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第一章 夜を往く帆舟(ふね)
2 異教徒
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スープの皿が下げられ、入れ替わるようにして、大きな魚の乗った皿が目の前にそっと置かれた。頭と尾びれはそのままに、飾り切りされた赤い身が、魚の原形通りに盛りつけられている。
「あ」ノモクは声を上げた。
「王子、これからですぞ」ローエが云った。
ローエに気づかれずにすんだ、とノモクは安心した。声を上げたのは、皿の上の魚が口をパクパクさせ、尾びれを振っているからではなかった。皿を出した赤銅色の、たくましい腕に驚いたからだった。男奴隷だとすぐにわかった。
ノモクの右隣りにその男奴隷がいる。潮の香をほんのり漂わせている。どんな人物なのだろうと興味がわいたが、ノモクは目の前の魚料理に集中することにした。
たくましい男の手で、魚の切り身の上に透明な液体が掛けられた。ボッ、と火の灯される音がする。ノモクは燭台を見た。細長い針のような緑葉の先端に、燭台の焔が点けられたのだった。海風のようにさわやかな潮の香がノモクの鼻をくすぐった。
この土地の香草かな? でもどうやって香付けするんだろう……。
男奴隷が、焔のついた先端を赤い身の上に一度、叩きつけるようにふりおろした。すると、さっと青白い火柱が立った。香草は魚の背骨のように切り身の上に横に寝かされ、潮の香を皿全体に漂わせた。
「うわあ」
ノモクは歓声を上げた。左右を見ると、皆、同じように皿の上に火柱が立っている。目の前の二列の長テーブルにもつぎつぎと火柱が立ちはじめた。
「王子、まだまだですぞ」
ローエが期待を持たせるように云った。
火柱が消えた。男奴隷が、炙られていっそう美味しそうになった切り身の上に、白いソースをたっぷりと掛けている。そのあいだも、魚は依然として皿の上でまだ生きているかのように動きを止めなかった。
「この魚は不死身なのですか?」ノモクは感嘆した。「切られても焼かれても動いているなんて、王宮ではこんな魚は見たことがない……」
「王子が驚かれるのも無理はございません」司祭ゼーゲンが穏やかな口調で云った。「これはグーフラトと云いまして、この土地でしか獲れない珍しい魚なのでございます。ただ大変凶暴でしかも猛毒を持っていますゆえ、漁は命懸けでございますが」
「そんな貴重な魚を……。漁師は、さぞ大変だったでしょう」ノモクは恐縮した。
「王子のそばに仕えている奴隷でございます」
司祭ゼーゲンが指差したのは、ノモクの皿を担当した男奴隷だった。ノモクは、礼を云わなければと、ようやく、たくましい腕の持ち主のほうを向いた。
そこには奴隷とは思えない美しい男が立っていた。驚くほどの高身長で、美術館の彫刻に引けをとらない見事な肉体の持ち主だ。肩幅は広く、胸板も厚い。赤銅色の肌は、海風で鞣された革のように艶やかで、潮の匂いを立たせている。
胸毛はない。その代わりに形の良い臍の周りに、男性的な黒々とした体毛を生やしている。下に向かってその密度を増してゆくので、自然と目線が下へ降りてゆく。体毛の流れは、男奴隷の性毛まで境い目なく続いた。豊かに生い茂る性毛は波濤のように打ちあがり、そして広がり、がっしりとした腰まわりを美しく飾りたてていた。
性毛が剥きだしなのは、かなり低い位置で巻かれている腰布のせいだった。そのため性毛だけでなく、ペニスの根元までもが露わになっていた。けれどもこの男奴隷には腰布の丈が短すぎて、こうするしかないのだろう。腰布のふくらみが隠しきれないペニスの全体像を露骨に見せつけ、裾の下からは赤黒い肉の色をした先端が、ほんの少し、覗かれた。
割礼をしているのかな? もしそうならこの男奴隷は異教徒だ。
ノモクはこう直感した。しかし異教徒であれ、ノモクには男奴隷の肉体が神々しく見えた。神話の英雄が目の前に現れたような気がした。
男奴隷はノモクの前に跪いた。それはノモクが男奴隷の顔をもっとよく見ようと腰布から目線を上げたのとほぼ同時だった。男奴隷が顔を下げているので、ノモクはその顔つきを確認できない。
「君、名前は?」ノモクは訊いた。
「エシフとお呼びください」
海の底から響くような深みのある声だった。
「エシフ、美味しい魚をありがとう」
「光栄です」
ノモクはもう少しエシフと話したかったが、ローエがエシフに「さがれ」と命令した。エシフが立上るときにほんの少し顔が見えたが、それもほんの一瞬のことで、ノモクはエシフが立ち去る後ろ姿を見送るしかなかった。
小さい腰布のせいで、引締まった尻もほとんど丸見えだった。歩けば落ちそうな申しわけ程度の腰布を巻いて、しかしエシフはそれでも堂々と歩いていた。
奴隷が腰を隠す部分は最小限度だとしても、体格にあった腰布が与えられていないのは、エシフが何か罰を受けているからなのだろう、とノモクは考えた。そうだとしても、酷い扱いだ。けれどもそれと同時に、エシフには大勢のなかでほとんど全裸でいるという屈辱に耐えるだけの、強い精神力があるように思えた。
彼こそ騎士にふさわしいのではないか?
