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馬車の中

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「……私の、せいだ……私が、外出を勧めてしまったから……っっ」
呆然としたジョン様は、魂が抜けてしまったかの様だった。

「ベリアル」
『わかった』
私はベリアルにその場を預け、印鑑を金庫に入れ、作業場に向かい必要になりそうな薬をいくつかピックアップしてリュックに詰めた。

この後行う筈だった薬の工程が頭を過り、無駄になってしまいそうな材料達が目に入ってくるが、今はそんな事を気にかけてはいられない。

『ユーディア!』
ベリアルに呼ばれて作業場から出れば、ジョン様が使者の乗ってきた馬に跨がったところだった。
「ジョン様!お待ち下さい!!」
「すみません、今は直ぐにでも……っっ」
「助けられるかもしれません!!お待ち下さい!!」

本当は、期待を持たせてしまう言葉は口にしたくなかった。
……正直に言えば、責任を持ちたくなかった。

しかし、今すぐにでも駆けて行ってしまいそうなジョン様を引き止める言葉はこれしかなく、ジョン様と一緒でないとジュリアマリア様にはお目見え出来ないだろうと想像がつく。

「……何をそんな……助けられるとは……、どういう意味でしょうか……」
馬に跨がったジョン様の瞳に、期待と不安が見え隠れする。
「ジョン様のお考え通りだと思います。……ですが、この話はまた後程。私も一緒に連れて行って下さいませんか?」
「……わかりました。ならば、馬車の方が良いですね」

戸惑いながらも、少し落ち着きを取り戻されたジョン様は、一刻も早くジュリアマリア様の元に駆け付けたいだろうに、私が使者や馬に水を与える間も辛抱強く待ち、私と私の荷物、そしてベリアルを一緒に馬車に乗せてくれた。

私は馬車の乗り心地に驚きながら、領主の館に運ばれたというジュリアマリア様の元にたどり着くまで、ジョン様とずっと会話をしたのだった。



ジョン様の話によると、ジュリアマリアという方はやはり例の、ジョン様の義理の妹の事だった。
元々とても大人しい方で、女性達がわいわい皆で話していても一人微笑まれている様な方。
最近出来た新しい友人がいて、大人しいジュリアマリア様もその友人のお陰で色々な場所に行ったりする機会が増えたらしい。
ところがつい最近、その友人から誘われた場所に向かう途中、怪しい男達に囲まれ、普段少ない護衛の数で出歩いていたジュリアマリア様はその時心に傷を負う出来事に遭遇してしまわれたという。

「今にも自ら命を絶ってしまいそうな……当時はそんな様子でした。部屋に籠ってしまい、私自身何日も会って貰えなかった。そこで、私は自分に出来る事を求めて、貴女を訪ねたのです」
ジョン様が私を知った理由は、領土内のいくつかの街の薬屋で、一番腕の良い薬師を尋ねたところ、「それなら黒の魔女ですね」と紹介されたとの事だった。

「実は、貴女以外にも二人程紹介されたのですが……貴女と同じ説明を他の薬師にしたところ、気分の晴れる薬なら作れると豪語した上、渡されたのが単なる薬湯に甘味が入った物だったりしたので、正直もう諦めかけていたのです」
ジョン様は、苦笑いしながら言った。
「しかし、貴女だけは薬を誤魔化してお金だけ貰おうとはせず、対応の仕方も非常に丁寧で私はとても安心致しました」

そんな事があったのかと、驚く。
しかし、確かに先程家でお茶を出した際に身分的にはもう少し人を疑った方が良いのではないかと思った事を思い出した。
ただ、疑ってかかる事はないものの、裏切られた事には気付く様なのでホッとする。


私が黒いフードの下で笑みを漏らした事に気付いたのか、私の膝の上で丸まっていたベリアルがつまらなそうに一度だけ尻尾でペシリと私の手の甲を軽く叩(はた)く。
そんなベリアルの長い尻尾を痛くない様に軽く掴めば、それはウナギの様にスルスルと逃げていく。
逃げていく尻尾を再び軽く掴むと、やはり私の手の中をしっとりとした尻尾は抜けて行った。
ベリアルの仕掛けた遊びに付き合いながら、頭だけはジョン様との会話に引き戻す。


