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第140話 善鬼の視線、カリムの謎
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柔らかな陽光が差し込むロビーの一角で、侍のような風貌の戦士が微笑んでいた。
善鬼——その男は、まるで何気ない挨拶のように彼らへ声をかけてきたが、その目の奥には明らかに別の意図が光っていた。
その存在感は、決して騒がしくはない。
しかし、まるで“己という存在そのものが空気を変える”ような圧をまとっていた。
迅は、そんな男の前に一歩進み出ると、視線を合わせたまま口を開いた。
「……ああ。改めて、自己紹介させてもらうわ。俺の名前は九条迅。アルセイア王国から、この武闘大会に“特別招待枠”として呼ばれてきた訳だ。」
善鬼の表情は変わらない。
ただ、小さく「ははぁ」と頷いただけだった。
迅は肩越しに視線をやり、隣に立つ金髪の剣士を親指で指す。
「一緒に出場するのは、こいつ——カリム・ヴェルトール。"純粋な剣士として"なら、俺らの中じゃこいつかダントツだと思うぜ。」
自分の言葉に嘘はなかった。
これまで幾度となく、戦場で背を預けてきた男。
魔法を使わずとも、純粋な剣技と身体能力だけで、あらゆる敵を切り伏せてきた"剣聖"。
しかし——
善鬼の反応は、どこか曖昧だった。
「ほぉ……なるほどなぁ」
言葉こそ感心したような響きだが、その目線はずっと迅の方に向いたまま、わずかにカリムを一瞥した程度で流れていく。
まるで、「主役はこっち」と言わんばかりの“興味の偏り”を、隠そうともしない。
「そら納得やわ。お兄さん、めっちゃ大きい“闘気”を纏ってはるもんなぁ」
「……闘気?」
聞き慣れない単語に、迅は眉をひそめた。
だが、すぐにピンときた。
(“闘気”……魔力のことか……?)
文化によって、同じ物体や現象を指し示す言葉が異なる。これは迅が元いた世界においてもままある事だ。
善鬼は笑顔を浮かべたまま、じっと迅を見つめ続ける。
その視線は、やはり穏やかで、しかし妙に“深い”。
感情の波をまったく乱さないその目の奥に、迅は思わず身を竦ませるような妙な“圧”を感じた。
(……本気で“視えてる”って目だな)
ただ見ているのではない。
魔力の流れ、気の在り処、あるいは——その人間の“本質”すらも覗き見ようとするような、そんな視線。
善鬼は腕を組みながら、ぽつりと呟いた。
「……ああ、これは失敬。自分の出身のアカツキでは、闘気の大きさは……その者が“どれだけ世に影響を与えるか”を測る基準や言われてましてな」
「へぇ……そいつはまた、面白ぇ考え方だな」
迅は興味深げに頷きながらも、その言葉の奥にある意味を考えていた。
この世界に転移してからずっと研究してきた“魔力”という現象。
それが、まったく別の文化で“闘気”として捉えられていたことに、迅は改めて驚きを覚えていた。
そして——
「まあまあ、そちらのお兄さんも楽しみやけど……」
善鬼はふと目を細め、横目でちらりとカリムを見る。
その視線には、ほんのわずかな“見下し”と“疑問”が滲んでいた。
しかしその話は、少し先へと繋がることになる。
今はまだ——彼の興味の矛先は、別の誰かへと移ろうとしていた。
善鬼の視線が、静かに横へと流れる。
その目が、ふとカリムの姿を捉える——だが、それはほんの一瞬だった。
