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第137話 ノーザリア武闘大会への招待
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訓練場の空気には、まだ剣戟の熱気が残っていた。
陽の傾き始めた午後、涼風が吹き抜ける石畳の回廊。
水を汲んできたリディアが木陰のベンチに腰を下ろし、手拭いで額の汗を拭っていた。
「ふぅ……お疲れさま、二人とも」
汗を滴らせながら戻ってきた迅とカリムに、水筒を手渡す。
「サンキュー、助かるわ。」
迅は受け取った水をぐいと煽り、そのまま石壁に背を預けた。
カリムも無言で礼を言い、丁寧に喉を潤す。
剣術訓練の直後だった。
今なお高鳴る心拍を抑えるように、迅は軽く息を吐く。
「……お前、ほんと素の身体能力だけでなんであんな動けんだよ。本当に人間か?」
「我ながら、そう思う時もある」
あくまで真面目に返すカリムに、迅は半ば呆れて苦笑した。
その時だった。
「ふむ、良き試合であったの」
ロドリゲスがゆっくりと近づいてきた。
いつもの杖を軽くつきながら、その手には封筒が一通握られている。
「よくぞ鍛えた。とても王国代表の名にふさわしい」
「ん? なんか嫌な前置きから入ったな、おい」
迅が眉を上げると、ロドリゲスは封筒を二人の間に差し出した。
「届いたのじゃ。ノーザリア王国より、特別枠として貴殿ら二人に“武闘大会”への招待がな」
「……武闘大会?」
水筒を口に運びかけたまま、迅は小さく首を傾げた。
「そんなの、あっちで開かれてたのか」
「いや、厳密には“再開される”のじゃ。……十年ぶりに、な」
ロドリゲスは封蝋を外し、手紙を取り出す。
「この一ヶ月、ノーザリアでは魔王軍の動きを完全に抑えておる。
その功績を称え、国の士気を高めるため——
かつて中止されておった大会を、今ふたたび開催する運びとなった」
「ノーザリアの武闘大会……!」
リディアの目が輝く。
「そういえば、前は毎年のように開催されてたのよね?」
「ああ……十年前の“大進行”まではな」
ロドリゲスの表情に陰が落ちる。
「魔王軍がノーザリアの首都を襲い、前王妃が戦火に巻き込まれて落命した。
それを機に、国の祭事もすべて凍結されたのじゃ」
「……そんなことが」
迅も、さすがに神妙な顔になる。
カリムはわずかに目を伏せた。
その時——彼の脳裏に一人の男の背中が過る。
(……父上)
だが、何も言わずに拳を軽く握っただけだった。
「それにしても、ここんとこノーザリアって、魔王軍の動きも激しかったんじゃなかったか?」
迅が問いかけると、ロドリゲスは頷いた。
「む、確かに。海を挟んで接する地ゆえ、魔王軍の襲撃は多い。
じゃが——ここ最近、その動きを抑え込んでおる者たちがいるのじゃ」
「“銀嶺の誓い”の三人、頑張ってるな……」
水筒の水を喉に流し込みながら、迅はぽつりと呟いた。
脳裏には、誇り高き魔法剣士エリナの姿が浮かんでいた。
あの遺跡での戦い以来、彼らもまた自分たちと同じように前線で戦っているのだと思っていた——だが。
「いいや。違う」
ロドリゲスの声が、いつになく低く沈んだ。
その一言に、迅は眉をひそめ、リディアは小さく首を傾げる。
「……違う?」
迅が問い返すと、ロドリゲスは懐からもう一通の文書を取り出し、丁寧に封を破った。
「ノーザリアの最前線で、ここ一ヶ月魔王軍の侵攻を完全に食い止めているのは——」
彼の視線が文書から顔を上げた。
「第一王子、ルクレウス・ノーザリア。その者が率いるパーティだ」
「……ルクレウス?」
リディアが目を見開いた。
迅の脳裏に、ノーザリア王宮での祝勝会で会った第一王子の顔が過ぎる。
その佇まい、底の読めない空気感。只者では無い、とは思った。
だが、それが前線に立っていると聞いて、すぐには信じがたい。
ロドリゲスは静かに頷きながら、さらに続ける。
「その名は"戦律の双牙《ツイン・ジェミナス》"。
白銀級の双子の冒険者が二組。
そこに王子が加わり、五人編成で魔王軍に抗しておる」
風が、回廊を吹き抜けた。
静まり返る空気の中、迅は水筒の蓋を閉めながら鼻を鳴らした。
「……あの王子自ら前線で戦ってるってか。そんな武闘派な感じにゃ見えなかったが……にわかには信じがてぇな」
その声音には、少なからず疑念が混じっていた。
リディアも静かに頷く。
「それなら、“銀嶺の誓い”の三人はどうしてるの? 最近、名前を聞いてなかったけど……」
