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moonlight
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地球温暖化がより一層進み、地球は熱で焼かれてしまうのではないかと山瀬は思った。そんなことが起こる前に、焼かれて命を終える前に、普通に死にたいと思った。叶うことなら寿命が尽きて溶けるように、最初から存在していなかったかのように消えていきたい。
今日は文化祭だ。高校生活最後の文化祭、とは言っても山瀬は行動を共にする友達は特にいない。いや、友達がいない訳ではないが、最後の文化祭を共に過ごしたいと思える相手がいないだけである。
昨日と今日、そして明日の三日間、生徒たちは制服を着崩す。男子たちは裾をまくりあげ、見事に焼かれた小麦色の腕を見せつけている。女子はいつもより一折二折スカートを短くして自慢の足を見せびらかしている。そして、男子も女子も胸元は第二ボタンまで開けている。人によっては第三ボタンまで開けている人もいた。
山瀬はいつも通りボタンは第一ボタンだけ外し、裾はまくるけれど肘より下までだ。しかしやはり山瀬も思春期の男子であった。ズボンは少しだけ下ろしていた。
文化祭の日中、イベントが行われていない教室は鍵が閉められていた。このシステムは必要なのだろうか。文化祭中に教室に閉じこもる生徒がいないように、全ての生徒が文化祭に参加し楽しむことが出来るように、先生たちが作ったシステムなのだろう。
しかし、もしその理由でこのシステムが作られているのなら、それは間違った正義を振りかざしている。教室に閉じこもっている方が楽しめる生徒だっているのだ。何なら文化祭に参加したくないと思っている生徒は少なくないだろう。
山瀬は過去二年間の三日間と昨日、わずか数パーセントの希望を胸に教室へ向かったが、やはり鍵は閉められていた。そんな教室が並んでいる廊下はやけに静かで、太陽の音が聞こえてきそうだった。
仕方なく学校内を見て回ることにする。お化け屋敷がやはり人気があるようだ。この学校では毎年三つのクラスがお化け屋敷を催すことが出来る。
山瀬のクラスもお化け屋敷を第一候補にしていたが、三年生の先輩たちが優先だと言われ、結局カフェになった。クラスのみんなはブーブー嘆いていたが、山瀬にとっては好都合であった。
山瀬が恋をしている相手はクラスメイトだった。出席番号二十八番、山月結。彼女はこの学校で三番目に可愛いと言われている。一番目が一年生の須原舞華で、二番目がこれまた一年生の浦井琴羽。
男子はすぐに女子のランキングを付けたがる。山瀬もその投票には参加した、というかさせられた。山瀬は、須原と浦井と話したことなんて一度もない。というか、顔もはっきりと思い出せなかった。須原は口数の少ないザ・文系女子で、浦井は誰とでも仲の良い活発女子であった。
山瀬は山月のエプロン姿を見られることの嬉しさを噛み締めていた。誰かにこの嬉しさを共有したかったが、生憎そんな相手がいないことを改めて実感する。
シースルーの前髪、さらさらな肩までの髪、すれ違うとふわっと良い香りが漂ってくるあの感じ、どこか魅力を感じさせる目、鼻の高い横顔、柔らかそうな唇、身長は高くないがスラっとした身体、細くも太くもない程よく筋肉のある白い足。その全てに山瀬は惹かれていた。
彼女のことを好きな男子なんて五万といるだろう。学校の生徒たちだけでなく、街ですれ違っただけでも魅力を感じさせてしまうのではないだろうか。
山瀬は自分のクラスに顔を出しに行くことにした。
三年四組の教室へ向かっている途中、保健室の前を通った。保健室はいつ何時も涼しい。職員室も涼しいけれど保健室の方が立ち寄りやすかった。文化祭をサボっているのがバレないようにそっと扉をスライドさせる。
すると、扉に立てかけてあったモップが大きな音を立てて倒れた。山瀬は慌ててモップを元の位置に戻そうとした時、何かの違和感を感じた。
