1 / 9
01.婚約破棄されました
しおりを挟むリア・ミッドフォードは今生にうんざりしていた。
教育ママなお母様、地位とお金が大好きな家庭に興味のないお父様、天才肌なお兄様、そして天才なお兄様と比べられる出来損ないのわたし。
お母様の期待に応えようと、ダンスのお稽古も、ピアノのレッスンも、一人前のレディとしてのマナー講座も、お勉強も、人一倍頑張ってきた。貴族学園に入学してからは、周りよりも頭ひとつ飛びぬけた成績を保ってきた。
淑女とはなにか、レディとはなにか、常に意識して、一人前の女性として生活をしてきた。
――だというのに。
「リア・ミッドフォード。お前のような心根の腐った女と婚約していた今までの自分を恥じている。いくらエリザベスが純真で美しく可愛かろうと、それに嫉妬してイジメなどという行為に出るなんて思わなかった! 今ここに宣言する! 僕はリア・ミッドフォードとの婚約を破棄し、エリザベスと将来を誓い合う!」
目暗でぼんくらで目先のことしか見えていない伯爵家のお坊ちゃまは、腕の中に小柄な少女を抱いてドヤ顔を披露している。コイツ馬鹿なんだろうか。おっと、口が悪うございましてよ。
そもそも、リアはその胸の中で震えている小動物を虐めた覚えもなければ、名前すら知らない存在だ。
いつのまにわたしったら虐めていたのかしら? もしかして記憶障害?
軽い現実逃避に溺れていたリアは、「うわぁん!」と泣き崩れる小動物の声にハッと意識を取り戻した。
「わ、私っ、そんなっ、リア様から婚約者を奪うだなんて……!」
「いいんだ、君が気にすることじゃない。全て、嫉妬に塗れた薄汚い心のあいつが悪いんだ。嗚呼、リアにすら心を砕いて泣いてしまうだなんて、なんと優しいんだ、エリザベス。これからは俺が君のことを守るから、どうか涙を拭わせてくれ」
なんだこれ。
いったい何を見せられているのだろう。
ふぅ、と短く息を吐いて、リアは心を落ち着かせる。わたしは淑女、わたしは一人前のレディよ、声を荒げるだなんて無様なことはしないわ。あの澄ました横っ面に平手打ちをしたいところだけど、我慢するのよ。
婚約者――アーロン伯爵家の次男・ハロルドとの婚約はお父様のコネとお母様の見得で決まったものだった。
親に決められた婚約だったけれど、逢瀬を重ね、言葉を交わし、心を、気持ちを伝え合った仲だった。淑やかでひっそりとした恋を育んでいる最中であったにも関わらず、ハロルドは婚約者であるリアの言葉を聞こうとせず、ポッと出の小動物に心を砕いている。
正直、時間を返せと言いたい。
あの逢瀬はなんだったんだ。指先を絡めあった時間は? 言葉を交わしたのは? まったく持って、時間の無駄だったと思わざるを得ない。
リアは緩く波打った黄金の髪に、理性的な碧眼をはめ込んだ瞳の美少女だ。常であるとツンと澄ましたキツイ印象を与えがちだが、気の許せる友人たちと居れば薄く笑みを浮かべ、ひっそりと花を開かせる様がひそかに人気だった。
対して、婚約者――失礼、元婚約者の腕に抱かれた少女・エリザベスも確かに可愛い面立ちをしている。小ぶりな唇だったり、薄紅色の頬だったり、しかし、容姿であればわたしのほうが勝っているとリアは自信を持って言えた。となると、ハロルドが惹かれたのは中身の問題ということになる。
冷静に物事を判断できる淑やかで物静かな性格のリアは、令嬢たちとお茶会に講じるよりも、図書室でひっそりと読書をしているほうが好きだった。
件のエリザベス嬢はリアとはまったくの正反対。甘いケーキに、煌びやかなお茶会にダンスパーティーが好きな社交的な女の子だった。
「わたしという者がありながら、ハロルド様は不貞に走ったのですか?」
「なっ……何を言う! 俺は純真で無垢な彼女に引かれたんだ! それに嫉妬をしたのはお前だろう!」
そう、それである。嫉妬? そんなのした覚えがない。
「……なぜ、わたしが彼女に嫉妬しなければいけないのです? そもそも、わたしは彼女と面識がありませんわ。虐めと仰るけれど、言葉を交わしたこともないのにどういうことかしら? わたしがしたという虐めに関しても、預かり知らぬところですわ」
頬に手を当て、心底不思議だと首を傾げる。
やれ、エリザベスを階段から突き落とそうとしただの、やれエリザベスの教材を捨てただの、身に覚えがないことばかり。もしかしてわたし、夢遊病かしら?
