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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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「やっと出てきたな。カルディア」
「っ!」
聞き覚えのある声に硬直する。
リストも同じくだ。だが、リストの方が立ち直りが早かった。軽く頭を下げる。
「兄上」
「リストも。久しぶりだな。元気にしていたか?」
「フィリップに振り回されていますよ」
「あいつらしい。聞いたか、代理の話」
苦々しい笑みを浮かべてリストが頷く。
「今、詳細を聞きました。兄上は?」
「今からだ。本当にあいつの考えは読めんな。そこが楽しくもあるんだが」
「楽しまれているのは兄上ぐらいですよ。俺はごめん被りたい。フィリップの言は毒のように強烈だ」
「そう邪険にするな。じゃじゃ馬のようで飼い慣らしがいがあるだろうが」
リストの兄、クロードだ。次期宰相であり、今は宰相の仕事を手伝っている。
正確な名前は、クロードディオス。
父王様の名を少し受け継いでいる。
だが、父王様の名前を少しでも名乗るのはおこがましいと自分でクロードと呼べと言い回っている。
リストの兄だがどうしようもない男だ。本人は宰相になる気はさらさらない。けれど、能力は頭ひとつほかよりも抜き出ており父王様も認めている。
好きなことは接待と賄賂と娼婦。だらしのないことこの上ないが、リストとの仲は何故かいい。
正直苦手だ。たまに舐めるように全身を見られることがある。愛人の子だからだろう。信を得ていないと感じる。
「動乱を招くような奴じゃないと俺は退屈だしな」
「俺は平穏を望みますよ」
「ははは、まあ、お前はな。性根がそうなんだろうな。そう考えるとフィリップは愉快だ。前はそんな奴じゃなかったと思うんだが」
ちらりと私に視線をくれて、いやらしく笑った。
「カルディアはどう思う? 一度殺されかけたことがあっただろう。ほら、贈り物の中に毒針が仕込まれていて」
「――っ!」
一歩、下がる。本当に、苦手だ。
「あの時はぎらぎらしてたよな? でも、今は表面を取り繕うのが上手くなってる。中身は昔以上に爛れてるってのに」
「兄上」
「ああ、すまんすまん。つい、な。カルディアを虐めるのは癖になる。お前が構うのも分かるな」
「……クロード、私はお前に遊ばれるためにいるわけじゃないのよ」
「なら、そう小動物のように脅えるなよ。とって食おうってわけじゃないんだぞ」
視線を逸らすととって食われそうだった。
怒りを込めて睨み付ける。ただでさえ、フィリップ兄様が言われたことで動揺しているのに、こいつに心を乱されたくない。
「クロード、お前が私を食えるわけないでしょう。そんな度胸もない癖に」
「そうだな。俺じゃあお前は食えんさ」
馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「贔屓にしていた娼婦はどうしたの? 四六時中、そばに置いているときいたけれど。カナリア様が憤慨していらっしゃったわよ」
カナリア様というのはこの男の妻。今はないファスティマ王国の王家、二番目の王女だ。大戦で大敗し、王家はアルジュナに取り込まれてしまっているが。
「カナリアなあ。あいつも、もはや王族ではないのだから、少しは弁えるべきだとは思わないか?」
「国はもうなくなってしまったけれど、王族であったことは変わらないでしょう」
「そうか? アルジュナの公爵に堕ちた王族なんて、俺だったら恥ずかしく自害しそうなものだが。それに、互いに政略結婚だと理解した上での結婚だぞ? 焦るのは、あいつの都合だろう」
