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懺悔
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『母が……今朝……亡くなりました。』
辺見初子さんが亡くなったという連絡を受けたのは、朝、出勤してすぐのことだった。電話の向こうの康彦はいつもと同じ感覚で話しているように思えた。
この仕事をしていれば利用者との死別は何度も経験する。だからこれが初めてではない。涙を流すことはないが空虚な気持ちがあたしを支配することは今も昔も変わらない。
『これでよかったのかな?』
いつもそう思う。
連絡を受けてあたしは、担当事業所すべてにその旨を電話した。
そのあと、訪問に出る準備をしてから事務所をでる。
訪問時間までにはまだ時間はたっぷりある。
辺見さんのお宅に行くわけではない。おそらく今日は警察が入ったり、葬儀屋との打ち合わせがあったりで忙しいだろう。
利用者が亡くなってしまえばケアマネジャーの……いや……介護職の出番はない……。
あたしは会社近くの喫茶店に行くことにした。辺見さんに限らず、担当の利用者が亡くなったらあたしは喫茶店に行く。
一人になりたいのだ。
一人になって、これで良かったのか……考えたい。
そんなことは会社ですればいいじゃないか……そういう人が大半だろう。たしかに会社でやるべきことである。
しかし……。
誰にも邪魔されず一人になりたいのだ。
ほんの少しの時間でいい。
あたしは訪問のための書類をかばんに詰め込んで、ホワイトボードには訪問先を書いて、会社を出た。
『……』
声にならないため息をつきながらあたしは車に乗る。
キーを差し込んで回すとセルの回る音がしてエンジンがかかる。
こんな時だけは無機質な車にエンジンがかかると命が入った感じがするのはあたしだけだろうか。
そんなことすら、せつなく感じる。
担当の利用者が亡くなると命について強く考える。
初子さんは人生を長く歩んできて、はたしてああいう最後を迎えて満足だったのだろうか?
それはほかならぬ初子さん自身しかわからないだろう。
でも……。
いや……だから……。
初子さんが満足だったかどうか、そしてあたしがケアマネジャーとしてできる限りのケアができたかどうか……それは今となってはあたしの価値観でしか測れない。
自己満足。
まさしくそうなのである。
しかし……自己満足すらできなければ、先には進めない。
そして、力が及ばなかった部分に関しては正直に自己吟味しなければ成長はしない。
担当の利用者が亡くなり、業務時間を利用して一人になる……これはあたし自身の懺悔に近い。
この儀式を終えて、あたしは次に切り替えるのだ。
車を喫茶店の駐車場に持っていき、ぶつけないように慎重に駐車して、あたしは車を降りた。
カランコロンと扉になにか音のなる鈴のようなものがついている前時代的な喫茶店だが、あたしはこの店が好きだ。
お店の名前は『ミカン』
なんで『ミカン』なんて名前にしたんだろうか……。
店主の年はあたしぐらいか……もしくはあたしより少し年上か……。少しいわくありげな感じがする。
ここのコーヒーは美味しい。
静かなお店で、たまに子供連れも来るみたいなのだが、店主が気を配って静かに過ごしたい客の近くに子供連れを行かせないようにしている。その心配りも非常にうれしい限りだ。
あたしが店内に入ると、店主は奥の方の席に通してくれた。
けっこう繁盛しているような喫茶店なのだが、店主一人でやっているらしい。
奥には小さなテーブル席二つあり、平日の今日はその奥のテーブルの左側にいつもいる常連の男性がコーヒーを飲んでいた。
人を寄せ付けない感じのその男性はあたしがこの喫茶店を利用する日にこの席にいることが多い。
向こうもあたしの顔を知っているだろうし、あたしもこの男性のことを知っているが、とくに声をかけることはない。たぶん、その男性も一人の時間を満喫したいのだろう。
そう。
あたしと同じように……。
いつもと同じようにあたしはブレンドコーヒーを頼んだ。
そして椅子に深く腰掛けて目をつぶる。
儀式の始まりである。
これで良かったんだろうか……。もう少し何かできたのではないだろうか?あたしはもしかしたら康彦さんが何もやらないことを言い訳にしてできることまでしなかったのではないだろうか……。
たぶん……それはない。
いや……たぶんではなく、それはないと言い切れる。
ただ……人生の最後をああいう風に迎えてしまうということは……あたしなら絶対に嫌だ。
あんな風に死んでいくならあたしは一人でいた方がマシだ。
独身の女なんて、世間からすれば『日陰者』なのかもしれない。
でも自分の家族からあんな仕打ちを受けるのは……。
