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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む腹の中から這い出た鼠はジタバタもがきながら、男の服を掴んでチュウチュウ鳴きながら齧っていた。ぞっとするような貪欲な食欲だ。
「あー、なるほどな。賢い術師だ」
そうこぼすと、指を鳴らした。
渦巻くような風を感じて目を閉じると、足元に確かなモノの感触があった。目を開いて、知らず知らずのうちに息を吐きこぼしていた。
よかった、今、足元に確かな土台がある。しっかりとした感触に安堵しつつあたりを見渡す。そしてぎょっとした。
足元には、白い装束の青年がいた。トーマだと顔を見て理解する。やはり見覚えはないけれど、名前だけはぱっと浮かんだ。彼ははらわたを鼠に噛まれていた。
投げ出された杖にまで鼠が群がっている。見るに耐えない腹部から目を逸らして、再びぎょっとした。彼の腰から脚が二本突き出ている。地面を踏みしめていただろう、普通の脚と合わせて四本足があった。まるで馬のような体のつくりだ。人と馬の混ぜ合わせた不完全な人馬のようだった。
「よお、兄弟」
「誰が、兄弟だよ」
怒りを含んだ声に、男は笑って答える。
「アンタと腹、おんなじにされたからな。それにしてもよく考えたな。自分の領域内にいる死にそうな人間と同期して、それを相手に送りつける呪詛返しの応用。誰もが出来る芸当じゃねえよ」
「それは、どうも」
痛みを感じていないのかと心配になりながら、鼠を払いのける。手ぐらいの大きさの鼠で、触った瞬間、生温かく濡れていて一瞬で血の気がひいた。
鼠は恨めしそうに遠巻きにしながら、またこちらに来る機会を伺っているようだ。
「でも、あんたは死にそうにない」
「体が頑丈なもんでね。なかなか死なないわけだ。お前は死にそうだな。そんな力があるのに、こんなところにいつまでもいるからだ」
「道具だからな」
「道具だあ?」
呆れたように繰り返して、男はトーマを見下ろした。
「お前、そんな気持ちでいんのかよ。道具だから、意思を持たずに殺していい。人を傷付けていいって?」
「それはーー」
「やめろ、やめろ。強い奴がそんな気持ちでいるんじゃねえよ。見ていてイライラする。相手を傷付けたら自分のせいだろ。行動には責任が伴う。人を殺せば澱みを招く。呪いを受ける。この世は因果が回るもんだろ。誰も、他人の罪に口出しは出来ねえ」
男がトーマの脚を撫でる。馬を落ち着かせるような、優しい手つきだった。
「説教すんな。見てわからないのかよ。助からねえよ、もう」
「だろうな。流石に人間は腹に穴が空いたら死ぬ」
でもといいながら、男は指を鳴らした。
何度も、何度も鳴らして、変な呪文を唱える。聞き覚えがあるのに、それは頭に靄がかかったみたいに分からなくなる。
「あ……?」
トーマの顔が羊の顔になった。手も足も蹄に変わる。体全身に白い毛が生えてきた。もう、人間の姿ではない。馬のような羊だ。いや、羊のような馬……? 少なくとも、人間というより、動物だった。
それをみて、トーマは狼狽えた。戦慄くように大きな獣の瞳孔を広げ、何度も開いては閉じる。
「これで痛みもなくなるだろ。まあ、死ぬのは変わらないけどな。……呪いを受けすぎて、痛みが強化されてても気が付かないのは術師としてどうなんだ、兄弟」
「なにした」
「元に戻してやっただけだよ。薬なんて飲みやがって、アホらしい。呪いの影響は魔力が高ければ高いほど出ない。人型なんて合理的に考えてとるべきじゃねえよ」
「そんなの、知らねえよ」
「……なんだよそれ、馬鹿じゃねえの」
真っ白な毛並みが徐々に鉄臭くなる。
息が浅い。本当にもう死んでしまう。
心臓に痛みが走る。こいつのことを知らないのに、どうしてだが、弱々しい姿に苦しくなる。まるでずっと連れ添ってきた友達に対する喪失感の前兆だ。いなくならないでと懇願しそうになるのを理性で堪える。私は本当に、トーマを知らないのだ。
「なあ、兄弟。お前、名前は?」
「……トーマ・フォン・ナイル」
「ナイル家の術師かよ。俺は、カリオストロ・バロック」
「カリオストロ・バロック……」
名前を繰り返して、トーマは山羊のように口を何度も動かした。
「あー、何かの縁だ。俺がお前の嫌いな奴を二、三人殺しておいてやろうか。ほら、喋ってみろ」
指をぱちんと鳴らすと、弱弱しくなっていた声が急に張りを取り戻した。
「トーマ・フォン・ナイル」
「それはお前の名前だろうが」
「おれを、殺してくれ」
――男はあっけにとられたように黙ると、けらけらと笑いだした。
「なんでだ?」
「もう生きていくのが疲れた」
「へえ」
「終わりたい」
消え入りそうな声に段々変わる。徐々に体から力が失われていくのがわかった。もう、手をくわえる必要がない。数分もすれば、きっと息を引き取るだろう。
男はーーカリオストロは戸惑うようにトーマの胸に手を置いた。終わりたいと、何度もトーマが繰り返す。そのうち、音が出なくなった。ぱくぱくと、口だけが小さく動く。
「殺さないの」
気がつけば問いかけていた。オクタヴィスは無慈悲に殺した癖に、何を戸惑っているのだろうか。
おかしなことだ。何故、情の一欠片もないようだった癖に、トーマのことを労る?
オクタヴィスとトーマの何が違う?
姿がおかしいから? こいつ自身も兄弟だと言っていた。親近感がわいているのか。いったい、どうしてわいた?
「もう死ぬだろ。殺そうが殺さまいが一緒だ」
それにと、カリオストロは嫌味を吐き出すように続けた。
「俺は鼠が嫌いだ。ここにいる奴らを殺していった方が胸がすく。――そんな身勝手な理由だよ」
カリオストロは、ドーマの体を焼いた。止めたが、強行した。鼠にはらわたを食い破られてしまっている以上、どうしようもないと言って悔しそうに笑った。
鼠はただ貪欲に食欲で行動しているらしい。火があがっているのに構わず突撃してキィキィと悲鳴を上げながら焼かれていく。
凄まじい臭いが、煙と共に広がる。
――逃げようという思いより、確かめなくてはならないと思った。クロードがこの王宮の中にいないかどうか。あいつが、死んでいないか確認して安心したい。
それはオクタヴィスの、ドーマの死を間近で見たからこそわきあがる感情だった。目の前で人が簡単に死んでいく。この王宮は地獄に最も近い場所に成り果てたのだ。
肉と脂が焼けている。昔、こんな風に炎が燃えているのを見たことがある。部屋中、炎にのまれてどこにも逃げ場がなかった。
炎より、鼠の方が怖くない。全身齧りつかれたって、死にたいと思ってバルコニーから飛び降りるよりは幾分かマシに思える。
「骨は拾ってファミ河に流してやるよ」
炭に変わっていくトーマに語りかけるようにカリオストロはそうこぼす。意識は完全に炎にのまれたトーマに向けられていた。
私は走り出した。下に降りるための扉に手をかける。
「――カルディア……!」
気がついた男の怒鳴り声を遠ざけるように扉を閉じた。
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