山瀬はその違和感を探す。
保健室は不気味な程に静まり返っている。三つ並んでいるベッドの端の一つだけカーテンが閉められている。その向こうには大きな影があった。
山瀬は血の気が引いた。何か恐ろしいもののように見えて仕方がなかった。
教室からさっさと出ようと思った時、カーテンの端が揺れ、山瀬はビクッとしたが、すぐに安堵した。
カーテンの隙間から覗いているのは、三年六組の茂田蒼斗だった。
「何だ山瀬か。何してんの、こんなとこで」
茂田は何故だか汗をかいているようだった。
「茂田こそ何してるの? 文化祭をサボるようなキャラでもないのに」
「あ、えっと、それは」
茂田は何だか焦っているようにも見えた。
「熱でもあるの?」
「あ、そう。そうなんだよ。全く最近は暑くて仕方がないよな。熱中症的な?」
茂田は思い出したように、カーテンの前で仁王立ちしながら早口で話す。カーテンの奥に何か隠している物でもあるのだろうか。
「体温測った?」
いいや、と首を横に振る茂田に優しく答えるように、反射的に測るかどうかを訪ねた。
「大丈夫、大丈夫」
そう二つ返事で断る茂田の後ろから、女性がカーテンを開けて顔を出した。
保健室の峯村先生だった。峯村は二十八歳で綺麗な人。この高校の男子生徒の大半は、峯村と寝てみたいらしい。
茂田は小さな声で、出てこないでよと言った。峯村は茂田をちらっと見てから、山瀬に視線を向ける。
「山瀬君、何をしにきたの?」
「いえ、涼みに来ただけです」
「茂田君、熱があるみたいだからこっち来ない方が良いよ」
白衣を羽織ろうとする峯村の額には汗が滴っていた。こんなに冷房が効いている部屋で二人して汗だくだなんておかしい。
開かれたカーテンの向こうにあるベッドのシーツや布団は湿っているようだった。
「二人で何をしていたんですか」
そう尋ねる山瀬は、自分の推測が間違っていないと確信していた。
予想通りに、もちろん当たり前に山月は可愛かった。黄色のエプロンを身に纏う山月は、黄色が世界で一番似合う人間なんじゃないかと錯覚させる程恐ろしいものだった。
いらっしゃいませーと笑顔を振舞う山月を見て、白色のエプロンだったら「天使みたいだ」と言う表現が出来たのにな、なんてことを山瀬は考える。
山月を眺める山瀬は、次第にほわわんという気分になった。顔が熱くなってきたみたいだ。
山瀬はトイレに向かった。四組があるフロアにはトイレが無いため、一つ下の階に降りる。階段を降り切ってすぐ左手に女子トイレがあり、その奥が男子トイレだ。ここのトイレを使用する度に、山瀬は、男女の位置を逆にするとかそういう配慮をした方が良いのではないかと考える。街中ではそういった風に考慮されているはずだ。一概には言えないが。
トイレを済ませて洗面台で手を濯いでいると、茂田が入ってきた。彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに俯き便所へ向かった。
出てきた時に何か言うのではないかと考えた山瀬は、洗面台で待つことにした。
一分もしないうちに茂田は鏡の前に立ち、眼球を動かしたかどうか分からない速度で山瀬を見た後、鏡に映る自身の顔に目を向けた。
「なあ、山瀬」
「どうした」
「さっきの事なんだけどさ」
茂田は、山瀬が何かを言わないか待っているようだった。山瀬は、誰にも言わないよと言いかけたが言葉を飲み込む。
「誰にも言わないでくれないか」
「うん」
「本当か? 約束してくれるか?」
「誰にも言わないよ。ていうか、言いたくても言う相手いないし」
茂田はほっとしたみたいだった。
ため息をついてから山瀬を見る。
「山瀬、お前友達いないのか?」
「なんて失礼な質問だ」
山瀬は少し怒ったような素振りをした。茂田は困った顔をして目を逸らす。茂田の背景にある窓から差し込む太陽の光が、腹立たしい程に眩い。
「冗談だよ。怒ってない」
