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08 予感
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その日の午後、珍しく部屋にいなかった老人を探して外に出たマナは、廃墟の北の少し離れたところに、不思議なものを見つけた。
草を隔てて剥出しになった土が広がっている。均等な間隔に、おびただしい数で土が盛り上がっている。そこに何かを隠しているように。
その小さな山の上には、がっしりした木が立ててある。その木の全てを、マナはすぐに数えることはできなかった。あまりにも数が多すぎて。
よく見ると、立てられた木には新しいものもあれば、朽ちかけてぼろぼろのものもあった。
老人は手前の方の、まだ新しい木の前に立っていた。そこには、草に混じって、可愛らしい小さな白い花が疎らに咲いていた。
マナは静かに老人に近づいた。だが、声はかけなかった。老人は静かに瞳を伏せて両手をあわせ、そのまましばらく動かなかった。
「おじいちゃん。ここは何?」
だいぶ待って、痺れを切らしたマナが問う。
老人がマナに視線を向けた。
「墓だよ」
静かな声が、淋しげに響いた。
「はか――?」
「そう。みな、私をおいて死んでしまった。彼等は、ここに眠っている」
「死んだ人を、土の中に埋めるの?」
非難めいた声音に、老人は穏やかに微笑って振り返った。
「そうだよ。それこそが連鎖というものなんだよ、マナ。我々はあらゆるものを殺して食している。だから、死ぬときが来たら、私達は今まで奪ってきたものを還さなくてはならないんだ」
「還すって、どうするの? 死んでからどうやって還せるの?」
「私達が、唯一所有できるもの、肉体を、土に還すんだよ。死ねば身体は腐敗する。それがよい土壌を育て、そこに新しい生命の誕生を齎らすんだ。
ここに眠る彼等は、土に還ったのだ。土と同化して新たな命を産み出し、自らもやがて新たな命となる。それこそが自然の理だ。全てが等しく循環することが。だが、一時、人間はそれを放棄したんだよ」
「どうやって?」
「体を、焼いたのさ。焼いて、石の囲いの中に閉じこめた。思えばその頃から、人間はおかしくなりはじめたのかも知れん」
憂えた瞳で、老人は遠くを見つめていた。
「大地には浄化作用がある。形あるものを分解し、己れに取り込み、一部として、もう一度新たなものに産み出す。全ての命を再生する、そんなことができるのも大地だけだ。人間は、それを忘れてはいけなかった」
老人は、その時初めて、マナを振り返った。そして深い感慨をこめた眼差しで彼女を見つめた。
「マナ。全てのことには、意味があるのだ。それが何なのかを探すのが、人間の生きるということだ。この世界で意味のないものは何もない。全ての生命に、意味があるのだよ。そう、死ぬまで、いや、死んでも――」
「死んだら、それで終わりでしょう?」
不思議そうに、マナが首を傾げる。
「ある意味では、それが正しい。だが、昔、人は死んでも魂は残るのだという思想があったんだよ」
「ユウに前に聞いたわ。あの西の山は、魂が行く場所だって。レイジョウっていうんでしょう? 魂って、あたしたちの意識なんでしょう」
「ああ。魂とは、人間の核とも言えるものだ。そう、例えるなら、我々は肉体という入れ物の中に閉じこめられた意識であるということだ。だから、肉体が生きている間は、それが自分だと錯覚する。だが、肉体が死ねば、魂は解き放たれる。痛みもなく、哀しみもなく、苦しみもない彼方へ」
「かなたって? 魂は、何処にいくの?」
「さあ、それは何処か私にもわからない。まだ死んだことはないからなあ」
「死んだことないのに、どうして魂がどこかにいくなんてわかるの?」
「信じているんだよ。死で全てが終わるなんて、あんまりいい考えとは思えないからね。そういえば、古い宗教には生まれ変わりの思想もあったそうだが――」
「おじいちゃん、宗教って何?」
「私にも、よくはわからんがね、ある特定の、神、または特別な人間の思想を信じることだそうだ。いわゆる、人の心の支えとなったものか」