まるで何も得るものがなかったかのように、あっさりと彼を通り過ぎ、すぐに別の人物へと向けられる。
今度は——リディア・アークライト。
淡い銀の髪、聡明な瞳。凛とした立ち姿に、静かな知性と気高さが宿る魔法士。
善鬼の目が、細くなる。
侮りの色は、ない。
むしろ、思わず感嘆が漏れたような、穏やかで誠実な眼差しだった。
「……お姉さん」
その柔らかな声が空気をほぐすように響く。
「この中でいちばん、大きな“闘気”を持ってはるなぁ。……びっくりしたわ」
リディアのまなざしが、わずかに鋭くなる。
「……私?」
「せや」
善鬼は微笑みを崩さず、どこか丁寧にリディアを見つめる。
「纏ってる闘気の密度と練度……例えるなら、霧の中で光が差すような静けさと芯の強さや。えらいもんやな」
「……そう?過分な評価、ありがたく受け取っておくわ。」
リディアの声音は静かで、少し低い。
驚きの色を見せるでもなく、照れも浮かべない。
ただ、淡々と——けれど、ほんのわずかに、目の奥が揺れた。
善鬼は、そんな反応を面白がるわけでもなく、静かに頷いた。
「本戦には出ぇへんの?」
「私は補佐。出場するのは迅とカリムよ。」
「もったいない話やなぁ。あんたが一番、闘気の“格”が高いと思ったんやけどな」
「別に、前に出て戦うことだけが力の使い方じゃないでしょ?」
ぴしゃりと言い切るわけでもなく、しかし揺るぎのない響き。
善鬼の評価を受けて舞い上がるでも、謙遜して照れるでもなく。
あくまで自分の役割を淡々と受け入れている、リディアらしい応対だった。
「……なるほど。肚《はら》ぁ括っとる人の目やな、それ」
善鬼の口調には、素直な敬意が滲んでいた。
リディアは短く頷くだけで、それ以上何も言わなかった。
しかし、その目にはわずかな光が宿っていた。
自分の力を“見抜いた”という事実への、淡い驚きと、ほんの少しの——誇り
善鬼の目がリディアからすっと逸れ、次にゆっくりと視線を巡らせた先に立っていたのは、銀の鎧を纏った一人の剣士——エリナ・ヴァイスハルトだった。
「お姉さんは……」
柔らかな口調のまま、善鬼が問いかける。
「そちらさんも、出場選手で?」
エリナはふわりと微笑み、スカートの裾をつまんで淑やかに一礼した。
「ええ、今大会には"銀嶺の誓い《シルバー・オース》"の一員として参加させていただいておりますわ。私と、そちらの猫獣人——ミィシャが、出場いたしますの」
「へえ……"銀嶺の誓い"さん、ですか。なるほど、なるほど」
善鬼は感心したように頷いた。
その眼差しは変わらず細く、微笑を崩さないまま、しかし何かを探るような静かな光を宿していた。
「それは楽しみですな。見たところ、腕も、気概も……そちらのお姉さんからも、えらい冴えた闘気を感じますわ」
「光栄ですわ」
エリナが丁寧に応じるその背後で、ミィシャがふんぞり返るように胸を張った。
「あたしら白銀級だからな!予選勝ち抜いたやつらとだって、ガチでやれるぜ!」
「ふふ、それは心強いなぁ」
善鬼の笑みはどこまでも柔らかく、けれどもその奥にある“戦士”の気配は揺るがない。
まるで、戦場に咲く花のように——柔と剛を同時に纏う、その在り方は、場の空気すら少しずつ引き締めていった。
善鬼の視線はゆっくりと移ろい、最後に、グループの中で唯一目立った反応を見せていない男へと向けられた。
蒼き瞳。鋼のように静かな立ち姿。
——カリム・ヴェルトール。
その眼差しは泰然自若。背筋は凛としており、腰の剣を撫でる仕草にも、無駄な力が一切ない。