ロドリゲスは、ふと視線を逸らして肩をすくめた。
「うむ……どうやら、三人ともそれぞれ修行に没頭しておるようじゃ。
この一ヶ月、まとまったクエストの報告も、あまり届いておらん」
「…………」
聞いた瞬間、迅のこめかみがぴくりと跳ねた。
天を仰ぎ、空を見上げながら、心の中で静かに頭を抱える。
(……まさか……いや、でも、可能性は大いにある)
その瞬間、記憶が脳裏をよぎった。
『魔力最大量・操作精度向上の訓練方法』
『魔力密度制御の理論と実践』
『近代スポーツ科学による身体の使い方』
『熱力学の氷魔法への応用案』
自分がリディアの助力を得て作った丁寧すぎるマニュアルの羊皮紙の束。
(……あの時の俺、調子乗って本気出しすぎたかもしれねぇ……)
「……」
無言のリディアはというと、口元を引き結び、小さく吹き出すのを必死に堪えていた。
見れば、肩がわずかに震えている。
「……笑ってんだろ、お前」
「ふふっ。別に? ただ……あの三人が、それぞれ自分の弱点を克服しようとしてる姿が目に浮かんだだけよ」
「……だよな。ま、あの3人なら既にモノにしてても不思議じゃねぇけど。」
迅は額を押さえ、ひとつ溜息をついた。
その横で、ロドリゲスがどこか達観したような表情で呟く。
「ま、鍛錬に勤しむのは悪いことではないが……戦功というのは、実戦でしか積めぬものじゃ」
「……んな事ぁ、分かってるって」
迅は肩をすくめ、やれやれと水筒をぶら下げながら腰を上げた。
◇◆◇
「それはそうと、リディア。お前は出ねぇのか?」
迅がふと尋ねると、リディアは手元の文書を指で弾いた。
「……武闘大会のルールを見てみなさいよ」
迅は首を傾げつつも、受け取った書状に目を通す。
《遠距離・広範囲の攻撃魔法は禁止。
近接戦闘を補助する魔法のみ使用可》
「うわ、魔法士にめっちゃ不利なルールだなこれ……」
「そう。だから私はセコンドとしてついていくわ。
……まあ、人前で戦うってガラでもないし、いいんだけどね。」
リディアは少しだけ拗ねたような笑みを浮かべて、そっぽを向く。
「ふっ、では決まりだな」
カリムが静かに笑い、腰の剣を軽く撫でた。
「この身の鍛錬の成果……そろそろ披露するには良い機会だ」
「……ま、そうだな。たまには魔王軍とのドンパチとは違う、"平和な戦い"ってのも悪くねぇかもな。」
迅は窓の外を見上げた。
ノーザリアの空。遠い海の彼方。
——そして、ルクレウスの姿。
(修行の成果を見せるチャンス……
それに、あの王子の動向も気になるしな)
迅は北の空を見つめ、目を細めた。
◇◆◇
夕刻。
王宮訓練場の片隅にある中庭に、柔らかな風が吹いていた。
陽が沈みかけ、空は茜と群青の間で揺れている。
訓練を終えた騎士たちの声もすでに遠く、静かな時間が流れていた。
一人魔法と剣術の並行訓練を続けていた九条迅は、誰もいない石造りのベンチに腰掛けていた。
剣を振りながら、一方で新たな魔法理論の実践訓練を行う、徹底した並列処理による超効率的訓練。
これが勇者・九条迅《くじょうじん》のルーティンワークだった。
背中には薄く汗を帯びたシャツが張り付き、手には冷めかけた水筒。
だが、その視線は宙を彷徨っていた。
手元には、ノーザリアからの武闘大会の招待状。
封はすでに切られ、丁寧な文字で綴られた招待文が半ば開かれている。
「……武闘大会、か」
ぽつりと呟く声は、風にかき消されそうなほど小さい。
広域魔法で敵を薙ぎ払うのではない。
科学で理屈を突き詰めるわけでもない。
僅かな補助魔法と、剣と肉体だけで戦う舞台。
「……正直、向いてねぇとは思ってんだけどな」
自嘲気味に笑う。
けれど、その目はどこか冴えていた。
「でも……逃げたくはねぇ」
脳裏に浮かぶのは、カーディスとの激戦——
戦わなければ失われる命があると、ハッキリ自覚した瞬間。
そして、祝勝会の夜、リディアと二人で話をしたあの日の出来事。
あのとき、決めたのだ。
「戦うって、そういうことだろ」
自分の理論が、誰かを救う力になるなら。
自分の剣が、誰かの明日を守れるなら。
そして——その先に、平和があるのなら。
「……やってやろうじゃねぇか」
水筒の水を一気に飲み干し、立ち上がる。
背を向けた先には、すでに夜の帳が降りはじめていた。
「ルクレウス・ノーザリア——」
その名を口にする声には、明確な意思が宿っていた。
(……エリナは"ヤツに気をつけろ"と俺に言った。あれはどういう意味だったんだ……?)