「神って言うのは?」
「人間ではないもの、我々を、いや、我々だけでなく、この世界全てを創ったもののことをそう呼ぶのだ」
マナは眉根を寄せた。
この神という概念を、彼女は理解できなかった。
マナの知識の中に、神というものはない。宇宙、地球、生命の誕生、それら全てはディスクの中で見聞きしただけのことで完結していたからだ。
シイナは、マナに倫理や哲学という抽象的な精神世界に関することを教えなかった。非科学的なものを全て排除したのだ。
そんな彼女の表情から、老人は簡単に付け加えてやった。
「要するにだ、我々普通の人間とは違い、できないことを全てできるもののことだ」
「じゃあ、ユウだわ! ユウが神なんだわ、ユウはあたしたちと全然違う。なんでもできるし、髪も目も、色が違うわ」
老人は苦笑した。
「ユウは人間だよ。あの髪と目の色は――そう、生まれたときからの病気なのだ。血が近すぎるために起こる」
「血が近いって、どういうこと?」
「マナと同じ血を持つもの。例えば、マナの母親、父親、マナの母親から産まれたマナの兄妹、マナの両親の兄妹、その子供達。これらはみんなマナと同じ血を持つ。近親者、または血族ともいう。血族同士婚姻を結ぶことで起きやすい遺伝病、これは身体のメラニンという色素が欠乏して、黒い組織をつくれなくなるというものだ。だから髪と目、肌の色が薄く赤くなってしまう」
「じゃあ、ユウのあの力は?」
「それは私にもわからん。あれもまた濃すぎる血が要因なのか 」
「ドームには、ユウみたいな人はいなかったわ。血が濃すぎるというのは、いけないことなの?」
「血族結婚は古い時代からの禁忌とされてきた。不妊や障害、遺伝病など、さまざまな弊害が現われるからだ」
「ああ。わかるわ。ドームにはクローンがたくさんいるけど、クローンはみんな子供を作れないもの。それに、クローンなんて与えられたことしかできないの」
マナの無邪気な口調に密かな侮蔑が含まれていることを悟り、老人はゆっくりと首を振った。
「マナ、そんなふうに言ってはいけない」
厳しい口調に、マナはにわかに怯えた。
「おじいちゃん?」
「マナ、おまえさんは優しい子だが、知らなすぎる。この世界に生きているものは全て慈しむべきもの、慈しまれるべきものなのだ。
生命とは、そこに貴賎を見いだすものではない。みな平等に尊いものなのだ。例えそれが、自然の理に反するものであっても」
マナはまた、混乱した。そんなことを、シイナは教えなかった。クローンは、知能のレベルも高くなく、人間としても扱われていない。自分達とは違うのだと、以前自分に言ったのだ。そのことを老人に語ると、老人は小さく笑った。
「では、おまえさんは、自分とは違うユウや私を、生きる値打ちのないものだと思うのかい?」
「そんな!! 一度も考えたことないわ、そんなこと。あたしは、ユウもおじいちゃんも大好きだもの」
「では、その気持ちを他のものにも向けておあげ。誰しも、望んでそうと生まれることはできないのだよ。そして、それは誰の所為でもない。
望んだものになれなかったことを苦しむものは多い。それを蔑んではいけない。その傷を、理解しようと努めなければならないのだよ」
「ええ、そうね。ごめんなさい、おじいちゃん。あたし、いけないことを言ったわ。おじいちゃんやユウを蔑んだりするつもりはなかったのよ」
「わかっているよ、マナ。おまえさんはずっと、そう教えられてきたのだから無理もないね。ただ、これから知ってほしいのだよ。この世界に生きる全てのものの美しさと、かけがえのなさを。
この世界は、全てが愛おしい存在で満ちている。今ここにこうして立って呼吸をしていること、それだけで、私は本当に生きていることがすばらしいと思うのだよ」
「知りたいわ、あたしも」
憧憬の眼差しで、マナは老人を仰いだ。
「どうして、おじいちゃんの考えていることは、こんなにあたしと違うのかしら。あたしは、今まで呼吸することの意味を感じたことはなかった。それがどんなに大切なことなのかも。教えられなきゃ、わからないものなの?」