だが、善鬼は、ほんの一瞬だけ、その姿を斜めに見やっただけで、
「ほな……あんたら全員、そろってえらい強そうやけど……」
そこでふっと笑い、柄に手を添えていた刀の背で、カリムを軽く指し示すように傾けた。
「——そちらのお兄さんだけは、ちぃっと退屈そうやなぁ?」
その一言に、一瞬、空気が凍りついた。
「……へ?」
ミィシャが最初に反応した。
耳がぴくりと動き、次いで尻尾がピンと立つ。
「は? てめぇ……今、何て言った?」
次の瞬間には、ぐいっと前へ出ようとする。
「ミィシャ殿」
だが、それを制したのは、当のカリム自身だった。
涼しい顔のまま、右手を軽く上げて制止する。
「私は一向に構わんよ。」
口元には、どこか楽しげな笑みすら浮かべていた。
「むしろ、剣士として光栄なことだ。“退屈”と言われるほど、隙がないと評価されたのかもしれん。違うかね?」
「……おおきに。まあ、そう解釈してもろてもええけどな?」
善鬼は悪びれた様子もなく、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべながら応じる。
だが、その笑顔の奥——切れ長の目の隙間から、再び鋭い光が一瞬だけ宿った。
「闘気の無い剣士ちゅうのは、珍しい存在や。……どこまでやれるんか、ほんま、楽しみやで?」
そう言って、善鬼は刀を背に戻し、ひらりと手を振って背を向ける。
「ほな、明日。ええ試合になることを祈ってますわ。よろしゅうに、皆さん」
その背中は、どこまでも軽やかで、どこまでも読みづらかった。
だが、その足取りが完全に消えた後も、ロビーの空気には、仄かな緊張感が残っていた。
まるで、侍の風が吹き抜けた後の静寂——
それは、まさに“嵐の前触れ”のようだった。
◇◆◇
善鬼が軽く手を振って去っていった後も、その場には妙な沈黙が残っていた。
華やかだったロビーの空気が、一瞬だけ冷えたように感じたのは気のせいだろうか。
けれど迅は——いや、迅だけは、別のことで頭がいっぱいになっていた。
(……やっぱり、こいつは)
脳裏に、確信めいた思考が根を張る。
善鬼の“視線”の使い方。
自分を見た時は、嬉しそうに「大きい闘気を纏ってる」と語った。リディアを見た時には、まるで宝物でも見つけたような目をしていた。
なのに——カリムを見た時間は、ほんの一瞬だった。
あの侍は“闘気”の大小で強さを測っている。きっとそれはこの世界で言う“魔力”のこと。ならば、善鬼の反応はこういうことだ。
(……カリムの魔力は、“ゼロ”に近い)
その可能性は、ずっと前から頭の片隅にあった。
今まで、どれだけ高感度の魔力干渉魔法を試しても——"魔力霧筺《マナ・シンチレーション》"を使って、周囲の魔力流を完全に可視化したとしても——カリムだけは、一度たりとも反応を見せなかった。
波も、粒子も、感応値も——何も、ない。
まるで、そこに“魔力という概念”自体が存在していないような沈黙。
(だが、あいつは……)
記憶に蘇る。
剣を抜いた瞬間に、音が消える。
踏み込んだ一歩が、距離の概念すら無視する。
相手の防御も魔法も、ただの“紙”のように切り裂かれていた。
それが“魔力強化”によるものではない。
むしろ、そういった力の加算や補正が一切“働いていない”のに——
(……あの動きが可能になる理屈が、どこにもねぇ)
魔力がゼロで、あの身体能力。
肉体強化の術式もなければ、構造魔法の痕跡もない。
彼が動けば、それはただ“人間”の筋肉と骨の構造だけで実現されている動作。
