どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第一章 夜の女王とミミズク

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 ミミズクが進む方向は不自然に暗い。
 そういえば、そもそも狩りをする森がこんなに暗いのはおかしい。
 貧民はこの森は迷いやすいと言っていたが、それは磁場が狂うからだと言っていた。森の暗さが原因だとは言っていない。不可思議に闇が呼び込まれている。
 魔術が使われているのか?
 貧民の顔すら朧げに見えるほどの暗闇に突入すると、遠くでランプの灯りが見えた。
 余談だが、貧民の背が高過ぎて、見える世界が違う。飛ぶミミズクも近い。巨人の世界に迷い込んだような、不思議な感覚がする。

「あれ」
「うん、いこ」

 道は狭く、歪な形をした木が多い。そのせいで、抱えたまま近付くのは難儀だった。貧民は私を降ろすと、先導するように手を引いた。
 耳元で羽の音がして、なにかが私の肩に止まる。毛を擦り付け、ほうと喉の奥で声を鳴らす。


「こら、ミミズク」
「はなおとめ、はなおとめ」
「私ははなおとめじゃない」

 ぼけぼけミミズクめ。なぜ突然、私の肩に着地するんだ。私はお前の止まり木じゃないぞ。


「あれ、あぶないよ。はなおとめは近付いちゃいけない」
「どういうこと?」
「まじゅつが満ちてる。じゅつしがいるよ。この世を塗りかえる。死者が生者になる」

 なんだ、このミミズク。怯えているのか。
 毛を撫でてやると、なぜか突かれた。痛い、なんだこいつ!

「はなおとめ、ひわい!」

 ひわい?
 卑猥!
 私にむかって卑猥だと、このミミズク!
 ありえん。こっちは心配してやっているというのに。
 ぐぎぎと歯噛みしていると、貧民が溜息を吐いて手を引っ張る。

「ほら、子供じゃないんだから」

 なぜ私が窘められているんだ!







 ふつふつと憤怒を抱えながらランプの灯りの方へそろりそろりと向かっていた私は、聞き覚えのある声に体の動きを止めた。
 ミミズクと貧民がそれに合わせて動きを止める。
 よくよく耳を澄ませてその声が本当に知っているものなのか、思案する。
 間違いない。サラザーヌ公爵令嬢だ。
 ミミズクがどうしたの? とばかり毛を触れ合わせてくる。悔しいがちょっと可愛い。むぎゅっと抱き締めたくなってきた。
 卑猥だなんだと騒ぎ立てたミミズクなんだが。


「ねえ、あんた」

 貧民の声を無視して、サラザーヌ公爵令嬢の死角に回り込む。侍従らしき男がランプを持っている。その男を見て、ミミズクが警戒するように喉を鳴らす。おそらく、この男、清族だ。
 サラザーヌ公爵令嬢の前には誰か人がいた。目を皿のように細めて、その人物を見つめる。
 ランプの光に照らされ、火であぶられたように映るその顔。

「ギスランのところの貧民?」

 小声で確認するように溢す。たしか、ここにいる男の貧民と出会った日に私の護衛をしていたはずだ。
 なんであいつの貧民がサラザーヌ公爵令嬢と会っているの。
 神経を研ぎ澄まして、彼らの会話を聞き取る。


「あの女も終わりね。……ギスラン様はなんとおっしゃっているの?」
「恋しい貴女様にはやく会いたい、と」

 もじもじと体を揺らし、サラザーヌ公爵令嬢は照れた。サラザーヌ公爵令嬢とギスランは繋がっていたのか?
 ギスランがサラザーヌ公爵令嬢に好意を抱いているわけではないだろう。これは、つまり、私を失脚させるために行動していたということか。そのためにあのお茶会はそのために開かれたのだろうか。
 だから、ギスランは参加するように言い含めた?
 どこからが、ギスランの謀だったのか。私が鳥人間に襲われたところからだろうか。そういえば、リストがギスランを怪しむような言動をしていた。

「ふふふ、今日の醜態。貴族全体に伝わりますわ。婚約者を、しかもギスラン様を貧民のように扱うだなんて。愚かなお姫様だわ」

 うるさい。耳に痛いことを言うな。私が一番そう感じている。
 ギスランは王族の血の代わりを見つけ出しているのか。それとも、王族の血などもはやいらないほど一族は栄えているのか。
 舌を噛んで死んでしまいたくなるような屈辱だった。なるほど、私はじたばたとギスランの手のひらの上で醜態を演じていたというわけか。
 この女は、それを内心、手を叩いて笑っていたのか。
 視界が汚水のように濁る。今すぐにでもサラザーヌ公爵令嬢の顔面に拳を叩き込んでやりたい、乱暴な気持ちになった。
 冷静に事実を受け入れようとしているのに、大雨が降っているようなどうしようもない絶望が頭を占拠している。
 ギスランが私を裏切った。私を失脚させようとした。
 心が壊れたみたいに、だんだんと頭が真っ白になる。