「そうだね。自分で気づける人もいるが、マナ、私も教えてもらったんだよ。母にね」
「母――〈お母さん〉ね!! 教えて、おじいちゃん。お母さんて、どんな人?」
マナは老人の衣服の袖を握り、話をせがんだ。老人はそんなマナに優しく語りかける。
「そうだなあ。とても、落ち着いていて、静かで、いつも母からはいい匂いがしていたのを憶えているよ。優しく、私をとても愛してくれた。時には厳しく、叱ってもくれた。
一度、私が――そう、おまえさんよりもまだ小さいとき、母のいいつけを破って、夜、外に出たことがあったんだよ。幸い何事もなく戻ってきたが、そのとき初めてぶたれたんだ。そして、その後彼女は私を抱きしめて泣きだした。本当に彼女は私を愛してくれた。
ああ。懐かしいね。本当に、とても、懐かしいよ。彼女に会いたい。話したいことがたくさんあるのに」
「いいわね。おじいちゃんには、お母さんがいて。あたしにはいないわ。あたしのお母さんて、どんな人だったのかしら。おじいちゃんのお母さんみたいに、優しい人だったのかしら」
「きっとそうだよ。子供を愛さない母親はいないからね」
「本当? みんなそうなの? あたしがおじいちゃんを好きみたいな気持ちなの?」
「そう、そして私がおまえさんとユウを思う気持ちと同じものだ」
触れた手から感じる暖かな感情に、マナは安堵した。老人は、マナを愛してくれている。それがわかるのはとても嬉しかった。
「親が子を愛するということは、自分を愛するのと似ている。自分から分かたれた一部だから、きっと切り離して考えるのは難しいのだろう。だが、それは決してそれ以上であってはならないのだ」
「それ以上って?」
「母と息子。父と娘。彼らは最も惹かれあってはならない存在だ。何故なら彼らは最も濃い血を、その身に有しているのだから」
「ああ。つまり、〈伴侶〉としてはいけないってことなんでしょう? それに、歳も離れすぎているもの、無理があるわ」
「マナは何にでも興味をもつ。ユウ以上だ」
老人が笑う。だが、マナは当然のように頷いた。
「だって、あたしは何も知らなかったのよ。ドームで教えてくれたことも大事だけど、それはほんの少しだわ。あたしは知りたいの。もっともっと、たくさん、いろんなことを」
マナは老人の腕にぐっとしがみついた。
「おじいちゃんは好きよ。あたしに色々なこと教えてくれるもの。あたし、ここに来てよかった。そうじゃなかったら、何にも知らないまま、博士に言われるままだったかも知れないもの」
老人を見上げると、皺深い顔が静かに微笑んでいた。
「あたしね、考えてるの。まだ決められないけど、おじいちゃんの言ったこと、きちんと考えてるのよ。自分がどうしたいのか。
でも、それを決めるには、あたしまだ何も知らなすぎるの。だから、決めるためにも、もっともっといろんなことを知りたいの」
驚いたことに、少しずつ、マナは人形から脱し始めていた。自己を確立し、学び始めている。その成果は恐るべき速さでなされているのだが、それにつれて、マナの心には同時に不安が芽生えていく。
「どうして博士は、あたしに何も教えてくれなかったのかしら 」
次の日もマナは老人とともに時間を過ごしていた。ユウはいつも食事が終わると約束のように地下に姿を消す。
マナはそれを、今でもずっと不思議に思っていたのだが、やはり口にすることはなかった。それに、ユウのいない間に老人の話を聞くことが、マナにとっては楽しみになっていたからだ。
「今日は、海の話をしよう」
「うみ?」
「そう。この地球の表面の大部分を占める太古からの水だ」
「知ってるわ。塩分を多量に含んでいるんでしょ? だから塩辛いって。青いのよね?」
「ああ。とても美しい色をしているよ。マナにも見せたいね。あの美しい海の色を」
マナを見ていながら、老人の瞳は、どこか別の――そう、マナのまだ見たことのない海を見ているのだろう。老人はマナに話して聞かせるとき、よくそんな遠い瞳をするのだ。
マナは正直、それが羨ましかった。
老人の感情を読むことはできるが、見えないものを見ることはできなかったからだ。
