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第三章 出口を探して

第33話 風呂の作法

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「おーい、イヨ君、そこにいるんだよね? おーい! あれ、もしかして人違い? って、そんな訳ないか。この世界にはイヨ君とトトちゃんしかいないんだから」

 再び浴場の方から声が聞こえた。どうやら声の持ち主は笑っているようだ。加えて、今度は意識が浴場の方へ向いていたからか、先程よりも声色を鮮明に聞き取る事が出来た。俺の記憶が確かなら、この少し低い声の持ち主は――。

「八千代さんですか? そうですよね?」

 脱衣所と浴場を結ぶ引き戸を少しだけ開け、問いかけてみた。なぜ八千代さんが男湯にいるのかは分からないが、彼女でまず間違いないはずだった。そもそもこの世界には俺の知る限りでは五人の登場人物しかいないのだから、それぞれの声色を聞き間違える事もないはずだ。

「さあね、私は一体誰だろうね。とりあえずこっちにおいでよ。そこじゃゆっくり話も出来ないでしょ」

 声の持ち主はからかうようにそう言った。
この話し方も含めて、八千代さんで間違いないとは思う。しかし、俺は念の為にゆっくりと引き戸を開けて浴場を覗く事にした。

 正面の大浴場に人影は見えない。洗い場も同様で人影が無い。しかし、その次に視線を移した先のジェットバスに、一つの小さな人影を見つける事が出来た。その人影は肩までしっかりと湯舟に浸かっているようで、こちらからは首から上のシルエットしか確認する事が出来ない。

「やぁ! イヨ君、久しぶりだねぇ。こっちこっち!」

 その人影は突如手を上げ、こちらに向かって声を発した。俺はその場でじっと目を凝らし、その人物の方へ焦点を合わせた。

「何してるんですか、八千代さん。ここ男湯ですよ」

 眼鏡を外していたので印象が違って見えたが、よく見れば、やはりその人物は八千代さんだった。

「男湯だって? そんな事は知ってるよ。私を誰だと思ってるの? 世界が違えば神とさえ呼ばれるような存在――ゲームマスターさんだよ? いいから入っておいでよ」

 前に会った時はもう少し真面目な人だと思っていたのに、今日の彼女はよっぽど良い事があったかのように言葉が軽かった。それはもう、泡のように。

「何してんの、早くおいでってば」

 少しでも足を止めていると八千代さんは俺を急かした。俺も俺でこのままでは埒が明かないと思い、手ぬぐいを腰に巻き付け、恐る恐る浴場の方へ足を運ぶ事にした。

「そんなに恥ずかしがる事は無いよイヨ君。私はそういった感情を持ち合わせてないからさ」

「どういう事ですか?」

 思わず足を止めて聞き返した。

「どうもこうも、私はゲーム運営に必要な感情以外は持ち合わせていないんだよ。喜怒哀楽っていうのなら何となく理解できるんだけどね。ま、とりあえずこっちに来てお風呂に浸かりなよ。このジェットバスっていうのはなかなか、悪くないよ」

「……わかりました」

 俺は言われるがままに八千代さんが浸かっているジェットバスへと足を運んだ。そして、八千代さんの方は極力見ないように、且つ、八千代さんの体に近付きすぎないよう注意を払って湯舟に体を沈めていった。腰に巻いた手ぬぐいは波にさらわれないよう手で押さえ、体は浴槽の隅で小さく小さく縮こまらせた。

「そんなに小さくなる事はないでしょ。ここはそういう場所じゃないんだから」

 八千代さんがゆったりと近づいて来るのが水面の揺らぎで分かった。
 それに気が付いた俺は慌てて姿勢を正した――いや、風呂での正しい姿勢をとった。具体的に言うのならば、手を広げ、足を伸ばし、海中を漂う昆布のように体を湯舟にたゆたわせる事にした。

「うむ、よろしい」

と、八千代さんの言葉がすぐ近くから聞こえる。

「それで、なんでここにいるんですか」

俺はその距離感から気を紛らわせる為に、手早く質問に移った。

「ちょっとだけ時間が出来たんだよ。それで君達の様子を見に戻って来たんだ。でも、ただ村の中で待ってても面白くないでしょ? だから、ここで待つ事にしたんだ。温泉っていう施設にも興味があったし」

「そうだったんですね。でも、俺達がルトの村にいるってよく分かりましたね」

「私を誰だと思ってるの? 『神のみぞ知る』ってことわざの『神』とは私の事を言ってると噂のゲームマスターさんだよ? 何でも知ってるよ。そりゃあさ」

 俺はトトやノノに再び問いかけたくなった。
この人を信用して本当に大丈夫なのだろうか。もう一度、ちゃんと考え直してはくれないだろうか。と。

「てことは、女湯にはノノが待ってるんですか? それともまさか、シェルって奴が女湯で待機してるって事は――」

「いやいや、今日は一人で戻ってきたの。ノノちゃんとシェル君はまだまだ作業中だよ」

「そうなんですか」

 俺は少しだけ胸を撫でおろして、話を続ける。

「様子を見に来たって事は、俺達はまだ向こうの世界に帰れないんですよね?」

「うん、ごめんね。色々と頑張ってみてはいるんだけどね。ちょっと時間のかかる問題みたいなんだ」


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