茂田は再び安堵した。
胸を撫で下ろすと、鏡越しに山瀬を見る。
「もし良かったら、俺、友達になろうか」
驚いた! 友達っていうのは提案して関係性を確立させるものだろうか、と。
「茂田って友達になる時に相手に提案するの?」
山瀬の質問に茂田は軽く笑った。
「んなわけないやん。山瀬って面白いやつなんだな」
「自分では思った事ないね」
山瀬が男子トイレに入ってから二十分が経過していた。
もう一度、四組に戻った。今回は茂田と共に。
教室前方の扉から中を覗くと、そこに山月の姿は見当たらなかった。そもそも、生徒が誰一人いなかった。不思議に思い、掛け時計に目をやると十二時半を指していた。お昼休憩の時間になっていることに気がつかなかった。
四組の控え室は一年五組の教室だった。
階段を一段ずつ上がっていると、茂田が一段飛ばしですぐ横を駆け上がっていった。驚いた拍子に壁に右肩をぶつけ、それほど痛くはなかったものの、怒りの笑みを浮かべてやる。
山瀬のその顔を見て、茂田はゲラゲラ笑い出した。笑っている茂田を見た山瀬もゲラゲラ笑い出した。そんな山瀬を見て茂田が笑いに拍車をかける。山瀬にも茂田にも何がそんなに面白いのか分からなかったが、とにかく何故か面白かった。そうして、普遍的な高校の校内に、笑い声のエンドレスワルツが生まれた。その笑い声は校内中、さらには日本中に響いているようで、二人にはそんなことがさらに面白かった。
一年五組の教室では、三年四組の生徒たちが談笑しながら腹を満たしている。弁当やらコンビニの惣菜やらの匂いが教室中に充満していた。その、もわりとした空気に、山瀬は気分が悪くなってしまった。
自分の昼ご飯をそそくさと、且つ真顔で取ってから廊下に出る。廊下の空気は、外気が流れているために心地が良かった。何なら屋上にでも出たい気分だ。しかし、漫画のように屋上は開放されている訳ではない。
廊下の窓を一つ、全開にする。
涼しい夏風が山瀬の顔の肌をそっと撫で、山瀬の心は凪いだ。
森の奥の一枚の葉から滴り落ちた水滴が、池の水面にそっと触れるように。静かに。
隣の教室の扉がドンと大きな音を立てて、山瀬の心臓を刺激した。教室の中から扉に衝突したようだ。
ふざけんな! という、男の大きな声が聞こえる。壁や天井に反響して、静かだった廊下はスピーカーのようにその声を拾っていた。
「お前、自分が何やったのか分かってんのか!」
聞き覚えのある声は、誰のものであるかすぐに分かった。茂田だった。
「俺は一生お前を許さずに生きていくからな!」
喧嘩相手の声は聞こえない。おそらく百で相手が悪いのだろう。言い返せる状況ではないことが推測出来た。
数秒の沈黙はやけに長く感じられた。山瀬はメデューサと目を合わせてしまったかのように微動だにしなかった。
沈黙の末、茂田は怒りに任せて教室から出てきた。彼はすぐに山瀬に気付いて、微妙に引きつった笑顔をしてみせた。
「山瀬、聞いてた?」
山瀬はどう答えようか一瞬迷ったが、別に嘘をつく必要は無いと考えた。
「ごめん聞いてた。というか、この階にいる生徒には聞こえてると思うよ」
やっちまった、と茂田は後悔をしている表情をした。
「何があったの? あんなに大きな声を出して。僕はまだ茂田のことをあまりよく知らないけれど、何というか、茂田らしくないというか」
「なにそれ」
茂田は本調子の笑顔をする。
彼は、不安そうな顔をしながら事情を教えてくれた。
彼には二つ歳下の妹がいて、この高校の一年生だった。その妹には最近恋人が出来たが、何だか幸せそうには見えないと茂田は感じていた。そして昨日ついに妹から相談をされ、茂田は怒りに呑まれたという。
「妹さんになにがあったのか聞いてもいい?」
「うん」
茂田は、ふぅー、と大きなため息をしてから話し始める。
