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第五章 お紅茶は如何かしら?
トレーナーからのお誘い
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ふたりは、マネージャーとレセプション・エリアで落ちあった。つぎは事務所に一度立ち寄るのだと云う。健悟も同行することになった。
さて行こうか、と話がまとまったとき、受付のスタッフが健悟を呼んだ。こんども健悟の筋膜リリースを担当したトレーナーだった。よく見ると精悍な顔をしている。彼は白い歯を輝かせながら笑顔を振りまいた。
「オーナーからこれを預かっております」トレーナーは、健悟にジムのロゴ入りの封筒を渡した。「当ジムの家族会員カードです。お名前に間違いがないかご確認ください
「あっ。ああ。すまないな……」
「それとこちらが当ジムの案内パンフレットと会員規約です」トレーナーがロゴ入りの白い紙袋を手渡した。「ご入会の際にお渡ししているものです」
後ろから柳川が覗きこんで、
「親分、会員になったの?」
「ま、まあな」
健悟は、会員カードの出来が気になっていた。封筒を上から触ってみると、明らかに二枚分の厚みだった。スミ婆ぁときたら……。ジムに無料で入会できるのは有難いが、イタズラにもほどがある。健悟は、急いでデイバッグにその封筒を押しこんだ。
「最初の数回は、カウンセリングも兼ねたパーソナル・トレーニングも可能ですので、お気軽にお声掛けください」トレーナーが健悟を見つめる。「ご希望であれば、個室の準備もございます」もう一度白い歯を見せて、ニコリと微笑んだ。「私で宜しければ、ご指名いただければ、いつでも時間の都合はつけますので」
不自然なほどに熱心な売り込みだ。ふたつの目がお淑やかに垂れさがっている。しかしその潤んだ瞳が舌となって、健悟を舐めまわしてやろうと狙っているような気がした。
まさか……そっちか?
健悟の背筋を薄ら寒いものがさっと疾った。
「親分、このトレーナーさんはね。フィジークの大会にも出ている有名な選手なんだよ」柳川が声を弾ませて無邪気に云った。「ほら、あそこ」
柳川が指差す方向を見ると、壁に今年のフィジーク大会のポスターが貼ってあった。どうやら去年の優勝者らしい。目の前のトレーナーが、ポスターの中央で半裸になってポーズを取り、自慢の軀を披露していた。
「お、おう……」健悟は応えに詰まった。
「いや、お恥ずかしい」トレーナーが、照れくさそうに頭を掻く。「たまたま今年のポスターを頼まれて……」
柳川が続けた。「ここのトレーナーさんは、皆んな有名な選手なんだ」
あらためて周囲を見渡すと、至るところに各トレーナーの写真が貼ってある。それは各種大会でのパフォーマンスのようすであったり、受賞式で輝くトロフィーを高く掲げている姿であったりした。ここは、男女問わずトレーナーに多くの大会出場者を抱えているジムだったのだ。
さすがやり手のスミ婆ぁだ。
健悟は、その目の付けどころと手腕に圧倒された。
そこへ柳川が云った。「親分もどこかに写真を飾ったら?」
「おいおい。俺は消防士だぞ。ここのトレーナーじゃない」健悟は、柳川へのちょっとした仕返しを、ふと思いついた。「それよりも、おまえがここに写真を飾ってもらったらどうだ? 映画のためにこれだけ変化しましたって。ビフォー・アンド・アフターみたいにすれば、映画の宣伝にもこのジムの宣伝にもなるんじゃねえか?」そしてマネージャーのほうを向いた。「どう思う?」
「そうですね……」マネージャーは額に右手の人差し指をそっと宛てた。「ただ、あまり目立つようなことをして、こちらにご迷惑が掛からないようにしないと」
マネージャーの考えももっともだ。せっかくの会員制だ。もし写真をSNSにアップしたら、背景の一部や映り込んでしまったものから場所が特定されるだろう。その結果、柳川のファンからの問い合わせがこのジムに殺到することくらい容易に想像できる。それだけですむはずもなく、あの丙午のお紅茶ババアがここを嗅ぎつけて——たとえスミ婆ぁが審査で落としてくれたとしても——、近くで張りこむであろうことは、火を見るより明らかだ。
どうしたものか、と健悟は胸の前で両腕を組んだ。
トレーナーが、待ってましたとばかりに、早口で一気に捲したてた。
「この奥に小さな写真スタジオがあります。『友情写真』としてジム仲間やライバル同士で撮影をされる方もいらっしゃいます。もちろんソロで撮影される方も。私たちトレーナーもプロフィール用に撮影をしているんですよ。ああ、それからスタジオにはジムのロゴなどはありませんから、ご安心ください。今ちょうど空いているので、なかをご覧になりますか?」
今すぐにでも健悟を脱がせて写真を撮りたがっているような口振りだ。実際、トレーナーは凝っと健悟を見つめている。これ以上の長居は無用だ。
「あとでゆっくり考えるのが良さそうだな」健悟はさり気なく立ち話を了らせようとした。
