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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「へえ、ジョージって奴にかあ」
後日、テウだけに事情を説明した。ケイは外に出した。あいつは聞き分けがよくて、命令したら拒否することはない。
トーマは相変わらず面会謝絶。イヴァンは音楽会を開いたせいで貴族からお誘いがひっきりなしらしい。行ってもいい? とお伺いをたてられて妙な妬心のせいでいけばと冷たく突き放してしまった。言わずに行けばよかったのに。報告されると、あっちを優先されたような気がして落ち着かない。
なので、テウの部屋には私以外誰もいない。
「連れ出されて、巻き込まれた。お姉さんは巻き込まれやすいなあ」
のんびりとした口調なのに、声は低く、冷たかった。出された食事をつまらせそうになる。水を流し込んで、テウの表情を伺う。
「それで、どうしてそいつを水葬してあげるの。罪人は土葬だよね?」
「……そこまで悪い奴じゃなかったのよ。関わった時にはどうしようもなかったけれど、それでも、酷い男じゃなかった」
「けれど、お姉さんにやったことは酷いことだよね? それに『カリオストロ』の信者ならば報告対象だ。ジョージがトーマの魔術を打ち壊しにした可能性だってないわけじゃないし。……どこかから情報がもれたって話ぐらいきいているよね?」
「それは……。そうなのかも、しれないけど」
喉がからからにかわいていた。水を口に含む。血の味がするような気がした。
「お姉さんはその可能性を考慮してもなお、ジョージを罪人として処断するべきではないって思うんだね。ジョージではない、他の人間が冤罪で捕らえられても構わないってこと?」
「それは飛躍し過ぎだわ。それに、情報をもらしたのがジョージだけとは限らないでしょう」
「でも、ジョージだけだとも考えられる。……お姉さんは何も変わらないね」
「どう言う意味?」
テウのいうことはもっともだ。私の希望的な観測があっていたとしても、間違っていたとしても、正確な情報を共有するために、隠すべきじゃない。いざとなったときに、疑われる可能性だってある。メリットとデメリットの天秤がつり合っていない。
「行き当たりばったりのどうしようもないお姫様だってこと」
声が明るくて、驚いてしまう。テウは法悦を噛みしめるように、うっとりと笑んだ。
「俺は構わないよ。内緒にしていても」
「本当に……?」
「うん。トーマ、知り合いに裏切られたなんて知ったら可哀想だから。……二人だけの秘密にしよう」
「イヴァンにも言ってはいけない?」
「うん、そう。というか、今更だけど本当にイヴァンを従者に加える気なんだね」
……もう、ここまできて仕舞えば仕方がない。私もあいつを従者だと認めてしまっている。あいつは私のものだ。
「あいつ、私の従者だと触れ回っているみたいだもの。今更否定するのもおかしいでしょう?」
「俺は、イヴァンのことあまりよく知らないから仲良くできるといいなあ」
「皆できちんと食事をとる機会を設けたいわね。テウ、料理を作ってくれる?」
「ジョージって豆をペーストしたものとか好きなのかな。生野菜より、煮た方がいい?」
さっきよりも楽しそうに微笑むテウにほっと胸を撫で下ろす。
料理のことを語るテウが私は好きだ。こいつが何にも縛られず、自由に動いて楽しんでいるように見えるから。
「お前の料理は全部美味しいから心配しなくても大丈夫よ」
「本当? そう言って貰えるならば、嬉しいな」
「いつもありがとう、テウ。お前のおかげで、美味しい料理が食べられるわ。まだ、毒見が必要な時が多いけれど」
「……うん。大丈夫、俺は分かっているから」
分かっていてくれているならばよかった。
この頃のテウの料理は舌に合う。私の舌に合うということは……と考え始めると虚無に陥るので考えないようにする。
テウの料理は美味しい。それだけで今はいいのだと思う。……思いたい。
いずれ、考えなくてはいけないのだとしても、今はテウが作る食事に舌鼓をうっていればいい。
「トーマ、まだ治らないのかな。ご飯食べさせてあげたいのに」
「……どうなのかしらね。誰に聞いても答えてくれないし。ヴィクターはまだあの魚にかかりっきりなのでしょう?」
「そうみたいだね。……あの時は驚いたなあ。まさか、天から金塊が落ちてくるなんて。『カリオストロ』なんてどうでもよくなっちゃったもんね」
曇天から金塊が落ちてきたと、あのあと大変な騒ぎになった。貴族、平民、貧民関係なく拾い集めていたらしく、その滑稽な争奪戦が新聞に載ったほどだった。
結局、全部サガルが没収し、校舎の修繕にあてると発表した。その一件があったせいか、学校内は少し浮き足だったように、ふわふわとした興奮で満ちていた。
