満月の夜には魚は釣れない

阪上克利

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満月の夜には魚は釣れない

魚肉ソーセージ

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『はあ……』
 ため息が出る。
 アパートの自室に帰ってきたのは夜もしっかりふけて、時計を見ると10時を回っていた。
 明日も仕事だ。
 幸い、遅番なので朝はゆっくりできるからなんの問題もないが……。

 それにしても何の進展もなかった。
 せめて結婚を前提にした付き合いにしたいと思って、そんな話ができると思ったのだけど……。

 もう少し考えて話すればよかったのかな……

 里奈はそんなことを思いながら釣り道具を片付けた。
 釣れなかった時は片付けも楽だ。

 そういえばルアーでの釣りは道具のメンテナンスもそんなに手間はかからない。
 竿とリールを真水で洗うだけ。
 使ったルアーと言ってもゴムでできたワームは使い捨てなのでメンテナンスはしなくていい。
 エサ釣りだとエサを入れたバケツや、エサを溶かすために海水を汲む、水汲みバケツなど洗うものも多い。こういう手軽なところもルアーでの釣りの人気の高さかもしれない。

『結婚したいと思うことってある?』
 里奈は自分が言った言葉を反芻はんすうしながら考えた。
 やっぱりストレートすぎたのかもしれない。
『結婚』という言葉は重すぎたのかもしれない。

 だとしても……
『特に考えたこともない』という答えはないだろう。
 別に里奈との結婚をまだ考えていないというのならまだ分かる。
 結婚自体、考えたことがないというのはどういうことなんだろうか。
 確かに彼は今までに女性と付き合ったことはないのだろう……。だから女性との付き合い方や会話の内容がよく分からないのも理解できないこともない。

 でも現に靖男は里奈と付き合っているのだ。
 だから少しは結婚のことを考えてほしい。
 考えたこともないというのはどういう意味なのだろうか。

 明日は仕事だということで、夕飯は一緒にとらずに靖男と別れた。
 里奈は、なんだかしまらない気持ちを抱えながら冷蔵庫を見た。

『こう言うときって夕飯も一緒に食べて帰るものよねえ……』
 
里奈は冷蔵庫を開けながら一人つぶやいた。釣果に関係なく、晩御飯は一緒に食べて帰るものだと思っていたから少し肩透かしをくらった気分だ。
 買い置きしておいたビールを出す。コップにビールを注ぐとキレイな黄金色の液体が注がれる。きめの細かい白い泡がとても美味しそうだ。
 里奈はコップに入ったビールを一気に飲み干した。
 9月に入っても残暑が厳しく、夜でも少し暑いぐらいなので冷たいビールがとても美味しい。

『ふう』
 一息つくとちょっと考えがまとまってきた。
 靖男は本当に何も考えていないのかもしれない。
 別に里奈とは遊びで付き合っているつもりはないとは思う。靖男はそんな器用なことができるような男ではない。ただ分からないことを何も考えないという悪い癖がある。
 ある意味それは彼の良いところでもあるのだろうけど、分からないことを分からないままにしているのなら、進歩はないではないか。

 彼はあまり物事をあれやこれやと考えない。
 だから恋愛のことも分からないことは考えない。
 いや……考えているのかもしれないけど、考えているようには見えない。
 そしてその先にある結婚ということなど到底考えるどころか想像すらできないのだろう。

 先にあることがはっきり見えているのは里奈の方だ。
 もしかしたら靖男に限らず男性というのはそういうものなのかもしれない。

 それに先にある結婚が見えてきたところで、靖男の場合、決断するのにまたもや時間がかかってしまうような気もしないでもない。

 満月の光と工場の夜景が海面に反射してキラキラ光る堤防の上で靖男と話した内容を里奈は思い出した。
 こうやって考えてみると、思い切って結婚という言葉を出してみたのは良かったのかもしれない。
 こちらは真剣にいろんなことを考えているにもかかわらず靖男は何も考えていなかったことが分かって悲しい気持ちになったけど、今回、こういうことが分かったから、今度からは対応の仕方を変えることもできる。
 
 冷蔵庫を覗いても夕飯になるようなものがなかったので、里奈は釣りの最中に食べようと思って買った魚肉ソーセージを一口かじって、小さなリビングのソファーに座った。

 目をつぶってみる……。
 今日は本当に疲れた……。
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