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第10話
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――それにしても……
呪禁師なんていう特別な才能が必要な仕事をしていて、しかも昨日の金遣いを見ればかなり余裕のある生活をしている人なんじゃないかと思っていたのに、不意打ちのようにあんな寂しそうな切なそうな表情を見せられると印象が変わる。
妙に親切かと思えばちょっと意地悪で、下心があるんだかないんだかわからないような行動を取る。出会ったばかりというのを除いても束宵というのはよくわからない人で、今まで私の周囲にはいなかった類の人間だった。
――なんで私を助けてくれたんだろう。
一目惚れなんて言っていたけれど、あれもからかわれていたのではないかというのが私の予想だ。
彼の行動は、野良猫を気紛れに飼おうと思うようなものなのかもしれない。
だって、本当に一目惚れをしたというのなら、もっと熱心に口説いてきても良いのではないだろうか。それっぽいことは言っても、本気かどうかがいまいち伝わってこない。
――わっかんないな。
身体を動かすのは得意だけど、考えることにはあまり向いていない私は、真面目に考えるのも面倒になって、机に額を押しつけて唸る。
「なにやってんの? もしかして、またおなか痛い?」
それからすぐ、髪を括った束宵が出掛ける準備を整えてやって戻ってきた。突っ伏している私を見て、慌てた様子で駆け寄ってくる。
顔を上げると「顔色は悪くないね」と私の頬を撫でて安堵の表情を浮かべた。
「朝から考え疲れた」
「ははっ、疲れるほどになに考えてた?」
「束宵のこと」
「なにそれ。オレのこと喜ばせようとしてる? ふふっ、本当なら嬉しいね」
「嘘ついてどうするの」
身体を起こせば「じゃ、行こうか」束宵は昨日と同じことを言って手を差し出してきた。
当然のように手を引かれて屋敷を出れば、周囲の景色を塞ぐようにまた昨日と同じ牛車が待っている。覗いてみようとしたけれど、見えるより前に束宵から背中を押されて乗り込むよう言う流される。相変わらず簾は降ろされたままで、中からはここがどこなのかわからなかった。
そこからかなり長い時間揺られて牛車は動きを止めた。
「ついたね」
扉が開けば、そこには見慣れた町に入っていくための路地があった。
昨日までは、なんの変哲もない自分自身の住み慣れた生活空間だったはずなのに、たった1日、身体を清めて清潔な衣服を身に着け良いにおいに囲まれていたというだけで、ここの饐えた匂いが不快でならなくなる。
思わず鼻と口を押さえれば、束宵に肩を抱かれた。その途端に、彼から漂う香のにおいで全部が気にならなくなる。
「自分の目で確認してみるといい」
二人並んで歩いていくと、ねっとりと絡み付くような視線が集まる。身なりのいい男と、それなりに清潔な服の女。もしかしたら、風呂に入った後の汚れのない肌に、これだけ綺麗な格好をしていると私だと気付かれていないのかもしれない。本当は朱に近い髪の色だって、普段は薄汚れて暗褐色に見えていたのだろうから、余所者が入り込んできたと思っているような視線を向けられている。
何度か角を曲がれば、徐々になにかの燃えたにおいが近付く。束宵の言葉は嘘ではなかったと足が止まりそうになるのを、背中を押されることでなんとか動かして自分の住処に向かう。最後の角を曲がると、そこには真っ黒に焼け焦げた路地裏があった。
私が住んでいた家とも言えない建物は、跡形もなくなっていた。
強い焦げたにおいに、思わず手で鼻を覆う。唖然としていると「玲花?!」見知った声がした。転げるように駆け寄ってきたのは、顔見知りの女の人だった。