「蒼空さ、泣いてたんだ。それで俺、どうしたんだって聞いたんだ。蒼空は号泣しながら訴えたよ。彼氏が浮気してた、って。まだ付き合って二ヶ月だぜ? いや、浮気に早いも遅いもないけどさ。最初は幸せそうにしてたのに、一ヶ月経ったくらいから暗い顔しててさ。俺、シスコンって言われても嫌な気がしないくらい蒼空のこと好きで。だから俺許せなくて」
山瀬はどう反応しようか悩んでいた。何か気を遣ったことを言わなければならない。
「妹さんと仲良いんだね」
茂田は驚いた顔をした。それは当たり前だった。山瀬の言葉は気遣いでも何でもないからだ。
「まだあるんだ。蒼空、まだしたことなかったんだよ」
茂田は山瀬の顔を見た。察してくれと言っているようだった。山瀬は、分かっていると心の中で呟きながら微笑む。
「したことなかったのに無理やり脱がされたんだ。それで、その、そんな感じで卒業したんだよ。好きな人として嬉しい気持ちがなかった訳ではないけど、あんな形でしたくなかったって言ってた。でもあいつ、まだ彼氏のこと好きなんだよ」
「なんか複雑だね」
「で、その彼氏っていうのが俺と同じクラスの荒切っていうやつ。知ってる?」
「ごめん知らない」
「今、荒切と話してた。そしたらあいつが逆ギレしてきたんだ。俺だって何ちゃらだ、って。俺、動揺しててあいつがなに言ってたかあんまり覚えてないけど、反省しているようには見えなかったから思わず殴っちまった」
「どんなに感情が昂っても、暴力はダメだよ」
茂田は目だけでちらと山瀬を見る。
「そうだよな。それは後で謝りに行こうと思ってる。でも今は行けない」
「うん。別に今行く必要は無いと思うよ」
彼は、ありがとう、と言った。
「心は綺麗なんだね」
「どういう意味だ?」
「だって、妹のことが大好きで自分のことのように悩める人だよね。どれだけ相手が悪かったとしても、自分の良くない行動を良くない行動だって認識出来て、謝りに行こうとしてるんだから」
「なんか恥ずかしいし有難いけど、『心は』って何だよ」
「いやだって、教師と肉体関係にあるじゃん」
山瀬は嫌味っぽく満面の笑みで言った。
太陽の光が呼応するように強くなるのが感じられた。
「それはお互いにメリットがあるからだよ」
「でも、もし他の誰かにバレたらデメリットしかないよ」
茂田は暗い表情で考え始めた。頭の中でデメリットのリスト化でもしているのだろうか。
「やめようかな。それで蒼空に嫌われても嫌だし」
どこまでもシスコンな茂田に、山瀬は大いに笑った。
茂田も微笑んでいたが、その目はひどく冷たかった。
今日は文化祭だ。高校生活最後の文化祭、とは言っても山瀬は行動を共にする友達は特にいない。いや、友達がいない訳ではないが、最後の文化祭を共に過ごしたいと思える相手がいないだけである。
昨日と今日、そして明日の三日間、生徒たちは制服を着崩す。男子たちは裾をまくりあげ、見事に焼かれた小麦色の腕を見せつけている。女子はいつもより一折二折スカートを短くして自慢の足を見せびらかしている。そして、男子も女子も胸元は第二ボタンまで開けている。人によっては第三ボタンまで開けている人もいた。
山瀬はいつも通りボタンは第一ボタンだけ外し、裾はまくるけれど肘より下までだ。しかしやはり山瀬も思春期の男子であった。ズボンは少しだけ下ろしていた。
文化祭の日中、イベントが行われていない教室は鍵が閉められていた。このシステムは必要なのだろうか。文化祭中に教室に閉じこもる生徒がいないように、全ての生徒が文化祭に参加し楽しむことが出来るように、先生たちが作ったシステムなのだろう。
しかし、もしその理由でこのシステムが作られているのなら、それは間違った正義を振りかざしている。教室に閉じこもっている方が楽しめる生徒だっているのだ。何なら文化祭に参加したくないと思っている生徒は少なくないだろう。
山瀬は過去二年間の三日間と昨日、わずか数パーセントの希望を胸に教室へ向かったが、やはり鍵は閉められていた。そんな教室が並んでいる廊下はやけに静かで、太陽の音が聞こえてきそうだった。
