裏ルート攻略後、悪役聖女は絶望したようです。

思惑(しわく)は交わる

温かな春の訪れ【ヒロイン視点】

　夜も冷えたことから、優しそうな夫人が私を温かく屋敷へと迎え入れてくれた。部屋へ案内する間もずっと笑顔で、本当に私を歓迎してくれていることが分かる。

　「此方が皇女様の寝室にございます」

　「うわぁっ、綺麗(きれい)…」

　一面緑や淡(あわ)いブロンド色で覆(おお)われたその部屋は、私の想像を遥かに越えて綺麗だった。一度は憧れを持った、貴族のお嬢様の部屋そのもの。

　「お気に召していただけたようで何よりにございます」

　ふと夫人の方へ振り替えると、目尻(めじり)に滲(にじ)んだ涙を見つけた。

　「あの…、夫人。大丈夫ですか？」

　「っ…、申し訳ございません。この時を、あまりにも長い間待ち望んでいたものですから」

　涙を隠し嗚咽(おえつ)する夫人の姿は、とても真摯(しんし)なものだった。その言葉には、どれ程の重みが込められているのだろう。

　「夫人は、私を待っていたんですか…？」

　「もちろんにございます。陛下同様、私はずっと皇女様をお待ちしておりました」

　「でも私以外にももう一人の皇女様が」

　【皇女】という立場の人間なら私以外にも存在している。たとえ彼女が偽物であったとしても、私の代わりはいくらでもあったのだ。それを思えば際限がないと分かっていながらも、どうしても考えてしまう。

　しかしそんな私の思考とは裏腹に夫人は小さくも確かに首を左右に振った。

　「…あの方のお世話係に任命されたこともございますが、酷く癇癪(かんしゃく)を起こされ何度か注意した後にクビにされ強制的に皇城を追い出されたのです。私は、あの方が亡き皇妃様の遺品を乱雑に扱うことが許せず…っ」

　「亡き皇妃様って、もしかして…」

　「はい。皇女様の、母君にございます」

　今の話が本当なら、夫人は私のお母さんの為にもう一人の皇女と戦ってくれていたことになる。たった一人で、仕事を失う覚悟で…。

　「私のお母さんの遺品を、守ってくれたんですね」

　「守りきることは、叶いませんでしたが…」

　悔しさと後悔が混じった悲痛な声に、私自身も胸が締め付けられた気がした。夫人の痛いほどの想いが、私にも伝わってくる。

　「それでも、夫人がお母さんを想って行動してくれたのは事実です。ありがとうございます、夫人」

　「私のことはナターシャとお呼びください。それに敬語を使う必要はございませんよ。コレット様は皇女殿下なのですから、これから慣れていかねばなりません」

　そっか…。私ももう、【皇女】なんだ。いつも私の周りにいた大人達には敬語を使っていたからなんだかむず痒いけど、それも私の義務だと無理やり呑み込むことにした。

　「そう、ですよね…。分かり、…分かった。ありがとう、ナターシャ」

　「はい。此方こそ、皇女様の存在にどれ程救われたことか」

　こうして、私を取り巻く環境は一夜にして変わってしまった。昨日まで狭い部屋で皆ぎゅうぎゅうになって寝ていたのに…。豪華なベッドは広すぎて、なんだか無性(むしょう)に寂しかった。

　#####

　「皇女様。起床のお時間にございます」

　ナターシャに起こされて早々、着替えを手伝って貰う。初めは大丈夫だと遠慮していたのに、最終的には押されてしまった。

　もう昼も近いというのに、まだ眠気がある。昨日は沢山のことがあったから、そのせいで疲労が身体に溜まっていたこともあるのだろう。

　メイドの人達の手で綺麗に着飾った私の姿が鏡に映る。そこにはもう、スラム街の裏路地(うらろじ)で花売(はなう)りをしていたみずぼらしい少女はいなかった。

　プラチナブロンドの髪が光沢(こうたく)を乗せ、装飾具に負けず劣らずの美貌(びぼう)を持った愛(あい)らしい女の子が、私と左右逆転した同じ動きをするだけ…。

　メイドの人達にこれでもかと褒め千切られ、急激に我に返り恥ずかしさに耳を赤くする。ナターシャも口ではメイドを咎(とが)めておきながら、率先して新しい装飾具を取り出すものだから何かと騒がしくも、楽しかった。

　「皇女様、手袋は此方(こちら)の物など如何(いかが)でしょうか？」

　嬉々(きき)として薦(すす)めるメイドの人に、一瞬気後れして手をお互いに被せて隠した。冬場でも関係なく働かされていた手は、皮がぼろぼろに剥(む)けてとてもシルクの手袋を纏(まと)って良い状態ではない。

　「ぁ、…えと……っ」

　私がどう言い訳しようかと言い淀(よど)んでいると異変に気づいたナターシャがすぐにメイドの人にある物を盛ってくるよう指示をした。

　「ナターシャ…？」

　不安に思ってナターシャを呼ぶと、そっと私のぼろぼろの手に触れた。そしてナターシャは、今にも泣きそうな顔で私以上に辛そうな顔をしている。
　
　「配慮が足りず申し訳ございません。今後は二度とこのような不手際(ふてぎわ)がないよう徹底(てってい)いたしますので、どうか今一度、私を信じていたたけますか？」

　私はその言葉に小さく頷いて、指示された物がナターシャの手に渡った。シンプルな容器の中に入っているのは、クリームのようなものだった。

　「ナターシャ、それは…？」

　「此方は手の荒れなどによく効くとされる薬品です。定期的に塗り続ければ元の肌を取り戻すことができます」

　傷物(きずもの)に触れるみたいに優しくクリームが塗られていく。最初のヒヤリとした冷たさを我慢すれば、徐々に馴染(なじ)んで乾燥(かんそう)をあまり感じなくなった。

　冬場で水汲みをするときが一番痛かった荒れた手は、少しずつその温もりを取り戻しつつある。まるで、暖かな春の訪れを告げるように、私の心も…。











　＃＃＃＃＃＃

　皇宮入り初日はとにかく慌(あわ)ただしかった。と言っても私自身色々とやらなければならないことがあった訳でもなく、私の周りの人達が走り回っていたのだ。

　皆忙しそうだなぁと思いならがらナターシャの淹れてくれたホットココアを口に含む。うん、美味しい。

　「ナターシャ…。私はこれから、何をすればいいの？」

　一通り落ち着いてきたら、私は思いきってナターシャに問いかけた。皆こんなに慌ただしいのに、私だけ何もしていないのが逆に違和感(いわかん)でしかなかったのだ。

　「皇女様は、何をしたいですか？」

　何をやるかではなく、したいかと聞かれたのは初めてでその答えは今の私には出なかった。

　もう辛い労働もしなくていいし、貴族の愛人(あいじん)として売られる心配もない。だから、理想が完結してしまった私には次のステップがないことに気づいた。

　「私は、…わからないの。何をしたいか。だって此処には、温かい部屋も、美味しいご飯も、綺麗なお洋服も揃っているから、これ以上何を望めばいいのかわからない…」

　「……皇女様のお父君(ちちぎみ)である陛下には、お会いしたくありませんか？」

　「お父さん、に…？」
　
　私の気持ちか大きく揺さぶられた気がした。だってそれは、凄く願って、それでも叶わないと諦めて、今此処でもそれを繰り返している不毛(ふもう)な望みじゃないのだろうか。

　ただ、会いたいかと聞かれれば間髪(かんぱつ)言わずに答えられる。『会いたい』、と…。

　「会い、たい…。私、お父さんに会いたい…っ」

　ぎゅっと自分の服を掴んで顔をしたに向けつつも、ハッキリとした私の声がやけに通った。

　「陛下も皇女様と同じお気持ちでいらっしゃいます。まだ顔をお見合わせできていらっしゃらないのは帝国の君主として立派にお役目を果たしておいでだからであり、陛下ほど皇女様を大切になさっている御方はおりません」

　私のお父さんはこの国の皇帝で、忙しいことも充分(じゅうぶん)分かってるのにナターシャはちゃんと弁明してくれた。私を、安心させるために…。

　「それに陛下とは明日の正午(しょうご)にお顔合わせができると約束がついております。だからどうか、そのようなお顔をなさらないでくださいませ」

　涙ぐむ私を優しくハンカチ拭(ぬぐ)ってくれるナターシャに、お母さんのような温かみを感じるのは、きっと心が呼応(こおう)しているからだろう。

　「お父さんに…っ、会えるの？」

　「はい。会えます。陛下がどれほど皇女様との再会をお望みでしたか、きっと心配の言葉をお掛けくださいますよ」

　ナターシャが言うように、『よく頑張った』、『無事で良かった』、『ずっと心配だった』、そんな言葉を言ってくれたら私はまた涙を流してしまうかもしれない。

　そんな想像だけが頭の中に広がって、期待は風船が割れるギリギリまで膨らんでいる。

　「ねぇ、ナターシャ。お父さんってどんな人なの？」
　
　家族の存在を知ってから、お父さんのことが気になって仕方なかった。ヘルメス卿が教えてくれたこともそうだけど、色んな人から聞きたかった。
　
　「陛下は…、皇妃様を大変愛しておりました。一時は皇位争いで誰もが畏(おそ)れ戦(おのの)く程敏感な御方でしたが、皇妃様との出会いから少しずつ丸くなっていかれましたよ」

　「優しい人？」

　皇位争いは、どこの国でもよく耳にする。だけどお父さんがその渦中(かちゅう)にいたなんて…。皇位争いでは冷酷な人間が勝つと言われている。

　どんな犠牲も厭(いと)わず、権力を望む。そんな人間が皇位を手にするのだ。それを聞いていただけに、少し不安になった。

　「はい。特に皇女様に関しては殊(こと)の外甘やかして頂けるでしょう。他の殿下方(でんかがた)や第二皇女殿下にはあまり関心のない方でしたが、皇女様は違います」
　
　「……私だけ」

　私はやっぱり嫌な子かもしれない。お父さんが私だけを愛してくれていることに喜んで、他の兄姉(きょうだい)が愛されていないことを、同じように喜んでいる。

　思わずにやけそうな、それでいて自分が嫌な人間のようで複雑な表情になる私にナターシャは静かに言い放った。

　「皇女様、先程も言ったように陛下との謁見は明日の正午にございます。それまでに完璧なマナーを身に付けなければなりませんが、覚悟はごさいますか？」

　「…っ、ある。お願い、ナターシャ」

　本来ならば長年孤児として生活していたことを言い訳にマナーなど覚えなくても良かったのだろう。だけどナターシャは、私が少しでも隙を作ることのないように完璧なマナー講座を行った。

　弱音を吐きそうになったときもあるけど、長年に渡って積み重ねられるものをたった一日で仕上げるのならばそんな暇はなかった。

　幸い教えたことを実践するのは今までの経験上早く、なんとか見せられるレベルには完成させられたのだから後は明日、練習の成果を披露(ひろう)するだけだ。

　夜も更(ふ)け、ベッドに入ってから隣にナターシャが魔道具の電気を消そうするのをじっと見つめる。魔道具の電灯はまだ高級品で、その原理が不思議でずっと見ていても飽きない。

　「皇女様、そう見つめられては穴が空いてしまいますよ」

　「穴が空いちゃうの…?!」

　見続けたら穴が空くなんて、やっぱり魔道具は不思議だと驚いているとナターシャは何が可笑しかったのか笑った。

　「ふふっ…、違いますよ。これは物の比喩(ひゆ)です。他にも色々ありますが、それは後日にお伝えしましょう。さぁ、もうお休みなさいませ」
　
　もう一度布団をかけ直して首元まで温かくなる。最後にナターシャがそっとおでこを撫でてくれて、一度に睡魔が襲ってきた。

　ふわふわと遠のく意識の中で、明日の期待だけがはち切れる寸前の風船のように膨らんで心臓を跳ねていた。