「……そして、黒の魔女様。そろそろ先程の話の続きを……彼女を助けられるかもしれない、とおっしゃった理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
ジョン様は、私の全てを真っ直ぐに注視しておっしゃった。
狼狽える様子はもう既に一切なく、何か粗相をしようものなら一刀両断にされるのではないかと思わせる様な威圧感。

先程は、こんな心優しい方が宰相をするとなると、これから様々な困難に当たる事だろうとも思ったがそれは杞憂の様だ。
恐らく、話に出てきた薬師二人は薬の効果云々というより、内密に探らせたら残念な結果だったのだろう。
その人達は相応の罰を与えられたに違いない。


「……私は先日、蘇生薬の精製に成功致しました」
驚きに目を見張るジョン様に、私は包み隠さず現状をお話した。
たまたま蘇生薬の精製の依頼を受けており、完成したものは一度タンゴールヒの遺体でその効果を確かめた事。
その際、身体的な蘇生は問題なかったものの、蘇生した際脳には何かしら弊害が起きたかもしれず、仲間との始めのやり取りに違和感があった事。
それもまだ一度しか確かめられておらず、他の副作用等が今後も起こりうるかもしれない事。

「なので、蘇生薬といっても完璧ではございません。確認したのもひとまずその瞬間の話なので、1日、一週間、10年20年と、経過を見たわけでもございません」

それでも、一縷の希望のぞみをかけてみますか──?

私はその問いを瞳にのせて、ジョン様を真っ直ぐに見つめた。
ジョン様は、私の黒い瞳の色に気付いてはっと息を一度飲んだが、見せた反応はそれだけで……

「私が、全ての責任を負いましょう。何があっても、貴女に責任を擦り付けたりしない、と私の名に誓ってお約束致します。……どうか、その薬を分け与えて下さいませんか?」
ジョン様は、ベリアルの尻尾や背中を撫でていない方の片手を両手で包み込み、懺悔する様に額を押し当てた。

私は、ジョン様の想像以上のお言葉を頂けてホッとする。
こういう方だと思ったからこそ、馬で駆けていこうとするのを引き留められたのだし、この方の妹様を想う気持ちに触れていたからこそ、無関係でいたいという気持ちを追いやってでも助けたいと思えたのだ。


「わかりました。この薬の事を内密にして下さるのであれば……私もジュリアマリア様を助けたいと思っております」
「……その薬を分けて頂いた場合、貴女は始めに受けた依頼をこなせなくなりますか?」
「いいえ、大丈夫です」
「なら良かった」

そこで一旦、話は途切れた。
半眼になったベリアルが、まだ私の手を握っていたジョン様の手を、タシタシと前足を伸ばしてはたく。

「ああ、ごめんね、君のご主人様に勝手に触れて」
ジョン様は、ベリアルに謝ってから私の手を離し、ベリアルの頭を軽く撫でた。

ベリアルにもわかっているだろうが、ジョン様の心はジュリアマリア様にだけ一途に向いている。
向いている様に、しか見えない。
なのに……何故、あの人達はあんな事を言ったのだろう?


もやもやしていた私は、話題をかえるつもりでジュリアマリア様についてジョン様に尋ねた。
「ジョン様、ジュリアマリア様は本日、どちらに呼ばれたのですか?そんなに治安の悪いところだったのでしょうか」
「いいえ、まさか。観劇に誘われて行ったのですが、治安が悪いどころか貴族かそれに準じる家柄の者達しか行き来しない様なところですよ。そう言えば、今回も……エリカ嬢に呼ばれて行ったな……」
ジョン様は、そこで一旦考え込まれたが、もやもやの原因である名前が飛び出した事に私は衝撃を受けていた。
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