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第五章 ワン・モア・チャンス
13 朝バナナ
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翌朝、康太は一階の食堂で大樹と朝食をとっていた。土曜の朝イチということもあってか寮生の姿はまばらだ。寮母の水野さんには申し訳ないが、周囲の視線をさほど気にしなくてもすむのはラッキーだった。
「水野さん、ごちそうさまでした」大樹が返却口に食器を乗せたトレーを戻した。「洗い物、手伝いましょうか?」
康太も水野さんを気づかって、
「ごちそうさまでした」
と云い、カウンター越しに厨房を覗いた。「余っちゃって勿体無いなあ。栄養もあってすごく美味しいのに」
水野さんはいつもの温和な顔つきでふたりに云った。「洗い物なら最後に来た寮生に手伝ってもらうから大丈夫よ。わたしの予想では、そうねえ……今日はタケちゃんとケンちゃんね」
康太は大樹と顔を見あわせた。やっぱりね、と互いに目配せをして吹き出してしまう。あのふたりは、なかなかの名コンビだ。
水野さんはそのようすを見て微笑んだ。「ヒロくんもコウちゃんも三食きちんと食べてくれるから作り甲斐があるわ」
「水野さん、今日のお昼なんですけど……」
大樹がこう云いかけたとき、奥の勝手口が開き、お届け物です、という快活な声と倶に配達員が顔を覗かせた。食材の詰まった段ボールが届いたのだった。水野さんは大樹に、ちょっと待っていてね、と云って勝手口まで行き、
「お野菜は向うに運んでちょうだい」
などと配達員に指示を出しはじめた。
そこへ階段の踊り場でアクロバットを披露していた、あの体操部とバスケ部の相部屋コンビがやって来た。彼らは康太と大樹を見て、一瞬、ドキッとした表情を泛べ、それから同時にふたりの股間をチラリと見て、曖昧な笑みを泛べた。
——なんだよ、ここは食堂だってのに……。
康太は、風呂場なら素裸かを見られるのも仕方ない、と諦めていた。それに『見られている』ということは、『こっちからも見ている』ということだ。筋肉自慢の体育会系の男たちの暗黙の了解が、風呂場には存在する。けれどもここは食堂であって、風呂場ではない。
康太はそのあからさまな態度に戸惑い、大樹の背に回った。
体操部が大樹に向って口を開いた。「ちぃーっす、ウルフ」
「おう、凸凹兄弟」大樹はふたりを高みから見下ろすようにして応えた。「そういや、どっちがデコでどっちがボコだっけ?」
こんどは体操部とバスケ部が同時に、ずずっ、と後退いた。大樹に気圧されたらしい。
——バスケ部がボコなんだよな、後輩だから……。
康太は大樹の機転の良さに感心した。
水野さんが配達員を見送ってカウンターに戻ってきた。手早く凸凹兄弟に朝食を渡しながら、
「ご飯とお味噌汁は自分で注いでね」
と云い、トレイを受けとった凸凹兄弟がそそくさと炊飯器とお味噌汁のお鍋のコーナーに消えると、また康太たちに向って云った。
「そうそう。お昼はどうするの?」
大樹が応えた。「お弁当にしてもらえますか? これから康太を駅前の商店街に連れていく予定なんだけど、時間までに戻ってこられないかもしれないんで」
「お安い御用よ。それじゃあ作っておくから、出掛ける前に取りに来てちょうだい」水野さんは大樹にこう云うと、こんどは康太に顔を向けた。「コウちゃん、ヒロくんと手を繋いで行くのよ。迷子になったら大変だわ」
「水野さん、ひどいなあ。ぼく、もう大学生ですよ」康太はお道化て頬を膨らませた。
「まだ未成年だろ」大樹が両手でその頬を挟んで押しつぶした。
