竪琴の乙女

ライヒェル

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三章

エティグス王国の金貨

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午前中、亡きシルビア妃のお付きであったという女官長、マゼッタがやって来て、今後、ラベロア王国の歴史や王室の決まりごと、作法などのお妃教育が行われるなどと言い渡される。さすがに前王妃付きの女官長であり、サリーの上司にあたる人だけあって、かなりの貫禄があり、私も下手な事を言えないような雰囲気があった。淡々と今後のスケジュールについて説明を聞かされる間、口を挟む隙も見当たらず、大人しく黙っていたのだが、一通りのことを聞いた後、質問があればどうぞ、と言われたので、正直に気持ちをぶつけた。
「お妃教育と言われても、私はそんな話、聞いてもいませんし、同意もしてません」
今朝、いきなり、妃にする、などと言われたが、完全に寝耳に水。
しかも、なんで突然そういう話になったのかも不明。
真意を問いただそうと思ったのに、肝心のカスピアンには逃げられた。
私の言葉に、マゼッタが驚いたように目を丸くする。まるで、今聞いた事が理解出来ないとでも言うような怪訝そうな表情を浮かべた。
「おっしゃる意味がわかりかねます」
わかりかねるとはどういうことだ。
これだけ単純明快なことを言ったのに!
私は、もう一度、同じ事を口にする。
「私はお妃になる予定もないし、同意もしてません」
だから、お妃教育なんて受けるつもりもなければ、そんな義務もない。
さすがに今度は意味が伝わったのか、マゼッタがますます驚いたように目を見開き、隣のサリーを見た。サリーが困惑気味に何度も瞬きをして、私を見つめている。
本当はカスピアンに直談判すべきだろうが、てんで当てにならないから、こうなればこの、女官長に訴えるしか無い。
私が背筋を伸ばし、まっすぐにマゼッタ女官長とサリーを見ているので、どうやら私が本気で言っているということだけは通じたらしく、マゼッタがやれやれというように苦笑いをした。
「セイラ様。王子殿下はもう、貴女をお妃に迎えるためのご準備を始められていますから、ご同意されていないなどとおっしゃられても状況は変わりませんよ」
「えっ?準備?!困ります!ともかく、すぐにカスピアン王子と、この件についてちゃんと話を……」
「無駄です。殿下のお決めになられたことが覆ることはございませんよ」
「そんなの、話してみないとわからないと思います」
「いいえ。殿下は近日中に、国王陛下の許可を得られ、議会の承認を取り、およそ一ヶ月後に婚儀を執り行う予定で進めるご意向でいらっしゃいます」
「えっ?!一ヶ月後?!」
驚いて思わず立ち上がる。
「そんなの、何も聞いてない!いつそんな話になったの?!」
「お妃教育のご準備についてはしばらく前から指示が出ておりましたが、具体的な予定については今朝、殿下よりお話がございました」
「ど、どうして、私には何も言わずに、勝手にそんなこと……」
「可能な限り早くお妃教育を完了させるようご指示がありましたので、普通三ヶ月のところを、一ヶ月でこなしていただくことになります」
「そ、そんなの、一言も聞いてない!」
茫然としていると、マゼッタが不思議そうに私の顔を眺めた。
「セイラ様にご意見を伺う必要などなかったかと思いますが」
「え?それは、どういう……」