実は最初の一粒はまだ大切に持っている。金に替えるという発想にはならなかった。神秘的な輝きを毎夜眺めると、心臓が甘くはねる。ヴィクターはこれを天帝の力だと言うように言っていたが、どうなのだろう。
謎めく神の真意に想いを馳せながら、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませるのが楽しい。
他の奴らもそうなのではないだろうか。これは何だと思い悩むのがたまらない。こうなのではと仮説を立て、こうなのでは? と触れ回る喜び。
空に魚が浮いていたり、金塊が降ってきたり、ぼろぼろの校舎よりも不可思議な謎に、皆が現を抜かしている。
「おかしなものよね。あんなことの方が関心を惹くのだから」
「この頃、悪いことばかりが横行したからじゃないかな。悪い方に針が触れ過ぎると、反動が来るんだよ。優しくて、温かくて、心地よい不思議なものに触れたくなるんだ」
「そう言うもの?」
「だっていつまでも不幸に浸っているのはつまらない。浮き沈みがあるからこそ、人は楽しめるんだ。刺激がないとね」
そう言いながら、テウはジェラートを出してきた。冷えた器にスプーンが当たると、きーんと美しい音がした。
「他人の生死なんて、娯楽だよ。これなんかもそうだったりするんだけどね」
テウが持ってきたのは、子羊のソテーだった。添えられたトマトとキャベツの組み合わせが鮮やかで、食欲をそそられる。
「どうぞ、召し上がれ」
ケイという男は不思議だ。こちらの心が見えるのではというぐらい聡い時がある。
一手先を見通しているというのだろうか。あれをしなくてはと思ったら、すでに万全の準備が整えられているのだ。
それに、案外お喋りなたちではない。むしろ無口な方だろう。なのに、朗らかな人間を装っている。無理にしているという風ではないのがなお不思議だった。
「姫、そろそろ、あいつが帰って来ますよ」
「あいつって、誰? イルのこと?」
唐突に告げられた言葉に首を傾げる。
「まさか。イルはもうしばらくかかりますよ。まだ呂律が戻らなくて。サリーです」
「サリー?」
知らない名前だった。探すように視線を彷徨わせる。ケイが教える、女の名前。
「もしかして、あの侍女? サリーという名前なの」
「あれ、教えてなかったんですか」
サリー。サリーと言うのか。どうして教えてくれなかったのだろう。ケイの口から聞くよりも、本人から聞きたかった。
「――ああ、ほら。もう来た」
とんとんと軽く新しくつけられた扉を叩かれる。
入ってと声をかけると、ゆっくりと扉が開く。
「姫! 大変お待たせいたしました。また、お世話をさせていただきます」
「――え?」
いつもの整った顔つきの女はそこにはなかった。頬骨まで、口が裂けていた。肉と骨が見える。痛々しい傷を強調するように、雑に縫われた痕。脂肪の塊のようなものがどろりと、出来物みたいに吹き出して来ている。
「お、お前、その姿は」
「あ、お見苦しいところを申し訳ございません。カルディア姫のお目に触れるのに、はしたない」
「そうではなくて。誰にやられたの! どうしてこんなこと」
「違います。カルディア姫。誤解をなさらないで。わたしが自分でやったのです」
嗜めるような優しい声で、サリーは間違いを指摘した。
「どんな責め苦にあっても次こそは失神などしないように、鍛えました! これで、もう二度と、カルディア姫がお一人で頑張られることはありません」
「なにを、言っているの……。お前は術で眠らせられたはずでしょう。お前が気にする必要なんてないわ。本当に誰がそんなことを……」
そもそも、清族の術は常人が耐えれるものではないはずだ。対抗できるような高価な魔石でも持っていれば別だろうが、それだって万能というわけではない。
サリーが動けなかったのは仕方がなかった。もしイルだったとしても清族に正面からこられたら、難しかったはずだ。
「そうはいきませんよ。ギスラン様からは死んでも守れと厳命を受けているんですから。ね、サリー」
「ケイの言う通りです。ギスラン様の寛大な御処置に感謝するとともに、いっそうカルディア姫のために身を粉にして働きたいと思います」
「そうではなくて……!」
言いたいことが全く伝わっていない。
どうして忠誠心を深めるのか、わからない。
どうして私を恨まないのだろう。反発しないのだろう。ロディアの方が、まだ反応として合っている気がした。私を見下して、どうしてと詰る。その方が健全なのではないのか。
「安心して下さい、カルディア姫。今回は勇んで来たので治してないだけですの。清族に頼んで目立たないように術をかけてもらいますので」
「……だから、そうではなくて」
