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第147話 開戦──剣聖と剣鬼
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試合開始まで、残すところわずか——
ノーザリア王都の中心にそびえるコロシアム。その地下に設けられた選手控え室には、石造りの天井と、重厚な鉄扉が並んでいた。
その一室で、九条迅とカリム・ヴェルトールは並んで腰掛けていた。
「……へぇ。コロシアムなんてモンまであんのか、ノーザリアには」
迅が首を回し、天井を見上げながらぼやく。
その目は好奇心に満ちており、まるで修学旅行中の学生のようだった。
「まるで古代ローマみてぇだな……魔導技術で造られてる分、だいぶハイテクだけどよ」
「フ、興が乗ってきたな」
隣で笑うカリムは、いつもと変わらぬ静かな表情で、しかしどこか楽しげだった。
その手には、今しがた大会運営から渡されたルール説明書がある。
「勝敗の判定は、自立魔導装置が行うらしい。“致命的なダメージ”と判断されれば、即座に“術式強制解除”が働き、試合は中断されるとのことだ。敗者はその場で治療処置に移される」
「へぇ……それなら、命の心配はねぇってわけか」
「ふむ、だが“命を懸けずに済む”のと、“命を懸けない”のとは意味が違う。勝利を望むなら、全力を尽くさねばならん」
カリムの言葉には、どこまでも剣士としての誇りが宿っていた。
迅は、そんなカリムの横顔を見て、ふっと笑った。
「……まさか一回戦からお前の試合とはな。しかも相手は、あの"お侍さん"じゃねぇか」
「東の国の剣士、東堂善鬼。実に面白そうな御仁だ。礼儀もあるし、何より——“剣に迷いがない”」
「へぇ……さすが、見る目あるじゃねぇの」
そして——
迅は、ちらりと周囲を見回す。
控え室には、他にも選手が何人かいる。だが今は、誰もこちらには注意を払っていない。
迅は、そっと腰を前にずらすと、カリムの耳元に顔を寄せた。
「……なあ、カリム。ルクレウス王子が、何か企んでるかも知れねぇ」
その囁きは、風のように軽く、それでいて鋭かった。
「順当に行けば、お前が二回戦で当たる。用心はしておけよ」
その言葉に、カリムはわずかに目を見開く。
だがすぐに、口元に微笑を浮かべた。
「……戦いに関して誰かから“心配”を受けたのは、久しぶりだ」
その声には、皮肉も反発もない。むしろ、どこか嬉しげですらあった。
「……それにしても、急に耳元に顔を近付けるとは、勇者殿もなかなか大胆になったではないか。ドキドキしてしまった。」
「お前な……この期に及んでそういう冗談言ってる場合かよ……」
半目でツッコむ迅に、カリムは笑みを溢す。
「心配痛み入る、勇者殿。気をつけるとしよう。」
そして、ふっと顔を上げる。
「勇者殿は、別ブロックだったな。——決勝で会おう」
軽く右手を上げ、選手通路へと向かって歩き出すカリムの背中には、静かな闘志と、頼もしさが滲んでいた。
その背中に——
「おい、カリム!」
控え室の扉からひょいと顔を出したミィシャが、大股で駆け寄ると、そのままバンッとカリムの背中を叩いた。
「また、かっこいいとこ見せてくれよ! あたしが惚れ惚れするくらいにな!」
「……任せておけ」
振り返ったカリムの顔には、珍しく少年のような笑みが浮かんでいた。
「“剣聖”の名に恥じぬよう、全力で挑む。……それが、私の務めだ」
ミィシャは「よっしゃ!」と拳を握ると、手を振って選手用観覧席へ戻っていく。
カリムは、ほんのわずか笑いながら、静かに選手通路の暗がりへと歩み出した。
背筋はまっすぐで、歩幅には一点の迷いもなかった。
その後ろ姿を、迅はじっと見つめながら、小さく呟いた。
「——頼んだぜ、カリム。“一番手”ってのは、勝ち星以上に空気作るからな」
その声には、信頼と期待、そして友としての祈りがこもっていた。
◇◆◇
重厚な鉄扉が、ゆっくりと開いた。
瞬間、まばゆい陽光と、万雷の拍手がカリム・ヴェルトールを包み込んだ。
大観衆の熱気は、まるでひとつの生き物のように渦を巻いていた。
石造りの回廊から足を踏み出した瞬間、その歓声はさらに一段と高まる。
コロシアムの広さに目を奪われることはない。
カリムはただ、真っ直ぐに歩を進めていく。
目指すは、闘技場の中心。
陽光を受けて輝く金の髪。
風になびく藍色の上衣。
そして腰に佩いた、鉄拵えの鞘に収まる愛剣。
その姿に、観客席のあちこちからどよめきが起こる。
「……あれが、カリム・ヴェルトール……!」
「アルセイアの“剣聖”だって……!」
「すげぇ……まだ若いのに……!」