自害だなんてしそうにない悪巧み顔でよく言うものだ。
カナリア様は、四度赤子を産んだが、一人は流産、残りは生後一年ほどで熱病などにやられて亡くなってしまっている。五回目ともなると皆諦めが滲む。焦りが募って当たり前だろう。
ただでさえ、レオン兄様のお子もまだだ。王族で結婚しているのはこいつとレオン兄様だけ。世継ぎをと急かされるだろうから。
「というか、カナリアがお前と文通しているだなんて初耳だな。あいつはお前のことを蔑んでいたのに、どういう心境の変化だ」
「……さあ。どうしてなのかしら」
「あててやろうか。誰にも相手にされなくなったからだ。そんな奴じゃないとお前を構ったり、頼ったりするものか」
顔に熱が集まる。馬鹿げた世迷言だとはいえなかった。
きっとそうだからだ。少なくともカナリア様は、私と交流を持とうとしていなかった。この頃、突然、文通が始まったのだ。
返事を返そうとも、送られてくる文面には彼女の言いたいことしか書かれていない。私との交流を楽しむようなことは一切ないのだ。
ただ、送るあてのない手紙が可哀そうだからと送られているようだった。
クロードはありありと侮蔑を瞳に浮かべていた。隠そうともしていなかった。
「さっさと学校に帰れ。王宮でこれ以上嫌な思いはしたくないだろう?」
クロードは私に興味を失ったのか、扉を開いて会話を打ち切った。
閉じる音だけを耳を澄まして聞いていた。
リストはせっかく来たからと言って父王様に挨拶してくると言った。
私はリストの後ろ姿を見届けて息を吐く。
馬車の前にはイルがいた。むすっとした顔をしたリュウも。
「久しぶりに屋敷に戻りたい」
クロードの言う通り、学校に行くのは癪だった。馬車に乗り込み、頭を抱える。
クロードの言葉がぐるぐると頭の中で回っていた。あいつの言葉はいつも正しい気がする。正論のような、間違えることのない金言のような。
けれども、時間が経てばそんなことはないと分かるのだ。あいつの言葉は鋭く刺さるが、見当違いが殆どだ。
ガタゴトと馬車が揺れる。
それでも、屋敷に着くまで、あいつの言葉が頭から離れなかった。
「姫!」
馬車から出ると、ベディが駆け寄ってきた。
蘭王が紹介して雇った一週間しか記憶が持たない女だ。縁があって雇っていたが、そのあととんと屋敷に戻っていなかった。だからだろうか、彼女は少しだけ太っていることに驚いてしまった。
「お久しぶりでございます。お戻りくださり、嬉しいです!」
「え、ええ」
皆に伝えてきますとベディは走り去ってしまった。
しばらくするとぞろぞろと使用人達が出てくる。わらわらと集まって、囲まれる。ほとんどが体のどこかに障害がある奴らなので、うるさくなることはない。けれど、一種の興奮状態ではあるようで、感涙して泣き崩れて皆で肩を叩き合っている。
歓待ぶりに少し気恥ずかしさを覚えながら、久しぶりに屋敷で食事をした。
「カルディア姫、何やらお客様がいらしたようなのですが」
「誰も、来る予定はないけれど」
そもそも思いつきでこちらに来たようなものだ。誰かが尋ねてくるはずもない。
「従者がこれを渡して来まして。これを渡せば分かると」
イルが掌に乗せて来たのは、藤の花だった。私の叔父、バルカス公爵の領地に生い茂る幻惑の花。
そして、本。羊皮紙ではなく、紙本だ。インクの臭いが心地よい。
『女王陛下の悪徳』の印刷本。
「お通しして。あと、お茶と菓子を。誰にせよ、味にうるさい方だろうから」
しばらくして、向日葵の色をした髪をした男が現れた。軽くお辞儀をすると、人好きのような顔をして笑った。
侍女がお茶と菓子を置いて去っていく。イルと帰る気のないリュウが私の後ろに控えていた。
