たまにはこんなファンタジー

肯定ペンギン

文字の大きさ
24 / 30

現実よりも甘美な幻

しおりを挟む
 リリカは、まだ若い冒険者だった。輝くようなブロンドの髪と、希望に満ちた青い瞳。手には父から受け継いだ短剣、背には使い慣れた革のリュック。小さな体ながらも、彼女の胸には大きな夢が宿っていた。しかし、その夢は、突如として訪れたダンジョンの崩落によって、音を立てて崩れ去った。

 彼女が一人で挑んでいたのは、比較的安全とされていた『囁きの洞窟』。しかし予期せぬ地震が起こり、脆い洞窟は一瞬にして姿を変えた。気づいた時にはリリカは瓦礫の山に挟まれ、身動きが取れなくなっていた。

 最初は恐怖だけだった。瓦礫に挟まれた足は激しく痛み、身動きが取れない。助けを呼ぶ声は狭い空間に虚しく響くだけだった。何度叫んでも返ってくるのは冷たい沈黙。時間だけが意味もなく過ぎていく。

 数時間が経っただろうか。喉の渇きと胃の底から這い上がってくるような空腹感がリリカの意識を支配し始めた。リュックの中には、わずかな干し肉と水筒の水。だが、それも長くは持たないだろう。

 初日は、まだ理性があった。干し肉を一口、水を一口。ゆっくりと計画的に消費した。しかし、体は正直だった。飢えは刻一刻と強くなり、思考を鈍らせていく。

「誰か……!」

 か細い声で助けを求めても、聞こえるのは自分の荒い呼吸と、遠くで響く瓦礫の音だけ。ダンジョンの奥深く、外界の光は届かない。彼女は絶対的な闇と静寂の中に囚われていた。


 二日目。水は尽き、干し肉も残り少なくなっていた。リリカの喉は焼け付くように乾き、唇はひび割れていた。空腹はもはや痛みとなり、意識を朦朧とさせる。

その時、彼女の視界に、ふわりと光るものが現れた。それは美味しそうなパンの塊。焼きたての香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。

「パン……?」

 リリカは幻覚だと分かっていながらも、手を伸ばした。しかし、その手は虚空を掴むだけだった。

「ああ……パンが食べたい」

 飢えは、彼女の精神を着実に蝕んでいった。時間の感覚も曖昧になり、昼と夜の区別もつかない。聞こえるはずのない、水の流れる音や、食卓を囲む人々の笑い声が、幻聴として聞こえ始めた。

 彼女は瓦礫の隙間から見える小さな穴をじっと見つめていた。そこから誰かが顔を覗かせて、自分を助けてくれるのではないか。そんな希望が彼女の心を支配する。しかし、それは決して現実になることはなかった。


 三日目。意識はもはや混濁し、リリカは正気を保つのが精一杯だった。体に触れる瓦礫が、まるで生きているかのように見えた。

「ねえ……お腹、空いたねぇ」

 隣の岩が、そう話しかけてきたように感じた。リリカは、その岩に返事をした。

「うん……私、パンが食べたいの。バターと蜂蜜をたっぷり塗って……」

 瓦礫は彼女の言葉に頷いたように見えた。そして、彼女の前に幻覚のパンが現れた。リリカは、それをむさぼるように食べた。もちろん、それは現実のパンではない。しかし、彼女の脳は、それが本物だと信じ込ませていた。

 彼女は、自分が瓦礫に囲まれていることを忘れていた。ここは温かい食卓。家族や友人が彼女のために美味しい料理を用意してくれている。彼女は幻の料理を頬張りながら、幸せそうに笑っていた。その笑顔は、かつての輝きを失い、どこか不気味なものに変わっていた。

 痛みも、恐怖も、もう感じない。ただ、漠然とした幸福感と食欲だけが彼女を満たしていた。


 四日目。彼女は、もはや自分が何者であるかすら覚えていなかった。彼女の目の前には、きらびやかな宮殿が広がっていた。そこには、美味しい料理が所狭しと並べられている。

「もっと! もっと持ってきて!」

 彼女は、誰ともいない空間に叫んだ。彼女の口からは意味不明な言葉が漏れ、涎が垂れていた。かつての希望に満ちた青い瞳は虚ろで、焦点が合わない。

 彼女は自分の体を覆う瓦礫を『豪華な衣装』だと認識し、身動きが取れない現状を『優雅な休息』だと捉えていた。空腹は、もはや彼女を苦しめるものではなかった。それは彼女を別世界へと誘う、甘美な幻覚の源泉となっていた。

 彼女は瓦礫の隙間から差し込む、わずかな光を見つめた。それは、かつて彼女が追い求めていた夢の光だった。しかし、今の彼女には、その光が何であるかすら分からなかった。

 意識は、完全に深い霧の中に沈んでいく。彼女の思考は、飢えと孤独によって、完全に書き換えられてしまった。ダンジョンの奥深くで、一人の少女が、静かに、そしてゆっくりと、精神の破綻へと向かっていた。彼女の瞳に映る世界は、もはや現実とはかけ離れた、彼女自身の幻覚で彩られた場所となっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...