——理不尽だった。
(間違いない。カリムは、"魔力不適合者"だ)
そう思うと、全身に静かな電流が走った。
ずっと、訊こうか迷っていた。
でも、聞けなかった。
魔力不適合者への偏見や差別——それが、現実にこの世界には存在していることを、王宮の書物で読んだことがあったから。
もし彼がそうなら、その“可能性”を安易に他人の口から問うべきではないと、どこかで線を引いていた。
だが、今。善鬼の反応が、最後のピースをはめ込んでしまった。
思考の奥底で、何かが弾ける。
(……そうか。あいつ、“強くなるための魔力”すら、必要としてねぇのか)
ぞわりと、背筋に戦慄が走る。
同時に——
(……面白ぇ)
ぞくぞくするような感覚が、喉の奥からせり上がってきた。
理解できない。だからこそ、知りたい。
“科学”は、未知を解き明かすためにある。
(こいつは……魔力の本質とは別の角度から、この世界の理屈そのものを覆す、鍵になるかもしれない)
思わず、カリムの方に目をやった。
無造作に立つその背中に、戦意も魔力もない。
ただ、静かに、あの“異常な強さ”だけが、そこに佇んでいた。
(……解析してやるぜ。絶対に)
拳を握る。
それは恐れではない。
科学者としての——本能的な、飢えだった。
カリムが、ふとこちらを見た。
そして、じっと、真っ直ぐに、視線を合わせてくる。
「……?」
気配を感じたのか、首を傾げて笑った。
「どうした、勇者殿。顔が真剣だぞ?」
「あー……いや、別に。なんでもねぇよ」
「そうか。ならばよいが。」
カリムは楽しげに目を細め、意味ありげにこちらを見つめてくる。
だが、迅はその視線を受け流すように笑い、そっぽを向いた。
(あー……ますます興味が湧いてきたじゃねぇか)
その正体は、いったい何なのか。
カリム・ヴェルトール。
“この世界に、魔力無しで存在する、規格外の戦士”。
——科学じゃまだ測れない、最大の謎だ。
善鬼——その男は、まるで何気ない挨拶のように彼らへ声をかけてきたが、その目の奥には明らかに別の意図が光っていた。
その存在感は、決して騒がしくはない。
しかし、まるで“己という存在そのものが空気を変える”ような圧をまとっていた。
迅は、そんな男の前に一歩進み出ると、視線を合わせたまま口を開いた。
「……ああ。改めて、自己紹介させてもらうわ。俺の名前は九条迅。アルセイア王国から、この武闘大会に“特別招待枠”として呼ばれてきた訳だ。」
善鬼の表情は変わらない。
ただ、小さく「ははぁ」と頷いただけだった。
迅は肩越しに視線をやり、隣に立つ金髪の剣士を親指で指す。
「一緒に出場するのは、こいつ——カリム・ヴェルトール。"純粋な剣士として"なら、俺らの中じゃこいつかダントツだと思うぜ。」
自分の言葉に嘘はなかった。
これまで幾度となく、戦場で背を預けてきた男。
魔法を使わずとも、純粋な剣技と身体能力だけで、あらゆる敵を切り伏せてきた"剣聖"。
しかし——
善鬼の反応は、どこか曖昧だった。
「ほぉ……なるほどなぁ」
言葉こそ感心したような響きだが、その目線はずっと迅の方に向いたまま、わずかにカリムを一瞥した程度で流れていく。
まるで、「主役はこっち」と言わんばかりの“興味の偏り”を、隠そうともしない。
「そら納得やわ。お兄さん、めっちゃ大きい“闘気”を纏ってはるもんなぁ」
「……闘気?」
聞き慣れない単語に、迅は眉をひそめた。
だが、すぐにピンときた。
(“闘気”……魔力のことか……?)