仕方なく学校内を見て回ることにする。お化け屋敷がやはり人気があるようだ。この学校では毎年三つのクラスがお化け屋敷を催すことが出来る。
山瀬のクラスもお化け屋敷を第一候補にしていたが、三年生の先輩たちが優先だと言われ、結局カフェになった。クラスのみんなはブーブー嘆いていたが、山瀬にとっては好都合であった。
山瀬が恋をしている相手はクラスメイトだった。出席番号二十八番、山月結。彼女はこの学校で三番目に可愛いと言われている。一番目が一年生の須原舞華で、二番目がこれまた一年生の浦井琴羽。
男子はすぐに女子のランキングを付けたがる。山瀬もその投票には参加した、というかさせられた。山瀬は、須原と浦井と話したことなんて一度もない。というか、顔もはっきりと思い出せなかった。須原は口数の少ないザ・文系女子で、浦井は誰とでも仲の良い活発女子であった。
山瀬は山月のエプロン姿を見られることの嬉しさを噛み締めていた。誰かにこの嬉しさを共有したかったが、生憎そんな相手がいないことを改めて実感する。
シースルーの前髪、さらさらな肩までの髪、すれ違うとふわっと良い香りが漂ってくるあの感じ、どこか魅力を感じさせる目、鼻の高い横顔、柔らかそうな唇、身長は高くないがスラっとした身体、細くも太くもない程よく筋肉のある白い足。その全てに山瀬は惹かれていた。
彼女のことを好きな男子なんて五万といるだろう。学校の生徒たちだけでなく、街ですれ違っただけでも魅力を感じさせてしまうのではないだろうか。
山瀬は自分のクラスに顔を出しに行くことにした。
三年四組の教室へ向かっている途中、保健室の前を通った。保健室はいつ何時も涼しい。職員室も涼しいけれど保健室の方が立ち寄りやすかった。文化祭をサボっているのがバレないようにそっと扉をスライドさせる。
すると、扉に立てかけてあったモップが大きな音を立てて倒れた。山瀬は慌ててモップを元の位置に戻そうとした時、何かの違和感を感じた。
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山瀬は血の気が引いた。何か恐ろしいもののように見えて仕方がなかった。
教室からさっさと出ようと思った時、カーテンの端が揺れ、山瀬はビクッとしたが、すぐに安堵した。
カーテンの隙間から覗いているのは、三年六組の茂田蒼斗だった。
「何だ山瀬か。何してんの、こんなとこで」
茂田は何故だか汗をかいているようだった。
「茂田こそ何してるの? 文化祭をサボるようなキャラでもないのに」
「あ、えっと、それは」
茂田は何だか焦っているようにも見えた。
「熱でもあるの?」
「あ、そう。そうなんだよ。全く最近は暑くて仕方がないよな。熱中症的な?」
茂田は思い出したように、カーテンの前で仁王立ちしながら早口で話す。カーテンの奥に何か隠している物でもあるのだろうか。
「体温測った?」
いいや、と首を横に振る茂田に優しく答えるように、反射的に測るかどうかを訪ねた。
「大丈夫、大丈夫」
そう二つ返事で断る茂田の後ろから、女性がカーテンを開けて顔を出した。
保健室の峯村先生だった。峯村は二十八歳で綺麗な人。この高校の男子生徒の大半は、峯村と寝てみたいらしい。
茂田は小さな声で、出てこないでよと言った。峯村は茂田をちらっと見てから、山瀬に視線を向ける。
「山瀬君、何をしにきたの?」
「いえ、涼みに来ただけです」
「茂田君、熱があるみたいだからこっち来ない方が良いよ」
白衣を羽織ろうとする峯村の額には汗が滴っていた。こんなに冷房が効いている部屋で二人して汗だくだなんておかしい。
開かれたカーテンの向こうにあるベッドのシーツや布団は湿っているようだった。
「二人で何をしていたんですか」
そう尋ねる山瀬は、自分の推測が間違っていないと確信していた。
予想通りに、もちろん当たり前に山月は可愛かった。黄色のエプロンを身に纏う山月は、黄色が世界で一番似合う人間なんじゃないかと錯覚させる程恐ろしいものだった。