「ーーそれで、例のものはあるのでしょうね?」
「こちらに」

 貧民の女が革で出来た鞄を差し出した。
 サラザーヌ公爵令嬢は、中身を確認するとうっとりとした声を出した。

「ええ、ええ。これだわ。これだわ」

 鞄の中身を出す。はっきりとは見えなかったが、真珠のネックレスではないだろうか。白い粒が光った。
 サラザーヌ公爵令嬢はいったいなにをギスランから買った?
  サラザーヌ公爵令嬢は貧民に青い薔薇のつまった花束を渡した。

「ねえ、ちょっと。あんた、あいつらに用があったんじゃなかったの」

 ランプの光で照らされ、貧民の顔がよく見えた。渋い顔をしている。私は首を振った。

「お前、言っていたじゃない。貧民が迷うって。だから、お前の仲間をミミズクが迷わせるのかもしれないと思って」
「……」

 貧民が不審がるような眼差しで私を見た。
 ミミズクも私を責めるように嘴で髪をつついてくる。そんなことしないよといじけているようだ。
 さっきからこのミミズク、私をなんだと思っているんだ。
 私に嘴があったら、仕返してやっていたぞ。
 もだもだしているうちに、サラザーヌ公爵令嬢は帰っていく。ギスランの貧民の女はランプに火をつけ、時間をおいて出て行った。

「やばい、あの人のあと、つけなきゃ。ここ、どこだかもわかんないし」

 そうだ、私達、帰り道が分からないのだ。

「このミミズクだったら外まで案内できるんじゃないの」
「……そいつ、寝てるよ」

 肩に乗っていたミミズクはすやすやと寝ていた。このミミズク、自由気まますぎるだろう。
 頭の痛みを堪えつつ、貧民のあとを追う。
 今はギスランのことを深く考えたくなかった。



 森から闇のような暗さが退いている。どうやら、森の不可解な陰鬱な闇はサラザーヌ公爵令嬢の従者の清族が作り出したものらしい。
 おそらく、誰かが森に迷い込んで来てもあの場所にたどり着けないような術がかけてあったのだろう。ミミズクの後ろをついていった私達には効かなかったようだが。ミミズクよりもあの清族の男の力が劣っていたのだろう。
 森の出口付近で、ミミズクが肩から羽ばたいた。
 くるくると私の周りを飛び回る。
 空を飛び回る姿を見ると幼い、気ままなぼけぼけミミズクだとは思えない。
 体は大きいし、よく見ると端正な顔立ちをしている。近寄られると、むわっとする獣の臭いはちょっと苦手だが、許容範囲だ。
 女神カルディアと間違えて慕ってくる。はなおとめ、なんて可憐な呼び名で。
 このミミズク、何歳なのだろうか。まさか、聖書の創世記からいる奴だったりして。

「はなおとめ、行っちゃうの?」

 貧民の女は、すでに視界の外だ。ギスランの元に帰ったのかもしれない。
 貧民が私を一瞥した。シャツの端で拭い、手を差し伸ばしてくる。

「ここにいれば、いいよ」
「帰ろ」
「森にいれば傷付かないよ。だれも、はなおとめにいじわるなんかしない」

 ぎょっとして伸ばしかけていた手を引っ込め、振り返る。
 森にいたら傷付かない。
 心臓が凍りそうになる。嘘だ、それは。
 衝動的に否定したくなった。

「きみには悲しんで欲しくない」

 声色が変わった。
 金を鉄で打ったような、玲瓏な声だった。
 傷付かない場所とはどこのことだろう。私が殺されず、裏切られずに住む世界だろうか。夢のような世界だ。

 ーー辛いだけの現を殺して、森へ。ミミズクの元へ。
『夜の王とミミズク』の最後は王の独白で終わる。
 愉快なミミズクの話を聞いたあと、王は宮廷に戻る。王妃の心が変わっているのではないかと期待して。しかし、王妃は相変わらず不貞を続けているのだ。王はまた、ミミズクの元へ帰る。辛いだけの現を殺して、森へ。ミミズクの元へ。
 ミミズクが迷わせるとは森にいたら安全だと囁き、その誘惑に陥落したものに物語をきかせることなのだろうか。
 だとしたら、なんて甘美な誘惑なんだろう。一日中、誰に気兼ねすることなく、物語を聞いていられるのだ。害されることがない、卵の殻のなかのような世界。
 赤子のように丸まって、優しい声に耳を傾ければいいのだから。


