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moonlight
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【コンビニに行くかどうか悩む時間になってしまった】
午前二時。一日が始まったばかりの真夜中に、茂田にメールを送る。
コンビニは夜中に行く方が楽しい。まだ真夜中のコンビニを経験したことがない人類は早急に経験しておくべきだと、山瀬は強く主張したい。
そして、カップラーメンは午前二時が一番美味しい。それは確固たるものであるし、科学的に証明されているかどうか知らないけれど、山瀬はそう強く主張したい。
部屋には、オレンジ色の証明が謙虚に灯されている。山瀬はぼうっとその光を見つめ、その先に山月の顔を想像した。
山月以外でこんなにも黒い髪が似合う人なんているのだろうか、と考える。麗かなその瞳にダイブしてしまいたい、なんて少女漫画のイケメンでも言わないようなセリフを思いついてしまう。
【俺はもうコンビニにいる】
茂田から返信が来る。その文面を見て、山瀬はすぐにジャージを羽織って階段を駆け下りていく。誰もいないリビングを横目に玄関を飛び出した。
世界は静かに眠っている。所々で起きている街灯たちは暇そうに見えた。
自宅からコンビニまでの二十五個の街灯のうち、三個はもう力尽きていて、これからも生き返ることはないように思えた。
住宅地を抜けて少し歩くと、轟々と光を放つコンビニが視界に映る。
【僕もコンビニ来た。何してんの】
【コーヒー買いに来ただけ。もう少ししたら帰る】
【そっか。僕はココアとカップラーメンを買ってから帰ることにするわ】
【その二つは意味わからんくね? まぁ、また月曜な】
カップラーメンは意外と種類が豊富だ。
山瀬は五分ほど考え込む。結局はいつものスタンダードのカップラーメンを購入することにした。
レジでココアをホットで注文すると、自動ドアの方のカウンターに移動するように言われる。ココアから湯気がこれでもかと立ち昇っていて、山瀬は何だか父親が恋しくなった。
山瀬の父親は煙草をこよなく愛していた。幼い頃からその煙を見てきたため、煙を目にするとやはり父親の煙草に結びつけてしまう。
父親は、世間体では良い父親ではなかったかもしれないが、山瀬にとっては良い父親だったように思える。しかしそれは、山瀬自身も過去を美化しているだけのことだと分かっていた。
過去を美化することなんて簡単だ。過去を美化していない人など存在するのだろうか、なんてことも考える。
ココアを飲みながら自宅までの夜道を堪能した。カラスが不気味に鳴いていて、山瀬は少し変な気持ちを抱く。
今日は月が綺麗だ、なんてセンチメンタルなことを思った。思わずというような顔をしながら、意識的にスマホを取り出して、月をデジタルな四角形に収める。やはり、画面上ではそこまで感動することはできない。こんな写真を山月に送ってもいいような関係になりたいと、切実に感じた。
自動販売機の横を通った時、何か黒いものが動いた気がした。山瀬はゾッとする。まだ自動販売機の影に隠れていることが分かり、とてつもない恐怖感に襲われると同時に少しの好奇心が湧いた。
人間、恐ろしい状況に陥ると不可解な感情が湧いてくるのかもしれない。
山瀬は恐る恐る影に近づいていく。じりじりと静かに、されど素早く。心臓が激しく躍り出しているのがはっきりと感じられた。ドンドコドンドコ。それは夏祭りの太鼓の演奏のように思えた。
夏祭り。山月と行ける日は来るのだろうか。死ぬまでには何としてでも山月と夏祭りに行かなければならない。そして山月の浴衣姿を見て「可愛いね」なんて言って、一緒に打ち上げられる花火を見て感動して、屋台で焼きそばなんか買ったりして。
山瀬の妄想は終わりを知らなかった。
ガサガサ。影が動いた音で山瀬は正気を取り戻す。影は山瀬に威嚇しているようだ。こっちにきたら何をするか分からないぞ、と言わんばかりに。