『お待たせしました。ブレンドです』
店主の渋いいい声にあたしははっとして目を開ける。
『あれ?これは??』
『サービスですよ』
コーヒーに添えられている小さなクッキーが二つ。
いつもはコーヒーだけなのだが、今日は何かあったのかそんなものまでサービスでついてきた。
気持ちが沈んでいるときに甘いものはありがたい。
『ありがとうございます』
『ごゆっくり』
あたしはコーヒーカップを両手に包み込むように持ち、ゆっくりと何か大事なものでも運ぶかのようにして口に運んだ。コーヒーの程よい熱さがあたしの両手の手のひらに伝わってきて心地がいい。一口飲むと程よい苦さとコーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。
昔からコーヒーは鎮痛効果や少し荒れた気持ちを和らげる効果がある……ということを聞いたことがある。
あたしは息をゆっくり吐き出しながら自分と向き合った。
できなかったこと。
通所介護や外出を増やして、生活に楽しみを増やすこと。
辺見さんの趣味はウォーキングだと聞いた。若いころはウォーキングだけでなく登山も楽しんでいたようだ。散歩に出て季節を楽しむことは彼女にとっては最高の楽しみだったのかもしれない。あの状態でもそれは可能だった。
歩行は当初できなかった。しかし、歩く訓練をすれば、歩行器を利用して外出できたはずだ。
そうすれば……。
そうすればまだまだ生活を楽しむこともできたし、こうやって旅立ってしまうこともなかったのではないだろうか。
『痛いからけっこう』
彼女はあたしにそう言った。切るような言葉づかいだった。すべてのものを拒否するようなそんな話し方だったのを覚えている。
『でも、先生も歩いて身体を動かした方がいいとおっしゃっていますから……』
あたしは初子さんにそう言った。ほかにかける言葉はなかったのだろうか。
もう少し、違う言い方をしていればよかったのかもしれない。
だけど……。
違う声のかけ方は今のあたしには思いつかない。
初子さんが歩行器で外出したがっていたのか、あたしにはわからない。過去に楽しんでいたことを参考にこちらとしては生活の質の向上を考える。
しかし、人間というものは日々、気持ちが変化していくものだ。
幼少期に好きだったものを今でもずっと好きだ、という人は少ないのと同じく、高齢者も若いときに好きだった趣味が今の今まで好きなのか?と問われれば……それは一概には言えないのだ。
それであたしは日常生活動作……つまりADLの向上を目標に歩くことを初子さんにすすめた。
『…………』
初子さんはあたしの声かけに何も答えなかった。
もしかしたら……。
いや……これは間違いなく、歩くのが、そして外出するのが嫌だったのだと思う。
歩行器なんかで歩いているのを見られるぐらいなら死んだ方がましだと思っていたのだろう。
ただ、だからと言って、何もせずに利用者が廃用症候群になっていくことを見ているわけにはいかないのだ。
『今日、病院に行ったら、先生からも通所介護を使うように言われました』
別の日に、康彦がベッドサイドであたしに言った。
『そうですか。行かれるのでしたら見学ができるように手配しますよ』
あたしは初子さんと康彦の顔を見て言った。康彦の方は当惑した表情だった。
初子さんは……。
一点を見つめ、何かを決心したような顔をしていた。
こちらには目を合わすこともしない。
嫌なのだろう。
通所介護を利用することが……。
実は通所介護に行くように薦めてもらえるよう、あたしが主治医の先生にお願いしたのだ。医学的な観点からも初子さんは通所介護に行くべきだったからだ。
『母は嫌がってるんです』康彦は言った。
嫌がっているのはもちろんわかっている。あたしだって無理強いはしたくない。
だけど……このまま具合が悪くなるのを手をこまねいて見ていることもできないではないか。
だから忠告だけはしたのだ。
『通所介護にも行かない、部屋も歩かない、一日中ベッドに寝ている……こういう生活をしていると筋力が落ちて状態がどんどん悪くなっていきますよ』
『はあ……』
そう。あの時も康彦は煮え切らなかった。
だけど……あたしたち介護職は本人や家族の代わりには決断できないのだ。
決断するのはあくまで本人であり家族だ。
『どうしたらいいですか?』
ずるい……。
あたしはそのときそう思った。
これに答えたら康彦は何かあったとき、すべてあたしのせいにするだろう。もちろん、何かあって裁判になったり……なんてことはないとしても、心の中では責任転嫁するに違いないのだ。
『あくまで決めるのはご本人と家族ですけど、あたしの意見は先生と一緒ですね。』
こうして初子さんは通所介護に行くことになった。
でもそれ以上のことはできなかった。
週1日の通所介護で何ができる?