「悲しくない世界なんてない。傷付かない世界なんてない」

 貧民の言葉は突き放すようで、だからこそ胸に刺さった。この言葉は槍だ、とずきずき痛む胸をおさえる。

「この世界は地獄みたいなもんだよ。人が育てた花を、貧民が育てたからって言って燃やす奴やむしって食べる奴がいる。……でも、どっかののろまなお貴族様みたいに綺麗だ綺麗だって、もてはやす奴もいる」

 ……おい、のろまな貴族様って、 私のことか?
 感傷が吹き飛んだ。この貧民、むかつく。どうしてそう、言葉を選ばない言い方をするのか。

「綺麗って、汚いがないと生まれない」

 温かな手で掴まれ怯える。

「この森にずっといたら花が綺麗ってことさえ忘れちゃうよ。曖昧になって、ああ、もしかしたら汚かったかもしれないと思うようになる」

 じんわりとした体温が、憎い。
 槍で貫かれた心臓ごと熱くなる。

「それって、あんたには悲しくない?」
「そんなわけない」
「それにこんな森にいたら、俺の花、見れなくなっちゃうよ。綺麗だ綺麗だって褒めてたの、嘘?」
「嘘じゃない」
「じゃあ、一回見たら満足? お貴族様は綺麗なものばっか見てるから、飽きちゃった?」
「飽きてない!」

 ああ、もう、降参だ。
 なんだ、この貧民。貧民らしくない、とかそういう問題じゃない。
 この男は、おかしい!
 だって、私の心が変だ。沸騰するみたいに音を立ててる。声をきいているだけで息苦しくなる。なのに、叫ばずにはいられない。

「お前の花がもう一度見たい!」

 朝露のように水を浴びて輝く花。小さな虹。飛び回る虫。あの神聖な光景をもう一度見たい。
 貧民の手をぎゅっと握る。意地悪げな瞳がほんのり赤らむ。ぎゅっと握り返された。
 ぽとりと頭の上になにか落ちてきた。
 頭上ではミミズクがぱたぱたと羽を忙しなく動かしていた。

「きみが幸せになれますように」

 そういうと、機敏な動きで森の奥へ飛んでいく。
 貧民が私の頭からなにかを取り上げた。
 それを見て、驚く。
 白い小さな花で編んだ花冠だった。




 霞のような空気に斜陽があたって眩しかった。
 花の世界は陽気に風がそよいでいた。花園に帰ってきたのだ。色とりどりの花が、風が吹くたび空に花弁を舞わせている。
 貧民の温かな手が離れていく。
 これからどうするべきか。
 ギスランを問い詰めるべきかもしれない。私一人ではどうにもならないだろうから、リストに頼み込んで一緒にいて貰った方がいいだろう。
 いくら、ギスランの口が上手くとも、リストまで言いくるめられはしないだろうから。
 問題は、リストが今日、この学校にいないことだ。軍の演習に参加しているのだ。
 ギスランに遭遇しないように、部屋にこもって明日、リストを緊急だと呼び出すか。
 ……忘れていた。部屋に戻れば、刺客がいる可能性が残っている。
 いや、待てよ。そもそも、ギスランが私を裏切ったと本当に考えていいのか。
 だが、サラザーヌ公爵令嬢と森で密会していたのは、逃れようもない事実だ。代理に貧民の女を立てるというのはどうかと思うが、サラザーヌ公爵令嬢と繋がっているのは確かだ。
 ギスランが私以外の令嬢を寵愛することで、私が失態を犯すだろうことを予測していたのだろうか。
 頭の整理がつかない。なんだか、納得がいかない気もする。ギスランが私に失態を犯させ、利益が出るのか。鳥人間をギスランが造り、私に差し向ける理由は?
 私は鳥人間を送り込んだのはあの女とばかり思っていた。だというのに謎が増えた。やはりギスランを問い質すことが必要か。
 ぐるぐる考え込んでいた私の頭を、貧民が花冠で軽く叩いた。花冠は落としそうになったので、貧民が奪ったのだ。


