龍王級呪禁師の妄執愛は、囲われ姑娘に絡みつく

二辻

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第13話

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 束宵スーシャオは私を愛してくれている。それは疑いようのない事実だった。
朝に晩に愛していると囁かれて、求められて、場所も問わずに身体を重ねて。そういうだたひたすらに愛される生活も悪くない、なんて思っていた。
 でも、口付けながら名前を呼ぶその唇が、時々音もなく別の名前を呼んでいるように思えてならない。けど、実際に彼が私以外の名を呼ぶことはなかったし、過去について詮索して彼の愛を失うのも嫌だった。
 ――気のせいだ。
 私は、疑わしいものからはなるべく目を逸らして生活していた。
 
 ある日の夜。私は仕事を終えて、迎えの牛車がとまっている路地に向かっていた。
夕方からしばらく騒がしかった町はだいぶ静かになり、石畳を踏む足音が妙に大きく響いている。軒先の明かりが柔らかく揺れ、足元に伸びた影は路地裏の闇に溶けていく。

「今日は遅くなっちゃったなー」

 小さく呟いた私は少し急ぎ足で進む。頭に浮かぶのは、家で待っているだろう束宵スーシャオの顔だ。いつも彼は私のことを心配している。家から出したくないという言葉だって何度も聞いている。そして、過保護だと思えるくらい念入りに、牛車の御者――これも彼の式だった――に危険がないように伝える。それが少し煩わしくもあり、けれどもそこまで私を大切に想ってくれている彼が愛おしくなる。

 路地の先に停まる牛車が見えた。店の近くに牛車が停まれるような場所はなく、またこんな立派なものに乗り込む姿を見られたら、私自身が金持ちだと誤解され追剥に合うかもしれない。店に行くときは必要以上に質素な格好にしているのも、そういう理由だった。
 もう安心だ、と微笑んで一歩踏み出したその瞬間、突然路地の空気が変わった。ひやりとした寒気が背筋を這い上がり、いつの間にか軒先に下げられている提灯の明かりが暗くなり、周囲の影が異様に濃くなっていることに気付いた。

「……なにか、いる?」

 声を出すと同時に、背後から強い風が吹きつけてきた。振り向く暇もなく、腰を冷たいなにかに掴まれる。

「……っ!!」

 驚きすぎて、声が出ない。助けを求めることも出来ずに宙に引き上げられ、見知らぬ路地裏に放り込まれた。

「っ、く」

 強かに背中を打ち付けて息が詰まる。
 土の匂いがする狭い路地。月明かりさえ届かない暗闇。貧民街で暮らしていた数年前まで、こんなものはいつも隣にあるものでこんなに恐怖を覚えたことはなかった。
 なにか来る。
 怖い。
 束宵スーシャオが助けてくれたあの日、妖に追いかけられていた時のことを思い出す。恐る恐る目を上げた私の前には、明らかに人ならざるものがいた。
 鋭い牙が覗く裂けた口、爛々と光る赤い瞳。人の姿に似せてはいるけれども、不自然に細長い手足と逆関節の足首、そしてなにかを分泌し続けている肌。それが妖であることを明確に示している。

「や……やだ……っ!」
 やっと出た声は震えて路地の向こうにいるだろう人たちまでは届かない。心臓の音が耳元で鳴り響いて、喉の奥が詰まる。私はその場に座り込んだ。
 湿った足音を立てて妖が近付いてくる。逃げようとしても背後は壁だ。張り付いたような格好で、目の前の妖を目を見開いて見つめる。にたぁっと笑う妖の腕が上がって、やっと這うように逃げ出した私の近くに振り下ろされる。バシッと音がして地面が抉れる。

「ヒッ」

 一発で殺せるだろうに、妖は必死で逃げようとする私の近くの地面を叩き続ける。遊ばれている。理解して悔しくなって涙が滲む。

束宵スーシャオ……っ」

 助けて――
 必死に彼の名前を呼ぶ。しかし、出るのは掠れた声だけ。しかも、こんな声が家で待っている彼に届くわけはない。
 ――束宵スーシャオ、ごめん。私、もうダメかも。
 遊ぶのにも飽きたらしい妖が背後に迫ってきた。泣いて堪るか、と妖を睨みつける。その時、路地の入口から重々しい靴音が響いた。