会場の上段、王族用の貴賓席では、ノーザリア国王・ガウェインが静かにその姿を見つめていた。
「……立ち姿が、クラウスそっくりじゃな。」
その隣に控えていたのは、青みがかった銀髪を後ろで束ねた壮年の男。騎士団長——アドラー・フロスト。
厳格な眼差しを湛え、黙して王と共に戦士の登場を見届ける。
そしてその背後。衛士として控えているのは、あの"戦律の双牙"の一人、白銀級冒険者にして魔槍の使い手・グリフだった。
静かに腕を組み、無表情なまま、下界を睥睨《へいげい》している。
そんな無数の視線を、カリムは受け止めながら歩いていた。
(……悪くない。これほどの観衆に見守られながら、己を試す舞台など、そう多くはあるまい)
歩幅は一定、呼吸は乱れず、目はただ——
対岸に設けられた、もうひとつの選手通路の暗がりを捉えていた。
「Ladies and gentlemen——!」
高らかな声が、魔導拡声器によって会場全体に響き渡った。
「いよいよ始まります! ノーザリア王都武闘大会、本戦トーナメント第一試合!」
歓声が再び、波のように押し寄せる。
「青の陣から登場するは……! 隣国アルセイアの英雄! 魔王軍を幾度となく退け、唯の一度の敗北すら知らぬ剣士!」
「剣聖──カリム・ヴェルトール!!」
その瞬間、スタンドから爆発的な喝采が巻き起こった。
観客たちの多くは、実戦での武勇伝や、噂に聞く隣国の英雄の強さに畏敬の念を抱いていた。
だが中には、派手な魔法も飛ばさず、剣一本で戦うスタイルを「地味」と評する者もいた。
だが今、彼がこうして人々の前に現れたことで、空気が一変する。
その圧倒的な“佇まい”が、すでに観る者の胸を打っていた。
「……ほぉぉ……」
反対側の通路の暗がり。
剣士装束に身を包み、腰に刀を携えた一人の男が、その名を聞いて小さく呟いた。
——東堂善鬼。
彼の目は、じっとカリムを見据えていた。
(剣聖やて……?)
眉が一瞬だけ吊り上がる。
(ほぉう……闘気の“気配”が全く無い。せやのに、あの場に立っても微動だにせん眼光……)
「……おもろいやん」
笑みが浮かぶ。
懐に手を入れ、愛刀・“東雲《しののめ》”の柄にそっと触れる。
「無敗の剣聖、カリム・ヴェルトール。ほな、どんな剣を見せてくれるんか……俺が、確かめたるわ」
「さあそして、赤の陣から登場するは……!」
会場のざわめきがさらに大きくなる。
「東の果て、“アカツキ”より来たりし謎多き剣士! 飛竜を従え、予選を無傷で勝ち抜いた──!」
「東堂善鬼──!!」
その名が告げられた瞬間、観客たちからは驚きと興奮が交錯した歓声が上がった。
異国から来た剣士。しかも予選全勝。
その肩書きと風貌は、まさに“謎”そのものだった。
だが彼自身はというと——
「……ほな、行こか」
ゆったりとした足取りで、東堂善鬼は通路の先、光に満ちた戦場へと歩き出した。
その姿には、一片の迷いもなかった。
観客席が、ぴたりと静まり返る。
万を超える観衆の息が、揃って止まるその一瞬——
まるで時が凍りついたかのようだった。
闘技場の中央、砂の舞う円形の戦場に、カリムと善鬼、ふたりの剣士が対峙していた。
距離は、十歩。
だが、張り詰めた空気は、それ以上に重い“間合い”を作り出している。
カリムは目を細め、善鬼の構えを観察していた。
(……姿勢がやや低め。だが脚の運びが重い。間合いを図るような動き。──抜刀術か。)
そして、何より——
(……目だ)
善鬼の眼差しは笑っている。
けれどその奥には、油断も慢心もない。
まるで猛獣のような直感と、剣士としての冷静な判断力が、同居していた。
一方、善鬼もまた、カリムの立ち姿をじっと見据えていた。
(ふむ。やっぱり、妙や……)
鞘に手を添えているわけでもない。
構えと呼べるほどの動きもない。
"闘気"もまるで感じない。
ただ、立っている。それだけなのに——
(隙が見えへん)
風も、呼吸も、まるで止まっているような佇まい。
だがそれは、緊張による静けさではない。
むしろ、剣を抜いたあとの残心のような“完成された沈黙”だった。
善鬼は、ふっと口角を上げた。
(──こら、ほんまもんや)
審判の騎士が、魔法拡声器でカウントを開始する。
「──試合、開始まで……!」
「……5!」
会場の空気が震える。
「4!」
誰もが目を見開いたまま、ふたりの剣士を見つめている。
「3!」
善鬼の指が、刀の柄へと軽く触れる。
その気配だけで、砂が揺れた。
「2!」
カリムは微動だにせず、ただ静かに、眼前の相手だけを見つめている。
「1……!」
空気が、止まった。
「──開始!!」
高らかな号令と共に、魔導号砲が轟いた。
ドォンッ!!
