モノの卦慙愧

陰東 紅祢

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第二章 ~少女期~

地獄の番人、閻魔

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「ふぅ~む……。こいつは厄介だな……」

 閻魔は尺を片手に持ったまま、元々が強面の顔をますます歪めて帝釈天からの届いた手紙を見つめていた。
 彼の体格はとても大柄で筋肉隆々、その屈強な体格を覆い隠すかのようなたっぷりとした着物を身に纏っている。顔は赤黒く、常に怒っているかのような誰もが知る顔をしていた。

 阿修羅が不穏な気配を放っている。
 今までなかった事に、帝釈天が悪い予感がしているのは閻魔自身も納得しているところがあった。
 どうにも近頃、地獄の空気感がおかしいのだ。「何が」とは言えないが何かがおかしい。
 外部から何かが入り込んでいるのかもしれないと、警備の強化をするくらいには異様さを感じ取っている。

「それが阿修羅に関係する事だとしたら、見過ごすことは出来ないな」
 
 多くの人間たちに裁きを与えるために、わずかな時間をも惜しまれる中での帝釈天からの報告にどうしたものかと頭を抱える。

「閻魔様……その、裁きのお時間です」

 手紙を見て唸り声を上げていた閻魔の元に、一匹の赤鬼がおそるおそるそう告げに来る。すると閻魔は再び地面に響くような深い唸り声を上げてゆっくりと席から立ち上がった。
 彼を呼びに来た赤鬼は閻魔の唸り声に恐怖を抱き、席から立ち上がった時の彼の二メートルをゆうに越えるほどの気迫ある体格に縮みあがる。

「やれやれ、もうそんな時間か……。あい分かった。すぐに向かおう」

 ため息交じりにそう言うと、閻魔は赤鬼を先導に部屋を後にする。
 暗く松明に照らされた広くて暗い宮殿の中を、まるで小動物かのようにちょこまかと動き回る鬼たちを横目に、閻魔は目的に向かう。

 裁きの時間。それは幽世から訪れる何百人もの裁きを受けて辿り着いた魂たちの裁きではない。これは、彼自身の裁きだった。
 閻魔は人々の魂に裁きを与え最終判断を言い渡す者だが、その実、それ自体が罪であると言う事を十分に理解していた。
 彼は元々人間で、帝釈天とともに天界に住んでいたのだ。しかし、多くの人々の魂が無くなり、良し悪しもない魂が天界に流れ込んで来た事がきっかけで世界を三つに分けた最初の第一人者となり、あえて恐怖される残念な役回りに徹することにした男だった。

 初めは世界を分ける事も、彼が恐怖の対象になることも帝釈天は反対をしていたのだが、「これは必要な事なのだ」と、絶対的にそうしなければならないと頑なに諦めることをしなかった閻魔に帝釈天の方が折れるしかなかったのだ。

 それゆえに、魂に裁きを与える数が増えれば増えるほど、彼に課せられる罪は重く、苦しいものになる。

 部屋を出た閻魔は、自らの処罰を受ける部屋までやってくると、用意されていた椅子に腰を下ろす。すると大きな器に入ったドロドロに溶かされた銅が運び込まれた。
 ボコボコと泡を吹くほど熱せられた銅の入っている器は、熱を通さないよう特殊な加工を施されているのか、受け取った閻魔は熱がる様子は見られなかった。

 運び込んだ鬼たちは閻魔がそれをきちんと飲み干すのを見届ける見届け人として任命されたものたちだ。だが、彼らはそれを怖いと感じているのか、常にビクビクしていた。

「閻魔様、ど、どうぞ、お飲みください」
「うむ」

 低く唸ると、閻魔は器の中の銅を、躊躇いなく喉の奥に流し込む。

「う、ぐぅううぅうううぅ……っ!」

 溶けた銅が内臓を通る傍から焼け爛れ言葉にならない苦痛が伴う。
 閻魔は手にしていた器を取り落とし、胸元を掻きむしらんばかりにきつく両手で握り込んで前のめりになり冷汗を流した。

「ひ、ひぃいいぃ! 閻魔様ぁ……っ!」

 見届け人の鬼たちは互いに体を抱き寄せ合い、目の前で苦痛に顔を歪ませ体を震わせて唸り続ける閻魔を震え上がりながら見つめる。
 ただ銅を運び入れ、それを飲み干すのを見届けるという単純な仕事ではあるものの、皆それを嫌がるのはこの光景を見せられるからだろう。

 憤怒に歪んだ閻魔の顔は誰よりも怖く、恐ろしく、そしてその心の優しさに涙が滲んでしまうのだ。

 閻魔に課せられた罪。そしてその罪によって日に三度、この銅を飲み干すことが彼が毎日欠かす事無く受けている罰だった。
 裁く魂の数が少なければ、それだけ閻魔が被る罰の数も減りあらゆる面で楽になるのだが、近頃は少なくなるどころか増えることが多いのが悩みのタネだった。

「え、閻魔様ぁ……」

 閻魔自身がこんな苦痛を味わうことが見ていられないとばかりに、彼付きの鬼たちはいつもオロオロしてしまう。下手に水を持ってこようものなら食われてしまうほどの勢いで怒られる為それすらできない。

「案ずるな……本当に苦しんでいるのはこの地に堕ちた人々の魂だ。彼らだけが苦しみ、彼らを裁くわしが苦しみの中に無いなど、あってはならぬこと。それだけだ」

 獣のように唸りながらそう語る閻魔に、鬼たちは彼の懐の深さにいつも感服した。
 
 閻魔はそう言う定めの元に存在しているために、罰を受け入れることに対しての抵抗はない。だがやはり、それでも苦痛を伴わないわけではないのだ。
 閻魔自身がそれを甘んじて受け入れているのには理由があった。彼もまた、全ての魂に贖罪と反省を望み、それによって罪を軽くより良い方へ魂たちを導きたいからだ。それでも言う事を聞かない魂も、決して少なくはない。
 自分だけが助かればいい、自分さえ良ければいい、と言う利己的な考えを捨てきれない魂たちは等しく地獄へと堕ち、様々な苦行を課して徹底的に贖罪と反省を促し続けている。

 それではダメなのだと、彼は身を以てそれを体現しているに過ぎないのだ。

 荒く息を吐き、灼熱の暑さと痛みが落ち着いた頃にゆっくりと体をもたげ、落ちていた器を拾うとお付きの持ってきた盆の上にそれを置いた。

「……次の分を用意しておけ」
「しょ、承知しました」

 脂汗が浮んだまま、器を持って出て行った鬼の後に閻魔は再び仕事でもある文机の部屋へ戻って来る。そして机の上に広げたままの帝釈天からの手紙に再び視線を落とした。

「……まったく、仕事は増える一方だ」

 最上界にいる極楽からしか見えない三世界の様子は、定期的な報告書として地獄と幽世にも届けられている。

 だが今回、帝釈天が手紙を書いたのは閻魔にだけだった。
 その内容は実にシンプルなもので「阿修羅の様子が怪しい。よって警備確認を求める」と言うものだった。
 阿修羅を置いている洞窟は地獄の果てにあり、閻魔と彼が信頼を置いている幹部の数人しか知らない名もない土地にある。しかし近頃は様々な者を抱えたままの魂が多く、人員を割く余裕があまりないのが現実だった。

 はぁ~っと吐き出したため息が火傷しそうなほどに熱く、うっかり傍に置いていた紙がその熱に当てられて火がついてしまった。

「おおっと……」

 閻魔は慌ててその日をもみ消すと、すぐに置いてあった尺で机を二回叩いた。すると彼が信頼を置いている鬼の一人、不知火が姿を現す。
 すらりとした身長に黒い翼を持ち、浅黒い肌に痩身の体つきをした三白眼の不知火は、どこかヤタに通じる面影が見える。そんな彼は閻魔の前に跪き頭を垂れた。

「お呼びでしょうか」
「不知火。そなたが忙しい事は十分承知しているが、少し頼まれて欲しい事が出来た」
「はい、なんなりと」
「地の果てに置いている阿修羅の様子を見て来て欲しい。帝釈天の話では奴の動きに何やら不穏な影が見えるそうだ。奴が動き出したとあっては何かと不都合が多いからな」
「御意」

 多くは語らずとも、阿修羅と言う存在が何よりも凶悪で危険であることは誰もが周知している事だった。
 不知火が頭を上げて、颯爽とその場を後にする。閻魔は深く椅子に座るとジクジクと痛む体を少しの間休めることにした。

「状況によっては、麒麟にも話を通さねばなるまい。これらは全て、番人である我ら三人でどう対処をするべきかを考える必要があるな」

 閻魔は腹部を抑えたまま、唸るように呟いた。
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