夕凪と小春日和を待つ日々

阪上克利

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周りは同じ風景とは限らない

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託児所に夕凪ゆうなを預けるときは後ろ髪をひかれる思いになる。

 何かを感じるのか……夕凪ゆうなは保育士さんに抱かれるとものすごい勢いで泣く。
 さっきまで寝息を立てて寝ていたのに、抱く人間が変わると敏感に反応するのだ。

『すごいなあ……』
 あたしは思わずつぶやく。
 赤ちゃんが泣いて大変とかそういうことよりも、その繊細な感覚に驚くことが多い。
 人間はいつからこの繊細な感覚をなくすのだろうか。
 そんな夕凪ゆうなに感心しながらも、泣いている姿を見るとなんだかかわいそうな気持ちにもなる。
 そして後ろ髪を引かれる思いを感じると同時に、あたしはこの瞬間はこの子を産んだことを誇らしく思う。
 この子はあたしを必要としてくれるのだ。その鋭い感覚で抱いている人間が母親かどうかを見分け、違うと分かった途端、捨てられるかもしれないと思ってこうやって必死になってくれているのだ。
 なんて愛すべき存在なのだろう。

 夕凪ゆうなの泣き声を背にあたしは職場に向かう。
 託児所の隣に高齢者施設がある。
『ゆりかごから墓場まで』という言葉がそのまま具現化したような建物だ。

 仕事を始めたとき……
 正直、学校とは違うな、と思った。
 学校ではなんの責任もなかった。
 自分がやることに対して、責任を問われることはあまりなかったように思う。
 しかし、社会に出てみると学校とは違い、この『責任』というものが大きくのしかかることが分かった。

 自分がやった業務内容に対して、自分が責任ととる。
 言葉にしてしまえば学生でもやってそうな事柄ではあるが、実際はそうではない。
 うまくは説明できないが、ここのでの『はい』という返事は学校に行っていた時の『はい』の返事より重い。
 学校に行っていた時に先生に言われたことを『はい』と返事してやらなかったとしてもいくらでも逃げ道があったような気がする。例えばその先生にしばらくの間、会わないように学校に行かないとか授業をさぼるとか……。
 そして、なんだかんだ……結局許してもらえるのだ。
 でもいざ社会に出てしまうとそんなことは通じない。
 『はい』と言った以上、それに見合った行動をとらなければならない。
 もし、それができない場合はできない理由を説明できなければならない。

 責任感の重さとはこういうことなのか……とあたしは仕事をしながら思った。

 社会に出るということは大人として自分の行動に対してきちんと責任をとる必要が求められる。
 若輩者じゃくはいもののあたしだけど、これに関しては心からうなずける。
 怪我の功名かもしれないが、あたしは早く社会に出て勉強になった。
 中学、高校ではこんなことは教えてもらえなかったように思える。
 少し前向きにとらえるならば、やりたいこともなく、何の目的もなく大学に進学するよりは、あたしにとってはこうやって社会に出て仕事をした方が自分の人間性を磨く意味ではよかったのかもしれない。

 ただ社会が大人としての責任を求めているのなら、なぜ生まれてくるはずの子供に対して責任をとろうとしないのだろうか?

 赤ちゃんを産みたいと言った時……あたしはみんなから反対された。
 おかしいと思う。
 相手の男などは我関われかんせずだった。

 ずるい……と思った。

 悪いのはあたしだけではないはずだ。
『責任をとる』ということは自分のやったことに対して、何らかの行動をもって物事を完遂かんすいするということだと思う。
 自分がやってしまった過ちに対しては自分が何らかの行動をもって償いをするということも『責任をとる』ということだ。
 にもかかわらず、あたしが妊娠した時、周りの大人は『責任をとる』という人間として当たり前の行為からあたしを引き離そうとした。あまつさえ、まったくこの件に関してはなんの罪もない夕凪ゆうなをこの世から消し去ってしまおうとしたのだ。

『どう思います?』

 あたしは休み時間に一緒に働いていた麻里さんに聞いた。
 新木麻里あらきまりさんはあたりより数か月前に入社してきた人で、20代半ばぐらいなのだが、シングルマザーだそうだ。あたしが入社してすぐに声をかけてくれたのはこの麻里さんだった。
 境遇が似ているということもあったのかもしれない。
 彼女とはすぐに仲良くなれた。
 
『うーん。まあ……高校生だし責任とれないと思ったんじゃないの?』
『そうなんですか?』
『まあね。世の中、20歳はたちを超えないと責任すらとらせてもらえないことも多いからね』
『そうなんですね……』

 夕凪が生まれるまでは普通の女子高生だったあたしは、普段、年上の人と話すことは少なかった。
 いきなり今までと違う環境になったものだから、なんて話していいか分からなくなることがある。

『でもすごいじゃん。よく産もうって思ったね』

 麻里さんはストレートになんでも話をしてくる。
 まだ日が浅いので聞いてはいないけど、そのうち自分のこともあたしに話してくれそうな勢いだ。

『はい……なんか悪いのは自分たちなのに赤ちゃんが犠牲になるのはちょっと……って』
『そっか……確かにそれは言えてるかもね。うーん。でも……まあ……一言に悪いと言ってもこの件に関しては何がどこまで悪いと思うかは人それぞれなんだろうね』
『そうなんですか?』
『まあね。だって人を好きになることは悪いことじゃないし、恋愛をすることも悪いことじゃない。妊娠するまでの間にどこで悪が入ったのか……この線引きは人それぞれよ』
 麻里さんの言うことはその通りだ。
 恋愛することは悪いことではない。
 結婚する前に子供ができてしまうことも……責任とってお互いが結婚できるのならそれで良しとする人もいる。あたしのように未婚で子供を産むことに対しても『悪い』と言わない人もいるだろう。

 あたしは自分のしでかしてしまったことで、結婚して育児ができる準備ができていない人間が子供を作るのは悪いことだと思った。
 でも、これはあくまであたしの考えだ。
 人によっては違う考え方を持つ場合もあるわけで、そういうことを麻里さんは言いたかったのだと思う。
『確かにそうかもしれませんね。そういうのって法律で裁けるわけではないですからね』
『そう……でもね……あたしは春海ちゃんの考え方は嫌いじゃないな』

 遠い目をしながら麻里さんは言った。
 そして休憩室のお茶を一口すすると時計を見た。
 休憩時間の10分間が過ぎようとしている。

『行こうか』
『はい』
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