そのときだった。
風が吹き抜け、木の葉が宙に舞った。
ふと振り返ると、そこには立っていた。
リディア・アークライト。
「……いたのね。探したわ」
その手には、タオルと飲み物が握られている。
「いつも言ってるでしょ? 汗をかいたら、ちゃんと着替えなさいって」
「……あー、わりぃ」
迅は受け取ったタオルで乱雑に汗を拭きながら、顔を少しだけ伏せた。
けれど、どこか照れくさそうに笑っていた。
「ふふ……本当に、子どもみたいなんだから」
リディアは並んで腰を下ろすと、空を見上げる。
「もうすぐね、武闘大会」
「ああ……」
沈みかけた夕陽が、二人の輪郭を金に染めていた。
「……貴方は貴方のままでいい。誰よりも、まっすぐで、誰よりも迷いなくて。
私は、そんな貴方の隣にいるって、決めたから」
リディアの言葉に、迅は目を細めた。
その横顔には、どこか安心したような笑みが浮かんでいた。
「……頼りにしてるぜ、相棒」
「当然よ」
ふたりの言葉はそれきりだったが——
静かな風が通り過ぎたあと、
彼らの間には確かに、何かが強く結ばれていた。
やがて夜が訪れ、
彼らの前には、戦いの地・ノーザリアが待っていた。
そしてそこには、再び運命が試す“戦い”が——
幕を上げようとしていた。
陽の傾き始めた午後、涼風が吹き抜ける石畳の回廊。
水を汲んできたリディアが木陰のベンチに腰を下ろし、手拭いで額の汗を拭っていた。
「ふぅ……お疲れさま、二人とも」
汗を滴らせながら戻ってきた迅とカリムに、水筒を手渡す。
「サンキュー、助かるわ。」
迅は受け取った水をぐいと煽り、そのまま石壁に背を預けた。
カリムも無言で礼を言い、丁寧に喉を潤す。
剣術訓練の直後だった。
今なお高鳴る心拍を抑えるように、迅は軽く息を吐く。
「……お前、ほんと素の身体能力だけでなんであんな動けんだよ。本当に人間か?」
「我ながら、そう思う時もある」
あくまで真面目に返すカリムに、迅は半ば呆れて苦笑した。
その時だった。
「ふむ、良き試合であったの」
ロドリゲスがゆっくりと近づいてきた。
いつもの杖を軽くつきながら、その手には封筒が一通握られている。
「よくぞ鍛えた。とても王国代表の名にふさわしい」
「ん? なんか嫌な前置きから入ったな、おい」
迅が眉を上げると、ロドリゲスは封筒を二人の間に差し出した。
「届いたのじゃ。ノーザリア王国より、特別枠として貴殿ら二人に“武闘大会”への招待がな」
「……武闘大会?」
水筒を口に運びかけたまま、迅は小さく首を傾げた。
「そんなの、あっちで開かれてたのか」
「いや、厳密には“再開される”のじゃ。……十年ぶりに、な」
ロドリゲスは封蝋を外し、手紙を取り出す。
「この一ヶ月、ノーザリアでは魔王軍の動きを完全に抑えておる。
その功績を称え、国の士気を高めるため——
かつて中止されておった大会を、今ふたたび開催する運びとなった」
「ノーザリアの武闘大会……!」
リディアの目が輝く。
「そういえば、前は毎年のように開催されてたのよね?」
「ああ……十年前の“大進行”まではな」
ロドリゲスの表情に陰が落ちる。
「魔王軍がノーザリアの首都を襲い、前王妃が戦火に巻き込まれて落命した。
それを機に、国の祭事もすべて凍結されたのじゃ」
「……そんなことが」
迅も、さすがに神妙な顔になる。
カリムはわずかに目を伏せた。
その時——彼の脳裏に一人の男の背中が過る。
(……父上)
だが、何も言わずに拳を軽く握っただけだった。
「それにしても、ここんとこノーザリアって、魔王軍の動きも激しかったんじゃなかったか?」
迅が問いかけると、ロドリゲスは頷いた。
「む、確かに。海を挟んで接する地ゆえ、魔王軍の襲撃は多い。
じゃが——ここ最近、その動きを抑え込んでおる者たちがいるのじゃ」