「初めて地を覆う濃く青い水を目のあたりにしたとき、涙が出たよ。こんなにもすばらしい光景が、あっていいものかと。
私達の住む星の、なんと美しいことか。
よせてはかえす波のさざめきが、どこまでも続く海。わたる風さえ、命の鼓動をはらんでいた。私の生涯の中で、あれほど美しいものを見ることは、きっともうないだろうなあ」
食い入るように見つめているマナに気づいて、老人はそっと笑ってマナの頭を撫でた。
「今度、ユウに連れていってもらうといい。あの子の力ならば、すぐだ」
「本当?」
「ああ。きっとマナも感動するよ。涙が出るほど、綺麗だと思うさ」
「だといいんだけど」
マナは正直言って、そのように感じられるか自信がなかった。
老人の目と自分の目は、いつもどこかが違うのだと思えてならなかった。
遠い瞳をして、そこにはないものをとても幸せそうに見る老人の目は、きっと、自分とは比べものにならないほど美しいものを感じられるのだと。
「マナ、ユウを頼むよ」
「?」
「あの子は、きっとおまえさんのためなら何でもしてくれる。どんな願いも、叶えようとするだろう。私から言うのも何だが、おまえさんを、この世界の何よりも大事に思っている。それを、忘れないでおくれ」
その言葉に、何故かマナは不安なものを感じとった。
「どうしたの、おじいちゃん? 急にそんなこと言いだして。何だかもう会えない、何処か遠くへ行くみたいに」
「おや、そんなふうに聞こえたかね?」
「ええ。嫌だわ、おじいちゃん。そんなこと冗談でも言わないで。あたしたちをおいて、何処へも行かないでね」
「どうやら、マナにいらぬ心配をさせてしまったようだ。さあ、中へ入ろう。もう日があんなに高い」
老人は杖を持ちなおし、開いているほうの手でマナの肩に触れた。その足取りが、何だかいつもより重そうに見えた。
「ああ。きっともうすぐ……」
一歩一歩、ゆっくりと前に進みながら、遠くを見つめて、老人は呟いた。
それが一体何を意味するのか、マナはまだ知らなかった。
草を隔てて剥出しになった土が広がっている。均等な間隔に、おびただしい数で土が盛り上がっている。そこに何かを隠しているように。
その小さな山の上には、がっしりした木が立ててある。その木の全てを、マナはすぐに数えることはできなかった。あまりにも数が多すぎて。
よく見ると、立てられた木には新しいものもあれば、朽ちかけてぼろぼろのものもあった。
老人は手前の方の、まだ新しい木の前に立っていた。そこには、草に混じって、可愛らしい小さな白い花が疎らに咲いていた。
マナは静かに老人に近づいた。だが、声はかけなかった。老人は静かに瞳を伏せて両手をあわせ、そのまましばらく動かなかった。
「おじいちゃん。ここは何?」
だいぶ待って、痺れを切らしたマナが問う。
老人がマナに視線を向けた。
「墓だよ」
静かな声が、淋しげに響いた。
「はか――?」
「そう。みな、私をおいて死んでしまった。彼等は、ここに眠っている」
「死んだ人を、土の中に埋めるの?」
非難めいた声音に、老人は穏やかに微笑って振り返った。
「そうだよ。それこそが連鎖というものなんだよ、マナ。我々はあらゆるものを殺して食している。だから、死ぬときが来たら、私達は今まで奪ってきたものを還さなくてはならないんだ」
「還すって、どうするの? 死んでからどうやって還せるの?」
「私達が、唯一所有できるもの、肉体を、土に還すんだよ。死ねば身体は腐敗する。それがよい土壌を育て、そこに新しい生命の誕生を齎らすんだ。
ここに眠る彼等は、土に還ったのだ。土と同化して新たな命を産み出し、自らもやがて新たな命となる。それこそが自然の理だ。全てが等しく循環することが。だが、一時、人間はそれを放棄したんだよ」
「どうやって?」
「体を、焼いたのさ。焼いて、石の囲いの中に閉じこめた。思えばその頃から、人間はおかしくなりはじめたのかも知れん」
憂えた瞳で、老人は遠くを見つめていた。