黄色い眼が山瀬を見つめた。にゃーん。
山瀬は何か買ってあげようと自動販売機に目をやる。ここの自動販売機は世には珍しいもののようで、猫や犬の餌が並んでいた。
猫の缶詰は二百円。山瀬はポケットに手を伸ばしたが、そこに財布は無かった。どこかに落として来たのだろうか。
コンビニから来た道をくまなく探したが、山瀬の財布はどこにも無かった。ついにはコンビニに到着してしまい、ここに忘れたことを祈る。
念のためにまずは自分で探すことにした。店内を隅々まで見回ったが、やはり見当たらなかった。
その様子を見ていた店員が山瀬に声をかける。
「どうかなさいましたか?」
「あ、えっと、財布を落としてしまって」
大学生くらいの女性の店員は、あっ、と咳をするように声を漏らした。
「もしかして茶色と黒の?」
「あ、そうです。それです」
店員は、少々お待ちください、と言ってからバックヤードに入っていった。
店内には、最近流行っているアイドルグループの最新曲が流れている。山瀬はアイドルには興味ないが、それでも口ずさめるというのは、そのアイドルグループの人気さを物語っていた。
同人誌が消えてしまった雑誌コーナーを適当に流し見しながら、ぶらぶらと歩く。その先の窓には自分の姿が半透明に映っていた。
まさに、自分の真の姿を映し出されているような気持ちになった。数少ない車たちが、法定速度を優に超えた速さでビュンビュンと走り去っていく。
間もなくして、店員が山瀬の財布を手に戻って来た。山瀬は店員にお礼を言ってから店を出る。彼女の右胸には〈一原〉という名札がぶら下がっていた。
またお越しくださいませー、という一原の声を背にコンビニを出ると、山瀬は目を大きくした。
自動ドアのすぐ傍に見覚えのある可愛らしい顔の持ち主が立っていたからだ。
「山月?」
月を見ているのか、真っ暗な夜空を見上げる少女に山瀬は声をかける。山月は警戒心満載と言わんばかりに、鋭い目で山瀬を振り返った。
「え、何? こんなところで何してんの?」
「それはこっちのセリフだよ。女の子がこんな夜中に危ないじゃん」
山月は鋭い目を緩和させるように、ふふっと息を漏らした。
「あー、見られちゃったかー」
山月は何だか楽しげな感じで言った。
山瀬は特に何かを見たわけではないけれど、彼女にとっては誰にも会いたくない時間だったのだろうか。
「別に何も見てないけど」
「あ、そうなの? ならいいや」
「え?」
山瀬は、山月が何の話をしているのか分からなかった。それよりも、山月が自分のことを認識してくれていることが嬉しかった。
「そんで、君は何してんの?」
「ああ、財布をここに忘れてたみたいで取りに来たんだ」
「あった?」
「あった」
「良かったね」
沈黙が流れる。
山瀬はどことなく緊張していた。目の前に、しかもこんな非日常的な時間に、好意を寄せている相手が自分と話してくれているのだから。
山月は、じゃあねと言って左手で何かを揉むようなジェスチャーを何回かした。その手の振り方が何だか可笑しく思えた。
山月の姿が見えなくなるまで見送る。その後ろ姿は、どんな女優よりも美しく見えた。
少し肌寒い秋風に白い息を乗せる。左手の人差し指と中指に挟んでいる約七百度の光は、これが命だと言わんばかりに燃え続けている。
フィルターを咥えてからスゥーと煙を口の中に蔓延させる。それから肺の奥深くまで行き届くように、一気に、静かに吸い込む。煙が肺を満たしたことが確認出来れば、口を少し窄めて広大な空に丁寧に吐き捨てる。そして少しむせる。
山瀬が煙草を吸っていることは、世界中の誰にだって内緒である。もちろん、家族にも友人にも話したことはない。そして、山月には決してバレてはいけない。自分が喫煙者だということは、墓場に持っていくことに決めていた。
コンビニの前に置いてある灰皿には、空のボックスが捨ててある。マナーが悪いな、なんて思いながら灰をストンと落とす。
山瀬はなにもイキって吸っているわけではない。ストレスが溜まった時や、逆に嬉しいことがあったときに、決まって一人で吸うのだ。
