どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 ザルゴ公爵と別れた。
 あの公爵はおそらく本物のザルゴ公爵だ。
 今日喋ってその思いがますます強固になった。だが、世間一般では死人ということになっている。
 なにか裏を感じるが、王族と言っても私はろくに情報網を持っていないし、王国の裏の事情を看過できるほど、貴族との繋がりもない。真相にたどり着けないだろう。
 ただでさえギスランに起こったことやテウ、ハルのこと思うと頭が痛いのに、わからないことだらけだ。
 私の周りで起こっているのに、さっぱり事情が理解できないことが連発している。これはこういうことさと解説してくれる先生はいないものか。
 思案しながら、遠回りして部屋に戻ることにした。テウの情報を集めるためだ。
 といってもどう集めればいいか。貴族の奴らに聞いて下手に勘繰られると面倒だ。かといって、平民に訊くと私の立場がない。侍女達が噂話をしてくれていればいいのだが、あいにくとこの頃忙しいらしく、彼女達が暇そうに井戸端会議を開き喋っている姿は見ない。
 前方に現れた貧民を見て、立ち止まる。貧民は螺鈿細工が施された水盆を手にしていた。
 たっぷりと水で満たされ、表面にはギルの花が浮いている。風流で、涼感があった。手や足を清めるのに使うものだろう。
 問題は運んでいる人間だ。モニカだったのだ。
 立ち止まりモニカの名前を呼ぶと、彼女は静かに顔を上げて私を見た。
 彼女と会うのはハルが案内してくれた貧民の家以来だ。私のドレスのことは知っている。だから、位が高いことは予測がついていただろう。だが、こうやってきちんとした服装で対峙するのは初めてだった。
 久しぶりなので、私のことを覚えているかも分からない。
 少し髪の毛が伸びただろうか。全体的にほっそりとした薄幸そうな見た目をしているので、今にも手折られてしまいそうなほどか弱い。水盆を持っていると今にもひっくり返してしまいそうだ。

「久しぶりね。お前、どこへこれを運んでいるの?」

 尋ねて、自分の失策に気がつく。モニカは声が出せないのだった。慌てて答えなくていいと首を振る。
 リュウが目の前で殺されたところを見て、それが原因で声が出せなくなってしまったのだとハルから聞いた。鳥人間が彼女の声を奪った。リュウは生きているがその事実は変わらない。

「元気だった?」

 首が横に振られる。警戒をひしひしと感じた。
 私のことを覚えていないのかもしれない。このまま、話しかけていいものか。
 目の奥にクマが出来ていた。ハルやカンドがいなくなってしまったのだ。
 事情を知るよしもないモニカにとってみれば、心配になるのも当然だろう。

「そうよね……。ごめんなさい、引き止めたりして」

 モニカは何度も気にするなと首を横に振った。ゆっくりと水盆を地面に置くと慰める様に私のドレスの袖を掴み、くいくいと引っ張る。幼気な仕草に言葉が詰まった。
 私を覚えていないのに、心配してくれているらしい。
 思いやりに、視線が上がる。

「リュウは生きていると知っている?」

 口が大きく開く。目も同じように見開かれた。

「あいつ生きているのよ。私は一度あったことがある」

 モニカの視線は私から自分の手に移った。彼女は自分で頬を叩いたのち、痛みにここが現実だと確認したようだった。
 口がぱくぱくと動く。言葉はなくても表情だけで安堵しているのがわかった。
 リュウのやつ本当に知らせてはいなかったらしい。

「会いたい?」

 戸惑う時間の空白があった。そのあと、モニカは小さく横に首を振り否定した。

「会いたくないのは、怖いから?」

 怖くはないのだとモニカは否定する。ではなぜ会いたくないのだろうか。私ならばきちんとあって、無事を確かめたい。
 水盆の水が波紋を広げる。花がゆらゆらと波紋に合わせて揺れた。
 ギルの花の青さが水の上にあるとその美しさが際立つ。

「会いたくなったらイルに言うといいわ。あいつならば斡旋してくれる。イルとは会う?」

 モニカは杯を掲げて乾杯する仕草をした。相変わらず宴となるとちゃっかり参加しているみたいだ。イルはあれでいて抜け目がない。よく怠けるし、力の抜き方を重々承知している。
 モニカと別れようとしたとき、少しだけ悩んで、ハルのことを訊いた。今、どこにいるか知らないかと。厚顔無恥な質問だ。ハルは、刑吏に捕まれば極刑は免れない。それを許してはいけない立ち位置なのに、モニカに探りを入れている。
 モニカは負い目があるように目を伏せて首を横に動かした。