 妖が振り返る。その身体越しに、知っている人の姿。
 冷めたい月の光に照らされた上質な生地の長い衣は光り輝き、風に揺れる。その顔には、普段の穏やかさは微塵もなく、怒りと鋭い殺気が浮かんでいた。

「ね。誰に手出そうとしてんの?」

 その声は低く響き、路地全体に満ちる空気を震わせる。

「彼女の血の一滴まで、全部オレのものなんだけどさぁ。こんな怖がらせて、怪我させて……簡単に祓ってなんてやらないからね」

束宵スーシャオが手を振るうと、袖の中から符が舞い出る。符は光を放ちながら宙を舞い、瞬く間に術式が完成する。

「封雷剣」

 彼の短い言葉と共に、青白い稲妻を纏った剣が現れる。妖は後退るが、束宵スーシャオは容赦なく踏み込んだ。その瞳には容赦の欠片もない。
 妖は束宵スーシャオに飛びかかり、鋭い爪を振るう。束宵スーシャオはほんの少し身体を捻っただけでその攻撃を躱し、剣を振り下ろす。一撃で妖怪の腕が吹き飛び、その場に黒い血が飛び散る。妖怪の咆哮が響き渡る中でも、束宵スーシャオは腕を止めることはない。

玲花リンファに手を出して、楽に死ねると思っちゃダメだよ」
 
 うっすらと笑みを浮かべながら、束宵スーシャオは妖の身体を切り刻んでいく。手足が飛ばされて胴に穴が開き、だいぶ小さくなった身体に彼は符を投げつける。それが妖の体に触れた瞬間激しい光を放った。焼け焦げる臭いが路地に充満し、妖は苦痛に喘ぎながらも最後の抵抗を試みる。
 身体を捻って飛び上がり、束宵スーシャオに襲い掛かろうとした。しかし、彼は容赦なく剣を突き刺し、稲妻が妖の体を貫くと同時に、それは黒い煙となって跡形もなく消えた。

 路地裏に静寂が戻り、束宵スーシャオと私だけが残った。
束宵スーシャオの手から剣が消えると、ゆっくり近付いてくる。彼の顔を見ると、安堵で涙が溢れ出した。

束宵スーシャオっ……!」

 手を伸ばせば、唇を噛みしめた彼は私をそっと抱きしめて髪を撫でてきた。そして、普段の余裕のある態度からも、先ほどの冷徹な態度からも想像のつかないほど情けない声を出す。

「ごめん、今回は大丈夫だと思ったんだけど。俺のこと呼んでくれてありがとう」
「ううん、ううん」

 言葉にならず首を左右に振れば、土にまみれているだろう私の額に唇を押し当ててくる。

「もう大丈夫だからね」
「うん」

 私はその胸に顔を埋め、嗚咽を漏らす。強く抱きしめてくれた束宵スーシャオは、私を抱き上げると牛車に乗り込む。

玲花リンファごめんね。怖かったね」

 そう言いながら、彼は牛車の中で私を求めてきた。

「ね、仕事で汗かいてるし、転んで土もついちゃってるから、汚いってば」

 さすがにこの格好では応じられない。拒否しようとしても、彼は珍しく強引だった。手首を掴まれて唇を重ねられる。息が出来なくなって口を開ければ、舌を捻じ込まれる。

「んっ、んっっ」
玲花リンファ無事で良かった。ああ、もう本当にオレの手元から離したくない。目の届かないところに行かないでよ」
「ちょ……束宵スーシャオ!」
「ね、どこにも行かないよね? オレと一緒にいてくれるよね?」

 忙しなく手を着物の隙間に差し込んできて、余裕のない愛撫を与えられ。
 私が妖にやられてしまうかもしれない、と考えた時の彼の恐怖は想像もつかないものだったようだ。泣きそうな顔で求められて、絆されてしまう。

「お願い。生きてるって、確かめさせて」
「ん……いいよ」

 切なげに言われると、胸の奥がきゅんとする。彼を抱き返せば、束宵スーシャオはすぐに私の中に彼自身を沈めてきたのだった。
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