅がそう尋ねると、カリムは軽く顎を上げ、わずかに誇らしげな笑みを浮かべた。
「当然だ。勇者殿より"無傷で圧倒的に勝て"とのご命令を受けていたしな。」
カリムは淡々と続ける。
「いかに鋼鉄に変化しようと、その強度に見合う刃で切れば問題はない。ならば、私はそのまま斬るのみ——」
カリムはそう言うと、腰に差した剣の柄を軽く指で叩いた。
「私の剣もまた鋼鉄。ならば、鋼鉄同士の勝負となるだけの話だ」
「……いや、それおかしいからな?」
迅は眉をひそめ、思わずツッコミを入れた。
「相変わらず人間じゃねぇな、お前」
リディアも呆れたようにため息をつく。
「普通、鋼鉄の体になった相手を“ならば鋼鉄で切れば問題ない”なんて言わないわよ……」
「む? では、どうするべきだったのだ?」
カリムが真顔で問い返す。
「うーん、普通は“鋼鉄の相手にダメージを与える他の手段”を考えるしか無いんだよ……それを当然のように斬れるお前が異常なんだよ!」
「“鋼鉄の相手にダメージを与える手段”とは即ち"鋼鉄を切り裂く斬撃を加える"しかるあるまい。」
「だから!その解決法はお前しか出来ねぇんだよ!!」
迅が全力でツッコミを入れるが、カリムは至って真剣だ。
そして——そのまま、カリムは続けた。
「私だからこそ打ち倒す事こそ出来たが、あれは強力な防御手段になりうるものだった。もし科学を利用することで、一般の兵士や魔法士達にあれと同じ防御方法を授けることができるのなら——」
カリムの言葉が途切れ、部屋が一瞬静寂に包まれる。
「……待て待て」
迅が思わず手を振った。
「カリム、それはちょっと違うぞ。確かにタロスは体を鋼鉄に変えてたかもしれねぇけど、恐らくそれは“魔力を物質化”した結果であって、元々の身体を構成する原子を別のものに変えてるわけじゃねぇ」
「む? つまり、どういうことだ?」
カリムが首を傾げる。
「簡単に言えば、錬成魔導工学は“魔力”を使って物質を作り出してるだけで、根本的な“肉体の構造”を変えてるわけじゃないんだよ」
迅はチョークを回しながら、黒板の端に“魔力”と“物質”という二つの単語を書き込んだ。
「俺の推測だけど、アークの技術ってのは、おそらく魔力を“変換”してる。魔力を鋼鉄の性質を持った何かに変えて、身体を覆ってたんじゃないかってな」
「……ならば、もし"原子"とやらそのものを操作できるのなら、完全な変化も可能ではないのか?」
カリムはさらに踏み込んでくる。
「例えば——科学を利用し、"原子"の種類や結びつきを変えることで、自らの肉体を鋼鉄と同じ強度にすることは可能なのでは?」
「無理無理無理!!!」
迅は思わず両手を挙げた。
「お前な、原子ってのはそんな簡単に入れ替えられるもんじゃねぇ!もしそんなことができるなら、王国の騎士団全員が鋼鉄人間部隊になってるわ!」
「む……確かに」
カリムは少し不満そうに唸ったが、一応納得はしたようだった。
「でも、もし“生物の構造を根本から変化させる”ことができるなら……」
リディアがふと呟いた。
「細胞や原子レベルの魔法って、もしかして突飛な発想じゃないのかもしれないわね……」
彼女の言葉は、単なる思考の延長に過ぎなかった。何気なく発せられた一言。
だが、その一言が、九条迅の意識の奥深くで、何かを引き金にした。
チョークを持つ手が、止まる。
——何かが、閃いた。
(……待てよ?)
迅の指がピタリと止まる。
頭の中で、バラバラだった理論が一気に繋がる感覚。
脳内の電流が一気に駆け巡り、思考が研ぎ澄まされていく。
(原子の構造を変えられるなら……細胞レベルどころか、物質そのものを操作できるかもしれない)
原子は、陽子と中性子からなる原子核と、その周囲を取り巻く電子で構成されている。
この電子は、ただの粒子ではない。「スピン」という量子力学的な性質を持つ。
(自然界では、電子スピンは基本的に安定している……だが、特定のエネルギーを与えれば、このスピンの向きを変えることができる)
例えば、磁場を加えることで、電子スピンの状態を「上向き」や「下向き」に反転させることが可能だ。
この性質は、現代科学でも量子コンピューターやスピントロニクスの分野で研究されている。
(もし……もし魔法を利用して、この電子スピンを自在に制御できるようになったら?)