通所介護に行っていない日に何もしていないで、ベッドの上で生活していれば、週1日ぐらい通所介護に行っても『焼け石に水』というやつだ。
介護職は万能ではない。
24時間ずっとその人の世話ができるわけではないのだ。
これが施設なら話も変わってくるが、在宅で生活する、ということは利用者本人がその生活に責任を負うということだ。介護職は本人や家族の希望にあわせて時間限定のサービスを提供する。ケアマネジャーはその人にあったサービス事業所につなぐ。
そしてその人に合っていると思われるライフスタイルを提案する。
できるのはここまで。
後は本人と家族にかかっている。
そう。ちょうど医師が患者の病気を治す手助けしかできないのと同じ。あくまで結果に対する責任は基本的には本人しか負うことはできないのだ。
それが何かの過失でない限りは……。
『はぁ……』
小さな溜息をついてコーヒーを飲む。そして店主が用意してくれた甘いクッキーを食べる。甘さが身体中を包んで、まるであたしを励ましてくれているような感覚になる。
地域のボランティアや、病院主催の体操教室にも誘ったが初子さんは首を縦に振らなかった。
あたしは介護サービス以外にもできることはないか……いろいろ模索した。
しかし……。
本人はよほど外出したくなかったのだろう。よたよたと無様に歩く姿を人に見られたくなかったのかもしれない。
あたしはできる限りのことをした……そう思う。でも本人の思いとは違う方向で動いていたのかもしれない。うすうすそれは感じていたことだけど……だからと言って本人の言いなりになるわけにもいかないのだ。
無力感があたしを包む。
だけどこれもいつものこと。
分かってる。
この仕事に正解などないことは。
辺見初子さんが亡くなったという連絡を受けたのは、朝、出勤してすぐのことだった。電話の向こうの康彦はいつもと同じ感覚で話しているように思えた。
この仕事をしていれば利用者との死別は何度も経験する。だからこれが初めてではない。涙を流すことはないが空虚な気持ちがあたしを支配することは今も昔も変わらない。
『これでよかったのかな?』
いつもそう思う。
連絡を受けてあたしは、担当事業所すべてにその旨を電話した。
そのあと、訪問に出る準備をしてから事務所をでる。
訪問時間までにはまだ時間はたっぷりある。
辺見さんのお宅に行くわけではない。おそらく今日は警察が入ったり、葬儀屋との打ち合わせがあったりで忙しいだろう。
利用者が亡くなってしまえばケアマネジャーの……いや……介護職の出番はない……。
あたしは会社近くの喫茶店に行くことにした。辺見さんに限らず、担当の利用者が亡くなったらあたしは喫茶店に行く。
一人になりたいのだ。
一人になって、これで良かったのか……考えたい。
そんなことは会社ですればいいじゃないか……そういう人が大半だろう。たしかに会社でやるべきことである。
しかし……。
誰にも邪魔されず一人になりたいのだ。
ほんの少しの時間でいい。
あたしは訪問のための書類をかばんに詰め込んで、ホワイトボードには訪問先を書いて、会社を出た。
『……』
声にならないため息をつきながらあたしは車に乗る。
キーを差し込んで回すとセルの回る音がしてエンジンがかかる。
こんな時だけは無機質な車にエンジンがかかると命が入った感じがするのはあたしだけだろうか。
そんなことすら、せつなく感じる。
担当の利用者が亡くなると命について強く考える。
初子さんは人生を長く歩んできて、はたしてああいう最後を迎えて満足だったのだろうか?
