龍王級呪禁師の妄執愛は、囲われ姑娘に絡みつく

二辻

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第16話

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 素肌の上に直接 被子布団が掛かっている私はうつらうつらしていた。風呂に入ってから寝ないといけないとわかっているのに、心地良い疲労感で身体が動かない。
 半分寝たような状態でいた私が、本当に眠っていると思ったのだろう。束宵スーシャオは私の首筋に軽く口付けながら

桃花タオファ……」

 切なそうな声で囁いた。
 ――……おんなのこの、名前……
 一気に腹の奥が冷えて、目が覚める。しかし、動くことはできなかった。
 
桃花タオファ、愛してる。オレは、ずっと君だけを……」
 
 じわりと首筋が熱くなる。そこに明らかな湿り気を感じる。
 ――泣いてるの?
 束宵スーシャオが本当に泣いているところなんて見たことがない。甘えるような言動は見せても、泣きそうな表情こそ浮かべても、弱い部分なんて見せようとはしなかった。
 私は彼にとって庇護対象であって、隣に並んでいる存在ではなかったのだとはじめて自覚した。
 
 私が起きていないと思って、知らない女の人の名前を切なそうに呼んで、泣いている束宵スーシャオ
 恋愛経験がなくても、知識が乏しくても、これは私自身が愛されていたわけではなくて、誰かの代用品だったのと気付かされる。
 苦しくて、悲しくて、頭の中が真っ白で。
 つぅっと涙が伝う。
 小さく震えた私に気付いた束宵が、顔を覗いてきたのを察して、うつぶせになる。
 
……玲花リンファ? どうしたの?」
 
 どこか痛い? と心配してくれる声はいつものように優しくて、撫でてくれる手も温かくて、でも、その口が本当に呼びたい名前は私のものではなくて、その腕が本当に抱きたい人は私ではなくて。
 ――やっぱり、愛されてなんていなかったんだ。
 彼の声を無視して、私は静かに泣き続けた。
 
 翌朝、泣き腫らした顔の私を見た束宵スーシャオは慌てふためいた。具合が悪いのかと聞いてくる彼に黙って首を振り
 
「ごめん、ちょっとだけ、一人にさせて」
 
 この状況を、どのように受け入れるべきか、真剣に考えた。
 
 彼と口を利かなくなって数日。仕事中は身体を動かしている分なにも考えなくていいから気が楽だ。いつもより長く働いて、屋敷に帰ればもう夜ご飯を食べて眠る。しかし、その食事も共にとることはない。
 牛車に乗ると、あの夜のことを思い出す。歩いて帰ると言えば、暗い時間に1人で歩いてはいけない、と束宵スーシャオに止められる。しかし、「護衛の式がついてるんでしょ」と返せばなにも言えなくなったのか彼は黙ってしまった。
 ――束宵スーシャオ、ごはん食べてないよね。
 ふと、1週間が過ぎた頃に思い出した。私と一緒に、私の手からでなければ彼は食事をしない。きっと、もうずっとあの丸薬を飲んでいるのだろう。
 あの次の日から、寝る場所も別々にしてもらっていたから、彼の体温を忘れそうになっている。声も、聞いていなかった。広い屋敷で彼と合わないように生活するのは難しいことではなくて、ほとんど生活音をさせない彼がどこにいるのかはわからなかった。
 
 ――それでも、好きなんだもんなぁ……
 
 ぼうっと考え続けたけれど、彼が他の女の人を忘れられないのだとしても、それでも私は彼のことが好きだった。単純に、生活の面倒を見てくれている彼に依存しているだけだろうという考えもあるとは思う。最初に愛してくれた人だから、恩を感じているだけだろうと言われもするだろう。でも、そういうのを抜きにしても、私はきっと彼に惹かれたのだと思う。
 
束宵スーシャオ
 
 寝台の上、久しぶりに彼の名前を呼ぶ。
 掠れて、ほとんど聞き取れないほどに小さな声。それなのに――
 
玲花リンファッ!!」
 
 どこからか走ってきた彼は、髪を振り乱した青い顔で私の使っていた部屋の扉を乱暴に開け、飛び込んできた。
 
「今っ、名前、呼んで……ッ!」
 
 息を切らしている彼は、どこにいたのだろう。
 普段は整えられている髪もぼさぼさで、肌は乾ききっている。服も、ろくに着替えてもいないのがヨレヨレだった。
 
「うん、呼んだ」
「オレ、あの、オレ……なにかした? ゴメン、何度でも謝るから、だから」
 
 捨てないで、と彼は私の足に縋りついてくる。あまりにも必死な様子に驚いて、言葉を無くす。
 
「オレ、玲花リンファに捨てられたら生きていけない。無理だ。だから、お願いだから玲花リンファ、オレのことはどう扱ってくれても良いから、だから一緒にいて、ね?」
「ちょっと、束宵スーシャオ落ち着いて」
「嫌だ、いやだ。もうどこにも行かないで。もう、君を失うのは嫌だ。二度とごめんだ。なんでもする。今度こそ、絶対に手放さない、どこにも行かせない。オレの元から逃げるっていうならいっそ――」
束宵スーシャオ!」
 