「ああ、分かりました! 誰かから傷付けられたと思って悩んでいらっしゃるのでしょう? 心配なさらないで。これは自分自身でつけた傷です。口を裂いたら、目がすっきり覚めたんです」
目がきらきらとしていて、ぞっと怖気が走った。
痛かったはずなのに、そんなことより実りがあると言いたげだ。
サリーは恥ずかしがるように両手を合わせて胸にあてる。
「だって、カルディア姫に褒めていただいたから。顔が綺麗、スタイルもいい。はじめて褒めていただいたから。とってもとっても嬉しかったのです。泣きたくなるほど、嬉しかったから。そんな褒めていただいた顔が汚く歪むだなんて。自分が許せなくなって、怒りで、自我が保てましたの」
「もう、いいから。はやく、清族に治して貰ってきて」
「――はい。カルディア姫。力不足な身ですが、また仕えさせて下さいますか?」
「……ええ。いってらっしゃい。サリー」
名前を知っていたことに驚いたのか、一瞬、瞳孔が開いた。彼女はそのまま、嬉しそうに目を細めると、痛々しい口のまま笑った。
「いってきます」
可愛らしく駆けていく姿を見送って、ゆっくりと座り込む。喉がからからで、頭に霞がかかったような気分だ。
ケイが毒見をしてグラスに注いだ果実水を差し出してくる。
「凄いことになりましたね、サリー」
「サリーは心を壊したの……? もっと休暇を与えてやるべきなのではないの」
「まさか。まあ、壊れていたのかもしれませんけど。あれはサリーなりの愛情と執着の発露です」
水を流し込む。湿った喉の奥が、逆に熱くなって痛かった。
「俺が知っているのは、ギスラン様に侍女を罷免されそうになったこととそれを拒んだことです。絶対に二度と同じ失態は見せないと言って、証拠を見せるからと泣きついたとか」
「証拠って……」
「サリーが言った通りですよ。爪剥いだり、皮剥いだり。これ以上の話は自重しますが、一日三回は清族の世話になっていますね」
「は、話が違うわよ!? 私はサリーの治療をしているものとばかり」
「そんなことは一言も言っていないです。そもそも、ギスラン様は仕事が出来ない人間に優しくありません」
もっと喉を潤したくなる。水差しに手を伸ばして、グラスに注ぐ。
ケイが隣から手を伸ばして、毒見をした。気が付き過ぎて、少し怖くなる。イルはこんなに細やかな対応をする奴じゃなかった。
監視されているような気分だ。
「ねえ、姫。俺の考えを聞いてくださいますか?」
「なに」
「サリーは貴女に自分の姿を見て欲しかったんだと思います。清族にいつだって治して貰えただろうし。ギスラン様だって見苦しい姿を見せるなと厳命していらっしゃるはずだ。けれどそうしなかったんです」
「どういう意味だか分からない」
ケイは苦笑した。
「自分以外の侍女を持って欲しくないからですよ。だから、自分はこんなに身を犠牲にしてお役に立ちますと主張しているんです」
「そんなことをしなくても、無事な姿でいてくれればよかったのに」
「それだけじゃ駄目ですよ。大事にされてはいるけれど、代わりを容認する言葉でもある。サリーは俺の存在が気に入らないんです。だって、俺がサリーより活躍したらあいつの戻る場所なんてありませんから」
ギスランが前に言っていた。自分の価値は結局のところ相対的なものだ。自分以外の人間と比べられて初めて、地位を確立できるのだと。
「頑張りは目に見えるところに掲げておかないと。努力は訴えなくちゃ誰も見向きもされませんから」
主張しなくちゃ、俺らみたいな人間を見てくれる奴はいませんと、真面目腐った顔でケイがこぼす。
「だからこそ、どれだけ献身的で、盲目的か見せないと。愛を、執着を形にしないと」
グラスを傾けるのが怖い。毒がないのは確認済みなのに、もっと恐ろしい塊を呑み下さねばならない気がした。
居場所の椅子取りゲーム。誰にも渡したくない自分の地位。サリーの気持ちが分からない。また酷い目に合うかもしれないのに、どうして私の侍女を続けたいと思うのだろう。何もいいことなどないし、私みたいな陰気な女の世話をしなくちゃいけないのに。
「さっきので、味をしめたかもしれません。心配されるだなんて、甘露な蜜だ。もっともっとと欲しがって、いずれ顔を焼くんじゃないかな。貴女のために」
喉はからからだ。私は覚悟を決めてグラスを傾ける。
ケイは不吉な予言を溢し、口の端を上げて笑った。
「そうなっても、いつでも構わず捨てていいんですよ。所詮、貴女以外は変えがきく駒。サリーに飽きたら、また別の人間が用意されるだけです」
喉を焼くような痛みが走った。
俺のこともと、ケイは笑って指を指す。
「どうか、そのときがずっとずっと後になりますように」
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