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第22章 双黒の魔拳
第519話 2体の龍
しおりを挟む時は少しさかのぼり……数時間前。
『ジャバウォック』が降臨してからしばらく経ち……あちこちで獣達の、あるいは人間の悲鳴が上がる中、悠々と空を飛ぶジャバウォックに近づく影がいくつかあった。
この辺りで粗方腹ごしらえを終えた、部下の龍達だ。口元を獣や人の血で汚しながら、並走するように(飛んでいるので並『飛行』だろうか)ジャバウォックの隣に並ぶ。
「何だ、もう気は済んだのか?」
「はっ、堪能させていただきました。しかし……話には聞いておりましたが、やはりエネルギー的には希薄で、効率もお世辞にもいいとは言えませんな」
「しかし、今までの悠長なやり方とはそれでも一線を画します。それにそのあたりはおいおい、対策を講じていけばいいでしょう……時間ならありますからな」
「すぐにでも星々の海へ出られましょう。『龍王』になられたジャバウォック様のお力をもってすれば……っ!?」
話の途中で、ジャバウォックがぎろりと睨むように、随伴して飛ぶ配下の龍の1匹に視線を向け……睨まれた龍は、口をつぐんで少し後ろに下がった。
まるで、湿原を咎められ、制裁に怯えているような態度だ。
ジャバウォックは、ふん、と鼻を鳴らすと前を向き直し……それ以上何も言うことはなかった。それに安堵した龍だったが、その直後、また別な何かに気付いて『ん?』と明後日の方向を向く。
「ジャバウォック様。何か近づいてきます」
「何? ……あれは、龍か?」
「そのようですが、『渡り星』から降りた者ではありませんね。恐らく、この星に元々いた種で……ん? 背中に何か……」
言っている間に、最初は米粒ほどにしか見えなかった小さな影が……どんどん大きくなり、羽ばたく龍のシルエットがはっきり見えるまでになった。
確かにそれは、『ワイバーン』と言う名の、地球に元からいた種族の龍だった。
そして、その背中に乗っている小さな何かの存在を認めた時、ジャバウォックは『ほう』と興味深そうな反応を見せた。
「驚いたな。今の時代にまだ、『龍の巫女』が残っていたとは……」
「えっ、龍の巫女、って何?」
その、ワイバーンの背に乗っていた少女……エータは、突然、聞き覚えのない呼び方をされて、きょとんとしてそう聞き返した。
しかし、すぐにハッとして気を取り直すと、ワイバーンに頼んで、ジャバウォックの目の前に連れて行ってもらう。
取り巻きの龍達は、突然現れた龍と少女を止めようとするが、ジャバウォックは面白そうに、『よい、好きにさせろ』と指示を出して一歩下がらせた。
エータを除く全員が空中で飛んだままでいる中、エータはジャバウォックを真正面から見て、
「はじめまして。私、エータって言います。あなたのお名前は?」
驚くほど自然に、ジャバウォックをさして恐れることもなく――緊張はしているようだが――話しかけてきた少女に感心しつつ、ジャバウォックは戯れに、その問いかけに応じる。
「我が名はジャバウォック。今を生きる龍の巫女よ、我に何の用だ? 殊勝にもその身を捧げて食われに来たのか?」
「えっ、違うよ……そんな、食べられたくなんかないもん。あなたにお話ししに……ううん、お願いしに来たの」
「願いだと?」
「うん。お願い、あなたも、あなたの仲間の龍達も……魔物や人をいじめないで! 皆、怖がってしまってるの! 怖い龍が自分達を襲うから、自分達の縄張りで暴れるから、皆怖くて、苦しくて……助けてって言ってるの!」
エータは、『龍神文明』の時代に起源を発する奇病『ドラゴノーシス』の感染者である。
正確には、龍の遺伝子によって引き起こされる遺伝子疾患とでも言うべきこの病気は、発症したのが男性の場合は、龍の鱗や爪、牙などが生えて異形の体になる。
反対に女性の場合、例外を除き、身体的な特徴として龍のそれが現れることは、ほとんどない。
その代わりに、『龍と意思疎通できる』という特殊極まりない力に目覚める。その力を利用して、『龍神文明』の時代、発症者の女性は、偉大な龍達の声を聴く『巫女』の役割を担っていた。
エータもまた、その例にもれず……様々な種類の『龍』と心を通わせることができた。
偶然であったゼットに始まり、『ダモクレス財団』の施設に保護されて以降に知り合った、このワイバーンや小さな『龍栗鼠』などがそれにあたる。
そんな友達から、最近、見慣れない龍が現れて、たくさんの魔物や人間がその犠牲になっているという話を聞いた。
その龍が直接的に傷つけたのみならず、その龍に怯えて縄張りを棄てて逃げ惑ったり、恐怖が逆にストレスに変わって狂暴になるなどの事態も起きていた。
原因は、チラノース皇帝が召喚した龍を使役し、反抗的な村や少数部族の徹底的な粛清を行っていたからだ。その過程で龍が暴れ、それに怯えた層物や魔物、そして人間は大移動を始める。
それを知ったエータは……無謀な試みを実行に移す。
龍と心を通わせられる、自分のこの力を生かして、今大陸のあちこちで暴れている龍を説得し、困っている皆を助けられるのではないか……と考えた。考えてしまった。
100人が100人『やめておけ』と言うであろう決心を固めたエータは、知り合いのワイバーンに頼んで運んでもらい……より強力な龍の気配がする方向へひたすらとんだ。
そして遭遇したのが、よりにもよって『ジャバウォック』だったのだ。
懸命に言葉を尽くすエータだが……ジャバウォックはといえば、話している途中で、ふん、と鼻を鳴らして面白くなさそうにした。