顔の整った男だ。知的な眼差しとしっかりと通った鼻筋。薄い唇が弧を描くと、見惚れるほどの顔の良さ。前に挨拶をしたときよりも、なお男ぶりに拍車がかかっていた。
とはいえ、この男の一族は、似たり寄ったりの顔ばかりで、判別が難しいのだが。
特にこの男は、私もあまり会話をしたことがない。三つ子のうちの末の子。
「久しぶりね、カナン・ルコルス」
「ええ、お久しぶりです。カルディア王女。流石、僕のことを覚えて下さっていただなんて」
「お前は避暑地に向かわないの。王都の夏は暑いでしょう」
「僕は出来の悪い三男坊ですから、兄さん達に遠慮したんです」
カナン・ルコルス。
この場合、大切なのはルコルスという名前だ。リストとフィリップ兄様の会話に出てきたが、ルコルス伯爵家とは少し因縁がある。
というのも、バルカス公爵家の隣の領土なのだ。その昔は領土争いを繰り返していた因縁の相手で、今もそこまで仲はよくない。
小競り合いも多く、酷い時には刃傷沙汰になったこともあるとか。
そんな積み重ねがあるからか、バルカス贔屓――身内贔屓の現王家とは関係が悪く、議会でかなり激しく反論され、対抗勢力として目されている。
立ち回りが上手いので、王家に目をつけられてお取り潰しになるということはない。
いうなれば、現体制にとっての必要悪といった感じだろうか。王があまりに横暴を繰り返す時、横暴だ! と声を上げるのが彼ら。
そして彼らは打倒王族というような野心は持ち合わせていない。
対抗の仕方は苛烈だが、憎たらしいほど清々しいのだともいう。
理性に裏打ちされた意見なので、王族も一度持ち帰り検討する。
別に王族側とルコルス側で取引があるわけではない。
ただ、彼らが抗議するのは決まっているし、嫌味を言われるのが常だ。
ロバーツ卿は特にバルカスの遠縁だから、追求が激しいともっぱらの噂だった。
私の中では敵対するが、道理の分かるものという認識だった。
「それに事業の方も軌道に乗っていまして」
「事業? 平民のように、会社を立ち上げているの?」
珍しいことだ。
貴族は働くことを卑しいことのように思っており、パトロンになることはあっても自分の手で会社を起こそうとするものは稀だ。
「ええ、新聞社を。僕はその新聞社の記者でもあるのですよ」
「記者……? ああ、あの」
正直、記者にも、新聞にもいい思い出はない。王族はろくでもないという新聞ばかりが刷られ、読まれているのだと勝手に思っているからだ。
「そう警戒なさらないで下さい。僕は大衆に娯楽を提供しているだけ。政治批判などは滅多に行いません」
ルコルスが印刷業に精通しているは、よく知られている。ルコルスには紙本の元となる木材が豊富だ。印刷技術も日々発展させており、本の地として有名。
ちなみに藤の花はバルカスにも生えているが、そもそもその藤の花が群生する場所を巡ってルコルスと争っていたらしい。現在はバルカスの領地となっているが、ルコルスにとっては不当に占拠されている自分の領地という認識だ。
藤の花、そして紙本。二つが組み合わさるとルコルス家をしめすことになるというわけだ。
「娯楽、ね」
「あはは、兄さん達と同じ顔をなさる。卑近だとお想いになりますか?」
「……そうではないけれど。あまり、いい思い出がないものだから」
とはいえ、それはこちらの事情だ。気持ちを切り替えて尋ねる。
ルコルスの男が私を訪ねてくるなど、今までになかったこと。
なにか目的があるに違いない。
「それで、私に何の用かしら。生憎と政治のことはとんと疎いものだから、そちらではお役に立たないと思うけれど」
「いえね、インタビューをしたいと思っておりまして」
インタビューだなんて、おかしなことを。
もしかして、学校で起こった『カリオストロ』の一件か?