文化によって、同じ物体や現象を指し示す言葉が異なる。これは迅が元いた世界においてもままある事だ。
善鬼は笑顔を浮かべたまま、じっと迅を見つめ続ける。
その視線は、やはり穏やかで、しかし妙に“深い”。
感情の波をまったく乱さないその目の奥に、迅は思わず身を竦ませるような妙な“圧”を感じた。
(……本気で“視えてる”って目だな)
ただ見ているのではない。
魔力の流れ、気の在り処、あるいは——その人間の“本質”すらも覗き見ようとするような、そんな視線。
善鬼は腕を組みながら、ぽつりと呟いた。
「……ああ、これは失敬。自分の出身のアカツキでは、闘気の大きさは……その者が“どれだけ世に影響を与えるか”を測る基準や言われてましてな」
「へぇ……そいつはまた、面白ぇ考え方だな」
迅は興味深げに頷きながらも、その言葉の奥にある意味を考えていた。
この世界に転移してからずっと研究してきた“魔力”という現象。
それが、まったく別の文化で“闘気”として捉えられていたことに、迅は改めて驚きを覚えていた。
そして——
「まあまあ、そちらのお兄さんも楽しみやけど……」
善鬼はふと目を細め、横目でちらりとカリムを見る。
その視線には、ほんのわずかな“見下し”と“疑問”が滲んでいた。
しかしその話は、少し先へと繋がることになる。
今はまだ——彼の興味の矛先は、別の誰かへと移ろうとしていた。
善鬼の視線が、静かに横へと流れる。
その目が、ふとカリムの姿を捉える——だが、それはほんの一瞬だった。
まるで何も得るものがなかったかのように、あっさりと彼を通り過ぎ、すぐに別の人物へと向けられる。
今度は——リディア・アークライト。
淡い銀の髪、聡明な瞳。凛とした立ち姿に、静かな知性と気高さが宿る魔法士。
善鬼の目が、細くなる。
侮りの色は、ない。
むしろ、思わず感嘆が漏れたような、穏やかで誠実な眼差しだった。
「……お姉さん」
その柔らかな声が空気をほぐすように響く。
「この中でいちばん、大きな“闘気”を持ってはるなぁ。……びっくりしたわ」
リディアのまなざしが、わずかに鋭くなる。
「……私?」
「せや」
善鬼は微笑みを崩さず、どこか丁寧にリディアを見つめる。
「纏ってる闘気の密度と練度……例えるなら、霧の中で光が差すような静けさと芯の強さや。えらいもんやな」
「……そう?過分な評価、ありがたく受け取っておくわ。」
リディアの声音は静かで、少し低い。
驚きの色を見せるでもなく、照れも浮かべない。
ただ、淡々と——けれど、ほんのわずかに、目の奥が揺れた。
善鬼は、そんな反応を面白がるわけでもなく、静かに頷いた。
「本戦には出ぇへんの?」
「私は補佐。出場するのは迅とカリムよ。」
「もったいない話やなぁ。あんたが一番、闘気の“格”が高いと思ったんやけどな」
「別に、前に出て戦うことだけが力の使い方じゃないでしょ?」
ぴしゃりと言い切るわけでもなく、しかし揺るぎのない響き。
善鬼の評価を受けて舞い上がるでも、謙遜して照れるでもなく。
あくまで自分の役割を淡々と受け入れている、リディアらしい応対だった。
「……なるほど。肚《はら》ぁ括っとる人の目やな、それ」
善鬼の口調には、素直な敬意が滲んでいた。
リディアは短く頷くだけで、それ以上何も言わなかった。
しかし、その目にはわずかな光が宿っていた。
自分の力を“見抜いた”という事実への、淡い驚きと、ほんの少しの——誇り
善鬼の目がリディアからすっと逸れ、次にゆっくりと視線を巡らせた先に立っていたのは、銀の鎧を纏った一人の剣士——エリナ・ヴァイスハルトだった。
「お姉さんは……」
柔らかな口調のまま、善鬼が問いかける。
「そちらさんも、出場選手で?」
エリナはふわりと微笑み、スカートの裾をつまんで淑やかに一礼した。
「ええ、今大会には"銀嶺の誓い《シルバー・オース》"の一員として参加させていただいておりますわ。私と、そちらの猫獣人——ミィシャが、出場いたしますの」
「へえ……"銀嶺の誓い"さん、ですか。なるほど、なるほど」