いらっしゃいませーと笑顔を振舞う山月を見て、白色のエプロンだったら「天使みたいだ」と言う表現が出来たのにな、なんてことを山瀬は考える。
山月を眺める山瀬は、次第にほわわんという気分になった。顔が熱くなってきたみたいだ。
山瀬はトイレに向かった。四組があるフロアにはトイレが無いため、一つ下の階に降りる。階段を降り切ってすぐ左手に女子トイレがあり、その奥が男子トイレだ。ここのトイレを使用する度に、山瀬は、男女の位置を逆にするとかそういう配慮をした方が良いのではないかと考える。街中ではそういった風に考慮されているはずだ。一概には言えないが。
トイレを済ませて洗面台で手を濯いでいると、茂田が入ってきた。彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに俯き便所へ向かった。
出てきた時に何か言うのではないかと考えた山瀬は、洗面台で待つことにした。
一分もしないうちに茂田は鏡の前に立ち、眼球を動かしたかどうか分からない速度で山瀬を見た後、鏡に映る自身の顔に目を向けた。
「なあ、山瀬」
「どうした」
「さっきの事なんだけどさ」
茂田は、山瀬が何かを言わないか待っているようだった。山瀬は、誰にも言わないよと言いかけたが言葉を飲み込む。
「誰にも言わないでくれないか」
「うん」
「本当か? 約束してくれるか?」
「誰にも言わないよ。ていうか、言いたくても言う相手いないし」
茂田はほっとしたみたいだった。
ため息をついてから山瀬を見る。
「山瀬、お前友達いないのか?」
「なんて失礼な質問だ」
山瀬は少し怒ったような素振りをした。茂田は困った顔をして目を逸らす。茂田の背景にある窓から差し込む太陽の光が、腹立たしい程に眩い。
「冗談だよ。怒ってない」
茂田は再び安堵した。
胸を撫で下ろすと、鏡越しに山瀬を見る。
「もし良かったら、俺、友達になろうか」
驚いた! 友達っていうのは提案して関係性を確立させるものだろうか、と。
「茂田って友達になる時に相手に提案するの?」
山瀬の質問に茂田は軽く笑った。
「んなわけないやん。山瀬って面白いやつなんだな」
「自分では思った事ないね」
山瀬が男子トイレに入ってから二十分が経過していた。
もう一度、四組に戻った。今回は茂田と共に。
教室前方の扉から中を覗くと、そこに山月の姿は見当たらなかった。そもそも、生徒が誰一人いなかった。不思議に思い、掛け時計に目をやると十二時半を指していた。お昼休憩の時間になっていることに気がつかなかった。
四組の控え室は一年五組の教室だった。
階段を一段ずつ上がっていると、茂田が一段飛ばしですぐ横を駆け上がっていった。驚いた拍子に壁に右肩をぶつけ、それほど痛くはなかったものの、怒りの笑みを浮かべてやる。
山瀬のその顔を見て、茂田はゲラゲラ笑い出した。笑っている茂田を見た山瀬もゲラゲラ笑い出した。そんな山瀬を見て茂田が笑いに拍車をかける。山瀬にも茂田にも何がそんなに面白いのか分からなかったが、とにかく何故か面白かった。そうして、普遍的な高校の校内に、笑い声のエンドレスワルツが生まれた。その笑い声は校内中、さらには日本中に響いているようで、二人にはそんなことがさらに面白かった。
一年五組の教室では、三年四組の生徒たちが談笑しながら腹を満たしている。弁当やらコンビニの惣菜やらの匂いが教室中に充満していた。その、もわりとした空気に、山瀬は気分が悪くなってしまった。
自分の昼ご飯をそそくさと、且つ真顔で取ってから廊下に出る。廊下の空気は、外気が流れているために心地が良かった。何なら屋上にでも出たい気分だ。しかし、漫画のように屋上は開放されている訳ではない。
廊下の窓を一つ、全開にする。
涼しい夏風が山瀬の顔の肌をそっと撫で、山瀬の心は凪いだ。
森の奥の一枚の葉から滴り落ちた水滴が、池の水面にそっと触れるように。静かに。
隣の教室の扉がドンと大きな音を立てて、山瀬の心臓を刺激した。教室の中から扉に衝突したようだ。