「ハルとカンドも帰らない。そのことをモニカはどう思っているのかしら」

 モニカを引き留め続けるのもよくないと思って別れたあと、私は考え込んでいた。
 ハルやカンドがモニカとどんな関係だったか知らないが、気が置けない関係のように見えた。同じ階級だからというよりは、単純に親しかったからだと思う。
 最初は心細く思っただろうか。どうして帰ってこないのかと眠れぬ夜を過ごした? やがて、なにも感じなくなってしまったのか?
 だからリュウにも会いたくないのか。何も感じていないというところに、刺激を加えられ、平穏が壊されるのが嫌だから。死者が蘇ったという僥倖を、僥倖だと捉えられないのかもしれない。
 あるいは死人が蘇るという珍事は僥倖ではなく、凶事だと疎んじているのかもしれない。熱心な女神カルディアの信者ならばそう考えるのも無理からぬ話だ。
 神が人を作り出した。だからこそ、人は神を越えてはいけない。
 モニカのことを熱心な信徒だとは思ってはいなかった。そういった熱狂的なものは、清族に多いからだ。だが、貧民のなかにもそれに縋るしかないと信じて、女神カルディアへの信仰を厚くするものがいることは知っている。モニカは心のよりどころとしてリュウへの恋心より信仰心を選んだのか。
 リュウもザルゴ公爵も一度は死んだとされている。どちらも元の場所に帰ることを望んでいないし、戻ろうという気配も見せない。
 ならば、モニカが会いたくないという反応を見せるのは、お互いにとって都合がいいのかもしれない。

「難しいわね……」

 単純明快であれば苦労はしない。人の感情は入り組み過ぎている。喜怒哀楽の四つの感情しかなければ、もっとうまく、容易に他人と付き合っていける気がする。

「戻らないと」

 私が今欲しいのはテウの情報だ。これ以上の脱線は遠慮したい。
 気持ちを切り替え、階級盤へ向かう。リュウがいないのは階級の変動があるからだとイルは予測していた。ならば、きっと人はそこに集まる。そうすれば、いきなり貴族へと上がったテウの話が出てきてもおかしくはない。
 ――その判断は、正しくはなかった。
 玄関先は立ち見までいるほどの盛況ぶりだった。まるで祭りが行われているようだ。
 それほど、階級の変動は皆が気になる催事扱いらしい。
 全校生徒が参加する行事は珍しい。フォードでは存在しなかった。一定の娯楽として提供されているのかもしれない。そうだとしたら、それはこの学校にとってはいいことなのかもしれない。
 なにせ、貧民にとってはあまり損のない遊戯だからだ。階級が上がることはあっても下がることはない。見ているだけと決めたのならば、貴族達の一喜一憂を傍目で観ながら嘲笑うことができる。
 サガルと貴族達の遊戯がもともとの発祥だと言う。では、サガルはなんのためにこれを学校にいる学徒達に適応させようと思ったのだろうか。
 階段の手すりに体を乗せて、下を覗き込む。群衆のなかに、サガルの姿を見つけた。
 低い襟の立つシャツに紺色のベスト、同じ色のネクタイを重ねたよくある紳士服だ。シンプルなのに、息を呑むほど似合っている。
 美しいサガルが見れて眼福だった。見惚れて、ずっと眺めていたくなる、
 だが、見つめるうちに、サガルの顔に微かな違和感を感じ取った。緊張していると言っていいのか。表情が強張っている。唇を噛み締め、何かに耐えるような仕草をした。

「サガル」

 雑踏に紛れて、耳にまとわりつくような甘い声がするりと入り込んできた。
 記憶を揺さぶるドロドロに溶けそうな甘い声。熱を加えたバターのように意識がどろりと溶けていく。
 湧き上がる憎悪とともに声の主を探す。すぐに声の主人を見つけた。
 太ももまでスリットの入ったドレスの上に、毛皮のコートを羽織った女。誰よりも美しく、端然として歩く。
 側を歩く豪華な顔をした侍女な醜女に見えるほど、彼女は美しい。
 国で一番美しいと言われた女。王妃が、侍女を引き連れ、サガルに近付いていく。
 生徒達が女が動くたびに虫のように群がって歓声を上げる。その声に応えるように、細い手がひらひら動く。ぞっとするほど白い手を見て、私の心臓はばくばくと音を立てた。立っていられないほど目眩がする。あの女がそこにいる。あの女が!
 その場に蹲る。気がついたら、荒い息を吐き出していた。
 脂汗がドレスに染みをつくる。
 立ち上がれなかった。甘い声と歓声は私の耳をを通り過ぎていく。
 胸を殴られたように痛む。意識がかすれ始めた。白く視界がぼやけていく。