「やだ、アンタ生きてたんだね! 良かった! てっきり巻き込まれたんじゃないかと……!」
私に縋りつくようにして涙を浮かべる彼女は生きていることを確認するように頭を撫でてくれる。
「おばさん……みんなは?」
「何人かは怪我をしたけど、一応みんな生きてるよ。ただ、この一帯が派手に燃えちまってね。私らに燃えて困るような大事なものなんてのはほとんどないけどねぇ。跡形もなく消し炭になるだなんて、一体なにが燃えたんだか」
「そっか」
良かった。
誰も死んでない。そのことに安堵して膝から力が抜けそうになる。崩れ落ちそうになる身体を束宵が支えてくれる。そんな私たちを見たおばさんは「この人は?」と私に小声で尋ねてきた。
「昨日、危ないところを助けてもらって、それで」
「彼女に一目惚れして、口説いている最中です」
にこりと微笑んだ束宵は見せつけるようにぐいっと腰を抱いてくる。驚く私をよそに、おばさんは「おやまあ! こんな金持ちっぽい美形なお兄さんに囲ってもらえるなんて、アンタついてるよ。良かったじゃないか」などと言い出す。
確かに豊かな生活が出来るのは理想だ。だけど、全部をなんの関係もない束宵に頼り切りになるなんていうのは変な話だろう。
「ううん、囲われるんじゃないよ」
「いや、愛人でもなんでも良いじゃないか。惚れたって言ってくれてるんだろう? だったら遠慮なく囲ってもらいな、良い生活させてもらいなよ」
「おばさんってば!」
束宵が隣で聞いているのに、どうしてそんなぶっちゃけた話をするのか。
慌てる私に「ここにいるより、ずっといい」と笑顔を引っ込めた彼女は、周囲を見回して声を潜める。
「今まではなんとか守ってやれてたけどさ、アタシも年取って客なんて取れなくなってきた。次にああいうことをやらされるのはきっと年頃のアンタだ。労働よりも楽だなんてとんでもない話だよ。もっと小さい時にそういう趣味のが漁りに来なくて良かったよ。逃げられるなら、今だよ。さっさとお逃げ」
目を細めてまるで子供を見つめる母親のような顔になった彼女は、私の髪を綺麗だと褒めてくれた後、束宵を真剣な顔で見上げた。
「ここはロクな場所じゃない。若い娘のいるべき場所じゃないんだ。アンタ、本当に玲花をここから連れ出して世話してくれるのかい?」
「そのつもりはありますよ。彼女さえ良ければ」
え? と聞き返す私を無視してふたりは小声で話を続ける。
「じゃあ、すぐにでもこの子を連れて立ち去りな。今日はまだ、怪我の手当てやら焼け跡の片付けで余裕がないけど、じきにアイツらも気付く。金が燃えちまったやつも多いからね。手っ取り早く稼ぎたいのなら、若い娘たちに――……わかるだろう?」
「……ええ」
束宵は耳飾りと指輪を外すとおばさんに握らせる。
「ご忠告ありがとうございます。それから、今日まで彼女を守ってくださったこと、感謝します」
「こっちこそ。心配事が減って助かるよ。……ほら、早くお行き。そろそろ皆起きてくる」
「おばさん、私」
「早くお行き! もう戻ってくるんじゃないよ」
「……うん」
ありがとう、と最後に一言告げて、後ろ髪を引かれる思いで足早にその場を去る。
今まで彼女、いや他の女の人たちも含めて私たちを守ってくれていたのだと知って、言い切れないほどの感謝と申し訳なさに襲われる。しかし、ここで足を止めて顔役に捕まってしまっては彼女の気遣いが無駄になる。男連中に捕まれば、束宵も私も身包み剥がされる。
誰にも見つからずに牛車に辿り着き素早く乗り込むと、またそれは動き出す。行先は彼の屋敷以外にはなかった。
呆気なく住処を無くし、仕事は日雇いのものだったから定期的に顔を出さなければいけない場所もなし、元々身寄りもない。そんな私が頼れる人は、もう束宵しか残っていなかった。
「どうする? 本当にここに住んじゃう?」
