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 朝食を終えた九曜は、散歩をすることになった。
 青々とした芝生の上を白雲が通り過ぎる凌雲山の庭先は、手入れが行き届いた赤紫や白の鮮やかなつつじがいたるところで咲き誇り、初夏に差しかかっていた。
 凌雲山の自然は、有翼族の宗主である翼弦の居城でもある仙洞の金の屋根瓦が葺かれた荘厳な景観と相まって、人界と隔絶された様相を呈していた。
 そのような場所を歩けば、誰しもが爽快な気分になるはずだ。だが九曜は違った。
 蒼白な顔でうつむいてきながら石畳の散歩道を歩く彼は、素晴らしい景色など目に入らぬようだった。
「九曜様、ご覧ください、川蝉がおりますよ」
 九曜の背後に付き従う六花が努めて明るい声で小川の石に止まった鳥を指し示す。
 しかし九曜は曖昧な相槌を打つだけだった。
 九曜の心の中には朝餉の時に起こった出来事がずっとわだかまっていた。
 木龍の前で、翼弦に口付けしてしまった例の出来事だ。
 木龍の正体は九曜の夫、幻以だ。九曜が犯した行為は裏切りに他ならない。
 加えて、九曜が子が産めるようになったことが幻以にばれてしまった。
 九曜の心はわだかまりから紡ぎ出された二つの悩み事が占めるようになった。
 今度幻以と会った時、どう言い訳すればいいのか。
 自分の身体が妊孕性を帯びたことで、幻以が自分を救出する機会を見誤らなければいいのだが。
 悩みが浮かんだ直後、ふいに視線を感じた九曜が顔を上げると、小川を挟んだ小高い丘にある東屋の側に薪割りをしている人影があった。
 薪割りをしていたのは木龍だった。
 木龍は九曜たちの存在に気付き、汗を拭いながらこちらを振り向く。
 九曜は思わず身を竦ませた。
「あら、木龍さん」
 木龍の存在に気付いた六花は困ったような顔をした。
「お散歩でしたか、九曜様。こちらをお通りとは思わず、お見苦しいところをお見せして申し訳ない」
 木龍は声高に九曜に告げると、何かに気付いたように顔を前に突き出す。
「おや、九曜様、顔色がお悪いですね。こちらの東屋でお休みください」
 誘導しようと木龍が土手を下りる。
 九曜が木龍のもとへ歩き出そうとするのを六花が九曜の手を取って止めた。
「木龍さんと個人的に会わせるなとの洞主様の仰せなので……」
「六花。俺に義理はないのか?」
「そう言われると……」
 六花は眉を寄せて迷いつつも九曜から手を離した。
 九曜は小川の向こうで手を差し出す木龍のもとへとぼとぼと歩き始める。小川にある飛び石を踏んで、最後の石でよろけた時に木龍が受け止めた。 
「ありがとうよ、六花。少し話をするだけだ。明日も買い出しに行く予定があるから饅頭買ってきてやるよ」
「じゃあ少しだけですよ」
 六花は嬉しそうな顔をして木龍に背を向けると見張りの番をした。
 木龍は九曜を抱き締めて土手を上がり、東屋のところへ連れて行った。
「さすがは貴公子様だ。下女の扱いが手慣れているな」
 木龍の腕の中、元気のない声で九曜は言った。
「彼女はお前の妾候補のようだが、節操がないな。少しは場所を選べ」
「その話は今は置いておこうぜ。そんなことより俺に弁解することはないのか?」
 木龍の恫喝混じりの声におののいた九曜は口を噤んだ。するとすぐに彼の目からぽろぽろと涙が零れ出た。



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