ならば、私が話せることは少ない。詳細は確かに聞いているが、全て知っていると驕るつもりはなかった。意図的に伏せられていることがあるはずだ。
「何の?」
「本題に入る前に、少しお話をしてもよろしいですか。緊張を解すという意味で、雑談を一つ」
「……なに?」
緊張を解きほぐすように、彼は目を伏せて笑った。
「王女は、幼い頃夢見をされたとか。内容を覚えていらっしゃいますか?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
幼い頃の記憶など、ろくに覚えていない。
「そうですか。なあに、僕もこの頃、夢を見るのです。とても甘美でーーそれでいて悪辣な夢なのですよ」
「夢を?」
「この歳になって夢の話などとお笑いになりますか」
首を振って否定する。夢だからと笑う気には決してなれない。ユリウスも、ニコラも、私にとっては夢の登場人物ではなく、息づいた現実だった。
大神と呼ばれていた彼もだ。
美しい赤い髪と赤い瞳。その鮮明さをよく覚えている。
「ならばよかった。新聞社が軌道に乗り始めた頃合いでしょうか。ある女性に愛でられる夢を見るようになりました」
薄い唇なのに、漏れ出る吐息も、声の温度も、厚い肉感があった。
「彼女はとても無慈悲な人で、僕を幾度となく試すんです。勿論、僕も黙ってはいません。彼女を虐めて、懲らしめた。けれど、彼女は強欲で、嫉妬深かった。ある日、試された」
それは夢と言うには既視感がある話だった。
カナンは歌姫を籠絡しろと命を受けた。王都一番の美女で、才女。皆が、彼女を褒め称え、歌を所望していた。
彼女はそれが気に食わなかったのだという。
「歌姫は清らかで、傲慢でした。いっそ憎たらしいほど善性を保っていた。だから、僕も憎たらしくなったんです。いい子なんて、魅力がないでしょう?」
「……どこかで聞いたことがあるようなことを」
後ろの二人は、内心頷いているかもしれないなと思った。こいつらも仕えるならば悪辣な方がいい! と語っていなかったか。
「安い女でした。閨で一夜。それだけで心を奪えた。僕は簡単な依頼に興奮して、すぐに彼女に報告をした。すると、彼女は何かを言う。――とそこで目を覚ますのです」
真剣な顔をして懊悩しているように見せているがとんでもない。
「不思議な夢でしょう?」
「そうね。でも、不思議。私と同じ夢を見ていたのかしら。先の展開を知っているわ」
藤の花と一緒に贈られた『女王陛下の悪徳』を差し出す。
カナンは嬉しそうに本を手に取るとぱらぱらとめくり始めた。
「ああ、これです。これ。彼女とは――女王陛下のことでした」
「お前ねえ、人をからかって楽しいの?」
「申し訳ありません、カルディア王女。少し緊張をほぐすために話をしたかっただけなのですが」
悪意ない顔で笑われると、怒る気もなくなった。
真剣に聞いて損をした。だが、途中までカインも真剣だったようだったのに、思えた。大切な部分があったのに、急に怖くなって身を引かれたような気がする。
だが、深く切り込めば警戒して話してくれなくなってしまうだろう。
気になるが、聞けない。なんてもどかしい。
「では、そろそろ本題に移りますね。ときにカルディア王女。どれほどお知りでしょうか、カルディアという少女について」
カインは手帳と万年筆を取り出した。使い込まれているのは伺える。本当に記者として働いているのだろう。貴族がお遊びで構えているようには見えない。気迫のようなものを感じた。
背筋を正し、言葉を咀嚼する。
新聞でも取り上げていた、もう一人のカルディアの死を聞きにきたのか。
女神の名前を持つ者が私一人になったのだから、分からない話ではないけれど。
なぜいま、この時なのだろう。
「カルディアというのは、私と同じ名前を持つ少女のこと?」
「そうです。――いえ、王女にはこう言った方がよいのかもしれませんね。死んだ少女はまだ幼く、12歳にもなっていませんでした。彼女は初潮を迎え、親の強い勧めで官吏の男と来年の春に結婚する予定でした」
生々しさを覚えて、体が震える。
18歳にもなっていないと苦言を呈された私と、12歳にもならずに将来を決められる少女。同じ名前なのに、全く違う人生を歩んだのか。
「王都の学校に通い、途中で退学しました。夢見る少女で活発でしたが、平民だというのに身の程も知らずに振舞い敵も多かった。可憐な少女だったと皆が言いましたが、同じぐらい恨む声も多かった。特に、ギスラン様に近付いた悪しき女であるという声が多くて」
――え?