それはほかならぬ初子さん自身しかわからないだろう。
でも……。
いや……だから……。
初子さんが満足だったかどうか、そしてあたしがケアマネジャーとしてできる限りのケアができたかどうか……それは今となってはあたしの価値観でしか測れない。
自己満足。
まさしくそうなのである。
しかし……自己満足すらできなければ、先には進めない。
そして、力が及ばなかった部分に関しては正直に自己吟味しなければ成長はしない。
担当の利用者が亡くなり、業務時間を利用して一人になる……これはあたし自身の懺悔に近い。
この儀式を終えて、あたしは次に切り替えるのだ。
車を喫茶店の駐車場に持っていき、ぶつけないように慎重に駐車して、あたしは車を降りた。
カランコロンと扉になにか音のなる鈴のようなものがついている前時代的な喫茶店だが、あたしはこの店が好きだ。
お店の名前は『ミカン』
なんで『ミカン』なんて名前にしたんだろうか……。
店主の年はあたしぐらいか……もしくはあたしより少し年上か……。少しいわくありげな感じがする。
ここのコーヒーは美味しい。
静かなお店で、たまに子供連れも来るみたいなのだが、店主が気を配って静かに過ごしたい客の近くに子供連れを行かせないようにしている。その心配りも非常にうれしい限りだ。
あたしが店内に入ると、店主は奥の方の席に通してくれた。
けっこう繁盛しているような喫茶店なのだが、店主一人でやっているらしい。
奥には小さなテーブル席二つあり、平日の今日はその奥のテーブルの左側にいつもいる常連の男性がコーヒーを飲んでいた。
人を寄せ付けない感じのその男性はあたしがこの喫茶店を利用する日にこの席にいることが多い。
向こうもあたしの顔を知っているだろうし、あたしもこの男性のことを知っているが、とくに声をかけることはない。たぶん、その男性も一人の時間を満喫したいのだろう。
そう。
あたしと同じように……。
いつもと同じようにあたしはブレンドコーヒーを頼んだ。
そして椅子に深く腰掛けて目をつぶる。
儀式の始まりである。
これで良かったんだろうか……。もう少し何かできたのではないだろうか?あたしはもしかしたら康彦さんが何もやらないことを言い訳にしてできることまでしなかったのではないだろうか……。
たぶん……それはない。
いや……たぶんではなく、それはないと言い切れる。
ただ……人生の最後をああいう風に迎えてしまうということは……あたしなら絶対に嫌だ。
あんな風に死んでいくならあたしは一人でいた方がマシだ。
独身の女なんて、世間からすれば『日陰者』なのかもしれない。
でも自分の家族からあんな仕打ちを受けるのは……。
『お待たせしました。ブレンドです』
店主の渋いいい声にあたしははっとして目を開ける。
『あれ?これは??』
『サービスですよ』
コーヒーに添えられている小さなクッキーが二つ。
いつもはコーヒーだけなのだが、今日は何かあったのかそんなものまでサービスでついてきた。
気持ちが沈んでいるときに甘いものはありがたい。
『ありがとうございます』
『ごゆっくり』
あたしはコーヒーカップを両手に包み込むように持ち、ゆっくりと何か大事なものでも運ぶかのようにして口に運んだ。コーヒーの程よい熱さがあたしの両手の手のひらに伝わってきて心地がいい。一口飲むと程よい苦さとコーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。
昔からコーヒーは鎮痛効果や少し荒れた気持ちを和らげる効果がある……ということを聞いたことがある。
あたしは息をゆっくり吐き出しながら自分と向き合った。
できなかったこと。
通所介護や外出を増やして、生活に楽しみを増やすこと。
辺見さんの趣味はウォーキングだと聞いた。若いころはウォーキングだけでなく登山も楽しんでいたようだ。散歩に出て季節を楽しむことは彼女にとっては最高の楽しみだったのかもしれない。あの状態でもそれは可能だった。
歩行は当初できなかった。しかし、歩く訓練をすれば、歩行器を利用して外出できたはずだ。
そうすれば……。
そうすればまだまだ生活を楽しむこともできたし、こうやって旅立ってしまうこともなかったのではないだろうか。
『痛いからけっこう』
彼女はあたしにそう言った。切るような言葉づかいだった。すべてのものを拒否するようなそんな話し方だったのを覚えている。
『でも、先生も歩いて身体を動かした方がいいとおっしゃっていますから……』
あたしは初子さんにそう言った。ほかにかける言葉はなかったのだろうか。
もう少し、違う言い方をしていればよかったのかもしれない。
だけど……。