「大地には浄化作用がある。形あるものを分解し、己れに取り込み、一部として、もう一度新たなものに産み出す。全ての命を再生する、そんなことができるのも大地だけだ。人間は、それを忘れてはいけなかった」
老人は、その時初めて、マナを振り返った。そして深い感慨をこめた眼差しで彼女を見つめた。
「マナ。全てのことには、意味があるのだ。それが何なのかを探すのが、人間の生きるということだ。この世界で意味のないものは何もない。全ての生命に、意味があるのだよ。そう、死ぬまで、いや、死んでも――」
「死んだら、それで終わりでしょう?」
不思議そうに、マナが首を傾げる。
「ある意味では、それが正しい。だが、昔、人は死んでも魂は残るのだという思想があったんだよ」
「ユウに前に聞いたわ。あの西の山は、魂が行く場所だって。レイジョウっていうんでしょう? 魂って、あたしたちの意識なんでしょう」
「ああ。魂とは、人間の核とも言えるものだ。そう、例えるなら、我々は肉体という入れ物の中に閉じこめられた意識であるということだ。だから、肉体が生きている間は、それが自分だと錯覚する。だが、肉体が死ねば、魂は解き放たれる。痛みもなく、哀しみもなく、苦しみもない彼方へ」
「かなたって? 魂は、何処にいくの?」
「さあ、それは何処か私にもわからない。まだ死んだことはないからなあ」
「死んだことないのに、どうして魂がどこかにいくなんてわかるの?」
「信じているんだよ。死で全てが終わるなんて、あんまりいい考えとは思えないからね。そういえば、古い宗教には生まれ変わりの思想もあったそうだが――」
「おじいちゃん、宗教って何?」
「私にも、よくはわからんがね、ある特定の、神、または特別な人間の思想を信じることだそうだ。いわゆる、人の心の支えとなったものか」
「神って言うのは?」
「人間ではないもの、我々を、いや、我々だけでなく、この世界全てを創ったもののことをそう呼ぶのだ」
マナは眉根を寄せた。
この神という概念を、彼女は理解できなかった。
マナの知識の中に、神というものはない。宇宙、地球、生命の誕生、それら全てはディスクの中で見聞きしただけのことで完結していたからだ。
シイナは、マナに倫理や哲学という抽象的な精神世界に関することを教えなかった。非科学的なものを全て排除したのだ。
そんな彼女の表情から、老人は簡単に付け加えてやった。
「要するにだ、我々普通の人間とは違い、できないことを全てできるもののことだ」
「じゃあ、ユウだわ! ユウが神なんだわ、ユウはあたしたちと全然違う。なんでもできるし、髪も目も、色が違うわ」
老人は苦笑した。
「ユウは人間だよ。あの髪と目の色は――そう、生まれたときからの病気なのだ。血が近すぎるために起こる」
「血が近いって、どういうこと?」
「マナと同じ血を持つもの。例えば、マナの母親、父親、マナの母親から産まれたマナの兄妹、マナの両親の兄妹、その子供達。これらはみんなマナと同じ血を持つ。近親者、または血族ともいう。血族同士婚姻を結ぶことで起きやすい遺伝病、これは身体のメラニンという色素が欠乏して、黒い組織をつくれなくなるというものだ。だから髪と目、肌の色が薄く赤くなってしまう」
「じゃあ、ユウのあの力は?」
「それは私にもわからん。あれもまた濃すぎる血が要因なのか 」
「ドームには、ユウみたいな人はいなかったわ。血が濃すぎるというのは、いけないことなの?」
「血族結婚は古い時代からの禁忌とされてきた。不妊や障害、遺伝病など、さまざまな弊害が現われるからだ」
「ああ。わかるわ。ドームにはクローンがたくさんいるけど、クローンはみんな子供を作れないもの。それに、クローンなんて与えられたことしかできないの」
マナの無邪気な口調に密かな侮蔑が含まれていることを悟り、老人はゆっくりと首を振った。
「マナ、そんなふうに言ってはいけない」
厳しい口調に、マナはにわかに怯えた。
「おじいちゃん?」
「マナ、おまえさんは優しい子だが、知らなすぎる。この世界に生きているものは全て慈しむべきもの、慈しまれるべきものなのだ。
生命とは、そこに貴賎を見いだすものではない。みな平等に尊いものなのだ。例えそれが、自然の理に反するものであっても」