「勿論、ただの火遊びの相手。ギスラン様はすぐに飽きられたようでしたが、彼女は諦めきれず、しかし相手もされない。悶々とした日々のなか、親が勝手に将来を決め、最後には内臓を引きずり出された」
瞬きの回数が多くなる。動揺して、口の中が渇く。それを察知して、イルが毒見をしてくれた。見届けて、紅茶を口に含む。茶葉が浮いていて、少し濃ゆい。
「彼女は自分の名前を名乗らずにこう自分のことを名乗っていたそうです」
ごくりと唾を飲み込む。
「――リナリナと」
「っ!」
聞き覚えのある声に硬直する。
リストも同じくだ。だが、リストの方が立ち直りが早かった。軽く頭を下げる。
「兄上」
「リストも。久しぶりだな。元気にしていたか?」
「フィリップに振り回されていますよ」
「あいつらしい。聞いたか、代理の話」
苦々しい笑みを浮かべてリストが頷く。
「今、詳細を聞きました。兄上は?」
「今からだ。本当にあいつの考えは読めんな。そこが楽しくもあるんだが」
「楽しまれているのは兄上ぐらいですよ。俺はごめん被りたい。フィリップの言は毒のように強烈だ」
「そう邪険にするな。じゃじゃ馬のようで飼い慣らしがいがあるだろうが」
リストの兄、クロードだ。次期宰相であり、今は宰相の仕事を手伝っている。
正確な名前は、クロードディオス。
父王様の名を少し受け継いでいる。
だが、父王様の名前を少しでも名乗るのはおこがましいと自分でクロードと呼べと言い回っている。
リストの兄だがどうしようもない男だ。本人は宰相になる気はさらさらない。けれど、能力は頭ひとつほかよりも抜き出ており父王様も認めている。
好きなことは接待と賄賂と娼婦。だらしのないことこの上ないが、リストとの仲は何故かいい。
正直苦手だ。たまに舐めるように全身を見られることがある。愛人の子だからだろう。信を得ていないと感じる。
「動乱を招くような奴じゃないと俺は退屈だしな」
「俺は平穏を望みますよ」
「ははは、まあ、お前はな。性根がそうなんだろうな。そう考えるとフィリップは愉快だ。前はそんな奴じゃなかったと思うんだが」
ちらりと私に視線をくれて、いやらしく笑った。
「カルディアはどう思う? 一度殺されかけたことがあっただろう。ほら、贈り物の中に毒針が仕込まれていて」
「――っ!」
一歩、下がる。本当に、苦手だ。
「あの時はぎらぎらしてたよな? でも、今は表面を取り繕うのが上手くなってる。中身は昔以上に爛れてるってのに」
「兄上」
「ああ、すまんすまん。つい、な。カルディアを虐めるのは癖になる。お前が構うのも分かるな」
「……クロード、私はお前に遊ばれるためにいるわけじゃないのよ」
「なら、そう小動物のように脅えるなよ。とって食おうってわけじゃないんだぞ」
視線を逸らすととって食われそうだった。
怒りを込めて睨み付ける。ただでさえ、フィリップ兄様が言われたことで動揺しているのに、こいつに心を乱されたくない。
「クロード、お前が私を食えるわけないでしょう。そんな度胸もない癖に」
「そうだな。俺じゃあお前は食えんさ」
馬鹿にしたように鼻で笑われた。
「贔屓にしていた娼婦はどうしたの? 四六時中、そばに置いているときいたけれど。カナリア様が憤慨していらっしゃったわよ」
カナリア様というのはこの男の妻。今はないファスティマ王国の王家、二番目の王女だ。大戦で大敗し、王家はアルジュナに取り込まれてしまっているが。
「カナリアなあ。あいつも、もはや王族ではないのだから、少しは弁えるべきだとは思わないか?」
「国はもうなくなってしまったけれど、王族であったことは変わらないでしょう」
「そうか? アルジュナの公爵に堕ちた王族なんて、俺だったら恥ずかしく自害しそうなものだが。それに、互いに政略結婚だと理解した上での結婚だぞ? 焦るのは、あいつの都合だろう」
