龍王級呪禁師の妄執愛は、囲われ姑娘に絡みつく

第8話

「ごめ……」
 
　謝りかけた私は、目撃してしまったものに驚いて口を噤む。水がかかったせいで、束宵スーシャオの肌に張り付いた服。淡い色合いの布地はほんのりと透けていて、そのせいで肌の色が部分的に見えていた。いや、肌の色だけでなく、そこに浮かんでいたのは――
　丸い取手を回してお湯を止めた彼は、ゆっくりとこっちを見た。
 
「……怖い？」
「それって」
「これ、怖がるかなって思って今日は見せないようにしようと思ってたのに。でも、バレちゃったらしょうがないよな。全部、見る？」
 
　濡れた上着を脱いだ彼の上半身は、鎖骨から胸にかけてなにやら文字のようなものが書かれていて、腕や腹部にもいくつかの紋様が刻まれていた。
 
「オレ、呪禁師だからね。身体に負荷を掛けないようにする術とか、呪い除けとか、そういうのを全身に彫ってあるんだよね」
 
　気持ち悪いだろ、と笑う彼に、私は小さく首を振った。彫り物のある人は何人も知っていたし、呪禁師である彼の身体にあるものが呪術的なものだろうという想像は出来た。私が驚いたのは、そこではなくて。
 
「無理しなくていい。自分でも気味が悪いって思ってるから」
 
　束宵スーシャオは笑って左腕を持ち上げてみせた。
　上半身の多くの部分を覆っている刺青の量だけではなく、彼の左腕の肩から肘、それから右手首から先、それぞれの接合部には違和感があった。見た目は人間の肉体そのもの。しかし関節は球体になっていて、まるで――
 
「こことかここは、まあ、魔物に持ってかれたのとか、呪いで使い物にならなくなったのとか。でもないと不便なことも多いから、作りものを術で動かしてる」
 
　足もだよ、と左のズボンを持ち上げられると、そこも膝下からが金属でできているようだった。
　腕にも足にも触れたのに、全く気付かなかった。特に腕は、触った感触は完全に普通の人間のようだった。私は目を丸くする。
　
「あーあ、玲花リンファがオレに慣れてくれて、ついでに好きになってくれたら。その時に見せようと思ってたのになあ。そしたら、こんな気持ち悪い身体でも少しは受け入れてもらえたかもしれないのにな。出会ってすぐに見せられても無理だよなあ。失敗したあ」
 
　風呂場の床にしゃがみこんで頭を抱えた束宵は、また目だけでこちらを見てくる。目が合えば、完全に諦めたような顔で笑みを浮かべた。
 
「でも、ま、とりあえず今晩だけでも泊っていきなよ。これから帰るのも大変だしさ。君が帰るまで、もう顔見せないから。ここを出たら、オレのことは忘れて良いから。だから、一晩だけ、どう？」

　どうしても私をここに泊めたいらしい彼の言葉は、どこか必死なように思えた。私は胸の前の布を掴みながら、首を左右に振る。

「だいじょうぶ……大丈夫だよ、束宵スーシャオの身体、きれい」

　そう言った私に、彼は驚いたように目を見開いた。それから、ゆっくりと眉が下がっていく。

「……ホントに？」
「うん」
「こんな、呪紋だらけで、しかも手足は一部しか自分の身体残ってないようなザマなのに？」
「きれいだよ」

　呪禁師という職業に対する印象と、束宵スーシャオ自身の背が高く細身な見た目もあって、筋肉などついていないのだろうと思っていた。だが、脱いでみせた彼の身体は、肉体労働をしている人たちと遜色ないほどに鍛えられていて、無駄のない筋肉質なものだった。
すらりと長い手足、小さな顔、全てが整っていて、身体中に彫られているのだろう呪術的な紋様も、人工的な身体の部分も、全部が美しく見えた。
 
「――ああ、やっぱりそう言ってくれるんだ」
 
　ほぅ、と安堵したように呟いた束宵スーシャオは私に手を伸ばしてくる。
 
「良かった」
 
　伸ばされたのは右手。彼自身の生まれながらの肉体ではない部分。躊躇せず握り返すと、彼はまた安心したように目を細めた。
 
「触ってみても良い？」

　作りものだとわかっていても、その感触はまるっきり人の肌のようで、ぬくもりもある。興味を引かれた私は彼に尋ねてみる。ぶしつけなお願いにも関わらず、束宵スーシャオは優しい笑みで返してきた。

「もう触ってるじゃないか」
「もっとじっくり」
「良いよ」
 
　手の平を見せてもらうと、一見人間の皮膚そのものではあるけれど、なにか少し違和感がある。なにが違うんだろう、と顔を近付けてよく見る。
 
「汗かかないからね」
「そっか。濡れても平気なの？」
「うん」
 
　彼は私の目の前で指を動かしてくれる。さっきまでこれでご飯を食べさせてくれたりしていたのだから、不自由なく動くのは知っていた。興味本位で手の平をくすぐると「ふはっ、やめて、くすぐったい」と笑い出す。
 
「感覚あるんだね」
「特別製だからね」
 
　動かされると関節から小さな異音がしているけど、耳を澄まさなければわからない程度だ。しばらく関心のままに手やら腕やらを触っていると、ぐいっと顔を寄せられた。
 
「ね」
「なに？」
「あんまり弄繰り回されると変な気分になるから、そろそろやめて？」
 
　言わんとしていることを理解してパッと離すと、くくっと喉の奥で笑われる。
 
「じゃあ、風呂についてはもう大丈夫だね？」
「多分」
「なにかあったら、外にいるから呼んで」
「うん」
 
　束宵スーシャオが出ていったのを確認してから、今度は手を離さないように気を付けながら髪と身体を洗う。いつもは全然泡立たない石鹸が、ここのだと面白いほどモコモコになる。質が良いからなのか、それともさっき妓楼でさんざん垢を落とされたからなのか、洗い上がりも突っ張った感じはせず肌がつやつやと輝いて見えた。
　大きな風呂桶に足をそっと差し込む。貯められたお湯は熱すぎず、しかし水でもなく、あまりにもちょうどいい温度で、いつもの癖でおっかなびっくり入ろうとしたのが莫迦みたいだった。
　――そっか。ここはあの風呂屋じゃないんだもんなぁ。
　自分一人で風呂を独占できるのも初めてだし、石鹸から花の香りがしたのも初めてだ。
 
「ここ、すごいな」
 
　さっき寝転がったベッドもふわふわで、布団も湿っていなくて変な臭いなんて一切しなかった。この屋敷の中は、どこを歩いてもなんの香りだかよくわからない良いにおいがしている。
 
「すごい」
 
　あまりにも自分とはかけ離れた世界の人の生活に、感嘆の溜息しか出ない。幸せな気分でお湯に浸かっていた私は、しばらくして頭がボーっとしてきたのを感じた。疲れているせいだろう、と思いながらまだしばらくもったいなくて浸かり続ける。いい加減出なければ、と立ち上がろうとした時、目の前がクラっと揺らいだ。