マナはまた、混乱した。そんなことを、シイナは教えなかった。クローンは、知能のレベルも高くなく、人間としても扱われていない。自分達とは違うのだと、以前自分に言ったのだ。そのことを老人に語ると、老人は小さく笑った。
「では、おまえさんは、自分とは違うユウや私を、生きる値打ちのないものだと思うのかい?」
「そんな!! 一度も考えたことないわ、そんなこと。あたしは、ユウもおじいちゃんも大好きだもの」
「では、その気持ちを他のものにも向けておあげ。誰しも、望んでそうと生まれることはできないのだよ。そして、それは誰の所為でもない。
望んだものになれなかったことを苦しむものは多い。それを蔑んではいけない。その傷を、理解しようと努めなければならないのだよ」
「ええ、そうね。ごめんなさい、おじいちゃん。あたし、いけないことを言ったわ。おじいちゃんやユウを蔑んだりするつもりはなかったのよ」
「わかっているよ、マナ。おまえさんはずっと、そう教えられてきたのだから無理もないね。ただ、これから知ってほしいのだよ。この世界に生きる全てのものの美しさと、かけがえのなさを。
この世界は、全てが愛おしい存在で満ちている。今ここにこうして立って呼吸をしていること、それだけで、私は本当に生きていることがすばらしいと思うのだよ」
「知りたいわ、あたしも」
憧憬の眼差しで、マナは老人を仰いだ。
「どうして、おじいちゃんの考えていることは、こんなにあたしと違うのかしら。あたしは、今まで呼吸することの意味を感じたことはなかった。それがどんなに大切なことなのかも。教えられなきゃ、わからないものなの?」
「そうだね。自分で気づける人もいるが、マナ、私も教えてもらったんだよ。母にね」
「母――〈お母さん〉ね!! 教えて、おじいちゃん。お母さんて、どんな人?」
マナは老人の衣服の袖を握り、話をせがんだ。老人はそんなマナに優しく語りかける。
「そうだなあ。とても、落ち着いていて、静かで、いつも母からはいい匂いがしていたのを憶えているよ。優しく、私をとても愛してくれた。時には厳しく、叱ってもくれた。
一度、私が――そう、おまえさんよりもまだ小さいとき、母のいいつけを破って、夜、外に出たことがあったんだよ。幸い何事もなく戻ってきたが、そのとき初めてぶたれたんだ。そして、その後彼女は私を抱きしめて泣きだした。本当に彼女は私を愛してくれた。
ああ。懐かしいね。本当に、とても、懐かしいよ。彼女に会いたい。話したいことがたくさんあるのに」
「いいわね。おじいちゃんには、お母さんがいて。あたしにはいないわ。あたしのお母さんて、どんな人だったのかしら。おじいちゃんのお母さんみたいに、優しい人だったのかしら」
「きっとそうだよ。子供を愛さない母親はいないからね」
「本当? みんなそうなの? あたしがおじいちゃんを好きみたいな気持ちなの?」
「そう、そして私がおまえさんとユウを思う気持ちと同じものだ」
触れた手から感じる暖かな感情に、マナは安堵した。老人は、マナを愛してくれている。それがわかるのはとても嬉しかった。
「親が子を愛するということは、自分を愛するのと似ている。自分から分かたれた一部だから、きっと切り離して考えるのは難しいのだろう。だが、それは決してそれ以上であってはならないのだ」
「それ以上って?」
「母と息子。父と娘。彼らは最も惹かれあってはならない存在だ。何故なら彼らは最も濃い血を、その身に有しているのだから」
「ああ。つまり、〈伴侶〉としてはいけないってことなんでしょう? それに、歳も離れすぎているもの、無理があるわ」
「マナは何にでも興味をもつ。ユウ以上だ」
老人が笑う。だが、マナは当然のように頷いた。
「だって、あたしは何も知らなかったのよ。ドームで教えてくれたことも大事だけど、それはほんの少しだわ。あたしは知りたいの。もっともっと、たくさん、いろんなことを」
マナは老人の腕にぐっとしがみついた。