「お妃にと望まれてるのですよ?」
「だから、それが、困るんです!」
「困るとは、どういうことでしょうか?」
「どういうこと……って、それは」
一言で説明しろと言われても、そう簡単ではない。
まず第一に、私は異世界の人間だ。
それに、いつか自分の世界に戻る事を諦めてはいない。
アンリとヘレンに助けてもらって、一緒に暮らしていた。
平和で、心の温まる日々を過ごしていた。
なのに、こんな王宮で幽閉生活を余儀なくされるなんていやだ。
権力を乱用する暴君と結婚なんて無理。
しかも、お互い恋愛感情さえない上、対等に話も出来ない相手だ。
大体、私を一人の人間とも思っていないような人に、妃にと言われる筋合いもない。
あえて思いつくカスピアンの魂胆は、例の動物剥製コレクションみたく、毛色の珍しい珍獣として私をペット化しようという事だろう。
「と、ともかく、嫌なんです!」
一番シンプルな理由を口にすると、マゼッタだけでなく、そこにいたサリー、エリサ、アリアンナの全員が度肝を抜かれたように固まる。
そんな衝撃的なことを言ったのだろうか。
沈黙の後、やがてマゼッタがクスクスと笑い出し、何か面白いものを見ているかのように私の顔を眺めた。
「まさか、殿下にお妃にと望まれて嫌だとおっしゃる方がいるとは考えもしませんでした。世の中の姫君達は、少しでも殿下のお目に留まろうと競い合っていらっしゃいますから」
「……カスピアン王子は多分、まだ、私がエランティカの乙女だと思い違いしているんじゃないかと思うんです。だから、ちゃんと話せば、この話は取り消しに……」
「いいえ。取り消しにはなりません」
打って変わってぴしゃりと言われ、厳しい視線に口をつぐむ。
マゼッタ女官長はにこやかに微笑んだが、有無を言わせぬ強い口調で私に告げた。
「セイラ様、よろしいですか。先ほどご説明しましたように、婚儀の日までにしっかりとお妃教育を受けていただきます。殿下より仰せつかったことですから、これは決定事項であるとご理解ください。セイラ様には、何事も、殿下に従っていただかなくてはなりません」
「そんな……」
「まずは、どのような分野を学んでいただく必要があるか、優先順位を確認させていただきます。明日の朝、王立学校の者が参りますから」
そこまで言うと、マゼッタ女官長は立ち上がり、言葉を失っている私の目の前に、ご丁寧にも分厚い教育計画書を置いていった。
マゼッタ女官長を頼りに現状を打破しようと思ったが、完全に不発だった。
がっかりしている暇もなく、軽い昼食の時間を挟み、今度は衣装合わせのために、業者がやってきた。
衣装の採寸調整と称し、着せ替え人形状態で業者や女官達に散々いじくりまわされる。業者が、この織物がどれだけ美しく素晴らしい生地であるか、どれだけの価値があるかなど熱弁していたが、内心其れどころじゃない私はただ適当に相づちをうつだけで、完全に上の空だった。エリサやアリアンナが楽しそうにドレスや宝石類を手に取ってはしゃいでいるのを眺めている間も、すべてが人ごとのように見えて現実感が出ない。サリーが、これらの品々は多忙なカスピアンが時間を裂いて私の為に選んだものだとか、ぼんやりしている私を喜ばせようと思ってそんなことを言っていたが、別にそんなの嬉しくもない。
なぜ、カスピアンはそんなことをしているのだろう。
全然わからない。
私を妃になんていう、その目的や理由は、一体なんなのだ。どうして私だけ完全に蚊帳の外で勝手にあれこれ決めるんだ。
全然納得いかない!