水野さんは、うふふ、と微笑んだ。「だって兄弟みたいなんですもの。ヒロくんとコウちゃんって」
とそこへ、
「水野さん、おれのバナナある?」勝利がのっしのっしと歩きながら食堂にやって来た。「おう、ジャングル兄弟。いつも一緒だな」
どうやらあだ名がまたひとつ増えたらしい。けれども水野さんの前で『ウルフ・ブラザーズ』と呼ばれなかったのは康太にとって幸いだった。あれは男同士のあいだで使われる隠語のようなものだからだ。
「森と林でジャングルなのね?」水野さんは勝利にさらりとボールを投げかえし、トレイにバナナを三本添えた。「はい、週末だからサービスよ。カッちゃん——」
康太と大樹は食堂を出て階段を登った。それぞれ手にバナナを一本ずつ持っている。勝利から、折角だからおまえらに分けてやる、と云われて受けとったものだ。
階段を登り降りする男たちが皆んな自分たちを見ているような気がして、康太は前を行く大樹の後ろ姿だけを見つめていた。
——森先輩……。
その右手にバナナが握られている。
——あのときには、あれより大きいんだろうなあ……。
大樹の腕が前後に揺れている。
——ロフトでもこんな感じで……。
朝っぱらから中学生男子のような妄想が泛んでは消える。康太は自分の左手を見た。その手に握られたバナナは、記憶にある大樹のバズーカ砲には及ばない。
——ぼくだって頑張ればこのくらいは……。
康太は立止まってバナナを見つめ、それから階段を駆け上がった。
四階に着いた。
「康太、鍵開けるからちょっとこれ持ってろ」
「は、はい……」
「ん?」大樹が康太の左手を見て、「そうか。おまえ、左打ちだったよな」それから暗証番号を打ちはじめた。
——あの瞬間を……バッチリ見られちゃったんだよな……。
キー入力の軽快な音がする。
——場外ホームランだなんて……森先輩……。
開錠のアラーム音が鳴り、そしてドアが開けられた。
「ったく、朝っぱらから……」
部屋に上がって大樹が云った。呆れたような口調だ。
康太も部屋に上がった。
「あっ」
壁の向うからアダルト・ビデオの音声が洩れていた。
「水野さん、ごちそうさまでした」大樹が返却口に食器を乗せたトレーを戻した。「洗い物、手伝いましょうか?」
康太も水野さんを気づかって、
「ごちそうさまでした」
と云い、カウンター越しに厨房を覗いた。「余っちゃって勿体無いなあ。栄養もあってすごく美味しいのに」
水野さんはいつもの温和な顔つきでふたりに云った。「洗い物なら最後に来た寮生に手伝ってもらうから大丈夫よ。わたしの予想では、そうねえ……今日はタケちゃんとケンちゃんね」
康太は大樹と顔を見あわせた。やっぱりね、と互いに目配せをして吹き出してしまう。あのふたりは、なかなかの名コンビだ。
水野さんはそのようすを見て微笑んだ。「ヒロくんもコウちゃんも三食きちんと食べてくれるから作り甲斐があるわ」
「水野さん、今日のお昼なんですけど……」
大樹がこう云いかけたとき、奥の勝手口が開き、お届け物です、という快活な声と倶に配達員が顔を覗かせた。食材の詰まった段ボールが届いたのだった。水野さんは大樹に、ちょっと待っていてね、と云って勝手口まで行き、
「お野菜は向うに運んでちょうだい」
などと配達員に指示を出しはじめた。
そこへ階段の踊り場でアクロバットを披露していた、あの体操部とバスケ部の相部屋コンビがやって来た。彼らは康太と大樹を見て、一瞬、ドキッとした表情を泛べ、それから同時にふたりの股間をチラリと見て、曖昧な笑みを泛べた。
——なんだよ、ここは食堂だってのに……。
康太は、風呂場なら素裸かを見られるのも仕方ない、と諦めていた。それに『見られている』ということは、『こっちからも見ている』ということだ。筋肉自慢の体育会系の男たちの暗黙の了解が、風呂場には存在する。けれどもここは食堂であって、風呂場ではない。