ふざけんな! という、男の大きな声が聞こえる。壁や天井に反響して、静かだった廊下はスピーカーのようにその声を拾っていた。
「お前、自分が何やったのか分かってんのか!」
聞き覚えのある声は、誰のものであるかすぐに分かった。茂田だった。
「俺は一生お前を許さずに生きていくからな!」
喧嘩相手の声は聞こえない。おそらく百で相手が悪いのだろう。言い返せる状況ではないことが推測出来た。
数秒の沈黙はやけに長く感じられた。山瀬はメデューサと目を合わせてしまったかのように微動だにしなかった。
沈黙の末、茂田は怒りに任せて教室から出てきた。彼はすぐに山瀬に気付いて、微妙に引きつった笑顔をしてみせた。
「山瀬、聞いてた?」
山瀬はどう答えようか一瞬迷ったが、別に嘘をつく必要は無いと考えた。
「ごめん聞いてた。というか、この階にいる生徒には聞こえてると思うよ」
やっちまった、と茂田は後悔をしている表情をした。
「何があったの? あんなに大きな声を出して。僕はまだ茂田のことをあまりよく知らないけれど、何というか、茂田らしくないというか」
「なにそれ」
茂田は本調子の笑顔をする。
彼は、不安そうな顔をしながら事情を教えてくれた。
彼には二つ歳下の妹がいて、この高校の一年生だった。その妹には最近恋人が出来たが、何だか幸せそうには見えないと茂田は感じていた。そして昨日ついに妹から相談をされ、茂田は怒りに呑まれたという。
「妹さんになにがあったのか聞いてもいい?」
「うん」
茂田は、ふぅー、と大きなため息をしてから話し始める。
「蒼空さ、泣いてたんだ。それで俺、どうしたんだって聞いたんだ。蒼空は号泣しながら訴えたよ。彼氏が浮気してた、って。まだ付き合って二ヶ月だぜ? いや、浮気に早いも遅いもないけどさ。最初は幸せそうにしてたのに、一ヶ月経ったくらいから暗い顔しててさ。俺、シスコンって言われても嫌な気がしないくらい蒼空のこと好きで。だから俺許せなくて」
山瀬はどう反応しようか悩んでいた。何か気を遣ったことを言わなければならない。
「妹さんと仲良いんだね」
茂田は驚いた顔をした。それは当たり前だった。山瀬の言葉は気遣いでも何でもないからだ。
「まだあるんだ。蒼空、まだしたことなかったんだよ」
茂田は山瀬の顔を見た。察してくれと言っているようだった。山瀬は、分かっていると心の中で呟きながら微笑む。
「したことなかったのに無理やり脱がされたんだ。それで、その、そんな感じで卒業したんだよ。好きな人として嬉しい気持ちがなかった訳ではないけど、あんな形でしたくなかったって言ってた。でもあいつ、まだ彼氏のこと好きなんだよ」
「なんか複雑だね」
「で、その彼氏っていうのが俺と同じクラスの荒切っていうやつ。知ってる?」
「ごめん知らない」
「今、荒切と話してた。そしたらあいつが逆ギレしてきたんだ。俺だって何ちゃらだ、って。俺、動揺しててあいつがなに言ってたかあんまり覚えてないけど、反省しているようには見えなかったから思わず殴っちまった」
「どんなに感情が昂っても、暴力はダメだよ」
茂田は目だけでちらと山瀬を見る。
「そうだよな。それは後で謝りに行こうと思ってる。でも今は行けない」
「うん。別に今行く必要は無いと思うよ」
彼は、ありがとう、と言った。
「心は綺麗なんだね」
「どういう意味だ?」
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「なんか恥ずかしいし有難いけど、『心は』って何だよ」
「いやだって、教師と肉体関係にあるじゃん」
山瀬は嫌味っぽく満面の笑みで言った。
太陽の光が呼応するように強くなるのが感じられた。
「それはお互いにメリットがあるからだよ」
「でも、もし他の誰かにバレたらデメリットしかないよ」
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