雷鳴のような轟音と同時に、善鬼が動いた。
地を蹴った音すら聞こえなかった。
砂が爆ぜ、宙に舞い、彼の身体は影のように滑る。
(早い──!)
観客席から一斉に驚きの声が上がる。
その全てを置き去りにするほどの、圧倒的な踏み込み。
善鬼の剣、“東雲”が、月光のような軌道で引き抜かれる。
「せいやっ!」
一閃。
それは“居合い”であり、“抜刀”であり、“飛び斬り”であった。
──だが。
音がしたのは、剣戟の金属音ではなかった。
風が、鳴いた。
そして、舞った砂の中に、ひとりの男の姿が、すでに“そこにいなかった”。
「……っ!」
善鬼が目を見開く。
剣は振り抜かれていた。確かに、間合いも、速度も、完璧だった。
だが、カリム・ヴェルトールは——
(“その場”に、立っていなかった)
「後ろや」
風が囁いた。
善鬼が振り返る。
そこには、静かにロングソードを下げるカリムの姿があった。
その顔には、戦いの興奮も、焦燥もなかった。
ただひとつ、確かに浮かんでいたのは——
微かな、微かな“笑み”。
(……なんや、こいつ)
善鬼の心が、揺れた。
ただ一撃。
ただ一瞬の交錯。
けれど、その“静けさ”こそが、まるで剣の本質そのもののように思えた。
(……なるほど)
次の瞬間、善鬼の目が、燃えるように光った。
(こら、ほんまもんやな)
音もなく、構えを解き、次の一手へと備える。
戦いは、始まったばかり。
ノーザリア王都の中心にそびえるコロシアム。その地下に設けられた選手控え室には、石造りの天井と、重厚な鉄扉が並んでいた。
その一室で、九条迅とカリム・ヴェルトールは並んで腰掛けていた。
「……へぇ。コロシアムなんてモンまであんのか、ノーザリアには」
迅が首を回し、天井を見上げながらぼやく。
その目は好奇心に満ちており、まるで修学旅行中の学生のようだった。
「まるで古代ローマみてぇだな……魔導技術で造られてる分、だいぶハイテクだけどよ」
「フ、興が乗ってきたな」
隣で笑うカリムは、いつもと変わらぬ静かな表情で、しかしどこか楽しげだった。
その手には、今しがた大会運営から渡されたルール説明書がある。
「勝敗の判定は、自立魔導装置が行うらしい。“致命的なダメージ”と判断されれば、即座に“術式強制解除”が働き、試合は中断されるとのことだ。敗者はその場で治療処置に移される」
「へぇ……それなら、命の心配はねぇってわけか」
「ふむ、だが“命を懸けずに済む”のと、“命を懸けない”のとは意味が違う。勝利を望むなら、全力を尽くさねばならん」
カリムの言葉には、どこまでも剣士としての誇りが宿っていた。
迅は、そんなカリムの横顔を見て、ふっと笑った。
「……まさか一回戦からお前の試合とはな。しかも相手は、あの"お侍さん"じゃねぇか」
「東の国の剣士、東堂善鬼。実に面白そうな御仁だ。礼儀もあるし、何より——“剣に迷いがない”」
「へぇ……さすが、見る目あるじゃねぇの」
そして——
迅は、ちらりと周囲を見回す。
控え室には、他にも選手が何人かいる。だが今は、誰もこちらには注意を払っていない。
迅は、そっと腰を前にずらすと、カリムの耳元に顔を寄せた。
「……なあ、カリム。ルクレウス王子が、何か企んでるかも知れねぇ」
その囁きは、風のように軽く、それでいて鋭かった。
「順当に行けば、お前が二回戦で当たる。用心はしておけよ」
その言葉に、カリムはわずかに目を見開く。
だがすぐに、口元に微笑を浮かべた。
「……戦いに関して誰かから“心配”を受けたのは、久しぶりだ」
その声には、皮肉も反発もない。むしろ、どこか嬉しげですらあった。
「……それにしても、急に耳元に顔を近付けるとは、勇者殿もなかなか大胆になったではないか。ドキドキしてしまった。」
「お前な……この期に及んでそういう冗談言ってる場合かよ……」
半目でツッコむ迅に、カリムは笑みを溢す。