「戯れに聞いてみれば、たかだか人間の小娘ごときがこの『ジャバウォック』に意見するなど……不愉快だな」
「ジャバウォック……それがあなたの名前なのね! お願いジャバウォック、皆を……っ!?」
いい終わる前に、突然ジャバウォックはぐあっと首を、いや頭を前に突き出し、エータとワイバーンに食らいつこうとした。
とっさにワイバーンが後ろに引いて避けたものの、もし避けていなければ、ワイバーンはその体を豪快に食いちぎられていただろう。
体の小さなエータは、ワイバーンの血と骨と肉片と一緒に、一口で平らげられてしまうに違いない。
たった今、一瞬のうちに、自分が死にかけた。ドラゴンによって殺されかけた。
心を通わせられるはずのドラゴンに、何一つ話を聞いてもらえずに、命を奪われそうになった。
そのことが大きなショックになり、エータはどっと冷汗を流して震えていた。
しかし、彼女の恐怖はまだ終わらない。
今度は、ジャバウォックの取り巻きである龍達が周囲を取り囲む。彼らの王者に対して、不敬で身の程をわきまえないことを延々と並べた少女に対して、怒りや苛立ちを滾らせた目を向ける。
「先程から聞いていれば、恐れ多くもジャバウォック様に指図するなど……この身の程知らずの小娘めが」
「この場で食い殺してやろうか……『龍の巫女』ならば、有象無象の獣よりは美味かろう。ジャバウォック様、お召し上がりになりますか?」
「ふん、小さくて食いでがない上に対した力も感じん。貴様らで好きにしろ」
「あ……あぁ……」
言葉が通じるにもかかわらず、いや言葉が通じるからこそわかってしまう。
自分に対して、この龍達はお互いを思いやる気持ちの欠片も抱いていない。それどころか、一方的に搾取して当然だとまで考えている。
わかり合えない相手だと理解し、ようやく、と言っていいのか……少女の心が恐怖で押しつぶされそうになっていく中、少女を救うため、ワイバーンは身を翻して飛んで逃げようとした。
しかし、側近の龍に容易く追いつかれ、かわそうとしたがかわしきれず……片方の翼を半分以上食いちぎられてしまう。
飛べなくなり、真っ逆さまに落下していく1人と1匹。そんな状況でも、ワイバーンは自分の体を盾にして、少女を落下の衝撃から守った。
しかし、これ以上は最早動けない。瀕死のワイバーンに『しっかりして!』と声をかけるエータだが、無情にもそこに、3体の取り巻きの龍が、彼女達を囲むように降り立った。
そして、哀れで生意気な少女を、その牙にかけて腹の足しにしようとして……
その直後、凄まじい速さで飛び込んできた『ゼット』の爪の一撃により、嚙みつこうとした1匹の首と胴体が泣き別れになった。
「な、何だ!?」
「くそっ、貴様……『渡り星』の外の劣等種の分際で、我らに立てつくか!」
突如として乱入した黒い龍に、驚きながらも敵意をむき出しにする、残り2匹の龍。
いつでも殺せると言っていい矮小な人間よりも、たった今自分達の仲間を害した不届き者を殺すことに、2匹とも考えがシフトしていた。
1匹は前足の爪で捕まえようとし、もう1匹は火炎ブレスを吹き付けて撃ち落とそうとした。
しかし、ゼットはそれらをまるで脅威に感じた様子はなかった。
余裕そうにエータを一瞥して――目で『動かずにいろ』とでも言っているように見えた――直後に先程と同じ凄まじい速さにまで加速。易々と攻撃をかわし……火炎ブレスを吐き出している1匹の懐に飛び込むと、握りしめた拳で思い切り顎にアッパーカットを決めた。
顎の骨と、何本か牙を砕く威力に加え、強制的に口を閉じさせられたため、吐いている途中だった火炎ブレスが暴発。口の中で爆弾が爆発したようなダメージを受けた。
それで怯んだ隙を逃さず、ゼットはその龍の喉を、刃になっている尻尾の一閃で切り裂き、先程と同様首を落とす。
残った1匹がさらに怒って突撃してくるのに合わせて、ゼットは今度は勢いよく真上に飛翔し、すぐさま急降下。
目の前にある龍の無防備な背中に、頭の角から突撃して貫通、胸柄に突き抜けて、胴体に大穴を開けた。
どう見ても致命傷であろう傷を負って、数秒後には墜落するであろう龍。
しかしそれを待たず、ゼットはその龍を空中から地上へ蹴って落とした。
あれよあれよという間に、エータを狙っていた3匹を蹴散らしたゼット。
しかし、油断なく身構えて、残る1匹……少し離れたところで様子を見ていた、親玉のジャバウォックに向き直る。
「ふん、地上の龍も少しはやるようだな……だが、その身の程をわきまえん所業、不愉快だぞ」
僅かにではあるが、声音に苛立ちを乗せてそう言うと……ジャバウォックは背中の翼を大きく広げ、一回の羽ばたきで急加速して、ゼットとの距離を一気に詰めた。
「小娘共々、我の糧にしてくれよう。その無知と傲慢、死をもってして償うがいい」
「ゼット……だめ! 危ないよ、逃げて!」
必死のエータの呼びかけを無視して、ゼットはジャバウォックに向き直り、喉を鳴らして威嚇するように唸る。
先程までの、手下3体を相手取った時のような余裕は……見られない。本気の臨戦態勢だ。
それだけ、ゼットも目の前の龍を警戒しているということだろう。
しかしジャバウォックは、むしろそんなゼットの態度を不遜だとばかりに、ふん、と鼻を鳴らして見下ろしていた。
「身を持って思い知るがいい、無知な若造よ……天上天下、数多の龍の頂点に立つ……『渡り星』の龍の王の力を」
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