タバコの味が美味しいわけでは無かったが、山瀬はこの時間がとても好きだった。
最後の一息を終わらせる頃、背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。鳥肌が立った。誰が来たのか分からないが、こんな姿を誰かに見せるわけには行かない。山瀬は手際よく鎮火させ、ボックスをポケットに仕舞い込んだ。
「山瀬」
その声は、山月のものだった。一番知られたくない相手に見られてしまうところだった。冷や汗が止まらないが、必死にそれを隠した。
「まだいた、良かった!」
山月は走って来たのか汗がびっしょりで、少しだけ下着が透けている。山瀬は目のやり場に困った。
「何か用?」
「言い忘れたことがあって、走って戻って来たの」
「やけに汗かいてるね」
「あ、結さ、ものすごく代謝が良いみたい。なんか汚いけど許して」
「良いんだけど、あの、それ」
山瀬は俯きながら、山月の胸元を指差した。山月は最初ぽかんとしていたが、ようやく気づいたようで、急いでジャージのチャックを上げた。
「ごめん変なの見せて。不快だね」
「いやそんなことない」
山瀬は思わず反射的に答える。山月がキョトンとした顔をした。
「あ、いや、何でもない。気にしないで」
山瀬の恥ずかしさは、飲み込める物ではなくなった。
山月はそんな山瀬を見てゲラゲラ笑う。もう少し女の子らしい笑い方が出来ないものかと思うが、そんなところも山瀬は好きだった。
「まあ、君がエッチな男の子だってことは分かったよ」
山瀬は悪戯に微笑む。
「でも結は気にしないよ。だって、男の子ってそんなもんでしょ? 正直な方が可愛いよ」
「可愛い?」
「うん、まあ、君は中性的な顔してるし」
「褒めてる?」
「うーん、何とも言えないかな」
山瀬は少し落ち込んだ。今の会話で、自分の顔が山月のタイプではないことが何となく理解出来たからだ。
無意識にため息をつく。
「あ、なんか落ち込んでる?」
「いや、別に落ち込んでない」
「ごめんって。君の顔、別に悪くないと思うよ。私は嫌いじゃない」
「でも好きじゃないでしょ」
「そんなこと言ってない」
山月はふてくされた顔をした。そんな顔も可愛いと思ってしまう。
「あー、今、可愛いと思ったでしょ」
思ってない、と吐き捨ててから山瀬は顔が熱くなっていくの感じた。顔の表面で卵焼きくらいは作れそうだ。
いつの間にか、車は一台も走っていなかった。スマホで時間を確認すると、知らぬ間に午前四時に差し掛かっていた。
時が止まったような時間になり誰も使用することがなくても、信号機は自分の使命を全うしている。赤、青、黄色。この三色だけで世界は支配されている。そんな世界に生きている自分は何色なのだろうか。
山瀬は、まだ自分は何色にも為れていないのだと、少し暗い気持ちになった。
「それで、何の用だったの」
「あ、そうだ。忘れてた」
山月はそう言うと、ポケットからスマホを取り出して、これが見えぬか、と言いたげな顔で山瀬に見せる。
「連絡先交換しよ」
「へ?」
山瀬は呆気にとられてしまった。信号機も働くのを辞めたように感じられる。
「そんなことをいいに来たの?」
「そんなことって何だよう。これでも勇気振り絞ってんだぞ」
「忘れてたんじゃないの?」
「っもう。君って人は、女心が分かってないね。そんなんじゃモテないよ」
「別に理解出来ると思ってないし、モテたいわけでもない」
「本当に細かい男。私の連絡先いるの? いらないの?」
山瀬はさらに顔が真っ赤になり、猿の尻が顔にへばりついていると勘違いされるのではないか、という気持ちになった。
「欲しいです」
山月の連絡先のトップ画面をタップする。そこには山月がお洒落な服を着ている姿があった。いつか自分とデートをする日が来れば、こんなにも可愛い格好をした山月に会えるのではないかと、にやけが止まらなくなってしまった。
トップ画面を見続けていると、ピコンと大きな音を立てて通知音がなる。
【よろしくね】
