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白兎編
6-4.白兎は外に出ない
しおりを挟む「身体の具合はどうだい?私の白兎」
ひやりとした手のひらと、低くはないが落ち着きのある声色に目が覚めた。
私は今度こそ見慣れた部屋の布団に横になっていて、側には旦那様の姿が見えた。
片手に雪を抱いている。
旦那様は私を此処へ連れて来て以来お会いしていなかったから、何だか不思議な気分だ。
雪はごろごろと嬉しそうに喉を鳴らしながら、目を細めて旦那様に甘えていた。
夢の続きを見ているような心地で、私は大丈夫です、と答えた。
「そうか。なら良かった」
「私は倒れた、のですか」
「みたいだね。まぁ、軽く逆上せただけだろうから、直ぐに良くなるよ。水を飲みなさい」
旦那様はそう言うと私を起こして、湯呑みを差し出してくれた。
汲んで来たばかりだろうか、冷たい水が身体を流れてゆく。
火照った身体が冷めていくにつれ、私は現実へと意識を取り戻していった。
呉服屋さんたちが帰った後、慣れない他者との接触に疲れ切っていた私は昼を越え、夕陽を迎えて酷く気だるく、早々に寝たいといつもより早めの風呂を頂いたのだ。
あろうことか其処で眠ってしまったらしく、後から入ってきた椿に助け出されたのだと旦那様は言った。
「あの子が付いていながらね。一体何があったんだか」
「あの子?」
「茜--ああ、いや、女中だよ。若い子。お前の側を離れて何をしていたんだろうね」
紺色の着物を着た旦那様。
私をこの部屋へ連れてきた時と同じように、少し癖のある猫っ毛を一つ結びにして前へ垂らしている。
造形のはっきりした顔立ちは年齢を感じさせず、黒髪が良く映える。
旦那様は、腕を広げてそっと雪を下ろした。
一瞬だけ不満そうな素振りを見せた雪は、直ぐに諦めて寝床へ向かった。
「生活はどうだい?不便はないか?」
「はい」
「記憶は戻ったかな」
「女中さんたちに、教えてもらいながら…」
「なかなかお前に会いに来るのは難しいからね。たくさん話を聞いておきたいんだ」
音を立てずに身体を寄せ、旦那様は私の髪に口付けをした。
芳しい香の香りがする。
椿とも女中さんたちとも違う香り。
旦那様は私の頭を撫でながら息を吐くように言葉を紡いだ。
「退屈はしていないかい?」
「外を見るのはとても楽しいです」
「外に興味があるのかな」
「眺めていると色々なものが目に入って、飽きませんよ」
「そうかぁ」
旦那様の顔を見ようとするのだけれども、旦那様が私の頭を抱いているせいで顎の下までしか見ることが出来ない。
無理矢理はめ込まれているようで窮屈だから、抜け出したいのだけれど。
旦那様が繰り返す他愛もない質問の合間に、私は旦那様の下から抜け出そうと試みた。
食事のこと、暮らしのこと、女中さんたちのこと。
どれもこれも何でもない会話。
「ねぇ、此処へは誰か来たかい?」
「女中さんはいつもお世話してくれます」
「女中たち以外にさ。この部屋に誰か来たかね?」
よいしょ、上手く旦那様の機嫌を損ねないように顎の下から抜け出した私は、降ってきた旦那様の瞳の色に瞬間、唇を引き結んで息を止めた。
あれ、最初からずっとこんな顔をしていたのだろうか。
私の目覚めを待っていた時の優しげな微笑みを浮かべていると思っていた。
月明かりは眩しいのに、瞳に光を宿さないなんてことがあるだろうか?
私を見下ろすその顔は見たことのない冷たい表情で、私はそれを酷く畏れた。
--ああ違う。これは会話じゃなかったんだ。
私はそう悟ったけれど、多分、もう遅いんだろう。
揺らがぬ旦那様の目に捕らわれたまま、私は辛うじて口を開いた。
「…それは、此処へ誰も来てはいけないということですか」
「察しが良いんだね」
「呉服屋さんたちは、昼間来ました」
「あれは私が呼んだから問題ないさ。私の知らない人間が此処に来て、私の知らないことをしていないか聞いているんだよ」
「それは…何故、ですか。私は…」
「お前が人間じゃないからだよ」
びく、身体が震えた。
鏡に映った私の姿が脳裏をよぎる。
「お前はうさぎだからね」
「うさぎ、は耳が長いと、女中さんが」
「はは、間違ったことを教えるなんていけない女中だね。うさぎはこれだとしっかり教えておかなくては」
旦那様は両の手のひらでしっとりと私の顔を包み込んだ。
「人はね、罪深い生き物なんだよ。何でも喰い、何処にでも棲み、誰とでも交わる。時には親子でまぐわい、欲だけを満たす為に子種を残さぬ無意味な契りを交わす」
「……っ」
旦那様の手が撫でるように滑り降りて、私の着物をはだけさせた。
露わになった私の半身を見て、旦那様は愉しそうに顔を歪ませた。
「変わっていないね、相も変わらず扇情的な身体だ」
「ぅ……あ…」
「こんな犬畜生にも劣る劣情を抱かせるお前はね、人であってはいけないんだよ。お前も分かるだろう?ねぇ、私の白兎」
「だん、な…様…」
「お前は私のものだ。これからも、大切に飼ってあげる。私だけに鳴き、私だけに懐きなさい」
旦那様の黒い眼が、まるで私の白い肌を染めようとするかのように真っ直ぐ私を見つめている。
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