善鬼は感心したように頷いた。
その眼差しは変わらず細く、微笑を崩さないまま、しかし何かを探るような静かな光を宿していた。
「それは楽しみですな。見たところ、腕も、気概も……そちらのお姉さんからも、えらい冴えた闘気を感じますわ」
「光栄ですわ」
エリナが丁寧に応じるその背後で、ミィシャがふんぞり返るように胸を張った。
「あたしら白銀級だからな!予選勝ち抜いたやつらとだって、ガチでやれるぜ!」
「ふふ、それは心強いなぁ」
善鬼の笑みはどこまでも柔らかく、けれどもその奥にある“戦士”の気配は揺るがない。
まるで、戦場に咲く花のように——柔と剛を同時に纏う、その在り方は、場の空気すら少しずつ引き締めていった。
善鬼の視線はゆっくりと移ろい、最後に、グループの中で唯一目立った反応を見せていない男へと向けられた。
蒼き瞳。鋼のように静かな立ち姿。
——カリム・ヴェルトール。
その眼差しは泰然自若。背筋は凛としており、腰の剣を撫でる仕草にも、無駄な力が一切ない。
だが、善鬼は、ほんの一瞬だけ、その姿を斜めに見やっただけで、
「ほな……あんたら全員、そろってえらい強そうやけど……」
そこでふっと笑い、柄に手を添えていた刀の背で、カリムを軽く指し示すように傾けた。
「——そちらのお兄さんだけは、ちぃっと退屈そうやなぁ?」
その一言に、一瞬、空気が凍りついた。
「……へ?」
ミィシャが最初に反応した。
耳がぴくりと動き、次いで尻尾がピンと立つ。
「は? てめぇ……今、何て言った?」
次の瞬間には、ぐいっと前へ出ようとする。
「ミィシャ殿」
だが、それを制したのは、当のカリム自身だった。
涼しい顔のまま、右手を軽く上げて制止する。
「私は一向に構わんよ。」
口元には、どこか楽しげな笑みすら浮かべていた。
「むしろ、剣士として光栄なことだ。“退屈”と言われるほど、隙がないと評価されたのかもしれん。違うかね?」
「……おおきに。まあ、そう解釈してもろてもええけどな?」
善鬼は悪びれた様子もなく、相変わらず人懐っこい笑みを浮かべながら応じる。
だが、その笑顔の奥——切れ長の目の隙間から、再び鋭い光が一瞬だけ宿った。
「闘気の無い剣士ちゅうのは、珍しい存在や。……どこまでやれるんか、ほんま、楽しみやで?」
そう言って、善鬼は刀を背に戻し、ひらりと手を振って背を向ける。
「ほな、明日。ええ試合になることを祈ってますわ。よろしゅうに、皆さん」
その背中は、どこまでも軽やかで、どこまでも読みづらかった。
だが、その足取りが完全に消えた後も、ロビーの空気には、仄かな緊張感が残っていた。
まるで、侍の風が吹き抜けた後の静寂——
それは、まさに“嵐の前触れ”のようだった。
◇◆◇
善鬼が軽く手を振って去っていった後も、その場には妙な沈黙が残っていた。
華やかだったロビーの空気が、一瞬だけ冷えたように感じたのは気のせいだろうか。
けれど迅は——いや、迅だけは、別のことで頭がいっぱいになっていた。
(……やっぱり、こいつは)
脳裏に、確信めいた思考が根を張る。
善鬼の“視線”の使い方。
自分を見た時は、嬉しそうに「大きい闘気を纏ってる」と語った。リディアを見た時には、まるで宝物でも見つけたような目をしていた。
なのに——カリムを見た時間は、ほんの一瞬だった。
あの侍は“闘気”の大小で強さを測っている。きっとそれはこの世界で言う“魔力”のこと。ならば、善鬼の反応はこういうことだ。
(……カリムの魔力は、“ゼロ”に近い)
その可能性は、ずっと前から頭の片隅にあった。
今まで、どれだけ高感度の魔力干渉魔法を試しても——"魔力霧筺《マナ・シンチレーション》"を使って、周囲の魔力流を完全に可視化したとしても——カリムだけは、一度たりとも反応を見せなかった。
波も、粒子も、感応値も——何も、ない。
まるで、そこに“魔力という概念”自体が存在していないような沈黙。
(だが、あいつは……)
記憶に蘇る。
剣を抜いた瞬間に、音が消える。