山月と何かが始まる予感がしてならなかった。
【よろしくお願いします】
山瀬の心臓は踊っていて、今にも自立してどこかへ飛んでいきそうだった。
【何でそんなにかしこまってるの?】
【明日一緒に登校する? 多分、家近いんだよね?】
【あ、今日楽しかった。また話そー】
次々と送られてくる文章にあせあせしながらも、ゆっくりと返信をしようと思っていた。
そして、また文章が送られてくる。
【さっき山瀬がしてたこと、誰にも言わないから安心してね】
【おやすみ】
山瀬はこの上なく寒気がした。何のことを言ってるんだ。さっき自分がしていたこと。
そんなの煙草の事としか思えない。全身の毛がよだつ。やっと引いた冷や汗は再び戻ってくる。きちんと話さなければ、山月に嫌われないようにしなければ、と言う思いが山瀬を真冬の世界に投げつけた。
【明日、話そう】
山瀬は震える手を落ち着かせながら、しっかりと文字を打つ。煙草には既に火が灯されていた。無意識にボックスから取り出していたみたいだ。
その夜、山月からの返信は無かった。
猫の餌を買おうとしてたことをふと思い出し、店内に戻る。何でもいいが、値段が安いことを祈りながら探すと、二種類の猫用の餌が置いてあった。一つは七百三十円でもう一つが五百六十円。さほど差はないが自分が飼っている猫というわけでもないため、やはり安い方を選んだ。
会計を済ませ、袋はいらないですと店員に言って店を出る。少し歩いたところで、やはり袋が必要かもしれないと思い直し、コンビニへ戻って再び会計をする。すみませんと店員に謝ってから、また家路に着いた。
自販機の場所まで戻ってくると、猫の姿はなかった。
辺りを軽く探してはみたものの、どこにも猫はいない。せっかく餌を買ってきてやったのに、と残念な気持ちになったが、待っているように猫に言ったわけでも無かったので、諦めて家に帰ることにした。
午前二時。一日が始まったばかりの真夜中に、茂田にメールを送る。
コンビニは夜中に行く方が楽しい。まだ真夜中のコンビニを経験したことがない人類は早急に経験しておくべきだと、山瀬は強く主張したい。
そして、カップラーメンは午前二時が一番美味しい。それは確固たるものであるし、科学的に証明されているかどうか知らないけれど、山瀬はそう強く主張したい。
部屋には、オレンジ色の証明が謙虚に灯されている。山瀬はぼうっとその光を見つめ、その先に山月の顔を想像した。
山月以外でこんなにも黒い髪が似合う人なんているのだろうか、と考える。麗かなその瞳にダイブしてしまいたい、なんて少女漫画のイケメンでも言わないようなセリフを思いついてしまう。
【俺はもうコンビニにいる】
茂田から返信が来る。その文面を見て、山瀬はすぐにジャージを羽織って階段を駆け下りていく。誰もいないリビングを横目に玄関を飛び出した。
世界は静かに眠っている。所々で起きている街灯たちは暇そうに見えた。
自宅からコンビニまでの二十五個の街灯のうち、三個はもう力尽きていて、これからも生き返ることはないように思えた。
住宅地を抜けて少し歩くと、轟々と光を放つコンビニが視界に映る。
【僕もコンビニ来た。何してんの】
【コーヒー買いに来ただけ。もう少ししたら帰る】
【そっか。僕はココアとカップラーメンを買ってから帰ることにするわ】
【その二つは意味わからんくね? まぁ、また月曜な】
カップラーメンは意外と種類が豊富だ。
山瀬は五分ほど考え込む。結局はいつものスタンダードのカップラーメンを購入することにした。
レジでココアをホットで注文すると、自動ドアの方のカウンターに移動するように言われる。ココアから湯気がこれでもかと立ち昇っていて、山瀬は何だか父親が恋しくなった。
山瀬の父親は煙草をこよなく愛していた。幼い頃からその煙を見てきたため、煙を目にするとやはり父親の煙草に結びつけてしまう。
父親は、世間体では良い父親ではなかったかもしれないが、山瀬にとっては良い父親だったように思える。しかしそれは、山瀬自身も過去を美化しているだけのことだと分かっていた。