康太はそのあからさまな態度に戸惑い、大樹の背に回った。
体操部が大樹に向って口を開いた。「ちぃーっす、ウルフ」
「おう、凸凹兄弟」大樹はふたりを高みから見下ろすようにして応えた。「そういや、どっちがデコでどっちがボコだっけ?」
こんどは体操部とバスケ部が同時に、ずずっ、と後退いた。大樹に気圧されたらしい。
——バスケ部がボコなんだよな、後輩だから……。
康太は大樹の機転の良さに感心した。
水野さんが配達員を見送ってカウンターに戻ってきた。手早く凸凹兄弟に朝食を渡しながら、
「ご飯とお味噌汁は自分で注いでね」
と云い、トレイを受けとった凸凹兄弟がそそくさと炊飯器とお味噌汁のお鍋のコーナーに消えると、また康太たちに向って云った。
「そうそう。お昼はどうするの?」
大樹が応えた。「お弁当にしてもらえますか? これから康太を駅前の商店街に連れていく予定なんだけど、時間までに戻ってこられないかもしれないんで」
「お安い御用よ。それじゃあ作っておくから、出掛ける前に取りに来てちょうだい」水野さんは大樹にこう云うと、こんどは康太に顔を向けた。「コウちゃん、ヒロくんと手を繋いで行くのよ。迷子になったら大変だわ」
「水野さん、ひどいなあ。ぼく、もう大学生ですよ」康太はお道化て頬を膨らませた。
「まだ未成年だろ」大樹が両手でその頬を挟んで押しつぶした。
水野さんは、うふふ、と微笑んだ。「だって兄弟みたいなんですもの。ヒロくんとコウちゃんって」
とそこへ、
「水野さん、おれのバナナある?」勝利がのっしのっしと歩きながら食堂にやって来た。「おう、ジャングル兄弟。いつも一緒だな」
どうやらあだ名がまたひとつ増えたらしい。けれども水野さんの前で『ウルフ・ブラザーズ』と呼ばれなかったのは康太にとって幸いだった。あれは男同士のあいだで使われる隠語のようなものだからだ。
「森と林でジャングルなのね?」水野さんは勝利にさらりとボールを投げかえし、トレイにバナナを三本添えた。「はい、週末だからサービスよ。カッちゃん——」
康太と大樹は食堂を出て階段を登った。それぞれ手にバナナを一本ずつ持っている。勝利から、折角だからおまえらに分けてやる、と云われて受けとったものだ。
階段を登り降りする男たちが皆んな自分たちを見ているような気がして、康太は前を行く大樹の後ろ姿だけを見つめていた。
——森先輩……。
その右手にバナナが握られている。
——あのときには、あれより大きいんだろうなあ……。
大樹の腕が前後に揺れている。
——ロフトでもこんな感じで……。
朝っぱらから中学生男子のような妄想が泛んでは消える。康太は自分の左手を見た。その手に握られたバナナは、記憶にある大樹のバズーカ砲には及ばない。
——ぼくだって頑張ればこのくらいは……。
康太は立止まってバナナを見つめ、それから階段を駆け上がった。
四階に着いた。
「康太、鍵開けるからちょっとこれ持ってろ」
「は、はい……」
「ん?」大樹が康太の左手を見て、「そうか。おまえ、左打ちだったよな」それから暗証番号を打ちはじめた。
——あの瞬間を……バッチリ見られちゃったんだよな……。
キー入力の軽快な音がする。
——場外ホームランだなんて……森先輩……。
開錠のアラーム音が鳴り、そしてドアが開けられた。
「ったく、朝っぱらから……」
部屋に上がって大樹が云った。呆れたような口調だ。
康太も部屋に上がった。
「あっ」
壁の向うからアダルト・ビデオの音声が洩れていた。
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