ローエのように色事を好むよりも、あのエシフのような不屈の精神を持つことが大切なのでは?
ノモクはエシフのことが気になりはじめた……。
「あ」ノモクは声を上げた。
「王子、これからですぞ」ローエが云った。
ローエに気づかれずにすんだ、とノモクは安心した。声を上げたのは、皿の上の魚が口をパクパクさせ、尾びれを振っているからではなかった。皿を出した赤銅色の、たくましい腕に驚いたからだった。男奴隷だとすぐにわかった。
ノモクの右隣りにその男奴隷がいる。潮の香をほんのり漂わせている。どんな人物なのだろうと興味がわいたが、ノモクは目の前の魚料理に集中することにした。
たくましい男の手で、魚の切り身の上に透明な液体が掛けられた。ボッ、と火の灯される音がする。ノモクは燭台を見た。細長い針のような緑葉の先端に、燭台の焔が点けられたのだった。海風のようにさわやかな潮の香がノモクの鼻をくすぐった。
この土地の香草かな? でもどうやって香付けするんだろう……。
男奴隷が、焔のついた先端を赤い身の上に一度、叩きつけるようにふりおろした。すると、さっと青白い火柱が立った。香草は魚の背骨のように切り身の上に横に寝かされ、潮の香を皿全体に漂わせた。
「うわあ」
ノモクは歓声を上げた。左右を見ると、皆、同じように皿の上に火柱が立っている。目の前の二列の長テーブルにもつぎつぎと火柱が立ちはじめた。
「王子、まだまだですぞ」
ローエが期待を持たせるように云った。
火柱が消えた。男奴隷が、炙られていっそう美味しそうになった切り身の上に、白いソースをたっぷりと掛けている。そのあいだも、魚は依然として皿の上でまだ生きているかのように動きを止めなかった。
「この魚は不死身なのですか?」ノモクは感嘆した。「切られても焼かれても動いているなんて、王宮ではこんな魚は見たことがない……」
「王子が驚かれるのも無理はございません」司祭ゼーゲンが穏やかな口調で云った。「これはグーフラトと云いまして、この土地でしか獲れない珍しい魚なのでございます。ただ大変凶暴でしかも猛毒を持っていますゆえ、漁は命懸けでございますが」
「そんな貴重な魚を……。漁師は、さぞ大変だったでしょう」ノモクは恐縮した。
「王子のそばに仕えている奴隷でございます」
司祭ゼーゲンが指差したのは、ノモクの皿を担当した男奴隷だった。ノモクは、礼を云わなければと、ようやく、たくましい腕の持ち主のほうを向いた。
そこには奴隷とは思えない美しい男が立っていた。驚くほどの高身長で、美術館の彫刻に引けをとらない見事な肉体の持ち主だ。肩幅は広く、胸板も厚い。赤銅色の肌は、海風で鞣された革のように艶やかで、潮の匂いを立たせている。
胸毛はない。その代わりに形の良い臍の周りに、男性的な黒々とした体毛を生やしている。下に向かってその密度を増してゆくので、自然と目線が下へ降りてゆく。体毛の流れは、男奴隷の性毛まで境い目なく続いた。豊かに生い茂る性毛は波濤のように打ちあがり、そして広がり、がっしりとした腰まわりを美しく飾りたてていた。
性毛が剥きだしなのは、かなり低い位置で巻かれている腰布のせいだった。そのため性毛だけでなく、ペニスの根元までもが露わになっていた。けれどもこの男奴隷には腰布の丈が短すぎて、こうするしかないのだろう。腰布のふくらみが隠しきれないペニスの全体像を露骨に見せつけ、裾の下からは赤黒い肉の色をした先端が、ほんの少し、覗かれた。
割礼をしているのかな? もしそうならこの男奴隷は異教徒だ。
ノモクはこう直感した。しかし異教徒であれ、ノモクには男奴隷の肉体が神々しく見えた。神話の英雄が目の前に現れたような気がした。
男奴隷はノモクの前に跪いた。それはノモクが男奴隷の顔をもっとよく見ようと腰布から目線を上げたのとほぼ同時だった。男奴隷が顔を下げているので、ノモクはその顔つきを確認できない。
「君、名前は?」ノモクは訊いた。
「エシフとお呼びください」
海の底から響くような深みのある声だった。
「エシフ、美味しい魚をありがとう」
「光栄です」
ノモクはもう少しエシフと話したかったが、ローエがエシフに「さがれ」と命令した。エシフが立上るときにほんの少し顔が見えたが、それもほんの一瞬のことで、ノモクはエシフが立ち去る後ろ姿を見送るしかなかった。
小さい腰布のせいで、引締まった尻もほとんど丸見えだった。歩けば落ちそうな申しわけ程度の腰布を巻いて、しかしエシフはそれでも堂々と歩いていた。
奴隷が腰を隠す部分は最小限度だとしても、体格にあった腰布が与えられていないのは、エシフが何か罰を受けているからなのだろう、とノモクは考えた。そうだとしても、酷い扱いだ。けれどもそれと同時に、エシフには大勢のなかでほとんど全裸でいるという屈辱に耐えるだけの、強い精神力があるように思えた。
彼こそ騎士にふさわしいのではないか?
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