たまにはこんなファンタジー

肯定ペンギン

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竜爪より深く

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 翠眼の女竜、ヴェルドラは、眼下の人間たちを見下ろしていた。脆弱で、愚かで、騒がしい下等生物。それが彼女の抱く彼らへの認識だった。力を持たぬ故に群れ、知恵を持たぬ故に争う。彼女の悠久の時の中で、人間は取るに足らない存在でしかなかった。

 ある日、いつものように領空を巡回していたヴェルドラの目に、見慣れない小さな影が映った。焼け落ちた人間の集落跡。煙がまだくすぶるその場所で、ヴェルドラはか弱い泣き声を聞いた。好奇心に駆られ、舞い降りた彼女が見たのは灰にまみれた一人の赤子だった。

 ヴェルドラにとって、人間の赤子など塵芥と何ら変わらないはずだった。踏み潰しても誰も気づかないだろう。そう思った次の瞬間、赤子は小さな手を伸ばしヴェルドラの巨大な爪に触れた。その温かさにヴェルドラは微かに驚いた。

 気まぐれだった。本当に、ただの気まぐれ。その時のヴェルドラには、なぜそんなことをしたのか、自分でも理解できなかった。彼女は赤子を掴み上げ、自身の住処である洞窟へと飛び立ったのだ。

 洞窟に戻ったヴェルドラは、改めて赤子を見下ろした。小さな体、頼りない泣き声。下等生物の象徴そのものだった。ヴェルドラは、どう扱っていいのかわからなかった。普段は岩を砕き、獣を焼き払う力強い爪も、この小さな生き物にはどうすることもできない。

 数日が過ぎた。ヴェルドラは仕方なく、洞窟に溜め込んだ獣の乳を薄めて与えてみた。赤子はそれを懸命に飲み干し、安心したように眠った。その寝顔を見ているとヴェルドラの胸に奇妙な感覚が湧き上がった。それは今まで感じたことのない、微かで、しかし確かに温かいものだった。

 赤子は日に日に成長していった。ヴェルドラは言葉を持たないその小さな生き物に、気まぐれに「リン」と名付けた。リンはヴェルドラの大きな体によじ登り、無邪気に笑った。その笑顔はヴェルドラの冷え切った心に小さな陽だまりを作った。

 ヴェルドラは、リンに人間の言葉を教え、身を守るための簡単な魔法を教えた。最初は下等生物の真似事に過ぎないと思っていたが、リンが何かを理解し、喜ぶ姿を見るうちに、ヴェルドラの心境は段々と変化していった。

 リンが初めて「ママ」と呼んだ時、ヴェルドラは自分の心臓が凍てつくほど強く脈打ったのを感じた。彼女は竜だ。人間などとは違う、高貴な存在だ。それなのに、この小さな人間の子は自分を「ママ」と呼んだ。

 ヴェルドラは、いつしかリンを手放すことが考えられなくなっていた。かつて下等生物と蔑んでいた人間の子供は、彼女にとってかけがえのない存在になっていたのだ。リンの成長を見守るうちにヴェルドラは知った。生命の尊さ、育む喜び、そして何よりも深い愛情というものを。それは、彼女が悠久の時の中で見過ごしてきた、最も美しい感情だった。

 人間社会との接触は避けてきたヴェルドラだったが、リンが成長するにつれ、その必要性を感じるようになった。リンは人間であり、人間社会で生きるべきなのかもしれない。葛藤の日々が続いたが、最終的にヴェルドラは、リンが自分で道を選べるように、人間の里へと送り出す決意をする。

 別れの時、リンは涙ながらにヴェルドラに抱きついた。

「ママ、ありがとう。ずっと大好きだよ!」

 その言葉は、ヴェルドラの心の奥深くに響き渡った。彼女は静かにリンの背を撫で、小さく呟いた。

「ああ、私もだ、リン」

 リンが人間の里へと旅立った後、ヴェルドラは静かな洞窟で一人、空を見上げた。彼女の翠の瞳には、かつての冷酷さはなく、温かい光が宿っていた。気まぐれから始まった育児は、彼女の心に、決して色褪せることのない温かな爪痕を残したのだ。下等生物だと思っていた人間の子供は、彼女の心を真の意味で豊かにしてくれた。ヴェルドラは静かに微笑んだ。彼女の心は、かつてないほど温かかった。
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