「可愛いサガル。私を慰めておくれ」
「――はい、母上」

 意識が途絶える瞬間、あの女の媚びる声が耳に張り付いた。



 真っ赤に染まる母の腹部。そこから何かを取り出すあの女。
 口に含み、美味しそうに咀嚼している。
 助けようとする私をサガル兄様がおさえこんだ。
 助けて。助けて。助けて。助けて。
 喉が張り裂けそうなほど叫んでも、誰も助けてはくれない。立ち尽くし、暴食を見守るだけだ。
 誕生日には、みんなが笑顔になる。美味しいお菓子を食べて、お茶をして祝う。優しい気持ちで、おめでとう。そう言ってくれるのだと思っていた。
 だって、童話ではそうだったから。『おかしなお茶会』ではそうだった。
 誕生日さえ知らない孤児が奇怪な妖精達に誕生日を祝って貰う優しい童話。
 砂糖菓子を食べたように心が満たされる、祝福の物語。
 私もそうなれるのだと、勘違いしていた。
 私は穴蔵のような場所に住んでいた。陽の当たらない場所に、サガル兄様と二人っきりだった。
 食事を運んでくる侍女はサガル兄様の病気が移ると怖がってろくに仕事をしなかった。
 二人して、部屋の埃を食べて生き繋いでいた。
 部屋にたくさんあった本の頁を破って食べたこともある。美味しくなかったし、ごわごわして嚥下しづらかったけれど、生きていくためには仕方がなかった。
 それでも、外に出ればなにか変わると思っていた。陽の当たる場所に出れば、童話のようにめでたしめでたしで終わるものだと思っていた。
 私が生きていてもいいのだと、誰かが祝福してくれるのだと勝手に思い込んでいた。だから、誕生日にお茶会を開いた。
 父王や母を呼んだ。兄様達、貴族達、ギスラン。皆に祝って欲しかった。
 私にはその資格があるのだと、傲慢にも思い込んでいた。

 そんな大それた願いを抱くこと自体、私には不相応だったのだろうか。
 手を伸ばして、誰かが助けてくれるのを、ずうっと待っている。救い出してくれるのを待っている。助けてと声を張り上げる。助けると言ってくれる人を待っている。
 殺さないで、生かして、救って。
 誰も死なないで!

 けれど、知っている。
 助けなどこない。
 救いはない。
 私は祝われなかった。
 私の誕生に、祝福はなかった。

 全てが終わったあと泣きながら『おかしなお茶会』を読んだ。
 読み終えて、笑った。おかしなお茶会は、誕生日を祝福される子供の話ではなかったからだ。
 奇怪な妖精達は子供の誕生を祝福した。しかし、それと同時に呪いも与えた。いや、呪いを与えるために、祝福したのだ。
「お前は明日死ぬのだよ」と妖精は子供に語りかけた。今日が終わったら、お前の命は私達が貰う。舌舐めずりする妖精達に、それでも子供は喜んだ。子供は誰かにそうやって相手にされることが嬉しかったのだ。最後の一行には、妖精達のお腹が膨れた描写が書かれていた。丸く太った腹を撫でながら、妖精達は春の夢に溺れる。
 読み終えたあと、全て忘れることにした。本を暖炉に焚べて、薪のように燃やす。私が望んだ物語はここにはなかった。いや、きっとどこにもないのだ。
 子供が生まれたことは祝福に値しない。獣が自分の誕生を祝わないように、人間の誕生もまた、さして喜び祝うものでもない。
 ずっと穴倉のような場所にいた。それが悲しいとは思わなかった。サガル兄様がいてくれたからだ。
 でも、塔の扉は開いて、サガル兄様は部屋から出て行ってしまった。残された私は日々、幸せそうなサガル兄様を見て嬉しかった。笑っている兄様は綺麗だったし、心の奥が満たされたからだ。
 それだけで、よかったのに。いつからか自分もああなりたいと思ってしまった。褒められたい。みんなと話したい。私を認めてもらいたい。幸せになりたい。
 童話のように、自分も幸せになれるはずだと勘違いしていた。そんな童話はなかったのに。
 消し炭になった灰を花壇の土に混ぜる。もうこれで、思い出すこともないだろう。
 ――でももし、そんな童話があったら、読んでみたい。妖精達に祝われて、すくすくと成長する子供の話があれば、救われる気がする。そうしたら、本棚に飾ろうか。きっと一番収まりのいいところに飾るのだ。
 右上がいいか、左上がいいか。それとも右下? 左下?
 甘い自分の考えを否定するように首を振って、顔を上げる。花壇に太陽の光が燦燦と降り注いでいた。


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