違う声のかけ方は今のあたしには思いつかない。
初子さんが歩行器で外出したがっていたのか、あたしにはわからない。過去に楽しんでいたことを参考にこちらとしては生活の質の向上を考える。
しかし、人間というものは日々、気持ちが変化していくものだ。
幼少期に好きだったものを今でもずっと好きだ、という人は少ないのと同じく、高齢者も若いときに好きだった趣味が今の今まで好きなのか?と問われれば……それは一概には言えないのだ。
それであたしは日常生活動作……つまりADLの向上を目標に歩くことを初子さんにすすめた。
『…………』
初子さんはあたしの声かけに何も答えなかった。
もしかしたら……。
いや……これは間違いなく、歩くのが、そして外出するのが嫌だったのだと思う。
歩行器なんかで歩いているのを見られるぐらいなら死んだ方がましだと思っていたのだろう。
ただ、だからと言って、何もせずに利用者が廃用症候群になっていくことを見ているわけにはいかないのだ。
『今日、病院に行ったら、先生からも通所介護を使うように言われました』
別の日に、康彦がベッドサイドであたしに言った。
『そうですか。行かれるのでしたら見学ができるように手配しますよ』
あたしは初子さんと康彦の顔を見て言った。康彦の方は当惑した表情だった。
初子さんは……。
一点を見つめ、何かを決心したような顔をしていた。
こちらには目を合わすこともしない。
嫌なのだろう。
通所介護を利用することが……。
実は通所介護に行くように薦めてもらえるよう、あたしが主治医の先生にお願いしたのだ。医学的な観点からも初子さんは通所介護に行くべきだったからだ。
『母は嫌がってるんです』康彦は言った。
嫌がっているのはもちろんわかっている。あたしだって無理強いはしたくない。
だけど……このまま具合が悪くなるのを手をこまねいて見ていることもできないではないか。
だから忠告だけはしたのだ。
『通所介護にも行かない、部屋も歩かない、一日中ベッドに寝ている……こういう生活をしていると筋力が落ちて状態がどんどん悪くなっていきますよ』
『はあ……』
そう。あの時も康彦は煮え切らなかった。
だけど……あたしたち介護職は本人や家族の代わりには決断できないのだ。
決断するのはあくまで本人であり家族だ。
『どうしたらいいですか?』
ずるい……。
あたしはそのときそう思った。
これに答えたら康彦は何かあったとき、すべてあたしのせいにするだろう。もちろん、何かあって裁判になったり……なんてことはないとしても、心の中では責任転嫁するに違いないのだ。
『あくまで決めるのはご本人と家族ですけど、あたしの意見は先生と一緒ですね。』
こうして初子さんは通所介護に行くことになった。
でもそれ以上のことはできなかった。
週1日の通所介護で何ができる?
通所介護に行っていない日に何もしていないで、ベッドの上で生活していれば、週1日ぐらい通所介護に行っても『焼け石に水』というやつだ。
介護職は万能ではない。
24時間ずっとその人の世話ができるわけではないのだ。
これが施設なら話も変わってくるが、在宅で生活する、ということは利用者本人がその生活に責任を負うということだ。介護職は本人や家族の希望にあわせて時間限定のサービスを提供する。ケアマネジャーはその人にあったサービス事業所につなぐ。
そしてその人に合っていると思われるライフスタイルを提案する。
できるのはここまで。
後は本人と家族にかかっている。
そう。ちょうど医師が患者の病気を治す手助けしかできないのと同じ。あくまで結果に対する責任は基本的には本人しか負うことはできないのだ。
それが何かの過失でない限りは……。
『はぁ……』
小さな溜息をついてコーヒーを飲む。そして店主が用意してくれた甘いクッキーを食べる。甘さが身体中を包んで、まるであたしを励ましてくれているような感覚になる。
地域のボランティアや、病院主催の体操教室にも誘ったが初子さんは首を縦に振らなかった。
あたしは介護サービス以外にもできることはないか……いろいろ模索した。
しかし……。
本人はよほど外出したくなかったのだろう。よたよたと無様に歩く姿を人に見られたくなかったのかもしれない。
あたしはできる限りのことをした……そう思う。でも本人の思いとは違う方向で動いていたのかもしれない。うすうすそれは感じていたことだけど……だからと言って本人の言いなりになるわけにもいかないのだ。
無力感があたしを包む。
だけどこれもいつものこと。
分かってる。
この仕事に正解などないことは。
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