 虚ろな目で私の腰にしがみついてくる彼の肩を掴んで強く揺する。ハッとした顔で私を見上げた彼は、泣きそうな顔になった。
 
玲花リンファ、お願い、オレのこと、捨てないで」
「……束宵スーシャオが……」
 
 声を発すれば、彼は息を呑んで私の言葉を待った。
 
「全部、本当のこと言ってくれるなら、どこにも行かない」
 
 じわりと彼の目が丸くなる。ほんとう? と聞き返してくる声は弱々しい。頷いて返せば、彼は、ふ、と表情を無くした。
 
「なにを言っても、信じてくれる? なにを見ても、嫌だって言わない?」
「……うん、多分」
 
 ぎゅうっと私の腰にまたしがみついた彼は、しばらくその姿勢のまま考え込んでいるようだった。ここで頭や背中を撫でるのは違うだろうと半端に手を上げたまま待っていたのだが、いつまで経っても返事はない。少しだけ焦れた私は
 
桃花タオファ、って誰?」
 
 一番気になっていたことを聞いてみれば、ビクッと大きく束宵スーシャオの肩が震えた。
 
「全部話してくれるなら、誰か教えてくれるよね。これって、束宵の、昔の彼女の名前……?」
「――ああ、知ってたのか。どこで口走っちゃったんだろ」
 
 束宵スーシャオはゆっくりと立ち上がる。それから、半端に結われていた髪を解いてひとつに括り、よれていた服を直した。無表情になった彼は静かに口を開く。
 
「それは、オレの初恋の人で、元妻の名前」
「元、妻」
 
 結婚していたことがあっただなんて、知らなかった。想定外の答えに、心臓がバクバクと鳴っている。
 
「今も昔も、変わらずオレの最愛の人」
「……っ」
 
 そこまで正直に言われるとは思っていなかった。涙が浮かびそうになって、慌てて顔を背ける。しかし、束宵スーシャオは同じ調子で続けるのだ。
 
玲花リンファも、オレの最愛の人」

 は……? と声が漏れる。彼はなにを言っているのだろう。

「最愛は、ひとりだけでしょ」
「うん。だから、どっちも最愛。愛してる」
 
 ほぅ、と溜息を吐くように言った束宵スーシャオは私の前に跪いて、手を取って甲に唇を押し当てた。
 
「オレが愛してるのは、昔も今も、ただひとりだけだよ」
「……? なに言ってるの? 私は桃花タオファさんじゃないよ」
 
 私の名前は玲花リンファだ。桃花タオファではない。
 彼と結婚していた事実なんてものもない。
 二人を混同するほどに、その元妻という人と私が似ているということなのだろうか。私の中に、かつての妻の影を見ていたということなのだろうか。険しい顔になる私に、束宵スーシャオは迷いのない顔で首を振る。
 
玲花リンファは、桃花タオファだよ。ずっとずっと前から愛してる、オレの、オレだけの――」
「全然わかんないよ」

 話しているうちにうっとりした顔になる彼に、私は同意できない。

「わかるだろ。オレは、もうずっと前から玲花リンファだけを、桃花タオファだけを愛してるんだ。何度だって見つけてきただろ。その度に恋に落ちて、想いを通じさせて、でも、君はいつだってオレを置いて行ってしまうんじゃないか」
 
 おかしくなってしまったの? それとも、元からおかしかった?
 昔の妻と私を混同している様子にゾッとして鳥肌が止まらなくなる。そんな私の表情に気付いているだろうに、彼は私の手を引いて立たせると屋敷の奥へと向かって歩いていく。
 
「見せた方が、話は早い」
桃花タオファさんの絵でもあるの?」
 
 こちらを見てきた束宵スーシャオはにこりと微笑む。しかし、いつもは胸が高鳴るはずのその表情が、今日は少しだけ怖い。
 
「ほら、ここだよ」
 
 束宵スーシャオは一番奥の部屋の扉を開ける。中は暗い。窓もないようだ。
 
「ここは……?」
「オレの、大事な部屋。玲花リンファたちにしか見せない場所」
玲花リンファたちってなに、よ――……っ?!」
 
 束宵スーシャオが壁を弄ると、ぼんやりと暗い中にいくつもの大きな水槽のものが浮かび上がった。その中にいたのは、魚などではなく。
 
「な、に……これ」
「手前から順番に、梅馨、莉娜、華玲――」
 
 彼は、次々に女の人の名前を口にする。そのたびに、それらは呼応するように淡く光る。
 大きな大きな水槽の中には、裸の女性たちが目を瞑ったままゆらゆらと揺れていた。
 
「……な……」
 
 私は口を両手で押さえて、上手く呼吸できないままに崩れ落ちる。一番奥まで水槽を撫でながら歩いていった束宵スーシャオ
 
「それから、彼女が桃花タオファ桃花タオファ、紹介するよ。あそこにいる子の名前は玲花リンファだよ。ははっ、オレの愛しい人は今世も可愛いんだよ、本当に」
 
 愛しそうに桃花タオファの水槽を撫で、その表面に口付けた。
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