「心配痛み入る、勇者殿。気をつけるとしよう。」
そして、ふっと顔を上げる。
「勇者殿は、別ブロックだったな。——決勝で会おう」
軽く右手を上げ、選手通路へと向かって歩き出すカリムの背中には、静かな闘志と、頼もしさが滲んでいた。
その背中に——
「おい、カリム!」
控え室の扉からひょいと顔を出したミィシャが、大股で駆け寄ると、そのままバンッとカリムの背中を叩いた。
「また、かっこいいとこ見せてくれよ! あたしが惚れ惚れするくらいにな!」
「……任せておけ」
振り返ったカリムの顔には、珍しく少年のような笑みが浮かんでいた。
「“剣聖”の名に恥じぬよう、全力で挑む。……それが、私の務めだ」
ミィシャは「よっしゃ!」と拳を握ると、手を振って選手用観覧席へ戻っていく。
カリムは、ほんのわずか笑いながら、静かに選手通路の暗がりへと歩み出した。
背筋はまっすぐで、歩幅には一点の迷いもなかった。
その後ろ姿を、迅はじっと見つめながら、小さく呟いた。
「——頼んだぜ、カリム。“一番手”ってのは、勝ち星以上に空気作るからな」
その声には、信頼と期待、そして友としての祈りがこもっていた。
◇◆◇
重厚な鉄扉が、ゆっくりと開いた。
瞬間、まばゆい陽光と、万雷の拍手がカリム・ヴェルトールを包み込んだ。
大観衆の熱気は、まるでひとつの生き物のように渦を巻いていた。
石造りの回廊から足を踏み出した瞬間、その歓声はさらに一段と高まる。
コロシアムの広さに目を奪われることはない。
カリムはただ、真っ直ぐに歩を進めていく。
目指すは、闘技場の中心。
陽光を受けて輝く金の髪。
風になびく藍色の上衣。
そして腰に佩いた、鉄拵えの鞘に収まる愛剣。
その姿に、観客席のあちこちからどよめきが起こる。
「……あれが、カリム・ヴェルトール……!」
「アルセイアの“剣聖”だって……!」
「すげぇ……まだ若いのに……!」
会場の上段、王族用の貴賓席では、ノーザリア国王・ガウェインが静かにその姿を見つめていた。
「……立ち姿が、クラウスそっくりじゃな。」
その隣に控えていたのは、青みがかった銀髪を後ろで束ねた壮年の男。騎士団長——アドラー・フロスト。
厳格な眼差しを湛え、黙して王と共に戦士の登場を見届ける。
そしてその背後。衛士として控えているのは、あの"戦律の双牙"の一人、白銀級冒険者にして魔槍の使い手・グリフだった。
静かに腕を組み、無表情なまま、下界を睥睨《へいげい》している。
そんな無数の視線を、カリムは受け止めながら歩いていた。
(……悪くない。これほどの観衆に見守られながら、己を試す舞台など、そう多くはあるまい)
歩幅は一定、呼吸は乱れず、目はただ——
対岸に設けられた、もうひとつの選手通路の暗がりを捉えていた。
「Ladies and gentlemen——!」
高らかな声が、魔導拡声器によって会場全体に響き渡った。
「いよいよ始まります! ノーザリア王都武闘大会、本戦トーナメント第一試合!」
歓声が再び、波のように押し寄せる。
「青の陣から登場するは……! 隣国アルセイアの英雄! 魔王軍を幾度となく退け、唯の一度の敗北すら知らぬ剣士!」
「剣聖──カリム・ヴェルトール!!」
その瞬間、スタンドから爆発的な喝采が巻き起こった。
観客たちの多くは、実戦での武勇伝や、噂に聞く隣国の英雄の強さに畏敬の念を抱いていた。
だが中には、派手な魔法も飛ばさず、剣一本で戦うスタイルを「地味」と評する者もいた。
だが今、彼がこうして人々の前に現れたことで、空気が一変する。
その圧倒的な“佇まい”が、すでに観る者の胸を打っていた。
「……ほぉぉ……」
反対側の通路の暗がり。
剣士装束に身を包み、腰に刀を携えた一人の男が、その名を聞いて小さく呟いた。
——東堂善鬼。
彼の目は、じっとカリムを見据えていた。
(剣聖やて……?)