自害だなんてしそうにない悪巧み顔でよく言うものだ。
カナリア様は、四度赤子を産んだが、一人は流産、残りは生後一年ほどで熱病などにやられて亡くなってしまっている。五回目ともなると皆諦めが滲む。焦りが募って当たり前だろう。
ただでさえ、レオン兄様のお子もまだだ。王族で結婚しているのはこいつとレオン兄様だけ。世継ぎをと急かされるだろうから。
「というか、カナリアがお前と文通しているだなんて初耳だな。あいつはお前のことを蔑んでいたのに、どういう心境の変化だ」
「……さあ。どうしてなのかしら」
「あててやろうか。誰にも相手にされなくなったからだ。そんな奴じゃないとお前を構ったり、頼ったりするものか」
顔に熱が集まる。馬鹿げた世迷言だとはいえなかった。
きっとそうだからだ。少なくともカナリア様は、私と交流を持とうとしていなかった。この頃、突然、文通が始まったのだ。
返事を返そうとも、送られてくる文面には彼女の言いたいことしか書かれていない。私との交流を楽しむようなことは一切ないのだ。
ただ、送るあてのない手紙が可哀そうだからと送られているようだった。
クロードはありありと侮蔑を瞳に浮かべていた。隠そうともしていなかった。
「さっさと学校に帰れ。王宮でこれ以上嫌な思いはしたくないだろう?」
クロードは私に興味を失ったのか、扉を開いて会話を打ち切った。
閉じる音だけを耳を澄まして聞いていた。
リストはせっかく来たからと言って父王様に挨拶してくると言った。
私はリストの後ろ姿を見届けて息を吐く。
馬車の前にはイルがいた。むすっとした顔をしたリュウも。
「久しぶりに屋敷に戻りたい」
クロードの言う通り、学校に行くのは癪だった。馬車に乗り込み、頭を抱える。
クロードの言葉がぐるぐると頭の中で回っていた。あいつの言葉はいつも正しい気がする。正論のような、間違えることのない金言のような。
けれども、時間が経てばそんなことはないと分かるのだ。あいつの言葉は鋭く刺さるが、見当違いが殆どだ。
ガタゴトと馬車が揺れる。
それでも、屋敷に着くまで、あいつの言葉が頭から離れなかった。
「姫!」
馬車から出ると、ベディが駆け寄ってきた。
蘭王が紹介して雇った一週間しか記憶が持たない女だ。縁があって雇っていたが、そのあととんと屋敷に戻っていなかった。だからだろうか、彼女は少しだけ太っていることに驚いてしまった。
「お久しぶりでございます。お戻りくださり、嬉しいです!」
「え、ええ」
皆に伝えてきますとベディは走り去ってしまった。
しばらくするとぞろぞろと使用人達が出てくる。わらわらと集まって、囲まれる。ほとんどが体のどこかに障害がある奴らなので、うるさくなることはない。けれど、一種の興奮状態ではあるようで、感涙して泣き崩れて皆で肩を叩き合っている。
歓待ぶりに少し気恥ずかしさを覚えながら、久しぶりに屋敷で食事をした。
「カルディア姫、何やらお客様がいらしたようなのですが」
「誰も、来る予定はないけれど」
そもそも思いつきでこちらに来たようなものだ。誰かが尋ねてくるはずもない。
「従者がこれを渡して来まして。これを渡せば分かると」
イルが掌に乗せて来たのは、藤の花だった。私の叔父、バルカス公爵の領地に生い茂る幻惑の花。
そして、本。羊皮紙ではなく、紙本だ。インクの臭いが心地よい。
『女王陛下の悪徳』の印刷本。
「お通しして。あと、お茶と菓子を。誰にせよ、味にうるさい方だろうから」
しばらくして、向日葵の色をした髪をした男が現れた。軽くお辞儀をすると、人好きのような顔をして笑った。
侍女がお茶と菓子を置いて去っていく。イルと帰る気のないリュウが私の後ろに控えていた。