衣装合わせからやっと解放されたのは日が傾きかけたころだった。
無茶苦茶な1日がやっと終わりに近づいた……
ずっと室内に篭りっぱなしだったので、気分を変えようとバルコニーに出ると、緩やかな風に吹かれて下ろしていた髪が舞い上がる。手すりに近寄り、オレンジ色に染まり始めた広い空を眺め、眩しさに目を細めると独りでに涙が出て、片手でごしごしと目を擦る。
いろいろ考えたいのに、物凄い勢いで大きな渦の中に飲み込まれていくようで、何から手を付ければ事態を好転させることが出来るのか、アイデアひとつも出てこない。そもそも、今朝からとんでも無い事ばかり続いているのに、どう対処すべきか考える暇も一切無かった。
ディズニーランドでの手繋ぎデート以外の男性経験はなかったのに、熊男がベッドに添い寝していた挙句、どさくさに紛れてファーストキスまで奪われるという悲劇。私の「初めて」への夢が無残な形で消え去ってしまった。もう2度と、この「初めて」は経験出来ないのに!
いつか、大恋愛をした時に、愛した人に捧げたかった私のファーストキス。
一生忘れられない素敵な思い出になるはずのものだったのに。
落胆のあまり、がっくりと首を垂れる。
男性と親密な関係になるってどんな感じだろうと思っていたが、私の場合は、親密どころか天敵を相手に突発的に発生し、余韻に浸るどころか、ただ、期待に敗れた喪失感と敗北感だけが残されただけ。
ロマンティックな雰囲気なんてカケラもない、殺気立つ空間の中で。
悔しいやら、悲しいやら、腹が立つやらで、この憤りをどう消化すればいいのか考えあぐねて、ハァー、と大きくため息をする。
手すりに寄りかかってぼんやりと下の庭園を眺めていると、向かい側の宮殿のほうが少し騒がしくなった。見下ろしていると、物々しい感じの一行が庭園に出てくるのが見える。まさかカスピアンじゃないだろうなと目を凝らして見ていると、集団の中央に、夕日でキラキラ光る金髪が眩い、長身の貴人の姿が目についた。
あれは、エティグス王国の、ルシア王子だ。
サリーの話では、滞在を終えて今晩出立するという話だったはずだ。
議会では、アンジェ王女とルシア王子の婚姻式を、どちらの国で行うかで討論が続いているとか。
じっと見下ろして観察していると、ルシア王子を庭園に案内しているアンジェ王女が見えた。
側近や女官達は宮殿を下りたところで控えており、アンジェ王女とルシア王子が二人で庭園の中に入っていくのが見えた。
王子がちゃんと、アンジェ王女の手を取って優雅にエスコートしている様子に、これぞまさに絵になるロイヤルカップルだと、うっとりと二人の様子を眺める。アンジェ王女は、確かにカスピアンに似てはいるけれど、天使のように純粋無垢で、あんな熊男の妹とは思えないくらい可愛いらしかった。生まれながらの気品があるし、身のこなしの優雅さはもう、重力を感じさせないほど洗練されている。
庭園の中央にある大きな噴水の近くで二人は立ち止まり、何かを話していたが、やがてアンジェ王女が身を屈めて噴水の水に手を伸ばすのが見えた。
水は冷たくて気持ちいいだろうなと思いながら見ていると、ふと、アンジェ王女の後ろに立っているルシア王子がこちらを見上げているのに気がついた。
上から覗き見していたのがバレて、気まずくなったけれど、急に隠れるのも返って変だと思い、挨拶代りにちょっとだけ首を傾げてみる。すると、遠目ながら、ルシア王子が笑みを浮かべるのが見えた。
市場の検問所では見逃してもらったという恩もあるのに、一度も挨拶する機会がなかった。ガゼボのお茶会では誰かに挨拶する場合でもなかったし、もっとも、私はベールで髪も顔も隠していたから、ルシア王子も私が誰かもよくわかっていなかったかもしれない。それに、先日の貴賓館の庭園では、私はカスピアンのマントの下に隠れていて、ルシア王子の顔さえも見ていなかった。市場で借りたマントも、いつか返せたらいいけれど、そんなことが出来る日がいつか来るのだろうか。
そんな事を考えながら、バルコニーを離れて室内に戻ろうかと手すりから手を離した時、こちらを見上げていたルシア王子の手元から何かキラリとするものが放たれるのが見え、つられてその光を目で追う。それはキラキラと輝きながら天高く舞い上がり、真っ直ぐ私の方へ落ちてくる。びっくりして慌てて両手を出すと、ぽとり、と何かが手のひらに落ちた。
金色の硬貨?
庭園に目を向けると、ルシア王子が、こちらを見上げていた目を、空のある方向へ向ける。同じ方向を見ると、オレンジ色に染まる空の向こうに月が上り始めているのが見えた。
月?
再度ルシア王子を見下ろしたら、もう、アンジェ王女と連れ立って、庭園を後にするところだった。
手のひらの金貨を眺めながら、部屋に戻る。
明らかに私に向かって硬貨を飛ばし、月の上る方角を見るように促した感じだった。
どういう意味だろう。
硬貨をひっくり返して良く観察する。
それは、エティグス王国の金貨。
鳩のシンボルと、この近隣諸国で使われている数字記号が刻まれている。その記号は、いわゆる夜の8時くらいの記号。
ハッとして息を飲む。
鳩は万国共通、自由の象徴。異世界のこの国でも同じだ。
硬貨の数字の意味がもし、夜8時ということであれば、その時間に何か起きるということ?
まさか、ここからの脱出を手助けしてくれるということ?
そこまで考えて、慌てて首をブンブン左右に振る。
いやいや、あまりにも自分の都合のいいように解釈しすぎているのでは。
ルシア王子が、私を助けるなんて、おかしいじゃないか。
それこそ、二国の国交に問題が生じるようなことだ。
あの暴君、カスピアンが激怒するようなことを、これからアンジェ王女と結婚する予定のルシア王子がするはずがない。
それに、月を見ていた意味は全然分からないし。
それでも、気になって何度も金貨を見てしまう。
窮地に立たされている私は、わずかな希望に淡い期待を持つ自分を抑える事が出来なかった。

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