トレーナーが名残惜しそうに、
「かしこまりました。いつでもお待ちしております」
と云って健悟に白い歯をくどいほど見せながら微笑み、再度念を押した。「パーソナル・トレーナーのご指名も承っておりますので、ご遠慮なくお申し付けください」
さて行こうか、と話がまとまったとき、受付のスタッフが健悟を呼んだ。こんども健悟の筋膜リリースを担当したトレーナーだった。よく見ると精悍な顔をしている。彼は白い歯を輝かせながら笑顔を振りまいた。
「オーナーからこれを預かっております」トレーナーは、健悟にジムのロゴ入りの封筒を渡した。「当ジムの家族会員カードです。お名前に間違いがないかご確認ください
「あっ。ああ。すまないな……」
「それとこちらが当ジムの案内パンフレットと会員規約です」トレーナーがロゴ入りの白い紙袋を手渡した。「ご入会の際にお渡ししているものです」
後ろから柳川が覗きこんで、
「親分、会員になったの?」
「ま、まあな」
健悟は、会員カードの出来が気になっていた。封筒を上から触ってみると、明らかに二枚分の厚みだった。スミ婆ぁときたら……。ジムに無料で入会できるのは有難いが、イタズラにもほどがある。健悟は、急いでデイバッグにその封筒を押しこんだ。
「最初の数回は、カウンセリングも兼ねたパーソナル・トレーニングも可能ですので、お気軽にお声掛けください」トレーナーが健悟を見つめる。「ご希望であれば、個室の準備もございます」もう一度白い歯を見せて、ニコリと微笑んだ。「私で宜しければ、ご指名いただければ、いつでも時間の都合はつけますので」
不自然なほどに熱心な売り込みだ。ふたつの目がお淑やかに垂れさがっている。しかしその潤んだ瞳が舌となって、健悟を舐めまわしてやろうと狙っているような気がした。
まさか……そっちか?
健悟の背筋を薄ら寒いものがさっと疾った。
「親分、このトレーナーさんはね。フィジークの大会にも出ている有名な選手なんだよ」柳川が声を弾ませて無邪気に云った。「ほら、あそこ」
柳川が指差す方向を見ると、壁に今年のフィジーク大会のポスターが貼ってあった。どうやら去年の優勝者らしい。目の前のトレーナーが、ポスターの中央で半裸になってポーズを取り、自慢の軀を披露していた。
「お、おう……」健悟は応えに詰まった。
「いや、お恥ずかしい」トレーナーが、照れくさそうに頭を掻く。「たまたま今年のポスターを頼まれて……」
柳川が続けた。「ここのトレーナーさんは、皆んな有名な選手なんだ」
あらためて周囲を見渡すと、至るところに各トレーナーの写真が貼ってある。それは各種大会でのパフォーマンスのようすであったり、受賞式で輝くトロフィーを高く掲げている姿であったりした。ここは、男女問わずトレーナーに多くの大会出場者を抱えているジムだったのだ。
さすがやり手のスミ婆ぁだ。
健悟は、その目の付けどころと手腕に圧倒された。
そこへ柳川が云った。「親分もどこかに写真を飾ったら?」
「おいおい。俺は消防士だぞ。ここのトレーナーじゃない」健悟は、柳川へのちょっとした仕返しを、ふと思いついた。「それよりも、おまえがここに写真を飾ってもらったらどうだ? 映画のためにこれだけ変化しましたって。ビフォー・アンド・アフターみたいにすれば、映画の宣伝にもこのジムの宣伝にもなるんじゃねえか?」そしてマネージャーのほうを向いた。「どう思う?」
「そうですね……」マネージャーは額に右手の人差し指をそっと宛てた。「ただ、あまり目立つようなことをして、こちらにご迷惑が掛からないようにしないと」
マネージャーの考えももっともだ。せっかくの会員制だ。もし写真をSNSにアップしたら、背景の一部や映り込んでしまったものから場所が特定されるだろう。その結果、柳川のファンからの問い合わせがこのジムに殺到することくらい容易に想像できる。それだけですむはずもなく、あの丙午のお紅茶ババアがここを嗅ぎつけて——たとえスミ婆ぁが審査で落としてくれたとしても——、近くで張りこむであろうことは、火を見るより明らかだ。
どうしたものか、と健悟は胸の前で両腕を組んだ。
トレーナーが、待ってましたとばかりに、早口で一気に捲したてた。
「この奥に小さな写真スタジオがあります。『友情写真』としてジム仲間やライバル同士で撮影をされる方もいらっしゃいます。もちろんソロで撮影される方も。私たちトレーナーもプロフィール用に撮影をしているんですよ。ああ、それからスタジオにはジムのロゴなどはありませんから、ご安心ください。今ちょうど空いているので、なかをご覧になりますか?」
今すぐにでも健悟を脱がせて写真を撮りたがっているような口振りだ。実際、トレーナーは凝っと健悟を見つめている。これ以上の長居は無用だ。
「あとでゆっくり考えるのが良さそうだな」健悟はさり気なく立ち話を了らせようとした。
トレーナーが名残惜しそうに、
「かしこまりました。いつでもお待ちしております」
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