ほおつきよ

兎守 優

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一 盲目

一枚め

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 コトン、ピッ、コトン、ピッ、コトン、ピッ……
 ガラガラー、ガコンッ、ガラガラ……
 ウィーン
 トコン、トコン

 バーコードを机の上で一つ一つ読み込みながら、処理の済んだ本を静かに積み上げ、ズズーと伝票を打ち出していく音。
 積み荷を載せた台車がときどき段差につまずきながら走る音。
 訪問とさよならを告げる扉の開閉音。
 カーペットではない床を踏み鳴らす足音と、棚に本を戻す礼儀正しい音。

 全て一つ一つ、区別してすくい上げて感じることができる。ここは雑多に音が重なり合わない場所だった。
 僕にとって、僕の耳にとって、落ち着いた音が一つ一つ生まれては止んでいく世界は救いだった。

 外へ一歩踏み出せば静寂から遠のいていく。至るところで鳴る音が、どれも他の音が止むものを待たずに、私は、俺は、僕はと言う。せめて音量を抑えられないものかといつも苦慮する。

 本音を言えば、外出時はなるべくは車という一つの壁を通して世界を知覚したい。車があれば気が楽にちがいない。自分には到底、無理な想像を巡らしてしまう。なんせ、エンジン音も勢いよく閉まるドアの音もとても苦手たったから。
 
 自転車は自分もかなりうるさい。止めろと言っても、僕が乗っているもんだから言うことを聞かない。道は平坦ばかりではないからガタガタ揺れるし、ベルはジリジリと耳をつんざく。

 徒歩で歩き回るには、車や自転車以上に障壁が多すぎた。自分の足音が気にならないくらい、雑多な騒音たちに、どこにいてもすぐ見つかってしまう。見つけるだけでは飽き足らず、どこまでも追いかけてくる。必死の逃避の甲斐もなく、すぐに追いつかれてしまう。

 車の行き交う音、クラクションの音、信号が急かす音、ざわめく話し声、大きさもリズムもまばらな足音。ときおり、バンッという心臓を掴まれるような音が急にすると、僕は耳を覆って頭を抱えながら逃げ出したくなる。

 何やらまくし立てている人がいると、もっと震えてしまう。こちらが怒られているわけでもないのに、ほとばしる怒りが伝わってきて、自分も反省しなければ、耳を傾けなければならない気持ちにさせられてしまう。

 音に怯える日常の中で、僕の目線はいつも自然とさまよって空虚を見つめている。耳には必ずノイズキャンセリングを施したイヤホンが欠かせない。ヒドいときはヘッドホンをかぶる。
 耳に当たって擦れる摩擦音さえももどかしいと思うのだから、重症なんだろうと思う。

 世界はなんでこんなにも僕を刺激してくるのだろう。そうやって周りを責めたくなったとき、思った。自分が敏感なだけなんだということに。
 現に街ゆく人々は僕の感じるように、顔をしかめたり、苦しそうにしたりはしていない。みんながみんな、イヤホンやヘッドホン、帽子を目深に被っているわけでもない。

 最初はみんな、演じるのが上手いなと思っていた。僕、山崎真昼は下手な役者なんだと。
 あぁ、早く寝静まらないかな。毎日そんなことばかり考えながら、黙々と台車の本を棚に戻していたときだった。

「あの、すみません」

 突然の声に、心の平静が引き裂かれた。自分でも分かりすぎるぐらい肩をビクリと反応させてしまい、やや遅れて返答する。

「…………はい?」
「この資料はありますか?」

 彼の声のボリュームがあまりにも大きいので、僕はとっさに人差し指を唇に当てて促した。

「ほ、他の、利用者のご迷惑になりますから……」

 注意喚起をしているのに萎縮して、視線が上下してしまう。彼は目を丸くして、じっとこちらを見ているようだ。彼も先ほどの僕と同様、やや遅れて返事をしてきた。

「すみません! 耳、悪くて」

 僕は癖で彼の体中を見回して、その印や証を探した。僕の胸元に下がるネームカードともう一つのマークが付いたカード。同じようなものを探したけど、見当たらなかった。この人、不用心すぎる。

「探してみます」

 いつも最大限の努力と配慮に尽力して、対策グッズや不調のことを周知しながら生きているのに、この人は聞こえにくいくせに、視認できる表示を一切身に付けていない。
 自分にはこういう不調や不具合がある。なぜ、それを説明しないで、助けてもらえると思ってるんだろうか。そうして、知らなかった相手に注意されて、実はこうでしたってそこで初めて明かして、相手に迷惑をかけて、悪く思わないのだろうか。フツフツと沸き上がってくるものを感じて、短く答えて脇を抜けていく。

「あっ」

 彼に肩を掴まれた。僕はパシンと振り払う。反動で倒れてしまい、尻餅をついた。

「ごめんなさい。なんて言ったか」

 分からなかった? そのために意図せず相手を傷つけていいのか?
 何があったのかと集まってくる無数の音に、僕は傷だらけになっても刺されながら、今日のお勤めを終えた。
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