過去を美化することなんて簡単だ。過去を美化していない人など存在するのだろうか、なんてことも考える。
ココアを飲みながら自宅までの夜道を堪能した。カラスが不気味に鳴いていて、山瀬は少し変な気持ちを抱く。
今日は月が綺麗だ、なんてセンチメンタルなことを思った。思わずというような顔をしながら、意識的にスマホを取り出して、月をデジタルな四角形に収める。やはり、画面上ではそこまで感動することはできない。こんな写真を山月に送ってもいいような関係になりたいと、切実に感じた。
自動販売機の横を通った時、何か黒いものが動いた気がした。山瀬はゾッとする。まだ自動販売機の影に隠れていることが分かり、とてつもない恐怖感に襲われると同時に少しの好奇心が湧いた。
人間、恐ろしい状況に陥ると不可解な感情が湧いてくるのかもしれない。
山瀬は恐る恐る影に近づいていく。じりじりと静かに、されど素早く。心臓が激しく躍り出しているのがはっきりと感じられた。ドンドコドンドコ。それは夏祭りの太鼓の演奏のように思えた。
夏祭り。山月と行ける日は来るのだろうか。死ぬまでには何としてでも山月と夏祭りに行かなければならない。そして山月の浴衣姿を見て「可愛いね」なんて言って、一緒に打ち上げられる花火を見て感動して、屋台で焼きそばなんか買ったりして。
山瀬の妄想は終わりを知らなかった。
ガサガサ。影が動いた音で山瀬は正気を取り戻す。影は山瀬に威嚇しているようだ。こっちにきたら何をするか分からないぞ、と言わんばかりに。
黄色い眼が山瀬を見つめた。にゃーん。
山瀬は何か買ってあげようと自動販売機に目をやる。ここの自動販売機は世には珍しいもののようで、猫や犬の餌が並んでいた。
猫の缶詰は二百円。山瀬はポケットに手を伸ばしたが、そこに財布は無かった。どこかに落として来たのだろうか。
コンビニから来た道をくまなく探したが、山瀬の財布はどこにも無かった。ついにはコンビニに到着してしまい、ここに忘れたことを祈る。
念のためにまずは自分で探すことにした。店内を隅々まで見回ったが、やはり見当たらなかった。
その様子を見ていた店員が山瀬に声をかける。
「どうかなさいましたか?」
「あ、えっと、財布を落としてしまって」
大学生くらいの女性の店員は、あっ、と咳をするように声を漏らした。
「もしかして茶色と黒の?」
「あ、そうです。それです」
店員は、少々お待ちください、と言ってからバックヤードに入っていった。
店内には、最近流行っているアイドルグループの最新曲が流れている。山瀬はアイドルには興味ないが、それでも口ずさめるというのは、そのアイドルグループの人気さを物語っていた。
同人誌が消えてしまった雑誌コーナーを適当に流し見しながら、ぶらぶらと歩く。その先の窓には自分の姿が半透明に映っていた。
まさに、自分の真の姿を映し出されているような気持ちになった。数少ない車たちが、法定速度を優に超えた速さでビュンビュンと走り去っていく。
間もなくして、店員が山瀬の財布を手に戻って来た。山瀬は店員にお礼を言ってから店を出る。彼女の右胸には〈一原〉という名札がぶら下がっていた。
またお越しくださいませー、という一原の声を背にコンビニを出ると、山瀬は目を大きくした。
自動ドアのすぐ傍に見覚えのある可愛らしい顔の持ち主が立っていたからだ。
「山月?」
月を見ているのか、真っ暗な夜空を見上げる少女に山瀬は声をかける。山月は警戒心満載と言わんばかりに、鋭い目で山瀬を振り返った。
「え、何? こんなところで何してんの?」
「それはこっちのセリフだよ。女の子がこんな夜中に危ないじゃん」
山月は鋭い目を緩和させるように、ふふっと息を漏らした。
「あー、見られちゃったかー」
山月は何だか楽しげな感じで言った。
山瀬は特に何かを見たわけではないけれど、彼女にとっては誰にも会いたくない時間だったのだろうか。
「別に何も見てないけど」
「あ、そうなの? ならいいや」
「え?」