「“銀嶺の誓い”の三人、頑張ってるな……」
水筒の水を喉に流し込みながら、迅はぽつりと呟いた。
脳裏には、誇り高き魔法剣士エリナの姿が浮かんでいた。
あの遺跡での戦い以来、彼らもまた自分たちと同じように前線で戦っているのだと思っていた——だが。
「いいや。違う」
ロドリゲスの声が、いつになく低く沈んだ。
その一言に、迅は眉をひそめ、リディアは小さく首を傾げる。
「……違う?」
迅が問い返すと、ロドリゲスは懐からもう一通の文書を取り出し、丁寧に封を破った。
「ノーザリアの最前線で、ここ一ヶ月魔王軍の侵攻を完全に食い止めているのは——」
彼の視線が文書から顔を上げた。
「第一王子、ルクレウス・ノーザリア。その者が率いるパーティだ」
「……ルクレウス?」
リディアが目を見開いた。
迅の脳裏に、ノーザリア王宮での祝勝会で会った第一王子の顔が過ぎる。
その佇まい、底の読めない空気感。只者では無い、とは思った。
だが、それが前線に立っていると聞いて、すぐには信じがたい。
ロドリゲスは静かに頷きながら、さらに続ける。
「その名は"戦律の双牙《ツイン・ジェミナス》"。
白銀級の双子の冒険者が二組。
そこに王子が加わり、五人編成で魔王軍に抗しておる」
風が、回廊を吹き抜けた。
静まり返る空気の中、迅は水筒の蓋を閉めながら鼻を鳴らした。
「……あの王子自ら前線で戦ってるってか。そんな武闘派な感じにゃ見えなかったが……にわかには信じがてぇな」
その声音には、少なからず疑念が混じっていた。
リディアも静かに頷く。
「それなら、“銀嶺の誓い”の三人はどうしてるの? 最近、名前を聞いてなかったけど……」
ロドリゲスは、ふと視線を逸らして肩をすくめた。
「うむ……どうやら、三人ともそれぞれ修行に没頭しておるようじゃ。
この一ヶ月、まとまったクエストの報告も、あまり届いておらん」
「…………」
聞いた瞬間、迅のこめかみがぴくりと跳ねた。
天を仰ぎ、空を見上げながら、心の中で静かに頭を抱える。
(……まさか……いや、でも、可能性は大いにある)
その瞬間、記憶が脳裏をよぎった。
『魔力最大量・操作精度向上の訓練方法』
『魔力密度制御の理論と実践』
『近代スポーツ科学による身体の使い方』
『熱力学の氷魔法への応用案』
自分がリディアの助力を得て作った丁寧すぎるマニュアルの羊皮紙の束。
(……あの時の俺、調子乗って本気出しすぎたかもしれねぇ……)
「……」
無言のリディアはというと、口元を引き結び、小さく吹き出すのを必死に堪えていた。
見れば、肩がわずかに震えている。
「……笑ってんだろ、お前」
「ふふっ。別に? ただ……あの三人が、それぞれ自分の弱点を克服しようとしてる姿が目に浮かんだだけよ」
「……だよな。ま、あの3人なら既にモノにしてても不思議じゃねぇけど。」
迅は額を押さえ、ひとつ溜息をついた。
その横で、ロドリゲスがどこか達観したような表情で呟く。
「ま、鍛錬に勤しむのは悪いことではないが……戦功というのは、実戦でしか積めぬものじゃ」
「……んな事ぁ、分かってるって」
迅は肩をすくめ、やれやれと水筒をぶら下げながら腰を上げた。
◇◆◇
「それはそうと、リディア。お前は出ねぇのか?」
迅がふと尋ねると、リディアは手元の文書を指で弾いた。
「……武闘大会のルールを見てみなさいよ」
迅は首を傾げつつも、受け取った書状に目を通す。
《遠距離・広範囲の攻撃魔法は禁止。
近接戦闘を補助する魔法のみ使用可》
「うわ、魔法士にめっちゃ不利なルールだなこれ……」
「そう。だから私はセコンドとしてついていくわ。
……まあ、人前で戦うってガラでもないし、いいんだけどね。」
リディアは少しだけ拗ねたような笑みを浮かべて、そっぽを向く。
「ふっ、では決まりだな」