踏み込んだ一歩が、距離の概念すら無視する。
相手の防御も魔法も、ただの“紙”のように切り裂かれていた。
それが“魔力強化”によるものではない。
むしろ、そういった力の加算や補正が一切“働いていない”のに——
(……あの動きが可能になる理屈が、どこにもねぇ)
魔力がゼロで、あの身体能力。
肉体強化の術式もなければ、構造魔法の痕跡もない。
彼が動けば、それはただ“人間”の筋肉と骨の構造だけで実現されている動作。
——理不尽だった。
(間違いない。カリムは、"魔力不適合者"だ)
そう思うと、全身に静かな電流が走った。
ずっと、訊こうか迷っていた。
でも、聞けなかった。
魔力不適合者への偏見や差別——それが、現実にこの世界には存在していることを、王宮の書物で読んだことがあったから。
もし彼がそうなら、その“可能性”を安易に他人の口から問うべきではないと、どこかで線を引いていた。
だが、今。善鬼の反応が、最後のピースをはめ込んでしまった。
思考の奥底で、何かが弾ける。
(……そうか。あいつ、“強くなるための魔力”すら、必要としてねぇのか)
ぞわりと、背筋に戦慄が走る。
同時に——
(……面白ぇ)
ぞくぞくするような感覚が、喉の奥からせり上がってきた。
理解できない。だからこそ、知りたい。
“科学”は、未知を解き明かすためにある。
(こいつは……魔力の本質とは別の角度から、この世界の理屈そのものを覆す、鍵になるかもしれない)
思わず、カリムの方に目をやった。
無造作に立つその背中に、戦意も魔力もない。
ただ、静かに、あの“異常な強さ”だけが、そこに佇んでいた。
(……解析してやるぜ。絶対に)
拳を握る。
それは恐れではない。
科学者としての——本能的な、飢えだった。
カリムが、ふとこちらを見た。
そして、じっと、真っ直ぐに、視線を合わせてくる。
「……?」
気配を感じたのか、首を傾げて笑った。
「どうした、勇者殿。顔が真剣だぞ?」
「あー……いや、別に。なんでもねぇよ」
「そうか。ならばよいが。」
カリムは楽しげに目を細め、意味ありげにこちらを見つめてくる。
だが、迅はその視線を受け流すように笑い、そっぽを向いた。
(あー……ますます興味が湧いてきたじゃねぇか)
その正体は、いったい何なのか。
カリム・ヴェルトール。
“この世界に、魔力無しで存在する、規格外の戦士”。
——科学じゃまだ測れない、最大の謎だ。
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【村スキル】で始まる異世界ファンタジー 目指せスローライフ!
カムイイムカ(神威異夢華)
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僕の名前は村田 歩(ムラタアユム)
目を覚ますとそこは石畳の町だった
異世界の中世ヨーロッパの街並み
僕はすぐにステータスを確認できるか声を上げた
案の定この世界はステータスのある世界
村スキルというもの以外は平凡なステータス
終わったと思ったら村スキルがスタートする
異世界に転移した僕、外れスキルだと思っていた【互換】と【HP100】の組み合わせで最強になる
名無し
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突如、異世界へと召喚された来栖海翔。自分以外にも転移してきた者たちが数百人おり、神父と召喚士から並ぶように指示されてスキルを付与されるが、それはいずれもパッとしなさそうな【互換】と【HP100】という二つのスキルだった。召喚士から外れ認定され、当たりスキル持ちの右列ではなく、外れスキル持ちの左列のほうに並ばされる来栖。だが、それらは組み合わせることによって最強のスキルとなるものであり、来栖は何もない状態から見る見る成り上がっていくことになる。
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