揺れぬ蜉蝣

キズキ七星

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mooncalf

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 黒猫って本当に不吉なのだろうか。元々は崇められた存在だったと、どこかで聞いたことがある。では、なぜ不吉な存在だと言われるようになってしまったのだろう。
 残った珈琲を流し込んでからまた窓の外を見たけれど、もう黒猫はそこにいなかった。さっきまで黒猫が立っていた場所は、元から黒猫なんていなかったかのように草木が揺れていた。
 僕が窓の外ばかりを見ていたから気づかなかったのか、彼女は本を読み始めていた。おっと、と思って鞄から大きめの本を取り出して、さっきまで公園で読んでいたページを開く。

 三十分くらい読んでいただろうか。キリの良いところまで読んでしまうと、僕は顔を本で隠すようにして彼女を盗み見た。彼女はまだ活字に視線を落としている。俯くその顔から高く伸びている鼻が一際目立っている。綺麗な顔だ。これほどまでに端正な顔立ちの女性には、恋人がいるっていうジンクスがあるだろう。聞くまでもないことだ。しかし、やはり、確かめたいという気持ちは僕のどこかで佇んでいるようだ。
 すっかり日が暮れてしまうと、彼女はパタンと本を閉じた。読み終わったのか、キリの良いところなのだろう。
 僕は少しの間気づいていないフリをした。僕もキリの良いところまで読んでしまいたい。
「さっき、黒猫いましたよね」
 やはりこういった雰囲気のある店では、声が小さくなるのだろうか。かろうじて聞き取れる声量だった。
「いましたね」
「知ってました?」
「ずっと見てましたよ」
 あれだけずっと見つめていたのに、僕が黒猫を見ていたことに気づかなかったのか。何故かは分からないけれど、なんだか悲しい気持ちになった。
「面白いですか? その本」
「僕は好きです」
「読み終わったら貸してくれたりします?」
「問題ないです」
「そう。良かったです」
「そっちの本はどうですか?」
「うーん。有名な人だから買ってみたけど、私はいまいち共感できないのかも。『100回泣くこと』が好きだったからこれも買ってみたんですけど、不倫とかよく分かりません」
「え、不倫の話なんですか?」
「別にドロドロしてるわけではないですけど、一応そうみたいですね」
「へぇ。やっぱり経験が浅いと共感度合いも変わるんですかね」
「まだまだ若造ですもんね、私たち」
「ですね。」
 数時間前まで黙りこくっていた僕らは、坂道を転がるボールのように話が止まらなくなった。
「やっぱり、この書いてる人も不倫したのかなあ」
「いや、それはどうでしょう。でもやっぱり、してないと書けないですかね」
「書けないよなあ。私、書けないと思います」
「書いてみたらどうですか?」
「いやいや、小説なんて書けないですよ。文章書くの苦手だし」
「でも読むんですね」
「それとこれとは別の話です。というか、書けないからこそ読むんです。自分が上手な文章を書けない分、表現が綺麗で想像力豊かな人が作り出す物語が好きなんです」
「なるほど。そういうことですか。結構、感情移入する人ですか?」
「する方かなあとは思います」
「僕、感情移入ってなんだかできなくて。本読んでても映画見てても、泣いたことないですし」
「映画も見るんですか」
「暇な時はたまに見ます。ラブロマンスかヒューマンドラマが多いかな。割と地味かも、です」
「最近何見たんですか?」
「えっと、何見たかな」
 動画配信サービスの画面をウェブサイトで開いて、「視聴履歴」という文字をタップする。2020/3/29。A GHOST STORY。
「ア・ゴースト・ストーリーってやつ見ました」
「へえ、知らないです。邦画?」
「洋画です。なんかよく分からなかったんです」
「ということ?」
「死んだ男の人が幽霊になって、恋人の様子を見に帰ってくるんです。全然セリフが無いし、音楽もあまり無くって、ずっと静かなんです」
 彼女は小さく相槌をしながら聞いてくれている。でもどこか、上の空といった感じだ。
「それで、特に大きな出来事も起こらなくて、あるシーンで向かいの家にも同じような幽霊が映るんです。それも意図が分からなくて。本当にずっと静かで。映画好きなんですけど、眠たくなっちゃいました」
「あー、なんか見れないかも」
「最後らへんになると、家の壁をガリガリし始めるんですよ。指で。ずっと。国が違うからか、監督の意図は全く分からなかったです」
「ふぅん。なんか、多分見ないかも」
「ですよね」
 決してお勧めしているわけでは無いのだけれど、自分の説明次第では面白いと思ってもらえたのではないかと後悔した。僕も文章力は無いみたいだ。説明力? まあ、何でもいいや。
「映画は見ないんですか?」
「映画は見ないかなあ」
「本ばっか?」
「そうですね。時間がある時は本読むか音楽聴いてます」
「オフの日とかずっと本読んでそうですもんね」
「文系女子ってやつ」
 僕らは静かに笑った。二人の笑い声は、すぐに店内の空気となって消えてしまった。キッチンの奥から僅かに珈琲豆の香りが漂ってきた。
「音楽は何を聞くんですか?」
「My Hair Is Badとか」
「なんか意外ですね」
 彼女はまばたきをした。
「あ、いや、何となくそう思っただけなので」
「前はマイヘア聴かなかったんですけど」
 僕は彼女の鼻を見た。冷たそうだった。
「あ、いや、何でもないです」
 彼女はもう残っていないアイスティーを飲んだ。ズゴゴゴ。
「でも、音楽もですよね。経験がどうとかって話が当てはまるのって」
 彼女は誤魔化したような顔を解いて顔を上げた。
「確かに。恋愛ソング歌う人って、どうやって書いてるんだろう」
「やっぱり、経験も少しは混ざってるんじゃないですか?」
「混ぜないと書けない気はするよね」
「僕は混ぜても書けないですけど」
「私も」
 僕たちはまた笑った。さっきよりは空気に溶けるのに時間がかかった。
 もし、僕が歌や小説や映画を作るってなったとしたら、やはり舞花のことを書くのだろうか。人生で唯一愛し、愛してくれた人。
 もし、彼女が歌や小説や映画をつくるってなったとしたら、誰のことを書くのだろうか。今までの人生の中で、作品に混ぜてしまうほどの人はいたのだろうか。

 帰り道、僕らはまた言葉を交わさなかった。
 夜風が肌を凪いだ。夏前の夜は多少冷える。寒暖差が酷くて、彼女の浮き沈みする感情みたいだなと思った。話が合うと思うと、上の空になる。
 自分の足先を見ながら、彼女が言った「共感」という言葉について考えた。共感というのも、経験がどうとかの話になってくるんじゃないか。歌を聴いたり、小説を読んだり、映画を観た時に、共感するということは自分の経験の中に思い当たる節があるということなんじゃないだろうか。理解ができるから共感する。過去を思い出してしまうから共感する。今この瞬間に抱く感情は、過去に起因するのだろう。
 前を歩く彼女の頭の上に浮かぶ痩せ細った月が、頼りなく春夜を優しく照らしている。
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