カリムが静かに笑い、腰の剣を軽く撫でた。
「この身の鍛錬の成果……そろそろ披露するには良い機会だ」
「……ま、そうだな。たまには魔王軍とのドンパチとは違う、"平和な戦い"ってのも悪くねぇかもな。」
迅は窓の外を見上げた。
ノーザリアの空。遠い海の彼方。
——そして、ルクレウスの姿。
(修行の成果を見せるチャンス……
それに、あの王子の動向も気になるしな)
迅は北の空を見つめ、目を細めた。
◇◆◇
夕刻。
王宮訓練場の片隅にある中庭に、柔らかな風が吹いていた。
陽が沈みかけ、空は茜と群青の間で揺れている。
訓練を終えた騎士たちの声もすでに遠く、静かな時間が流れていた。
一人魔法と剣術の並行訓練を続けていた九条迅は、誰もいない石造りのベンチに腰掛けていた。
剣を振りながら、一方で新たな魔法理論の実践訓練を行う、徹底した並列処理による超効率的訓練。
これが勇者・九条迅《くじょうじん》のルーティンワークだった。
背中には薄く汗を帯びたシャツが張り付き、手には冷めかけた水筒。
だが、その視線は宙を彷徨っていた。
手元には、ノーザリアからの武闘大会の招待状。
封はすでに切られ、丁寧な文字で綴られた招待文が半ば開かれている。
「……武闘大会、か」
ぽつりと呟く声は、風にかき消されそうなほど小さい。
広域魔法で敵を薙ぎ払うのではない。
科学で理屈を突き詰めるわけでもない。
僅かな補助魔法と、剣と肉体だけで戦う舞台。
「……正直、向いてねぇとは思ってんだけどな」
自嘲気味に笑う。
けれど、その目はどこか冴えていた。
「でも……逃げたくはねぇ」
脳裏に浮かぶのは、カーディスとの激戦——
戦わなければ失われる命があると、ハッキリ自覚した瞬間。
そして、祝勝会の夜、リディアと二人で話をしたあの日の出来事。
あのとき、決めたのだ。
「戦うって、そういうことだろ」
自分の理論が、誰かを救う力になるなら。
自分の剣が、誰かの明日を守れるなら。
そして——その先に、平和があるのなら。
「……やってやろうじゃねぇか」
水筒の水を一気に飲み干し、立ち上がる。
背を向けた先には、すでに夜の帳が降りはじめていた。
「ルクレウス・ノーザリア——」
その名を口にする声には、明確な意思が宿っていた。
(……エリナは"ヤツに気をつけろ"と俺に言った。あれはどういう意味だったんだ……?)
そのときだった。
風が吹き抜け、木の葉が宙に舞った。
ふと振り返ると、そこには立っていた。
リディア・アークライト。
「……いたのね。探したわ」
その手には、タオルと飲み物が握られている。
「いつも言ってるでしょ? 汗をかいたら、ちゃんと着替えなさいって」
「……あー、わりぃ」
迅は受け取ったタオルで乱雑に汗を拭きながら、顔を少しだけ伏せた。
けれど、どこか照れくさそうに笑っていた。
「ふふ……本当に、子どもみたいなんだから」
リディアは並んで腰を下ろすと、空を見上げる。
「もうすぐね、武闘大会」
「ああ……」
沈みかけた夕陽が、二人の輪郭を金に染めていた。
「……貴方は貴方のままでいい。誰よりも、まっすぐで、誰よりも迷いなくて。
私は、そんな貴方の隣にいるって、決めたから」
リディアの言葉に、迅は目を細めた。
その横顔には、どこか安心したような笑みが浮かんでいた。
「……頼りにしてるぜ、相棒」
「当然よ」
ふたりの言葉はそれきりだったが——
静かな風が通り過ぎたあと、
彼らの間には確かに、何かが強く結ばれていた。
やがて夜が訪れ、
彼らの前には、戦いの地・ノーザリアが待っていた。
そしてそこには、再び運命が試す“戦い”が——
幕を上げようとしていた。
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