落窪の男女伽

水市 宇和香

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三の段

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 翌二十四日。
 道頼は帝に呼ばれ御前に参上した。
 内裏の清涼殿と呼ばれる殿舎は、帝が政務を行う場であると同時に、日常生活を送る場でもある。そのため、五位以上の位階を持つ者の中でも、特に許しを得た者しか参上することはできない。
 庇には道頼の他に複数の公達が伺候していたが、彼の登場とともに、話題は昨今世間を騒がせている賊の話に移った。
「ええ、四条大路の一角で賊の姿を見失ったと聞いています」
「なるほど……とすると、以前の賊の出没地帯と一致するな」
「そうですね。同じ徒党かと」
 帝は当年二十五の青年だが、年齢以上に思慮深く、落ち着いた物腰の人物である。特別声を張り上げなくとも周囲の人々の耳目を集めるのは、脈々と受け継がれてきた尊い主芙婀の血が成すものだろう。本来ならば、至上の存在である帝と対面することはおろか、声を聞くことすらたいへんに光栄なことであるが、この場に集う公達は皆、帝の信任厚く、側近として伺候することを許された人物なのだった。
 その中でもとりわけ重用されることが多いのが道頼だ。義理の兄ということもあり、帝は特に道頼には気安い。
「そろそろ捕らえられそうか?」
 貴族たちの中にも賊に襲われた者が後を絶たないうえ、先日はついに、この宮中にも出没した。幸い、賊は盗みを働く前に道頼によって斬り捨てられたが、すわ刃傷沙汰だ、穢れだと、大きな騒ぎになった。しかし、今でも賊をすべて捕らえることはかなっておらず、近衞府では総力を上げて彼らの確保に動いている。
「早々にけりをつけたいものだな」
 帝がぽつりとつぶやいた。それは、私的な集いだからこそこぼせる心情である。
 それぞれの衛府の長官に告げれば、それは途端に勅命となってしまう。あるいは、未だ成果をあげられない近衛府に対する批判ともとられかねない。帝の一言はそれほど重いのだ。だからこそ、こうした本音は、同年代の青年たちとの私的な集いのときにこそ漏れ出る。その苦悩を汲み取れない道頼ではない。
「ええ、今月中には必ず」
 帝の望むままそう返答すると、周囲からどよめきの声が上がった。
「さすがですね」
「右近少将ならやってくれると思っていたよ」
 しかし、
「右近少将殿が口に出すとすべて本当に叶いそうな気がしますね」
「自信があるのは結構だが、謙虚な姿勢こそが成功への近道という場合もありますよ」
 などと嫌みたらしく馬鹿なことを言う輩が必ずいるのが不思議でならない。
「あなたがたと違って、できることしか口にしない質ですので」
 ふっと鼻白んで返すと、一触即発の空気が場を包んだ。皆、若いながらも犬のような嗅覚で数々の政争を勝ち抜いてきた者たちである。途端に、誰につくのが得策か、馬鹿馬鹿しい腹の探りあいが始まる……と、そこに、空気を読まない左馬頭(さまのかみ)(左馬寮の長官)が安堵のため息を吐いた。
「やっと女のもとに通えるなあ」
 夜分に出歩くのを控えていたらしい。彼の柔和な口調で、一気に場が和む。この機に乗じたのが争いを好まぬ穏健派とその筆頭の帝だ。
「右近少将も最近は忙しくていろいろご無沙汰だろう? 女房たちが嘆いていたよ」
「確かに。ここのところあなたの噂を聞かないですね」
「まさか、本命を決めたのかい?」
 道頼は腹の底を見せない笑顔で答えた。
「簡単に落とせると思った相手に、振られ続けているのです」
「本当か?」
「ええ」
 それは事実だった。あの日、落窪から自分に宛てられるはずだった文には何が書かれていたのか。それがわからぬうちに中納言家の門は固く閉ざされ、夜這いどころか文を届けることもままならなくなった。
 惟成に限らず、落窪に悪い虫がつくことを避けるためらしく、誰に文を持たせても門前払いを食っている。
(私が相手だと言えばきっと、手のひら返しで歓待されるのだろうな)
 名乗りをあげる想像をしている自分がおかしい。結婚したくないからこそ、不遇な境遇の姫に目をつけたというのに。本来ならば、中納言や北の方に自分の存在が露見しそうになった時点で、この戯れは終わりのはずなのだ。
 しかし、道頼は、落窪とつがうことも、屋敷に引き取ることも、やぶさかではないと思っていた。男女伽一人を養うことくらい、特段問題はない。
「いったいどれほど高嶺の花なんだ、その女人は」
「右近少将相手でも靡かないとなると、人妻か?」
「いや、この男は人妻でも簡単にものにしてきただろう」
 やいのやいのと外野が好きかって言う様子を帝は苦笑しながら眺めていたが、道頼と目があうと「本当に困っているのなら口添えしてあげよう」と言った。それに対し、外野はふたたび盛り上がる。
「いざとなったら頼らせていただくかもしれません」
 帝の後押しを最後の切り札として持っておくのもいい。使えるものは使えばいいのだ。しかし、道頼の目下の手札は、興味津々に目を輝かせてこちらを見ている蔵人少将だった。

「ええ、あなたの乳兄弟が女房の一人に手を出していたことに激怒した中納言家では、警備を強化し、見知った人間しか出入りができないようになっています」
「そこで一つ相談なのだが、惟成の文を内密にその女房に届けてやってはくれないか」
 細殿を歩きながら、道頼はそう言って深刻そうに頭を下げた。蔵人少将ならば一も二もなく引き受けるだろうと踏んでいたのだが、彼にしては歯切れが悪く、頬をかく。
「どうやらその女房は男女伽だそうなのです。変な虫がつくくらいならと、中納言家では身内の主芙婀をあてがうことにしたそうですよ。それなので、惟成には勝ち目はないかと……」
(は?)
 寝耳に水であった。冷遇されていると聞いていたので、身内で落窪とつがう相手はいないものだと思いこんでいた。驚く道頼を尻目に、蔵人少将は破顔した。
「それより、右近少将殿は四の君を妻にする気はありませんか? 相婿になってともに中納言家に通いたいです」
「いや、私は……」
 そう言いかけて、道頼はふと口を閉ざした。
「四の君の姿をこっそり見てみたい。私を従者の一人として、内密に連れて行ってくれないか」
 夜這うことがかなわないのなら、蔵人少将に従っていけばいいのだ。
「私があなたの主人になるのですか?」
 蔵人少将は愉しげだ。
「中納言殿にさえ会わなければ、私の姿を知る者はいないだろう?」
「ええ、そうですね。ふふ、それにしても、従者に身をやつすなんて、おもしろいことを思いつきますね」
「どんな人物か事前に垣間見くらいしておきたいんだ」
「ふふふ……右近少将殿が私の従者……ふふふ」
 蔵人少将はもはや人の話を聞いておらず、悦に入っていた。こうして、道頼の潜入が決まった。なぜそこまでして落窪に会おうと思ったのか、その気持ちを確かめるためにも。
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