山瀬は、山月が何の話をしているのか分からなかった。それよりも、山月が自分のことを認識してくれていることが嬉しかった。
「そんで、君は何してんの?」
「ああ、財布をここに忘れてたみたいで取りに来たんだ」
「あった?」
「あった」
「良かったね」
沈黙が流れる。
山瀬はどことなく緊張していた。目の前に、しかもこんな非日常的な時間に、好意を寄せている相手が自分と話してくれているのだから。
山月は、じゃあねと言って左手で何かを揉むようなジェスチャーを何回かした。その手の振り方が何だか可笑しく思えた。
山月の姿が見えなくなるまで見送る。その後ろ姿は、どんな女優よりも美しく見えた。
少し肌寒い秋風に白い息を乗せる。左手の人差し指と中指に挟んでいる約七百度の光は、これが命だと言わんばかりに燃え続けている。
フィルターを咥えてからスゥーと煙を口の中に蔓延させる。それから肺の奥深くまで行き届くように、一気に、静かに吸い込む。煙が肺を満たしたことが確認出来れば、口を少し窄めて広大な空に丁寧に吐き捨てる。そして少しむせる。
山瀬が煙草を吸っていることは、世界中の誰にだって内緒である。もちろん、家族にも友人にも話したことはない。そして、山月には決してバレてはいけない。自分が喫煙者だということは、墓場に持っていくことに決めていた。
コンビニの前に置いてある灰皿には、空のボックスが捨ててある。マナーが悪いな、なんて思いながら灰をストンと落とす。
山瀬はなにもイキって吸っているわけではない。ストレスが溜まった時や、逆に嬉しいことがあったときに、決まって一人で吸うのだ。
タバコの味が美味しいわけでは無かったが、山瀬はこの時間がとても好きだった。
最後の一息を終わらせる頃、背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。鳥肌が立った。誰が来たのか分からないが、こんな姿を誰かに見せるわけには行かない。山瀬は手際よく鎮火させ、ボックスをポケットに仕舞い込んだ。
「山瀬」
その声は、山月のものだった。一番知られたくない相手に見られてしまうところだった。冷や汗が止まらないが、必死にそれを隠した。
「まだいた、良かった!」
山月は走って来たのか汗がびっしょりで、少しだけ下着が透けている。山瀬は目のやり場に困った。
「何か用?」
「言い忘れたことがあって、走って戻って来たの」
「やけに汗かいてるね」
「あ、結さ、ものすごく代謝が良いみたい。なんか汚いけど許して」
「良いんだけど、あの、それ」
山瀬は俯きながら、山月の胸元を指差した。山月は最初ぽかんとしていたが、ようやく気づいたようで、急いでジャージのチャックを上げた。
「ごめん変なの見せて。不快だね」
「いやそんなことない」
山瀬は思わず反射的に答える。山月がキョトンとした顔をした。
「あ、いや、何でもない。気にしないで」
山瀬の恥ずかしさは、飲み込める物ではなくなった。
山月はそんな山瀬を見てゲラゲラ笑う。もう少し女の子らしい笑い方が出来ないものかと思うが、そんなところも山瀬は好きだった。
「まあ、君がエッチな男の子だってことは分かったよ」
山瀬は悪戯に微笑む。
「でも結は気にしないよ。だって、男の子ってそんなもんでしょ? 正直な方が可愛いよ」
「可愛い?」
「うん、まあ、君は中性的な顔してるし」
「褒めてる?」
「うーん、何とも言えないかな」
山瀬は少し落ち込んだ。今の会話で、自分の顔が山月のタイプではないことが何となく理解出来たからだ。
無意識にため息をつく。
「あ、なんか落ち込んでる?」
「いや、別に落ち込んでない」
「ごめんって。君の顔、別に悪くないと思うよ。私は嫌いじゃない」
「でも好きじゃないでしょ」
「そんなこと言ってない」
山月はふてくされた顔をした。そんな顔も可愛いと思ってしまう。
「あー、今、可愛いと思ったでしょ」
思ってない、と吐き捨ててから山瀬は顔が熱くなっていくの感じた。顔の表面で卵焼きくらいは作れそうだ。