「……住む場所見つかるまで、少しだけお世話になっても良い?」
「もちろん。いつまでだっていて良いよ」
そんな彼の言葉に甘えて、私はこの屋敷で暮らしだしたのだった。
呪禁師なんていう特別な才能が必要な仕事をしていて、しかも昨日の金遣いを見ればかなり余裕のある生活をしている人なんじゃないかと思っていたのに、不意打ちのようにあんな寂しそうな切なそうな表情を見せられると印象が変わる。
妙に親切かと思えばちょっと意地悪で、下心があるんだかないんだかわからないような行動を取る。出会ったばかりというのを除いても束宵というのはよくわからない人で、今まで私の周囲にはいなかった類の人間だった。
――なんで私を助けてくれたんだろう。
一目惚れなんて言っていたけれど、あれもからかわれていたのではないかというのが私の予想だ。
彼の行動は、野良猫を気紛れに飼おうと思うようなものなのかもしれない。
だって、本当に一目惚れをしたというのなら、もっと熱心に口説いてきても良いのではないだろうか。それっぽいことは言っても、本気かどうかがいまいち伝わってこない。
――わっかんないな。
身体を動かすのは得意だけど、考えることにはあまり向いていない私は、真面目に考えるのも面倒になって、机に額を押しつけて唸る。
「なにやってんの? もしかして、またおなか痛い?」
それからすぐ、髪を括った束宵が出掛ける準備を整えてやって戻ってきた。突っ伏している私を見て、慌てた様子で駆け寄ってくる。
顔を上げると「顔色は悪くないね」と私の頬を撫でて安堵の表情を浮かべた。
「朝から考え疲れた」
「ははっ、疲れるほどになに考えてた?」
「束宵のこと」
「なにそれ。オレのこと喜ばせようとしてる? ふふっ、本当なら嬉しいね」
「嘘ついてどうするの」
身体を起こせば「じゃ、行こうか」束宵は昨日と同じことを言って手を差し出してきた。
当然のように手を引かれて屋敷を出れば、周囲の景色を塞ぐようにまた昨日と同じ牛車が待っている。覗いてみようとしたけれど、見えるより前に束宵から背中を押されて乗り込むよう言う流される。相変わらず簾は降ろされたままで、中からはここがどこなのかわからなかった。
そこからかなり長い時間揺られて牛車は動きを止めた。
「ついたね」
扉が開けば、そこには見慣れた町に入っていくための路地があった。
昨日までは、なんの変哲もない自分自身の住み慣れた生活空間だったはずなのに、たった1日、身体を清めて清潔な衣服を身に着け良いにおいに囲まれていたというだけで、ここの饐えた匂いが不快でならなくなる。
思わず鼻と口を押さえれば、束宵に肩を抱かれた。その途端に、彼から漂う香のにおいで全部が気にならなくなる。
「自分の目で確認してみるといい」
二人並んで歩いていくと、ねっとりと絡み付くような視線が集まる。身なりのいい男と、それなりに清潔な服の女。もしかしたら、風呂に入った後の汚れのない肌に、これだけ綺麗な格好をしていると私だと気付かれていないのかもしれない。本当は朱に近い髪の色だって、普段は薄汚れて暗褐色に見えていたのだろうから、余所者が入り込んできたと思っているような視線を向けられている。
何度か角を曲がれば、徐々になにかの燃えたにおいが近付く。束宵の言葉は嘘ではなかったと足が止まりそうになるのを、背中を押されることでなんとか動かして自分の住処に向かう。最後の角を曲がると、そこには真っ黒に焼け焦げた路地裏があった。
私が住んでいた家とも言えない建物は、跡形もなくなっていた。
強い焦げたにおいに、思わず手で鼻を覆う。唖然としていると「玲花?!」見知った声がした。転げるように駆け寄ってきたのは、顔見知りの女の人だった。
「やだ、アンタ生きてたんだね! 良かった! てっきり巻き込まれたんじゃないかと……!」