「おじいちゃんは好きよ。あたしに色々なこと教えてくれるもの。あたし、ここに来てよかった。そうじゃなかったら、何にも知らないまま、博士に言われるままだったかも知れないもの」
老人を見上げると、皺深い顔が静かに微笑んでいた。
「あたしね、考えてるの。まだ決められないけど、おじいちゃんの言ったこと、きちんと考えてるのよ。自分がどうしたいのか。
でも、それを決めるには、あたしまだ何も知らなすぎるの。だから、決めるためにも、もっともっといろんなことを知りたいの」
驚いたことに、少しずつ、マナは人形から脱し始めていた。自己を確立し、学び始めている。その成果は恐るべき速さでなされているのだが、それにつれて、マナの心には同時に不安が芽生えていく。
「どうして博士は、あたしに何も教えてくれなかったのかしら 」
次の日もマナは老人とともに時間を過ごしていた。ユウはいつも食事が終わると約束のように地下に姿を消す。
マナはそれを、今でもずっと不思議に思っていたのだが、やはり口にすることはなかった。それに、ユウのいない間に老人の話を聞くことが、マナにとっては楽しみになっていたからだ。
「今日は、海の話をしよう」
「うみ?」
「そう。この地球の表面の大部分を占める太古からの水だ」
「知ってるわ。塩分を多量に含んでいるんでしょ? だから塩辛いって。青いのよね?」
「ああ。とても美しい色をしているよ。マナにも見せたいね。あの美しい海の色を」
マナを見ていながら、老人の瞳は、どこか別の――そう、マナのまだ見たことのない海を見ているのだろう。老人はマナに話して聞かせるとき、よくそんな遠い瞳をするのだ。
マナは正直、それが羨ましかった。
老人の感情を読むことはできるが、見えないものを見ることはできなかったからだ。
「初めて地を覆う濃く青い水を目のあたりにしたとき、涙が出たよ。こんなにもすばらしい光景が、あっていいものかと。
私達の住む星の、なんと美しいことか。
よせてはかえす波のさざめきが、どこまでも続く海。わたる風さえ、命の鼓動をはらんでいた。私の生涯の中で、あれほど美しいものを見ることは、きっともうないだろうなあ」
食い入るように見つめているマナに気づいて、老人はそっと笑ってマナの頭を撫でた。
「今度、ユウに連れていってもらうといい。あの子の力ならば、すぐだ」
「本当?」
「ああ。きっとマナも感動するよ。涙が出るほど、綺麗だと思うさ」
「だといいんだけど」
マナは正直言って、そのように感じられるか自信がなかった。
老人の目と自分の目は、いつもどこかが違うのだと思えてならなかった。
遠い瞳をして、そこにはないものをとても幸せそうに見る老人の目は、きっと、自分とは比べものにならないほど美しいものを感じられるのだと。
「マナ、ユウを頼むよ」
「?」
「あの子は、きっとおまえさんのためなら何でもしてくれる。どんな願いも、叶えようとするだろう。私から言うのも何だが、おまえさんを、この世界の何よりも大事に思っている。それを、忘れないでおくれ」
その言葉に、何故かマナは不安なものを感じとった。
「どうしたの、おじいちゃん? 急にそんなこと言いだして。何だかもう会えない、何処か遠くへ行くみたいに」
「おや、そんなふうに聞こえたかね?」
「ええ。嫌だわ、おじいちゃん。そんなこと冗談でも言わないで。あたしたちをおいて、何処へも行かないでね」
「どうやら、マナにいらぬ心配をさせてしまったようだ。さあ、中へ入ろう。もう日があんなに高い」
老人は杖を持ちなおし、開いているほうの手でマナの肩に触れた。その足取りが、何だかいつもより重そうに見えた。
「ああ。きっともうすぐ……」
一歩一歩、ゆっくりと前に進みながら、遠くを見つめて、老人は呟いた。
それが一体何を意味するのか、マナはまだ知らなかった。
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サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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