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一 盲目
六枚め
しおりを挟む電車で揺られて二時間で着くらしい。まだ出発したばかりなのに、気まずさがのし掛かってくる。
神田さんを直視できないで、僕は視線をさまよわせていた。斎藤くんは彼や僕に話しかけたり、窓の外を眺めたり、とても楽しそうに見えた。
神田さんは彼の止まらない話に適当に相づちを打っている様子だったが、僕の方をチラチラと窺っている気配を感じて、中々顔を上げられなかった。
カコンッと列車が揺れた音に驚いて、彼と目が合った。目元を緩ませてゆるりと首を傾け、何かを口にした。
「つらい?」
音を拾い、脳内で再生する。その言葉を反すうして、咀嚼する。
バクンと心臓が跳ねる。口元は笑ってた? それともひん曲がってた? 下がってた? 一体どんな意図でそう口に出したんだろう。
「少し……」
詮索しても分からない。きっとその言葉の真意を掴ませてはもらえないだろう。
大人って、そうやって、言葉に載せた感情の解釈を人に委ねるもののようだ。
手に汗がかいてきて、緊張しているんだと思った。彼が何歳なのか聞いていないが、大人っていうのはこんな感じなんだろうか。
彼はビターな雰囲気の大人だった。甘やかすわけでもなく、辛く叱りつけるわけでもない。味で例えるなら、甘さ控えめでちょっぴり辛口。
「ねぇ、ヤマザキくん。こういうの、見たことある?」
彼の声に弾かれるようにして、情けない怯え顔のまま、見上げる。彼の腕が伸びてきて、とっさに少しだけ後ずさってしまった。
眼前でぴらりと茶色のフィルムがたゆむ。反射光できらめいたフィルムには、黒い線路が両サイドに走っていて、フレームのようなものが小窓が四つ、連なっていた。
「ネガ?」
ネガにしては短い。先にはつまめるようなチョンマゲも付いている。
「ネガ風しおり。そういうの、流行ってるらしいよ」
差し出されたのを断るのも良くないと思い、手に取って眺める。透かし見ると、月、太陽、夕陽、地平線の四コマ仕様になっていた。
「それさあ、ホンモノのネガじゃないけど、いいよなぁ。古き良きものを再起させるっもぐっ」
窓の方に身を乗り出しながら半身向いて、会話に割って入ってきた斎藤くんの口を神田さんは覆った。
「少し落ち着けって。さっきから子どもみたいにはしゃいで。現地着いてからにしろ」
「はぁぁぁ……。じゃあ、朝早かったんで、俺寝てます」
途端に目を閉じて黙りこくって、沈黙が流れた。
「あっ、ありがとうございます」
彼にしおりを返そうとすると、いいよと止められる。
「今日の記念に持って帰りなよ。本とか読むでしょ?」
「読書と言えるか分かりませんが、料理本を眺めてるのが好きです。それで作るのも好き」
「あっ、そうだ。何か悪いね、お弁当作ってくれたんだって? 夕空の抜きした?」
そっと漏れる吐息は、イタズラっぽいセクシーな大人のそれだった。
「僕、そこまで意地悪じゃないです」
つい忘れてしまうが、彼は難聴の持ち主だ。底抜けに明るく見えるが、彼だってきっとたくさん悩んできたにちがいない。いわば似た者同士。本来なら助け合う仲だろう。
「楽しみだなぁ」
「ひまわり畑、明るくてすっごくキレイなんでしょうね」
「ううん。キミの料理が」
舐められているというよりは、品定めで舌なめずりをされている感覚に近い。女の人を口説くの、上手そうな感じだ。
僕も柄にもなく同性相手にドキドキしてしまうなんて、彼はかなりの魔性なのかもしれない。気をつけなきゃ。
完全に寝落ちた斎藤くんをチラリと見遣って、神田さんはまた僕に視線を戻した。
「俺、カメラマンなんだ」
「そ、そうなんですか。どんな写真を撮られるんですか?」
口に出してみて失敗したと思った。何をアホなことを聞いているんだろうと。被写体を撮る以外に何があるって言うんだ。
「何でもやるかな。今日はひまわりを撮りに行くつもりで。まぁ、半分以上、遠足気分だけど」
気だるそうな雰囲気だけど、どこか計算高い気がする彼。言葉の裏を探るのに必死になってしまう自分がいた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ? 俺は法に触れることはしないから」
「べっ、別にそんなつもりじゃ」
見透かされている。一つだけの眼光だけでなく、もしかしたら髪に隠れたもう一つの目で、奥底まで見られているのかもしれない。
「さっき、料理得意だって言ってたけど、ブログとかで流してるの?」
「いっ、いえ。ただの趣味ですし、写真撮るの下手ですし……」
シャッター音が苦手だった。カシャンと切り落とされる空しさがどうも好きになれない。
「俺が撮ってあげようか?」
彼の真剣な眼差しに吸い込まれて、少しの間、何も口にできなかった。
怯えさせたの思ったのか、神田さんは「いやいやー」と首を軽く振る。
「ひとんち上がり込むのはさすがに遠慮はするよ? 夕空じゃあるまいし。撮り方なら少し教えるよ?」
そう言って彼はリュックの肩掛けについたポケットに指をかける。スマホを取り出して、「これのカメラでさ」と見せてくれる。
「そっち行っていい?」
「え? あっ、はい」
荷物を退けて隣を空けると、彼が移動してくる。もう一人分の重みで座席が沈んだ。
「やっぱ、キミのスマホの方がいいよね。自分のもので覚えた方が使えるからさ」
「ちょっと待ってくださいね」
移動させたリュックを探ろうと立ち上がる。運悪く電車が揺れてよろめいた。
また尻もちだと身構えた。お尻に床の冷たさではなく、腰に体温を感じて、ハッとする。
「すみません、ありがとうございます」
「どっちなの」
彼にクスリと笑われた。確かに謝罪と感謝、両方言われたら困惑する。
「最近のスマホは性能がいいから、手ぶれ補正もあるし、プロっぽく撮れちゃうんだよね」
「そうなんですね……。ブレたり、安っぽくなっちゃうので、やっぱりカメラ単体の方がいい気がします」
「そんなことないよー」と彼は傾けた僕の手のスマホをのぞき込みながら、何かを確認している。
「少ないけど加工機能もあるから、ちょっと試しに撮ってみよっか」
何を撮ろうかとキョロキョロしていると、ねぇねぇとささやかれる。
「寝顔」
口元を抑えてクククと笑いながら指差す先には、ある被写体が。顔を隠そうともしないで、背もたれに頭を預けて寝入った斎藤くんの姿だった。
「シャッター音で起きそうです」
「大丈夫。ほらやってみ? カメラ起動させて、タップして」
パシャリ。音はしなかったが画面が一瞬、ブラックアウトした。神田さんの指が押し当てられて、迷っていた僕のシャッターボタンが押されたのだ。
「きひひ。これは傑作。あっ、でね、この下に色々出てるのをスワイプさせると」
さっきのネガみたいなアンティークな雰囲気の写真が一瞬でできてしまった。
「すっごい……!」
何だろう、このアンニュイな雰囲気をぶち壊す写真は。昼下がりの、駅弁をたらふく平らげた後の、満ちた表情のまま爆睡する男。気まま旅行記の挿し絵になりそうだ。
こんな近くに新しい世界の入り口は開かれていたんだ。
手軽にあんな写真やこんな写真が撮れる。その上、凝った写真っぽくなる。神田さんに教えてもらった技は、人生の大きな発見の一つになった。
感心して見入っていると、ねぇと振ってくる声が心臓を叩いた。
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