顔の整った男だ。知的な眼差しとしっかりと通った鼻筋。薄い唇が弧を描くと、見惚れるほどの顔の良さ。前に挨拶をしたときよりも、なお男ぶりに拍車がかかっていた。
とはいえ、この男の一族は、似たり寄ったりの顔ばかりで、判別が難しいのだが。
特にこの男は、私もあまり会話をしたことがない。三つ子のうちの末の子。
「久しぶりね、カナン・ルコルス」
「ええ、お久しぶりです。カルディア王女。流石、僕のことを覚えて下さっていただなんて」
「お前は避暑地に向かわないの。王都の夏は暑いでしょう」
「僕は出来の悪い三男坊ですから、兄さん達に遠慮したんです」
カナン・ルコルス。
この場合、大切なのはルコルスという名前だ。リストとフィリップ兄様の会話に出てきたが、ルコルス伯爵家とは少し因縁がある。
というのも、バルカス公爵家の隣の領土なのだ。その昔は領土争いを繰り返していた因縁の相手で、今もそこまで仲はよくない。
小競り合いも多く、酷い時には刃傷沙汰になったこともあるとか。
そんな積み重ねがあるからか、バルカス贔屓――身内贔屓の現王家とは関係が悪く、議会でかなり激しく反論され、対抗勢力として目されている。
立ち回りが上手いので、王家に目をつけられてお取り潰しになるということはない。
いうなれば、現体制にとっての必要悪といった感じだろうか。王があまりに横暴を繰り返す時、横暴だ! と声を上げるのが彼ら。
そして彼らは打倒王族というような野心は持ち合わせていない。
対抗の仕方は苛烈だが、憎たらしいほど清々しいのだともいう。
理性に裏打ちされた意見なので、王族も一度持ち帰り検討する。
別に王族側とルコルス側で取引があるわけではない。
ただ、彼らが抗議するのは決まっているし、嫌味を言われるのが常だ。
ロバーツ卿は特にバルカスの遠縁だから、追求が激しいともっぱらの噂だった。
私の中では敵対するが、道理の分かるものという認識だった。
「それに事業の方も軌道に乗っていまして」
「事業? 平民のように、会社を立ち上げているの?」
珍しいことだ。
貴族は働くことを卑しいことのように思っており、パトロンになることはあっても自分の手で会社を起こそうとするものは稀だ。
「ええ、新聞社を。僕はその新聞社の記者でもあるのですよ」
「記者……? ああ、あの」
正直、記者にも、新聞にもいい思い出はない。王族はろくでもないという新聞ばかりが刷られ、読まれているのだと勝手に思っているからだ。
「そう警戒なさらないで下さい。僕は大衆に娯楽を提供しているだけ。政治批判などは滅多に行いません」
ルコルスが印刷業に精通しているは、よく知られている。ルコルスには紙本の元となる木材が豊富だ。印刷技術も日々発展させており、本の地として有名。
ちなみに藤の花はバルカスにも生えているが、そもそもその藤の花が群生する場所を巡ってルコルスと争っていたらしい。現在はバルカスの領地となっているが、ルコルスにとっては不当に占拠されている自分の領地という認識だ。
藤の花、そして紙本。二つが組み合わさるとルコルス家をしめすことになるというわけだ。
「娯楽、ね」
「あはは、兄さん達と同じ顔をなさる。卑近だとお想いになりますか?」
「……そうではないけれど。あまり、いい思い出がないものだから」
とはいえ、それはこちらの事情だ。気持ちを切り替えて尋ねる。
ルコルスの男が私を訪ねてくるなど、今までになかったこと。
なにか目的があるに違いない。
「それで、私に何の用かしら。生憎と政治のことはとんと疎いものだから、そちらではお役に立たないと思うけれど」
「いえね、インタビューをしたいと思っておりまして」
インタビューだなんて、おかしなことを。
もしかして、学校で起こった『カリオストロ』の一件か?