私に縋りつくようにして涙を浮かべる彼女は生きていることを確認するように頭を撫でてくれる。
「おばさん……みんなは?」
「何人かは怪我をしたけど、一応みんな生きてるよ。ただ、この一帯が派手に燃えちまってね。私らに燃えて困るような大事なものなんてのはほとんどないけどねぇ。跡形もなく消し炭になるだなんて、一体なにが燃えたんだか」
「そっか」
良かった。
誰も死んでない。そのことに安堵して膝から力が抜けそうになる。崩れ落ちそうになる身体を束宵が支えてくれる。そんな私たちを見たおばさんは「この人は?」と私に小声で尋ねてきた。
「昨日、危ないところを助けてもらって、それで」
「彼女に一目惚れして、口説いている最中です」
にこりと微笑んだ束宵は見せつけるようにぐいっと腰を抱いてくる。驚く私をよそに、おばさんは「おやまあ! こんな金持ちっぽい美形なお兄さんに囲ってもらえるなんて、アンタついてるよ。良かったじゃないか」などと言い出す。
確かに豊かな生活が出来るのは理想だ。だけど、全部をなんの関係もない束宵に頼り切りになるなんていうのは変な話だろう。
「ううん、囲われるんじゃないよ」
「いや、愛人でもなんでも良いじゃないか。惚れたって言ってくれてるんだろう? だったら遠慮なく囲ってもらいな、良い生活させてもらいなよ」
「おばさんってば!」
束宵が隣で聞いているのに、どうしてそんなぶっちゃけた話をするのか。
慌てる私に「ここにいるより、ずっといい」と笑顔を引っ込めた彼女は、周囲を見回して声を潜める。
「今まではなんとか守ってやれてたけどさ、アタシも年取って客なんて取れなくなってきた。次にああいうことをやらされるのはきっと年頃のアンタだ。労働よりも楽だなんてとんでもない話だよ。もっと小さい時にそういう趣味のが漁りに来なくて良かったよ。逃げられるなら、今だよ。さっさとお逃げ」
目を細めてまるで子供を見つめる母親のような顔になった彼女は、私の髪を綺麗だと褒めてくれた後、束宵を真剣な顔で見上げた。
「ここはロクな場所じゃない。若い娘のいるべき場所じゃないんだ。アンタ、本当に玲花をここから連れ出して世話してくれるのかい?」
「そのつもりはありますよ。彼女さえ良ければ」
え? と聞き返す私を無視してふたりは小声で話を続ける。
「じゃあ、すぐにでもこの子を連れて立ち去りな。今日はまだ、怪我の手当てやら焼け跡の片付けで余裕がないけど、じきにアイツらも気付く。金が燃えちまったやつも多いからね。手っ取り早く稼ぎたいのなら、若い娘たちに――……わかるだろう?」
「……ええ」
束宵は耳飾りと指輪を外すとおばさんに握らせる。
「ご忠告ありがとうございます。それから、今日まで彼女を守ってくださったこと、感謝します」
「こっちこそ。心配事が減って助かるよ。……ほら、早くお行き。そろそろ皆起きてくる」
「おばさん、私」
「早くお行き! もう戻ってくるんじゃないよ」
「……うん」
ありがとう、と最後に一言告げて、後ろ髪を引かれる思いで足早にその場を去る。
今まで彼女、いや他の女の人たちも含めて私たちを守ってくれていたのだと知って、言い切れないほどの感謝と申し訳なさに襲われる。しかし、ここで足を止めて顔役に捕まってしまっては彼女の気遣いが無駄になる。男連中に捕まれば、束宵も私も身包み剥がされる。
誰にも見つからずに牛車に辿り着き素早く乗り込むと、またそれは動き出す。行先は彼の屋敷以外にはなかった。
呆気なく住処を無くし、仕事は日雇いのものだったから定期的に顔を出さなければいけない場所もなし、元々身寄りもない。そんな私が頼れる人は、もう束宵しか残っていなかった。
「どうする? 本当にここに住んじゃう?」
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