いつの間にか、車は一台も走っていなかった。スマホで時間を確認すると、知らぬ間に午前四時に差し掛かっていた。
時が止まったような時間になり誰も使用することがなくても、信号機は自分の使命を全うしている。赤、青、黄色。この三色だけで世界は支配されている。そんな世界に生きている自分は何色なのだろうか。
山瀬は、まだ自分は何色にも為れていないのだと、少し暗い気持ちになった。
「それで、何の用だったの」
「あ、そうだ。忘れてた」
山月はそう言うと、ポケットからスマホを取り出して、これが見えぬか、と言いたげな顔で山瀬に見せる。
「連絡先交換しよ」
「へ?」
山瀬は呆気にとられてしまった。信号機も働くのを辞めたように感じられる。
「そんなことをいいに来たの?」
「そんなことって何だよう。これでも勇気振り絞ってんだぞ」
「忘れてたんじゃないの?」
「っもう。君って人は、女心が分かってないね。そんなんじゃモテないよ」
「別に理解出来ると思ってないし、モテたいわけでもない」
「本当に細かい男。私の連絡先いるの? いらないの?」
山瀬はさらに顔が真っ赤になり、猿の尻が顔にへばりついていると勘違いされるのではないか、という気持ちになった。
「欲しいです」
山月の連絡先のトップ画面をタップする。そこには山月がお洒落な服を着ている姿があった。いつか自分とデートをする日が来れば、こんなにも可愛い格好をした山月に会えるのではないかと、にやけが止まらなくなってしまった。
トップ画面を見続けていると、ピコンと大きな音を立てて通知音がなる。
【よろしくね】
山月と何かが始まる予感がしてならなかった。
【よろしくお願いします】
山瀬の心臓は踊っていて、今にも自立してどこかへ飛んでいきそうだった。
【何でそんなにかしこまってるの?】
【明日一緒に登校する? 多分、家近いんだよね?】
【あ、今日楽しかった。また話そー】
次々と送られてくる文章にあせあせしながらも、ゆっくりと返信をしようと思っていた。
そして、また文章が送られてくる。
【さっき山瀬がしてたこと、誰にも言わないから安心してね】
【おやすみ】
山瀬はこの上なく寒気がした。何のことを言ってるんだ。さっき自分がしていたこと。
そんなの煙草の事としか思えない。全身の毛がよだつ。やっと引いた冷や汗は再び戻ってくる。きちんと話さなければ、山月に嫌われないようにしなければ、と言う思いが山瀬を真冬の世界に投げつけた。
【明日、話そう】
山瀬は震える手を落ち着かせながら、しっかりと文字を打つ。煙草には既に火が灯されていた。無意識にボックスから取り出していたみたいだ。
その夜、山月からの返信は無かった。
猫の餌を買おうとしてたことをふと思い出し、店内に戻る。何でもいいが、値段が安いことを祈りながら探すと、二種類の猫用の餌が置いてあった。一つは七百三十円でもう一つが五百六十円。さほど差はないが自分が飼っている猫というわけでもないため、やはり安い方を選んだ。
会計を済ませ、袋はいらないですと店員に言って店を出る。少し歩いたところで、やはり袋が必要かもしれないと思い直し、コンビニへ戻って再び会計をする。すみませんと店員に謝ってから、また家路に着いた。
自販機の場所まで戻ってくると、猫の姿はなかった。
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侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
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神崎未緒里
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※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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