ならば、私が話せることは少ない。詳細は確かに聞いているが、全て知っていると驕るつもりはなかった。意図的に伏せられていることがあるはずだ。
「何の?」
「本題に入る前に、少しお話をしてもよろしいですか。緊張を解すという意味で、雑談を一つ」
「……なに?」
緊張を解きほぐすように、彼は目を伏せて笑った。
「王女は、幼い頃夢見をされたとか。内容を覚えていらっしゃいますか?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
幼い頃の記憶など、ろくに覚えていない。
「そうですか。なあに、僕もこの頃、夢を見るのです。とても甘美でーーそれでいて悪辣な夢なのですよ」
「夢を?」
「この歳になって夢の話などとお笑いになりますか」
首を振って否定する。夢だからと笑う気には決してなれない。ユリウスも、ニコラも、私にとっては夢の登場人物ではなく、息づいた現実だった。
大神と呼ばれていた彼もだ。
美しい赤い髪と赤い瞳。その鮮明さをよく覚えている。
「ならばよかった。新聞社が軌道に乗り始めた頃合いでしょうか。ある女性に愛でられる夢を見るようになりました」
薄い唇なのに、漏れ出る吐息も、声の温度も、厚い肉感があった。
「彼女はとても無慈悲な人で、僕を幾度となく試すんです。勿論、僕も黙ってはいません。彼女を虐めて、懲らしめた。けれど、彼女は強欲で、嫉妬深かった。ある日、試された」
それは夢と言うには既視感がある話だった。
カナンは歌姫を籠絡しろと命を受けた。王都一番の美女で、才女。皆が、彼女を褒め称え、歌を所望していた。
彼女はそれが気に食わなかったのだという。
「歌姫は清らかで、傲慢でした。いっそ憎たらしいほど善性を保っていた。だから、僕も憎たらしくなったんです。いい子なんて、魅力がないでしょう?」
「……どこかで聞いたことがあるようなことを」
後ろの二人は、内心頷いているかもしれないなと思った。こいつらも仕えるならば悪辣な方がいい! と語っていなかったか。
「安い女でした。閨で一夜。それだけで心を奪えた。僕は簡単な依頼に興奮して、すぐに彼女に報告をした。すると、彼女は何かを言う。――とそこで目を覚ますのです」
真剣な顔をして懊悩しているように見せているがとんでもない。
「不思議な夢でしょう?」
「そうね。でも、不思議。私と同じ夢を見ていたのかしら。先の展開を知っているわ」
藤の花と一緒に贈られた『女王陛下の悪徳』を差し出す。
カナンは嬉しそうに本を手に取るとぱらぱらとめくり始めた。
「ああ、これです。これ。彼女とは――女王陛下のことでした」
「お前ねえ、人をからかって楽しいの?」
「申し訳ありません、カルディア王女。少し緊張をほぐすために話をしたかっただけなのですが」
悪意ない顔で笑われると、怒る気もなくなった。
真剣に聞いて損をした。だが、途中までカインも真剣だったようだったのに、思えた。大切な部分があったのに、急に怖くなって身を引かれたような気がする。
だが、深く切り込めば警戒して話してくれなくなってしまうだろう。
気になるが、聞けない。なんてもどかしい。
「では、そろそろ本題に移りますね。ときにカルディア王女。どれほどお知りでしょうか、カルディアという少女について」
カインは手帳と万年筆を取り出した。使い込まれているのは伺える。本当に記者として働いているのだろう。貴族がお遊びで構えているようには見えない。気迫のようなものを感じた。
背筋を正し、言葉を咀嚼する。
新聞でも取り上げていた、もう一人のカルディアの死を聞きにきたのか。
女神の名前を持つ者が私一人になったのだから、分からない話ではないけれど。
なぜいま、この時なのだろう。
「カルディアというのは、私と同じ名前を持つ少女のこと?」
「そうです。――いえ、王女にはこう言った方がよいのかもしれませんね。死んだ少女はまだ幼く、12歳にもなっていませんでした。彼女は初潮を迎え、親の強い勧めで官吏の男と来年の春に結婚する予定でした」
生々しさを覚えて、体が震える。
18歳にもなっていないと苦言を呈された私と、12歳にもならずに将来を決められる少女。同じ名前なのに、全く違う人生を歩んだのか。
「王都の学校に通い、途中で退学しました。夢見る少女で活発でしたが、平民だというのに身の程も知らずに振舞い敵も多かった。可憐な少女だったと皆が言いましたが、同じぐらい恨む声も多かった。特に、ギスラン様に近付いた悪しき女であるという声が多くて」
――え?
「勿論、ただの火遊びの相手。ギスラン様はすぐに飽きられたようでしたが、彼女は諦めきれず、しかし相手もされない。悶々とした日々のなか、親が勝手に将来を決め、最後には内臓を引きずり出された」
瞬きの回数が多くなる。動揺して、口の中が渇く。それを察知して、イルが毒見をしてくれた。見届けて、紅茶を口に含む。茶葉が浮いていて、少し濃ゆい。
「彼女は自分の名前を名乗らずにこう自分のことを名乗っていたそうです」
ごくりと唾を飲み込む。
「――リナリナと」
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