たとえば、ターゲットとなる物質に「特定の周波数の電磁波」を照射し、電子スピンの向きを強制的に揃えたとする。
これが成功すれば、原子核に蓄積されるエネルギー状態が変化し、物質の安定性が崩壊する可能性がある。
(……いや、それだけじゃない)
電子スピンに干渉することで、原子核を形成する陽子や中性子のバランスを狂わせれば、
核崩壊を引き起こせるかもしれない。
通常、核崩壊は放射性元素でしか発生しない。
だが、もし魔法で原子核の構造を変えられるなら
——どんな物質でも、意図的に崩壊させることが可能になる。
(……それができるなら、この魔法はただの攻撃手段じゃない)
この魔法が完成すれば、相手の魔力障壁や物理的防御を無視し、
敵の細胞そのものを、分子レベルで崩壊させることができる。
対象の肉体は、跡形もなく消滅する。
物質の「存在情報」そのものを無にする——
まるで世界のルールを書き換えるような力。
(……これは、“戦うための魔法”ではなく、“消すための魔法”だ)
想像しただけで、背筋に冷たいものが走る
迅は、無意識のうちに息を呑んでいた。
これは——危険すぎる。
こんなものが完成すれば、戦場の在り方が変わる。
単なる魔法でも、単なる科学でもない。
それは、存在そのものを根こそぎ抹消する“法則の改変”に等しい。
(……いや、待て。技術そのものに良い悪いはねぇ。悪用さえしなければ、問題は無い……!)
迅は、自分にそう言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐いた。
冷静になれ。これはただの理論だ。
危険な魔法を考案することと、それを実際に使うことは別の話だ。
だが、理性とは裏腹に、心の奥底で何かが疼いていた。
戦場に立つ以上、戦わなければならない相手がいる。
勝たなければならない敵がいる。
この世界に召喚されたばかりの頃の自分ならば、こんな考えはしなかったかもしれない。
だが、もう違う。
この世界で、彼は「戦わなければならない」と決めたのだから——。
そのために、この力を使うのなら——。
「……迅?」
不意に、リディアの声がした。
ハッとする。
気づけば、彼女が不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
「どうしたの? 急に黙り込んで……」
彼女の紫紺の眼が心配そうに揺れる。
(……しまった)
考え込んでいた時間は、一瞬だったのか、それとも長かったのか。
「……いや、なんでもない」
迅はいつもの調子で笑った。
肩の力を抜き、軽く首を振る。
あくまで何でもない風を装いながら、この場では深く考えないようにする。
「はぁ……。ならいいけど」
リディアは小さくため息をついた後、まだどこか納得がいかない様子で迅を見つめた。
(……気づかれたか?)
彼女は勘がいい。あまり余計なことを考えすぎると、鋭く指摘されそうだった。
「それより、カリムの突拍子もない発想に巻き込まれて、頭の回転が追いつかねぇよ……」
迅はわざと苦笑しながら、チョークを回す仕草をして見せた。
「それは私もよ。まさか“全身鋼鉄の戦士になれるか”なんて話になるとは思わなかったわ」
リディアも苦笑しながらノートを閉じる。
「……まぁ、お前らの発想力には驚かされるよ。つくづく」
「ふむ。私は至って普通の発想だと思うが?」
カリムは首を傾げながら、いまだに本気で考えているらしい。
「普通なわけあるか!」
迅がツッコミを入れると、研究室には笑いが広がった。
◇◆◇
だが——その夜。
迅は一人、研究室に残っていた。
月明かりが窓から差し込み、淡い光が机の上に落ちる。
いつもなら整理整頓されているはずの机の上には、黒板とは違う、手書きの魔法陣が広がっていた。
そこに描かれていたのは、通常の魔法陣とは異なる、不気味なまでに精密な構造だった。
小さな円が何重にも重なり、幾何学的な線が絡み合う。
その中心に記された言葉——
『"雷禍崩滅"』
迅は無言のまま、紙の上を指でなぞった。
この理論が、実際に魔法として完成すれば——
どんな敵でも、一瞬で消し去ることができる。
魔力を撃ち放つのではない。
対象の原子を直接崩壊させる。
この魔法に防御は存在しない。
物理的な壁も、魔法障壁も、すべて関係ない。
この魔法が発動すれば、対象は——
何も残さずに、消滅する。
魔王軍がどんな強固な守りを持っていようとも、関係ない。
この魔法なら、それを“無かったこと”にできる。
(……これは、果たして“力”なのか?)
ふと、脳裏に疑問がよぎる。
——これは、“戦うための魔法”ではなく、“滅ぼすための魔法”なのではないか?
掌の汗を感じる。
それでも、迅は計算を続けた。
研究は止められない。
なぜなら——
これは、“必要な魔法”なのだから。
“戦う”と決めた自分のために。
彼はペンを取り、再び計算式を書き始めた。
こうして、禁忌の魔法の最初の理論計算が始まった——。
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ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
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1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
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※本作品は他サイト様でも掲載中です。
【村スキル】で始まる異世界ファンタジー 目指せスローライフ!
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異世界に転移した僕、外れスキルだと思っていた【互換】と【HP100】の組み合わせで最強になる
名無し
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突如、異世界へと召喚された来栖海翔。自分以外にも転移してきた者たちが数百人おり、神父と召喚士から並ぶように指示されてスキルを付与されるが、それはいずれもパッとしなさそうな【互換】と【HP100】という二つのスキルだった。召喚士から外れ認定され、当たりスキル持ちの右列ではなく、外れスキル持ちの左列のほうに並ばされる来栖。だが、それらは組み合わせることによって最強のスキルとなるものであり、来栖は何もない状態から見る見る成り上がっていくことになる。
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