「あくまでも白を切るつもりか……! 見損なったぞ、リア・ミッドフォード! 騎士の家系とは思えぬ醜さだ! っ、ここまで、するつもりはなかったのだが、反省の色が見えないのであれば致し方ない。――ハロルド・アーロンの名に置いて、貴様を退学処分とする!」
あらまぁ。ようやく、ここでリアの表情が驚きに変わった。
驚きの急展開。しかもハロルドの手には退学令状が握られている。なんとも準備のよいことだ。口でなんと言おうとも、初めから退学させるつもりだったのだろう。
胸に黒い感情が渦を巻く。
――あんなクソッたれな家から連れ出してくれるというのは、嘘だったんだ。
絶望が煌く碧眼を覆い隠した。黒く淀んだ瞳に、感情が消え去ってしまう。
「お前みたいな可愛げのない女、ずっと嫌だったんだ! 俺の妻になるのはエリザベスしかいない!」
決別の言葉に、ふつふつと沸きあがってきた感情になんと名前をつけようか。
気付いたら、ぽつりと言葉が零れ落ちていた。
「わたし、ずっと信じていたのに」
「なに?」
「ハロルドの言葉だけが生きる糧だった。ハロルドのためなら、どんなにキツイお稽古でも、レッスンでも堪えることができた。わたしの全てを貴方に捧げるために生きてきた――それを、貴方は簡単に投げ捨ててしまうのね。婚約破棄されて、退学処分を受けたわたしが、家でどんな目に合うかも考えず、ただ、そこの小動物の言葉だけを信じて、目暗になってしまった愛しい人。もう、どうでもいいわ」
「え、」
目を見開いたハロルドが何か言うよりも早く、護身用のナイフを取り出して、振り上げる。
「きゃぁ!」と短い悲鳴を上げたエリザベスをかばうように腕の中に閉じ込めたハロルドだったが、ナイフが向かったのは黄金色に輝く御髪。
ざくり、とひと思いに振り切られたナイフによって、太陽のごとく輝く髪がばらばらと大理石の床に散らばった。
遠巻きに、友人だったお嬢様たちが短い悲鳴を上げるのが聞こえた。
髪は女の命――リアは、一際美しい髪の手入れに時間をかけていた。肩口よりも上で不揃いに揺れる金髪はさぞ不恰好だろう。
「り、リア……!?」
「リア・ミッドフォードは今ここで死にました。わたしはただのリアよ。はじめまして、ご機嫌麗しゅう。そして――永遠にさようなら」
カツン、とヒールを鳴らして踵を返す。
綺麗に笑みを浮かべていただろうか。気丈に振舞えていただろうか。強く握りしめた手のひらに、ぎりぎりと爪が突き刺さって痛い。噛み締めた頬の内側が痛い。――信じてくれなかった、心が痛い。
寮に戻り、必要最低限の荷物を持って学園を後にするまで半日もかからなかった。
リア・ミッドフォードは言葉通り、学園から、国から姿を消したのだった。
0
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
遊び人の侯爵嫡男がお茶会で婚約者に言われた意外なひと言
夢見楽土
恋愛
侯爵嫡男のエドワードは、何かと悪ぶる遊び人。勢いで、今後も女遊びをする旨を婚約者に言ってしまいます。それに対する婚約者の反応は意外なもので……
短く拙いお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
このお話は小説家になろう様にも掲載しています。
嫌われ公女に転生したけど、愛されたい願望を捨てたら全員がデレてきた
桃瀬さら
恋愛
嫌われ公女ナディアは、婚約破棄され学園で孤立し、家族からも見放されていた。
どれほど努力しようが周囲からは「嫌われ公女」と蔑まれ、誰も味方なんていない。
「もういい。愛されたいなんて、くだらない」
そう心に誓った瞬間から、状況が一変した。
第二王子が婚約破棄を撤回し跪き、寡黙な騎士団長が「君を守りたい」と熱く迫ってくる。
そして、冷ややかな兄まで「婚約など認めない。家を出ることは許さない」と……。
愛されることを諦めた途端、なぜか執着される。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
最終回まで予約投稿済みです。
毎日8時・20時に更新予定です。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
今日も学園食堂はゴタゴタしてますが、こっそり観賞しようとして本日も萎えてます。
柚ノ木 碧/柚木 彗
恋愛
駄目だこれ。
詰んでる。
そう悟った主人公10歳。
主人公は悟った。実家では無駄な事はしない。搾取父親の元を三男の兄と共に逃れて王都へ行き、乙女ゲームの舞台の学園の厨房に就職!これで予てより念願の世界をこっそりモブ以下らしく観賞しちゃえ!と思って居たのだけど…
何だか知ってる乙女ゲームの内容とは微妙に違う様で。あれ?何だか萎えるんだけど…
なろうにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる