文明トカゲ

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一 啓示の女

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「――服屋がどっちにあるかわかるかな?」
 会計を済ませて喫茶店から出ると、僕は梓に尋ねた。
「えっと、前に来た時……そうだ、向こうに確か看板が出てたと思う」
 梓の示す方向を見た時――視界の端に、喪服の女が映り込んだ。
(また――いや、ちょっと待て)
 おかしい。ビベリダエの中で見た時は違和感を覚えたものの、何がおかしいのかまではわからなかったが、今回ははっきりとわかる。
 
(あの女が近づいてきたことなんて今まで一度も――いや、まずは指さしているものを見つけないと)
 視線を周囲に向ける。すると、女が指さしているものはすぐに見つかった。だが、
(……あれが? 本当にそうなのか?)
 女が指さしていたのはそこらへんにいそうな、二人組の若い男達だった。背は平均よりやや高いが体格はお世辞にもいいとは言えない。とても脅威には見えなかった。
(彼ら自身ではなく、彼らが持っているものが脅威になる? ――駄目だ、わからな)
 男の一人と、目が合った。そして、
「おっ、久しぶりー! こんなところで会うなんて偶然じゃーん!」
「なに、二人だけで遊んでんの? 俺達も混ぜてよー」
 男の一人がまるで親しい友人であるかのように僕に近づき、肩を組んできた。あまりにも自然な動作だったために反応が遅れ、気がついた時には僕の顔のすぐ横に男の顔があった。
「動くな、叫ぶな、お友達の方を見ろ」
 反射的に梓の方を見る――もう一人の男に梓は肩を抱かれていた。何が起こったのかわからない、という顔をして梓は立ち尽くしていた。
「妙な動きをしたらまずお友達の顔をズタズタにする、その次はお前だ、わかった?」
 男の顔には親しげな笑みが貼りついていた。声も飽くまで僕にだけ聞こえるような小さな声。傍目には僕と梓が危機的な状況にあるとはとても見えないだろう。一瞬、ほんの一瞬逃げるのを躊躇しただけで、どうしようもない窮地に追い込まれた。
(――もし今逃げたらどうなる? あるいは大声を上げたら?)
 僕を捕らえている男は、妙な動きをすれば梓の顔をズタズタにすると言った。その言葉を信じるのならばなんらかの刃物を携帯していることになる。
 果たしてそれは本当なのか? 嘘なのか?
(――こいつらは明らかに手馴れてる。半信半疑とはいえ、僕はこいつらのことを警戒していた。それなのに、行動が自然すぎて全く対応することができなかった)
 僕でさえそうなのだから、梓にしてみればほとんど不意の事故に遭ったに等しいだろう。梓が抵抗らしい抵抗を一切していないことから、僕と同様の脅しをかけられていると見ていい。
(こんなやつらに刃物を持っていないことを期待するのは、いくらなんでも危険すぎる)
 ではどうする? 隙を見て逃げ出すのか――僕一人ならあるいは可能かもしれないが、そんなことをすれば間違いなく梓は助からない。
「正直言うとね、お前のことはどうでもいいんだよ」思考に雑音が入り込んできた。
 作り笑顔を貼りつけた男が、僕の耳元で続ける。
「俺達はお前のお友達遊びたいだけなの、お前男みたいだけど女でしょ? 見た目はどっちか微妙だけど触ったら骨格ですぐわかったよ、お前みたいなのは俺もあいつもいらないんだ、でもお前がいればお友達に言うこと聞かせやすいでしょ? わかったら大人しくしててね」
(――ふざけるな)
 梓を助けなければ。そのためならば、たとえ僕が傷ついたとしても構わない。
 梓を傷つける時間を与えず男達を制圧すれば――無理だ、僕にはそんな力はない。
 男達に気づかれないように携帯を使って警察に連絡する――無理だ、この至近距離で気づかれずに携帯を操作することは不可能だ。
 叫び声を上げて相手が動揺している間に、梓を連れて逃げる――無理だ、間違いなく梓を捕らえている男に阻まれる。
 不審に思った通行人が助けてくれるのを待つ――無理だ、なんのために男達があんな親しげな態度を取ったと思ってる。それを避けるためじゃないか。
(――どうしようも、ない?)
 信じられなかった。いや、信じたくなかった。こんな、こんなあっさりと大切な友達を助けられないことが確定してしまうなんて。
「それじゃあ場所変えよっか、いつまでもこうしてたらちょっと目立ってきちゃうしね」
 耳元で、絶望的な宣告がなされる。密室に連れていかれたら、一切の手立てがなくなる。
(何か方法は、何か、梓を助ける方法は何か――何か!)
 本当は自分でもわかっている。梓を助ける術なんてない。あるのは梓と一緒に踏み躙られるか、梓を見捨てて逃げるかの二択だ。嫌だ。どちらも選びたくない。そんな選択をするくらいなら、今この場で死んでしまいたい。喪服の女が指さしていたものに気づいた時点で、僕がもっと危機感を抱いていたなら、男達から声をかけられた時に素早く反応し、その場から逃げだしていれば、僕が、僕が梓を助けられるほど強かったなら、
「……ねぇ、そこの男共。さっきから見てたけど、そんなダサい真似して恥ずかしくないの?」
 ――完全に意識の外から聞こえてきたその声に、僕の思考は断ち切られた。僕だけでなく、男達も、梓も、その声の主の方に視線を向けた。
 背の高い男だった。身長は一八〇センチを優に超えているだろう。パーマがかかった短い黒髪の隙間から蛇のような鋭い目が覗いている。
「なーんか変なのにからまれてると思ったら、案の定だったわねぇ。にしてもいくら冴えないからって大人しそうなカップル狙っていじめるとか、もう呆れすぎて溜め息も出ないっていうか、ハァ……ってやあだぁ! 無意識に溜め息ついちゃったじゃないのよもう!」
(これは……どうしよう)
 突然現れた謎の男性は、言動こそ色々とおかしいが、それでも僕達を助けようとしてくれているのだろう。だが、男性はどちらかというと細身であまり強そうには見えない。そして数の上でも二対一と不利だ。
 ――拘束が解かれる。僕を捕らえていた男は僕から離れ、謎の男性の方に歩み寄っていく。
「お前さ、いきなりしゃしゃり出てきて、なんなの?」
 僕を捕らえていた男はそう言いながら謎の男性の胸倉を掴んだ。一触即発の空気が流れる――今なら、梓を捕らえている男の不意をつけるかもしれない。僕がそう考えた直後、
「やだあああん! 怖ああああい!!」
 ゴスゥ、という鈍い音がした。謎の男性が体をくねらせながら放ったビンタが、僕を捕らえていた男の顔に直撃した音だった。僕を捕らえていた男は、操り人形の糸が切れるようにその場に崩れ落ちた。
「え……え!? 嘘!? 一発!? アタシそんな強くしたつもりないわよ!?」
 僕は謎の男性のビンタの威力に驚いた。だが、男性本人がそれ以上に驚いていた。というかこんなことをしたら梓を捕らえている男が黙っているはずがない。慌てて梓の方を見ると――一人キョトキョトと辺りを見回す梓の姿があった。
「……梓、その、君を捕まえてた男はどこに行ったの?」
「……わからない。気がついたらいなくなってたの」
 相方がやられた途端に姿を消すとは、大した逃げ足の速さだ。だがこれで危機は去ったと安心した瞬間――ぐらり、と地面が傾いた。どうやら緊張の糸が切れたことで、平衡感覚が狂ったらしい。
 倒れそうになったところで、腕を掴まれる。謎の男性の蛇のような目が僕を見下ろしている。
「――倒れたくなるのもわかるけど、しゃんとなさいな。彼女の前でしょ」
 だらしのない子供に言い聞かせるような、そんな声だった。足に力を入れてしっかりと立つ。それを見て男性は腕を離した。
「うん、それでよし。ところで――突然だけどアンタ、もうずううううっと変なのにつきまとわれてるでしょ」
 ずうっとつきまとわれている、それは――喪服の女のことを言っているのか。
「それからそのつきまとってるやつね、最近急に様子がおかしくなったでしょ。アタシが言ってることの意味、わかるわよね?」
 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。知っている。この男性は間違いなく、僕だけにしか見えないはずの喪服の女のことを知っている――!
「頭がおかしい人扱いされたくないからここではこれ以上詳しくは話さないけどさ。いよいよヤバくなったらアタシに電話しなさい。今番号書くから」 
 男性はそう言うと左肩から提げていたレディースのトートバッグの中からメモ帳とペンを取り出し、さらさらと自分の電話番号を書いて僕に渡してきた。
「アタシ、佐治っていうの。アンタは?」
「――笹岩です」
「ふーん、笹岩かぁ。笹岩、笹岩……よし、アンタの名前パン子で登録しておくから。とにかく、ヤバくなったら即アタシに電話! 絶対厳守よ! じゃ!」
 言うだけ言って男性――佐治さんはどこかへ行ってしまった。というか、パン子ってなんだ。
「楓……大丈夫?」
 梓が心配そうにこちらを見つめていた。心配されるべきなのは、梓の方なのに。
「僕は平気だよ。それよりも梓こそ大丈夫? その、怪我とかは?」
「ううん、してないよ。怖かったけど……でも、楓が無事だったから」
 そう言って梓は微笑んだ。その微笑みで、僕の緊張も和らぐ――ここでようやく、僕は自分のすべきことに思い至った。
「梓、早く行こう。あの男が目を覚ましたら厄介なことになる」
 佐治さんがビンタの一発で気絶させた男は、今のところ野次馬達から放置されていた。だが、このまま目を覚まさなければいずれ声をかけたり救急車を呼ぶ人も出てくるだろう。
「そ、そうだね。わかった」
 気持ちが焦っていたのか、無意識に梓の手を引いてしまう。梓の手は僕の手よりもずっと柔らかく、そして熱かった。
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