「あんたさ、帰りたくないんだよね?」


 こら、不遜だぞ。背が高いからといって上から私を叩くな。
 見上げると、貧民はなにやら考え込んでいた。
 なにをそんなに考えているのだろう。

「えっとさ、その、もしあれなら、来る? たぶん、今日なら、ばれないと思う」
「来るって、どこによ」

 言いにくそうに袖をもぞもぞと伸ばしながら、やがて決心がついたのか、貧民の意地悪そうな瞳が私を射抜いた。

「俺の家」

 貧民の家。
 それって、あの家畜小屋のことか!
 反応に遅れていると、早口でまくしたてられた。

「今日、みんなで慰霊会をするから。騒がしいし、酒酔うし、一日起きてなきゃいけないけど、来たいなら、連れていってもいいけど」

 尊大な言い方なのに、だんだんと声の大きさが尻すぼみになっていく。
 つい、口元が緩んだ。

「誘うなら、もうちょっと気障に言わなくちゃ、ついていかないわ」

 泥と葉っぱ塗れでドレスを汚している人間がよく言うと思いながら、少女らしい冷淡さで顔を背ける。
 すると、貧民は不恰好に跪き、求婚者のようにミミズクのくれた花冠を差し出した。
 片膝立ちするのが難しいのか、ふらふらしている。全然に合わないぞ。
 吹き出しそうになるのをおさえて、貧民の言葉を待つ。

「そんなに帰りたくないんだったら、一緒にくれば」
「やり直し」

 もっと真面目にやれと視線で促す。

「俺と一緒に来てみればどうですか、のろまなお貴族様」
「口説き文句として最悪」
「……あんた、何様なわけ。何回、やり直しさせられるの」
「のろまなお貴族様よ。お前の言葉を借りるなら」

 髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、貧民が困った声を出す。

「行くの、行かないの?」

 答えるのに戸惑う。
 本来ならば絶対にいけないことだ。
 王族が貧族の住処に足を踏み入れる。身分の垣根を越えることは階級社会の否定だ。
 それはつまり、王族である自分自身の否定となる。そもそも、貧族だぞ。なにを絆されそうになっているんだ。家畜だ。人のかたちをした。
 だが、目の前にいるのは、人間なのだ。私と同じように考える力がある。
 それにミミズクの話が真実ならば、私達人間に差があるのか。そもそも、私とこの貧民との明らかな差は?
 考えれば考えるだけ、自分が深い沼の底に沈んでいくようだ。
 明確にこれだと言えるような核がない。そもそも、貴賎とはなにかと問われた時に、宝石や質の高い絹を持っていないことや人に媚び諂う態度でしか表すことができない。
 本当ならば、もっと顕著な差があるのではないのか。
 いや、そうでなければ困るのだ。私が王族という偉大な存在があるためには。


「俺達が人間じゃないから、行きたくない? 家畜小屋に足を踏み入れるのはまっぴらなんだ」
「お前は人間なんでしょう」
「俺らは人間だよ。でも、俺らが人間だって認められないっていう顔してる」

 短い沈黙が流れた。

「……分からないの。お前が人間なのか。それとも家畜なのか」
「人間だよ」

 言い聞かせるように貧民は何度も言った。

「人間だ」

 今まで目を逸らしていたことに何度も光が当てられる。まだ、実感がない。これまで人間ではなかったのだ。今だって、気がつくと家畜としてみてしまっている。
 貧民と心で唱え、疎外している。
 この貧民の名前さえ知ろうとしないのだから。
 これは都合のいいように断片的にしか真実を見ようとしていないのだろうか。
 だから、ギスランもサラザーヌ公爵令嬢に靡く?

「知ってよ。俺は人間だって」

 知るって、勇気のいることだ。
 知らなかったときには戻れない。
 ああ、もう、いつまでうじうじ考えるつもりだ!
 いつまでも同じ場所で足踏みをしている場合ではない。私は知りたいのだ。そうでなければ、こんなに悩んだりするものか。
 たとえ知ることになって、何かを失ったとしても、知らないよりはましだ。
 無知は罪。私は思考停止するの人間になりたくない。

「お前が貧民という家畜でないならば、名前を教えて」
「ハル」

 名前が染み渡っていく。
 ハル。この男の名前だ。この男の名前を、今知った。

「ハル……私はカルディア。女神と同じ名前よ」
「カルディア」

 名を与え合うことの素晴らしさをはじめて知った気がする。名を呼ばれると、胸がきゅんと跳ねる。天帝が花の名前を呼びたいと願った理由がわかった気がした。

「知ってもいい? お前達が人間だってこと」
「知って欲しい、俺達が人間だってこと」
「ーー行きたい。お前達の家に」

 ハルは不恰好な礼をして、私に花冠をのせた。

「しかたないなあ、あんただけ、特別だよ」

 満足そうに言うものだから、つい笑いが抑えきれなった。吹き出した私につられ、ハルも笑った。
 身分なんて存在しないような、穏やかな時間だった。こんな時間が長く続けばいいと、この時はまだ思っていた。
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