眉が一瞬だけ吊り上がる。
(ほぉう……闘気の“気配”が全く無い。せやのに、あの場に立っても微動だにせん眼光……)
「……おもろいやん」
笑みが浮かぶ。
懐に手を入れ、愛刀・“東雲《しののめ》”の柄にそっと触れる。
「無敗の剣聖、カリム・ヴェルトール。ほな、どんな剣を見せてくれるんか……俺が、確かめたるわ」
「さあそして、赤の陣から登場するは……!」
会場のざわめきがさらに大きくなる。
「東の果て、“アカツキ”より来たりし謎多き剣士! 飛竜を従え、予選を無傷で勝ち抜いた──!」
「東堂善鬼──!!」
その名が告げられた瞬間、観客たちからは驚きと興奮が交錯した歓声が上がった。
異国から来た剣士。しかも予選全勝。
その肩書きと風貌は、まさに“謎”そのものだった。
だが彼自身はというと——
「……ほな、行こか」
ゆったりとした足取りで、東堂善鬼は通路の先、光に満ちた戦場へと歩き出した。
その姿には、一片の迷いもなかった。
観客席が、ぴたりと静まり返る。
万を超える観衆の息が、揃って止まるその一瞬——
まるで時が凍りついたかのようだった。
闘技場の中央、砂の舞う円形の戦場に、カリムと善鬼、ふたりの剣士が対峙していた。
距離は、十歩。
だが、張り詰めた空気は、それ以上に重い“間合い”を作り出している。
カリムは目を細め、善鬼の構えを観察していた。
(……姿勢がやや低め。だが脚の運びが重い。間合いを図るような動き。──抜刀術か。)
そして、何より——
(……目だ)
善鬼の眼差しは笑っている。
けれどその奥には、油断も慢心もない。
まるで猛獣のような直感と、剣士としての冷静な判断力が、同居していた。
一方、善鬼もまた、カリムの立ち姿をじっと見据えていた。
(ふむ。やっぱり、妙や……)
鞘に手を添えているわけでもない。
構えと呼べるほどの動きもない。
"闘気"もまるで感じない。
ただ、立っている。それだけなのに——
(隙が見えへん)
風も、呼吸も、まるで止まっているような佇まい。
だがそれは、緊張による静けさではない。
むしろ、剣を抜いたあとの残心のような“完成された沈黙”だった。
善鬼は、ふっと口角を上げた。
(──こら、ほんまもんや)
審判の騎士が、魔法拡声器でカウントを開始する。
「──試合、開始まで……!」
「……5!」
会場の空気が震える。
「4!」
誰もが目を見開いたまま、ふたりの剣士を見つめている。
「3!」
善鬼の指が、刀の柄へと軽く触れる。
その気配だけで、砂が揺れた。
「2!」
カリムは微動だにせず、ただ静かに、眼前の相手だけを見つめている。
「1……!」
空気が、止まった。
「──開始!!」
高らかな号令と共に、魔導号砲が轟いた。
ドォンッ!!
雷鳴のような轟音と同時に、善鬼が動いた。
地を蹴った音すら聞こえなかった。
砂が爆ぜ、宙に舞い、彼の身体は影のように滑る。
(早い──!)
観客席から一斉に驚きの声が上がる。
その全てを置き去りにするほどの、圧倒的な踏み込み。
善鬼の剣、“東雲”が、月光のような軌道で引き抜かれる。
「せいやっ!」
一閃。
それは“居合い”であり、“抜刀”であり、“飛び斬り”であった。
──だが。
音がしたのは、剣戟の金属音ではなかった。
風が、鳴いた。
そして、舞った砂の中に、ひとりの男の姿が、すでに“そこにいなかった”。
「……っ!」
善鬼が目を見開く。
剣は振り抜かれていた。確かに、間合いも、速度も、完璧だった。
だが、カリム・ヴェルトールは——
(“その場”に、立っていなかった)
「後ろや」
風が囁いた。
善鬼が振り返る。
そこには、静かにロングソードを下げるカリムの姿があった。
その顔には、戦いの興奮も、焦燥もなかった。
ただひとつ、確かに浮かんでいたのは——
微かな、微かな“笑み”。
(……なんや、こいつ)
善鬼の心が、揺れた。
ただ一撃。
ただ一瞬の交錯。
けれど、その“静けさ”こそが、まるで剣の本質そのもののように思えた。
(……なるほど)
次の瞬間、善鬼の目が、燃えるように光った。
(こら、ほんまもんやな)
音もなく、構えを解き、次の一手へと備える。
戦いは、始まったばかり。
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